一話-2 これからの在り方
僕と咲夜が出会ってから、女性とは何かという議論は何度か行われてきた。
今までの目標は女性だとバレないこと。化装術で男から女へと変身していることが周囲からは分からないようにする為に女性の仕草を真似ることが目的だった。女性らしい仕草とは、立ち姿、歩き方、座り方、はたまたトイレでの用の足し方まで、同じ人間という生物の枠であっても多種多彩な違いがある。僕はあの病院を出てからその多くを学んできた。
それらの仕草から男であった形跡を残さず消し去り、全てを女性の仕草へと置き換える。難しく、険しい道のりではあったけれども大方は達成出来たと言っていいだろう。日常生活で注意されながら気をつけていく度に段々と改善されていって、今では全く指摘する声がなくなった。
その男女間での違いと言えば、初めの頃に一番大きな違いを感じたのはトイレと、それから服装だったか。何しろ最も大きな身体的な変化と、最も大きな外見的変化だったから。
トイレについては言わずもがなで、服装に関しては自分でもかなり悩んだ。
何せ咲夜に支給された女性物の洋服にはフリフリでヒラヒラな物が多く、男の時との差別化を図る為に殆ど全ての私服がスカートにされてしまった上に、上着も胸元が開いたような類の物が多く用意されるようになっていった。
僕の箪笥の中身は衣装棚と言っても過言ではないくらいに多種多様な女性服で溢れかえっている。
まだ着ていない服があるのに次から次へと追加されていく服に「これが女の子の望むことなのか」と驚いた記憶がある。
「新しい服を買ってみました……と」
その中でも最近買って着ていなかった可愛らしい服を、服自体がよく見えるように写真を撮りそれを文字と共にネットに投稿する。
初めの頃は数十だったら応援者も次第に数を増していって、今では五十万人もの人が僕を応援してくれている。
投稿する内容は今みたいな服だったり、食事の風景だったり、妖怪退治の前のものだったり、とにかく僕が写真に写っていることが最も見られている回数が多い。中でも一番反響が多いのは僕が写った画像だった。
そのこと自体は嬉しいし、僕のことを多くの人に知ってもらい、安易にこちらに手を出せば民意が黙っていないぞという自衛の為のものでもあるから多くの人に見られることは良いことだ。
(返信はしなくていいからこまめに投稿をすることが大事、と。大門先輩からの指示だけど)
毎日投稿もしていると次は何をしようかふと考えてしまう時がある。
見てくれている人たちも飽きないのかなと思いながら投稿をするけれど、返ってくる言葉は日に日に増しているのが現状だ。
今では多くの見てくれる人がいるからか、企業からも依頼が届いているという。
勿論、そんな暇なんてないので全てお断りしているけれど。申し訳ないと思いつつ、単純に時間がないので許して欲しい所だ。
そんな折、咲夜が一つの話を持ってきた。
「仕事の依頼だって?」
「そうよ。相手は大手服飾企業のところで、女性服では国内で有数の企業よ」
「へぇ。そうなんだ。それじゃ、頑張ってね」
「何を言っているの。仕事をするのは貴方に決まっているでしょう」
そんな気がしていたけれど、やっぱり僕だったみたいだ。
「私は向こうと契約について話し合わないといけないから撮影には参加出来ないわ。だから貴方一人で撮影されることになるけれど、いいかしら?」
「それはいいんだけど、どうしてまた仕事なんか持ってきたの? 今までずっとそういうのは断ってきたじゃないか」
「これまでは人気と知名度が足りなかったから所謂大手のところからはまだ話が来ていなかったのよ。でも最近の目立った活躍とネット上での反応を見て使えると思ったのでしょうね。こっちとしては初めての仕事としては妥当なところで安心といったところかしらね。で、その企業っていうのがこれ」
僕に話をする前に企業の人と話し合っていたのだろう。簡易的な資料が端末を介して送られてくる。
「あっ、この名前聞いたことがあるね。僕の着てる服でも何着かあったと思うけど……」
