一話-3 奸計と対策案
招待された日まで本来はあと一週間といったところのはずだったけれど、白面の一件で退魔師界隈全体が揺れたので期間が伸びたという経緯があったりで日にちがズレ込み開催されるまではまだ少しの猶予がある。
それまでの間に倉橋さんから礼儀作法を学びつつ、学校生活、妖怪退治、それに時々モデルの仕事とそれなりに空き時間のない生活を送っている。
お陰様で、と言っていいのかは分からないけれども、僕自身の力は以前よりも増していた。
具体的に言えば、白面と戦った時から総霊力量が二から三割増しといったところで、これは並みの退魔師の五年かそれ以上の修練を要する量だ。
付け加えると元々僕が持っていた霊力が桁外れに多いために増えた量もまた馬鹿にならない。血反吐を吐くような思いで霊力の底上げをしている退魔師からすれば反則だと罵られるかもれしないと覚悟する程だ。
ともあれ、その日までには万事恙なく完了するだろうと思っていたところ。
「手紙が来た?」
僕と咲夜がリビングでお茶を飲んでいると、大門先輩が少し険しい顔でやってきた。
手に持っていたのは咲夜宛の一通の手紙。その包装だけで咲夜は何かを理解したようで、この世で最も汚い物を見るかのような顔で手紙を凝視していた。
最早視線だけで物体を貫きかねないほど鋭い視線に思わず上体が後ろに引いてしまう。
「咲夜咲夜。それ、女の子がする顔じゃないよ」
「うるさいわね。殆ど破門したも同然の娘にご丁寧に当主だけが使う便箋を使ってまで送ってくる手紙となると辟易もするでしょ」
まぁ、その気持ちは理解出来る。僕も実家からご丁寧なお手紙でも来たら何か嫌な予感しかしないだろうから。
「……ここには僕たちしかいないからいいけど、他の人の前ではやめなよ? 冬香とか見ただけで泣いちゃいそうだし」
「し、な、い、わ、よ! ……ったく、馬鹿なことを言ってくれちゃって……」
怒鳴って怒りを発散出来たのか、さっきよりはマシにはなったものの依然として眉間に皺が寄ったままだ。
僕もあまり良い話ではないという予感があるし、その予感は中身を見た咲夜の顔によって的中したことが分かった。
怒りや憎しみや憤りの遣る瀬無い思いのようなものが表情に現れている。普段が冷静で澄ました顔でいるせいか、今回のことが相当なものなのだと推察することが出来てしまう。
「どんな内容なの?」
「ありきたりな禄でもない話よ」
「禄でもないっていうと……連れ戻すとか、ここの権利を取り上げるとか?」
それをされるとこちらとしては迷惑極まりない。僕が自由に振る舞えるのは咲夜が街を管理する為の特権を持っているからで、他の街に行けば同じように振る舞うことは出来ないかもしれないし、代わりの人が来たりすれば僕はここには居づらくなってしまう。
そんな予想を咲夜は即座に否定する。
「まさか、それで清花を操ろうだなんて考えているほど馬鹿ではないはずよ。貴方の活動地域をこの一帯ではなく、宝蔵家の力の届かない遠方まで移されたら失態どころの話ではなくなるしね。最悪、首が飛びかねないんじゃないかしら。だからそんな真似だけは出来ないでしょ」
「大袈裟だけど、場合によってはそれも最終手段としてアリかな?」
「時と場合と条件に限ればアリね。大抵の退魔師は自分の派閥以外の人に対して排他的な側面もあるから下手な場所に移住してしまうと禄でもない目に遭うことになるし。やるにしても、退魔師が少なくて困っているところがいいでしょうね。浄化使いとして恩を売れれば下手に排斥したり出来ないでしょうし」
「じゃあ一案としては候補に入れておく、と」
「確率としては限りなくないに等しいけれどね。逃げることで解決することと発生する新たな問題とで天秤が全く釣り合っていないのだし。ここにいる以上は曲がりなりにも宝蔵の名を使えるけど、他の場所ではそうもいかないでしょうしね。そうなったら私はただの目がいいだけの戦う力のない小娘。そんな相手に土地の管理を任せるほど馬鹿な人はいないでしょう」
「咲夜がいないと困ることの方が多いんだけどね」
先の白面の本体……というか分体を見つけられたのも咲夜のお陰で、それはどんな人にも替えは効かないこと。そのことを分かっていない宝蔵家の人たちは馬鹿だなぁとは思っていたけど。