「あれ、実は企業側から良ければって送られてきた物なのよね。本人には伝えず、着るかもそれを投稿するかも分からないけどって但し書きをした上で送られてきたから実質的にタダで貰ったも同然の物だったの。貴方が気に入って着てくれて投稿までしたからこそお仕事が舞い込んできたって訳ね」
「へぇ……売ってる服は安くないのに太っ腹なんだねぇ」
「それだけ貴方が宣伝として使えると思ったんでしょう。先行投資として目の付け所は悪くないと誉めてあげましょうか」
交渉も悪くない方向に進んでいるのだろう。随分とご機嫌の様子だ。
前々から仕事の依頼があると聞いていたからいつかはすることになるのかなとは考えていたけれども、同時にこれからもすることはないなと思っていた。
何故なら、それは僕が元は男だから。
声にこそ出ていないけれど、ここには清花という特別な戦力がいるのに何故退魔師としては死んだも同然の彼まで引き取ったのかという声は裏で囁かれてはいるらしい。そこから清花と清光の同一人物説まで飛躍することはそうはないだろうけど、なぜここにいるのかという疑いは残り続けている。
いつか起きるかもしれないその時のことを考えて周囲から反感を買わないように、あまり他人と関わる仕事などはせず大人しくしているというのもあるくらいだ。だというのに……。
「どうして話を受けたのかって顔をしているわね」
「顔で何を考えてるのか読まないでくれない?」
僕には浄化の力があるけれど、咲夜には特別な目がある。
咲夜が霊脈異常の規模を読み違えたとされた日から彼女も自己鍛錬を欠かしたことはないから視えるものもきっと違うのだろう。
「違うわよ。貴方が分かり易過ぎるだけよ」
「……まぁ、そういうことにしておくけどさ。それで、なんで仕事を受けたの?」
「私も今までなら受けるつもりはなかったんだけど、少し考え方が変わったのよ」
続きを頷いて促す。こういう問題で彼女が考えたことならとしっかりと聞く姿勢を正した。
「初めは私も正体が露見した時のことを考えて必要以上の批判が集まらないようにしていたわ。仕事をしていないのも周囲に対して騙していたと思われない為のものだったし、貴方の化装術が趣味と実益を兼ねたものである範囲から逸脱しないように配慮はしていた。けどね、貴方の覚悟を聞いて考えを改めたの」
「覚悟って……?」
「女の子として成長をする覚悟のことよ。戻るつもりがないという貴方の覚悟を聞いた今、それならいっそもう後戻りが出来なくなるくらいになるまでしてあげた方が貴方としてもより一層の覚悟が出来ていいんじゃないかしらってね」
「つまり、退路を断つって……こと?」
「言い方はアレだけど意味としてはそのつもりよ。正体がバレた時に一番ダメなのは中途半端なことだと私は思うの。男としての心があるのに女装をして周囲を騙していた思われるから反感を買う。なら、いっそ完全に女に成り切って堂々と自分は心まで女ですと名乗って、周囲がそれで納得するくらい実績を積めばいいのよ。それなら大多数の味方と少数の敵に分けられるでしょう?」
「……バレた時の被害を減らすより、多少の被害を受け入れてでも周囲と和解する方を選ぶってことでいいんだよね」
僕なりに咲夜の考えを紐解いてみたところ、どうやら正解らしい。
確かに、この作戦を実行するには僕の覚悟が問題となる。
「その時は男としての過去の自分と決別し、元が男だと後ろ指を指されても女の子になる決意が貴方にはある?」
「あるよ。その覚悟ならずっと前にもうしてる。咲夜が駄目だって言っても雲隠れなんてしないで一緒にいるつもりだったよ。まぁ、駄目そうだったら新天地でって感じで考えてはいたけど」
「…………そう。それなら一々覚悟がどうのと語る必要はないわね」
咲夜はそこで改めて姿勢を正した。
「清花、貴方にはこれから少しずつ仕事をこなして貰って、そこで人気と知名度を稼いできてもらうわ。その手始めとして女性人気を狙いやすい服飾業界は打って付けという訳よ。そこで女性の若年層と婦人層の強い支持を貰って何かあった時の味方になってもらいましょう」
衣服は服単体として宣伝されることはほぼないと言っていい。最新の人気商品に限って言えば絶対にないとすら言い切れる。ただ衣服があるだけでは実際に着てみてどうなるかが分からないし、綺麗な女性が着ているのを見て自分もそうなりたいという欲が出るらしいから。そういった事情から女性モデルは若くて綺麗な可愛い子が求められがちだ。僕が見ている雑誌類でもそれは統一されていた記憶がある。
そこに僕が並ぶのは気が引けるけれど、覚悟を決めた僕なら問題は問題ではなくなるということか。
「狙いは分かったよ。それで、そのお仕事はいつ始まるの?」
「先方の予定もあるから一週間後を予定しているわ。それに妖穴発生は突発的に起こることもあるから予定がズレ込む可能性も考慮して二日間の撮影を予定しているの。もしも一日で終わったとしても二日分の拘束費用を払うと向こうから申し出があったくらいよ。清花、貴方かなり期待されているみたいね?」
随分と急な話だけど、これは最悪は僕が嫌がった場合に咲夜が悪役となってでも押し付ける為の理由付けといったところだろう。
明日と言わない辺りに咲夜なりの葛藤が見え隠れしている。
「そう言われても、僕はそういう仕事は一度もしたことないんだけど。雑誌に載っている人の見様見真似をすればいいのかな?」
「さぁ。そこの辺りは向こうからきちんと指示してくれるでしょうし、貴方はそれに従っていればいいわ。今回撮るのは季節の先取りとして夏物の洋服だから恐らくは薄着が主体にはなるけど、あまりに露出度が高い服がないことは契約書に書いてあるし、私も一通りは確認しているから安心して仕事に臨んで頂戴」
「……うーん。変な写真になっても怒られないかな」
「初めてなんだからそこは大目に見てくれるでしょう。清花の機嫌を損ねて次が無くなる方が嫌でしょうし」
「そこってやっぱり色んな女性が来たりしてるんだよね? 僕の動きが変だって見抜く人とかいないかな?」
「絶対にないとは言わないけど、今の貴方なら大丈夫でしょう。寧ろ……いえ、何でもないわ。どの道体は女の子なのだから疑われたところで証拠を見せれば一発でしょ」
「出来れば何事もないといいんだけど」
経験のないことに不安はあるけれど、女性を多く取り扱う所で僕がどういう扱いをされるのかは気になる所だ。
違和感を感じて何か指摘されるのだろうか、それともバレずに一日が過ぎるのか。
空いた時間にモデルのことについて検索し、どういったことをするのかを知識として頭に入れておく。
咲夜が聞き出してくれた企業側からの情報も頭に入れ、当日は咲夜と共に会社を訪れた。
「全く何の問題もなかったわね」
「言わないでよ」
咲夜は自分の言った通りだったと誇らしげに宣言した。
僕のことを撮影するにあたっての現場監督をするという女性は会って間もない僕のことを看破——するのではなく、一人の女性として丁重に扱ってくれた。心配して損をしたと言うべきか、見破られなくて複雑と言うべきか。あるいは沢山の女の子たちを見てきたから僕の違和感も個性として映っていたのかもしれない。そういうことにしておくことにしよう。
今は撮影現場まで案内された僕達は準備があるからと去って行った現場監督を待っている状態だ。
そんな中、咲夜とやりとりをしている上司からの連絡を持ってきた人が来た。その人と軽く会話した咲夜は立ち上がってこちらを見る。
「とりあえず心配は要らないみたいだから私は打ち合わせに行って来るわ。撮影まではまだ少しだけ時間があるし、貴方は迷子にならないようにここにいなさい」
「僕も付いて行った方がいいんじゃない? ほら、離れると色々と来そうだし」
隠す気もない視線が先ほどからチクチク所ではなくグサグサと刺さってくる。それも一人二人ではなくもっと大勢から。
咲夜と離れたらほぼ確実にやって来るだろう。その一番手になるべく身構えてすらいる。
「私がずっと側にいてもいずれはそうなるだろうから関係ないでしょう。変なことをしたら浄化の力が作用するのだからおかしな真似はしないはずよ」