「その手紙、実は咲夜の評価を改めた内容だったり?」
白面の一件で咲夜の力が大いに役立ったという報告はされているはず。そのことを宝蔵家が掴んでいないことはないのでもしかしたらという考えが頭を過った。
「だとしても、私のやることは変わらないけれどね……」
手紙は数枚に及ぶほど長い文章になっているようで、咲夜はそこから一字一句見逃さないようにしっかりと読み込んでいっている。こちらから見える裏面から薄っすらと透けて見える文字は端から端まで隙間なく大量の文字で埋められているようで、何とも読むのが面倒そうだった。
「…………」
咲夜は文字を見ることすら嫌なのか、出来るだけ目から離して呼んでいる。
時間にして数分。一度休憩を挟んだりしてはいたけど、咲夜からすると体感ではもっと掛かったのだろう、非常に疲れたように手紙を差し出してきた。
いつもなら内容を掻い摘んで教えてくれたりするのだけど、どうやら精神的に疲労してしまって無理な様子。
受け取って見てみると、長い挨拶に要領を得ない様子伺いの文面、やたらと美辞麗句を連ねているもののさっぱり何が言いたいのかわからない。
「えっと……うん? ……うん?」
読み込んでいくと内容には咲夜が活躍したことについて軽く触れてよくやったと褒める言葉があった。しかし短い。挨拶の方がよほど長かったくらいだ。
その後に退魔師としての在り方を説くような有難くないお話が延々と続く。目が滑るとはこのことかと思いながら呼んでいるとようやく書き手が言いたいことが見えてきた。
「つまり祝いの為の晩餐会があるから咲夜も来い……ってこと? 日時は、あの日と同じ……」
宝蔵家の一員としてだとか白々しいことを書いているところには何かしらの裏の意図を感じなくはない。
咲夜も別にその会に赴くことは拒絶したりはしないだろう。どんな形にせよ宝蔵家の恩恵を受けている彼女に拒否権はないと言っていい。
問題はそことは別のところ、開催日時の方だった。
「これってわざと……だよね」
「それ以外の何物でもないでしょう。あの脳筋馬鹿親のことだから、工作をするよう他家から求められたのでしょうね」
これには僕も同意見だった。もしもこれが定期的に開催されるようなものだったら咲夜から事前に話をされていただろうし、となるとこの手紙に書かれていることは突発的な、僕という存在が関わったことで起きたのは間違いないと思う。
相手側としても誤魔化す気もないくらいに僕と咲夜を分断しようしているのが見え見えだった。
だけど咲夜が実家へと行くことは止められない。行かないことで難癖を付けられて管轄地域を没収されると困るからだ。
「どうする? 僕は行くの止めた方がいいかな?」
「何を言ってるの。この程度の妨害を私が考えていないとでも思っていたの?」
その顔は怒りつつもいつもの彼女に戻ってきていた。その言葉に嘘の色は感じられないということは本当のことなのだろう。
「そうなの? 凄い怒っているみたいだったから、てっきり想定外だったのかと思ったよ」
「思ってもいないような美辞麗句ばかり並べ立てられたら怒りもするでしょ。それが憎くて仕方ないような相手なら尚更に」
「それはそっか。うん、まぁ気持ちは分かる」
こればかりは同意しかないから頷いてしまった。
大門先輩は難しい顔をしているけれど、諌めるような言葉はなかった。
「本当は以前に借りを作っておいた隣の地区の奴を清花に付けようかと思っていたけれど、それ以上の適任が現れたからね。貴方のことはそっちに任せて、私は私のやるべきことをしてくるとしましょう」
「適任者……あぁ」
誰のことかと思っていたら、そういえば咲夜が色々と条件を付けて僕に同行させようとしていた人について思い出した。
土御門家の景文さん。陰陽術の使い手で、その腕前は世代を飛び越えて日本中で注目されている程の逸材だ。
彼ならば力量的にも人選としては間違いない。彼には彼の思惑があるみたいだけど、咲夜の助力なしで腕に自信のある退魔師が集まる場に出るのならば、今の人脈の中で彼以上に頼もしい人もそうはいないのも事実。
「土御門さんのことは理解したけど、本当はってことは前々からこうなるだろうってことは予想していたってこと?」
咲夜の言を読み解く限りではこのような事態は想定済みだとしか思えなかった。