最後の方は僕ではなく、周りに向けた言葉だった。聞こえるように言ったからか周りからはどよめきのようなものが聞こえてくる。
咲夜はこれで大丈夫と言い残して案内人に連れられて奥へと歩いて行ってしまう。それを見届けてか、やはり周囲にいた人たちは僕を目掛けて殺到してくる。
「あの、大蓮寺清花様ですよね!」
「様……えっと、はい。そうですが貴方は?」
まずやって来たのは首から高そうなカメラをぶら下げた女性だ。
良い写真を撮るには反射神経も必要なのか、ものすごい俊敏さでもってここへやって来ていた。
その彼女は勢いのまま僕の方に顔を寄せてグッと顔を近づけてくる。
「私は今回撮影係を任された者でして! まさかあの清花様を撮らせて頂けるだなんて! 何だか夢みたいです!」
「そうなんですね。よろしくお願いします。でもそんな、様付けなんて要りませんよ。僕の方が年下ですし。どうぞ、清花と呼び捨てで呼んでください」
彼女は「僕!」と言って叫びながら仰け反った。カメラマンとは感情表現も豊かじゃないとやっていけない職業……なのかな。
戻ってきた時に鼻を拭っていたけど、袖に赤いものが見えたのは間違い……だと思いたい。
「これほど可憐でいらっしゃるのに一人称は僕! そのギャップがたまらない! んあぁっ! それに直に見る御尊顔もマジで神ってるぅ⁉︎」
「あ、あはは……何だか面白い人ですね。でも可愛い子なら雑誌で沢山見ますし、僕くらいの顔じゃ見慣れているのでは?」
「面白い⁉︎ ほ、褒められた⁉︎ 今日が人生最後の日でもいいっ‼︎ しかし死んだらもうこの御尊顔を拝見出来ないのでは⁉︎ それは駄目だまだ死ねないッ!」
この人、僕の人生の中で今まで見てきた中で一番熱狂的というか、反応が濃ゆい。大袈裟なはずなのにそれがわざとらしくない辺り、素でやっているのかもしれない。こんな人がいるのかと、おかしな方向に世界が広がっていくような気がする。
果たしてどう反応すればいいのか困っていると、同じように側までやって来ていた人の中の一人が音もなく彼女の首をキュッと締めた。
「あふぅ」
「し、失礼致しました。カメラマンは別のをご用意するのでどうぞご心配なく。では、失礼しますぅぅぅ……っ!」
そう言って気絶した女性を引き摺るように去っていく。その仕草は何だか慣れているようにも感じた。
その姿を大丈夫かなと思いながら見送っていると、今度は別の人がやって来ていた。
「あの、話しかけても大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「良かった。私は衣装担当の者なんですが、まずは先ほどの者が失礼をしました。ほんとごめんなさい」
「いえ、初めて会った種類の人なので少し戸惑いましたけど、失礼という程のことではないので平気ですよ」
そう告げると衣装担当の人は苦笑いした。
あの人も悪い人ではないのですがと弁解しようとしたけれど、先ほどの姿を見てからでは擁護も出来ないらしく、言葉も段々と弱々しくなっていっていた。時間も時間だし、仕事のことについてこちらから振ってみることに。
「それよりもお仕事の方は大丈夫ですか? そろそろ開始の時刻のはずですが」
「そうでした、では早速ですが本日は清花様に着て頂きたく衣装がこちらになります。まずはどうぞ、ゆっくりとご覧になられて下さい」
「ありがとうございます。……凄く良い服ばかりですね」
渡されたのは紙の資料。そこには様々な衣装の写真があった。顔はなく、マネキンに着せただけのものだけど服自体に力があるからこれだけでも見栄えが良いと感じる素晴らしい衣装だった。
中にはまだ僕が見たこともないような服、それに組み合わせや着こなしがあり、改めて服飾の世界は奥が深いと感じ入る。
「これを僕が着させて貰えるのですか? 光栄なことだと思いますが、少し気合が入り過ぎではありませんか?」
気合いの入り方と言ったらいいのか、雑誌に載っているものが一般大衆向けだとすると、これはその逆の個人に向けたものに感じる。だから大量生産には向かないだろうなというのが資料を見て思った感想の一つでもある。
今回の撮影で着るものは後々販売される物と聞いていたので本当に大丈夫なのかと疑問になってしまう。
「いいえ。私はこれを清花様に着て貰いたくて書き起こしたのです。ですから似合わないはずがありません」
「えっ? もしかして、これは僕の為に?」
「はい‼︎ 他の人が着るだなんて全く考えていません! これは清花様が着て初めて輝くのです!」
「そ、それは商品としてどうなんでしょうか……」
「構いません! 寧ろ! だからこそ! 人は憧れを胸に服を手に取るのです! 誰もが同じになれる服だなんてこの世にはないのですから! 確かに生産に関しては少し質を落とした物が流通することになるでしょう。それでも人々はその服を追い求めることを決して止まない! だって清花様になりたいと思う心は止められないのだから!」
何だろう、この人も段々と撮影係の人と同じような勢いになりつつある気がする。
鼻息を荒くし、被写体である僕の肢体を舐め回すように観察しては更に興奮を増していく。
それに待ったをかけたのはまた別の人だった。首に上着の袖を巻きつけ、手には紙の束を丸めて筒状の物を持っている。
後ろから現れたその人は衣装担当の人の頭を紙の束でポンと叩く。
「落ち着け。お前までそんなんになったら収拾がつかなくなるだろうが」
「あっ、プロデューサー! 見てくださいよ! 彼女、これでノーメイクなんですよ! やばくないですか⁉︎」
確かに今は特に化粧らしい化粧はしていない。最低限の身嗜み程度のことはしているけれど、それ以上のことはこっちでするだろうからと特に何もせずにやって来ていた。それを一目で見抜く辺り、やはり場慣れしているということなのだろう。
僕の正体については見破れなかったけども。
プロデューサーと呼ばれた男性は僕の顔を黒眼鏡を外しながら僕の顔をまじまじと見つめる。
「いやそんなん嘘やろ……えっ? まじまじのまじ? これですっぴん?」
「大真面目です。女である私には分かるんです! つまり本当にすっぴんでこれなんですよ! どうですか? やばくないですか⁉︎」
「あぁ、俺ぁてっきりバッチリ決めて来てんだなって思ったんだけど……。なぁ、俺って目ぇ悪いから分からないんだけど、本当なの?」
「こんの節穴ぁ! ここで何年働いてると思ってんですか⁉︎ 見て下さいよこのお肌! 絶対スベスベのモチモチですよ! そしてきめ細かくて染み一つない! これが日常的に退魔師として前線で働いている子の肌だなんて信じられない! こんなの最早羨ましけしからんですよ! あぁっ、頬擦りしてその御手で優しく撫でて欲しい……っ‼︎」
ここに仕事に来るのは間違ったのかもしれない、と少し思ってきている。
けれど、ここは大手の服飾企業。そこそこ常識のある人が集っているはずだし、そういう教育もされているはず。だというのに彼女たちのはしゃぎようはまさに同級生のそれと勝るとも劣らない勢いがあった。
いや、寧ろ高校生の方が先生という停止装置があった分大人しかったのかも。
「だから落ち着けって。興奮するのは分かったが、そろそろ時間だ。早くしないと着られる衣装も少なくなんぞ」
「そ、そうでした! 今すぐ取り掛かります! 清花様、どうぞこちらへいらして下さい! あっ、お足元のコード類にはくれぐれもご注意を!」
言われた通りに気をつけながら早足で案内されると衣服が沢山並べられている部屋に通される。
そこには資料で見た衣服の数々が陳列されていて、その数は両手に足の指を足しても全く足りないくらいだ。
「まず清花様に着て頂くのがこちらになります」
そう言って差し出されたのは夏用の衣服で、まだ着るには早いけど写真を撮り、それを編集して雑誌などで世間に公開する時は旬の時になる。
まだほんのりと暖かい六月から猛暑に突入する八月まで、それぞれに合わせた洋服が取り揃えてあるみたいで、今回は一月毎に三着ずつ計九着の衣装を着ることになっているみたいだ。
まずはこれからと布地が多めだけど薄くて風通しの良い物を着せられる。まだ夏に入りたての頃合いによく合いそうな、何なら今から着ていても良さそうな素敵な洋服だった。