何なら、以前の妖怪大量発生の時に僕が別の地域の応援に向かったことから織り込み済みかもしれない。
「普段は私が清花に関することをガッチリ防いでいるからね。貴方個人に接触して縁を結びたい人からしたら、どうしたって私の存在は邪魔以外の何者でもない。その私を効率良く、確実に排除出来るとしたら親元である宝蔵家以外にいないでしょう?」
「言われてみれば、確かに」
宝蔵家の妨害は既に想定済みで、その時の為の対策も考えてあったと。
「でも、僕が応援に行った事情も土御門さんがやって来たことも偶然だよね? 計画的にとは言えない気がするけど」
「それを言うのなら、貴方が想定以上の速度で名を挙げたこともまた偶然よ。事前に練ってあった計画では少しずつ名を売りつつ他の地域に応援に行かせて支援者を増やしていく予定だったのだけど?」
「あ、あはは……うん、偶然って怖いね」
妖穴大規模大量異常発生、九尾の狐襲撃、確かに二つの事件がなければこんなにも異例と言っていい速度で僕が注目されることはなかったかもしれない。と言うより、その二つがあまりにも大き過ぎたと言っていい。
そうして咲夜の想像以上に僕の噂や情報が広がってしまい、初めは観察程度に留めて置いた勢力も手を出し始めてしまったということだ。
招待された場というのは本来なら僕が行くことになるのはもっと先になる予定のもののはずだったのだろう。
「最悪の場合は一人で行くか私の同伴を条件に出席をするかを迫るしかなかったけれど、土御門のことについては僥倖だったわね」
「それなら最初から咲夜の同伴を条件にすれば良かったんじゃ?」
そうすれば咲夜が一人でわざわざ実家に赴かなくても済むし、僕は交流をなるべき咲夜任せに出来てボロが出ることを防ぐことが出来たはずだ。何故今回の状況ではそれを選ばなかったのかが分からない。
「あまりにも私が貴方の傍から離れなかった場合、相手がどう出るかが分からなかったからよ。最悪、暗殺すら考えられるくらいにはね」
「……いくら何でもそれは考え過ぎじゃないの? そんなことをされてまで誰かの言うことを聞くなんて僕はしないよ?」
「それほど大蓮寺清花と縁を持ちたい人というのはいるのよ。恋人や家族になれなくても、いざという時に知人として援助をして欲しいという人は多いはず。浄化の水は他の浄化使いたちよりも物体として長く残るのでしょう? それに用途も多岐に渡るから知り合っておいて損はない。本人がその場にいなくても水さえ貰えればいいのだから、その水を手元に置いておきたいと思う人は多いの。それこそ、思うだけなら退魔師全員が欲しがるに決まってる。それは紛れもない事実なのよ」
「周りの人たちは随分と色々と考えているものなんだね。僕には全国に隈なく配れるほど霊力も体力もないよ?」
「だからこそ、その数少ない枠に入りたい人が貴方にお目通りをと願っているの。私が断ってきた面会要求だけでも軽く数百件と行くしね。何なら、清花を強引にでも直接手に入れればそれが最善とすら思っているでしょうよ。他と牽制し合っているから無理でしょうけど」
その直接と言うのが脅しか、人質か、誘拐か、どんな手段にせよそれが悪意によるものならば僕には手を出せないと分かっているはずだけれど。
いずれにしても、物理的な手段で僕をどうにかしようとする可能性を咲夜は憂慮しているということだ。
「その為に僕を一人にしたくないってことだったんだね。土御門さんなら荒事にも慣れているみたいだし」
あれだけ大妖怪と戦闘をしておいて人と戦えないということはないだろうし、あの場で平常心を失わない胆力は普通のそれではなかった。
僕と違って恵まれた生まれ、恵まれた環境にいるだろう彼がどうやってそこまでのものを身に付けたは謎だけど。これは詮索するだけ野暮、というか無駄だろう。他人の人生なんて想像したところで正解するはずがないのだから。
咲夜は頷いて続きを話す。
「だから今回、私を切り離すのが成功することで次以降の私自身の危険度はかなり減るはず。私を使った人質のような作戦が起こる可能性はまずないとみていいでしょう。それにいずれ完全に関係を断絶するにせよ、今はまだ宝蔵家の支配下にあると思わせられるのは理想的ではあるわ」
「僕としてはそんな家に独りで戻らなきゃいけない咲夜の方が心配だけど」