色も落ち着いたものが選ばれていて、格好と相まって大人な印象を鑑賞する側に与える。先ほど鏡で見た時、衣装担当の人が僕に合うようにと言っていた意味が理解出来たほどだ。なるほどと服選びについて勉強になる。
咲夜や倉橋さんも女性としての感性で服選びをしてくれているものの、やはりそれは素人目線や雑誌やネットで見たものをそのまま僕に当て嵌めているに過ぎない。本職の人が一から作り上げるとなると一味も二味も違うのだと感じさせられる。
そこには素直に尊敬が出来た…………のに。
「あぁっ! いいっ! 清楚さが前面に出ていてこれがザ・ジャパニーズ大和撫子! オーイエス! オゥイエェェェス‼︎ あっ、そのまま自然体で大丈夫です! そうですそうです! 少し遠くの方を見るような感じで! いいですね! 才能ありますよぉ‼︎ そのまま天下取りに行きましょうか! っていうか既に取ってます! 清花様こそ至高のお方ぁ‼︎」
着替えてすぐ、ここに立ってと言われた場所に直立不動で立っているだけなのにこの反応だ。
いつの間にか復活していたらしい撮影係の人がカメラを構えながら目の前を縦横無尽に駆け回りシャッターを切る。
すでに十分くらい撮り続けているけれど、特に要望らしいことを言われないまま進んでいた。
「えっと、その、ぽーじんぐでしたっけ? それはどういう風にするとかありますか?」
「あっ、忘れてた! そ、それじゃあそこの壁に体を預けて貰って……あぁそう! いいっ! そ、そのまま少し横に捻って! そそっ、それで視線は地面の方を見てみましょうか! うっ、ふっ、おぉぉぉ……っ! ヤバいですねぇ、これは! 世の男性が黙っていませんよぉ! ていうか私がお持ち帰りしたい! お幾らですかぁ⁉︎」
初めてのお仕事ということで緊張してあまり周りが見えていなかったけれど、果たして彼女の反応は彼女だけのものなのか気になった。
これだけ騒がしい人が相手だと逆にこちらは緊張感が薄れるというか。少し冷静になりつつ自分がいる。
なのでさりげなく照明を持つ人や指示を出す人、僕に渡す用のタオルや水を持っている人などを見てみることに。
その反応は撮影係の人ほどではないにしろ様々な色が出ていた。共通しているのは僕から視線を外していないことだった。
真っ直ぐにこちらを見て視線を外しはしない。その視線には熱が籠っているような気がするのは気のせいではない。
「はい、オッケー。それじゃ、そろそろ次のに行こっか」
中でも一番冷静らしいプロデューサーの人が号令をかける。
それぞれが次の撮影に向けて準備をする中、僕は着付けを担当してくれている人に問いかけてみることにした。
「あの、正直もっと色々言われたりするのを覚悟していたのですが、撮影はあれでいいんでしょうか?」
「はい。何も問題はありません。私たちはありのままの清花様を撮りたいのですから」
「そ、そうですか。それは良かったです。ですが、えっと……その、なんで様付けなんですか? 僕の方が年下なので様付けはいらないと思うのですが」
「えっ? だって清花様は清花様ですし?」
一点の曇りもない眼だった。それ以上突っ込むことが憚れるほどその瞳は真剣さに満ちていた。
何が彼女をここまで至らせたのか。僕はそれを知るべきか、否か。
これは何を言っても変えてはくれなさそうだなというのと、理由を聞いたところで理解出来ない気がしたのでこれ以上は聞かないことにした。
それにしても、何と言うかこの人たちのノリというか勢いがそのままネット上で見たような感じがするのは気のせいだろうか。
もしかしたら僕が知らないだけで退魔師以外の人たちはこういう感じで日々を過ごしているのかもしれない。だとすると僕の疑問の答えにもなっているか。
「あれ? 何だか私を見る清花様のお顔が心なしか悲しみを帯びた慈愛に満ちいてるような……?」
「気にしないで下さい。それよりも早く着替えを済ませないと怒られちゃいますよ?」
遠くからはこちらを伺う気配もするし、そろそろ時間と言うことなのだろう。