「あら、心配してくれるの? でも向こうも私に戦う力がないのは向こうも承知しているからせいぜい貴方についての話し合いが主だと思うわよ。どうせ自分たちにもっと清花と関わらせろと要求をしてくる程度でしょうけどね。目的が引き離すことと時間稼ぎだから無体な真似はしないはずじゃないかしら」
「うーん。何だかんだと理由を付けて咲夜を引き留め続けて、僕が咲夜を迎えに行くとか狙ってないかな? こう、物理的に出られないようにするとかさ」
咲夜を閉じ込めるだけなら窓のない部屋に押し込めて鍵を閉じる、たったそれだけのことでいいのだから。
「それもあるかもしれないけれど、その場合は今世紀最強の浄化使いから漏れなく敵認定をされて浄化対象になるから流石にやらないんじゃない? あぁでも、あの人たちの場合は本当にやりかねないのが怖いところかしら……確かに、その場合は少しばかり困るわね」
自分でもそうなりそうだという未来予想図が簡単に想像出来た。これまでも咲夜の働きによって僕と宝蔵家との接触は全くなかった。だからそろそろ痺れを切らして大胆な策に出ないとも限らない。
咲夜を監禁とはいかずとも、家の中に押しとどめることくらいは朝飯前だろう。なにせ、血の繋がった家族なのだから。もしも警察がやって来たって何も問題にはならないと判断されるかもしれない。
こうなったら何かしらの方法で物理的な方法での妨害防ぐしかないか。
「そっちのことについては僕が考えておくよ。手を出させない為の牽制になるような何かを作れないか考えてみる」
咲夜が先程言ったように、浄化の力の中でも水使いはその効力を保ったままの水を世に残すことが出来る。それを使い、何かしらの方法で咲夜に対する暴力行為や害意を退けられる何かを作りたい。あるいはそれを対価としてでも何事もなく咲夜が帰って来れればそれでいい。
「それについては私じゃどうにもならないし貴方に任せるわ。どうやら白面に目を付けられたのは私も同じみたいだし、護身用の何かが欲しいとは思っていたのよね。白面相手に耐えうる物となると最低でも億規模の物になるから手が出せないとは思っていたところだし」
「まぁ任せてよ。神具とまではいかずとも、頑張って遺物級か宝具級くらいまでの階位までには持っていくからさ」
僕の言葉に咲夜の口元がひくついた。
「ちょっと? そんなものを持っていたら逆に金品目当てで狙われない? それじゃ本末転倒よ?」
「そういう奴らを纏めて焼き払うくらいの物を作るから安心していいよ」
「焼き払っちゃだめじゃないの」
「でも、それくらいじゃないと抑止力としては効果が薄いだろうし。守りと言えば水の壁なんだけど、物理攻撃には弱いのが玉に瑕なんだよねぇ。うーん……」
元が水なだけに頑強さではあまり期待が出来ない。あの壁は僕が意識して動かすことで高い流動性を保ち、そのお陰で物理防御力を確保しているので離れていて僕の意識が介在しない物とは相性がそもそも悪い。
いっそ水球で包んでしまおうかとも考えたけれど、僕以外にそれをやったら確実に窒息死まっしぐらだ。そうなったらやられる前にやれの精神で攻撃用にしてしまうか。相手に攻撃してはより咲夜の危険が高まるのでこれはなし。
霊具なんてまとも作ったことがないのに安請け合いをしてしまった気もするけど、いずれにしても咲夜には何しらの護身用の霊具を渡したいとは思っていたので丁度いい機会だと思うことにしよう。あとは自分の頑張り次第だ。
「霊具関係なら冬香のお婆様なら何か知っているかもしれないわね。私の方から連絡しておくわ。日程を調節しておくから、今日のところは貴方は風呂に行って来なさい」
「よろしくね。僕の方でも自分で何か作れないか考えてみるから」
僕が使えるのは浄化の力のみで、それ単体で出来ることなんてあまり多くはないし、尚且つそれを霊具にするのは一朝一夕で出来ることではない。何と言っても経験者がいないから教えようがないのが痛いか。
本来はきちんとした師を仰ぎ、然るべき教育を受けた上で何年も修行を重ねるのが霊具作りだ。霊符作りは土台が既に出来上がっているから誰でも容易に作れるけど、一から新しい物を作り出すのは決して容易ではないと感じ入るばかり。
お風呂に浸かりながらあれこれと考えてみたものの、やはりいい案は浮かばなかった。