準備は大方終わっていたのですぐに終わらせて現場に戻る。すると出た直後からカメラのシャッターが切られていた。
そのことについてはとりあえず頭から退けておく。
「あの、撮影に移る前に一つお願いをしてもいいですか?」
「はい! なんでしょうか!」
「他のモデルの方と同じように指示をしては頂けませんか? 力不足のは重々承知の上ですが、それを体験したくて今日ここに来たのです」
僕が実感したいのは女性としての成長だ。だから清花として特別扱いをされていては女性としての経験が多くは積めない。
もしかしたら調子に乗るなとも言われるかもしれないけれど、そう簡単に仕事を受けたりすることは出来ないから、こうして貴重な機会をこのまま無駄にする訳にはいかない。
暫くの間訪れる静寂、何か余計なことを言ってしまったかと不安にしていると、撮影担当の人が肩を振るわせながら語り出した。
「プロデューサー! だから言ったでしょうっ‼︎ 清花様はこんな待遇を望んで受けるような子ではないと……っ‼︎」
「そうですよ! 清花様を神様だと思って接しろだなんて失礼にも程があります‼︎」
そうだそうだと二人の声を皮切りにそこかしこから批判の声が上がる。何か勘違いしているみたいだけど、特に否定する理由もないのでそのままにして置くことにする。
上がった声に対してプロデューサーの人は紙の束を机に叩きつけて反論していった。
「お前らだってどうなるか分からないから同じように丁寧に接していたんだろうが! こちとらこの仕事が回ってきた時から上からものすんげぇ圧力が来てんだぞ! そこんところ分かってんのか!」
「えっ、寧ろ圧力掛かってるのにあの態度だったの?」
「いつもと全然変わらなかったと思うけど」
ひそひそ話が飛び交う。僕も彼女たちと同意見なのは口にはしなかった。
止まらない囁き声に今度はプロデューサーの方が肩を振るわせ出してしまい、それは爆発した。
「ウルセェ! 大蓮寺清花ぁ!」
「あっ、はい。何でしょうか」
「本人が言うんだったら仕方ねぇ! 仕方がねぇから一端の女優と同じ扱いをしてやるから覚悟しろよ!」
更に囁き声が増す中、そう宣言される。
何はともあれ、それは願ったり叶ったりなので拒否したりするつもりはない。
「ご指導の程、よろしくお願いします」
モデルや女優の人を綺麗に見せる方法は調べて知識として知ることはあっても経験として得ることは実地での体験以外に方法はない。
お金を払えば得られないことはないだろうけれど、忖度なしに本音の意見を貰えるのは仕事という関係性だからだ。
そういう意味では今回のプロデューサーは当たりと言っても良かったかもしれない。
今日一日で全てを得られるとは考えていない。幸いにも明日と含めて二日間を掛けて覚えられるだけ覚えられるように頑張ろう。
そう覚悟はしていたけれど、お仕事というのは何事も甘くはない。今までの対応が完全にお客様のそれだったと思い知らされるほどの厳しい指摘と手直しが入り、その度に少しずつ何をすればいいのかが感情として伝わってくるようになっていく。
「そう、その表情いいよ! 手を後ろに回して少し少し前のめりになって……ブフッ」
その後は撮影担当が入れ替わりで鼻血を噴いて倒れたりでてんやわんやしつつ無事に二日間の撮影を終えることは出来た。
企業側もとりあえずは満足してくれたようだし、撮影に携わってくれた人たちも納得のいく出来が出来たと喜んでいた。僕の方も色々な最新の洋服が着れて世界が少し広がったような気がするし、女性らしい振る舞いの幅も広がって成長も確かに感じた。
それに初めてと言っていい一般の人たちとの交流で色々と経験することが出来たのも良い経験だったと思う。
知らなくてもいいことまで知ったような気がするけど、それもまた社会を知るという意味では重要……なのかも?
一方、僕の撮られた写真を見た咲夜というと——
「契約で宣伝として一部を先行公開でネットに上げることになっているのだけど…………これは色々と荒れそうね」
などと言っているのだった。
①と②を統合しました。