三話-7 天敵
浄化の雨によって、ようやく自ら姿を表した白面。またの名を九尾の狐。その名は古くから生き続ける生き字引であり、数ある妖怪にとっての最強の一角。
人によってはあの九尾の狐こそ妖怪の中で最強だという人もいるだろう。
妖怪でありながら神として信仰をする地域もあるほどにその名は多くに知れ渡り、今や日本において知らぬ者はいないほどの知名度を誇る。
兎にも角にも、このまま前に居続けるよりも一度体勢を整えた方が良いと考えて土御門さんのいるところまで下がった。
「あれ、本気だと思います?」
「……今出せる本気ではあると思うよ。あちらさん、相当お冠らしい」
大見得を切ってとっておきだとか言っていた鬼をあっさりと片づけてしまったのが悪かったのかもしれない。
僕だってさっきのあの浄化の雨が何も効果がなかったら精神的にくるものがあるだろうし、推定数百歳以上と目される老人であってもそれは変わらないのかもしれない。まぁでも、妖怪の誇りなんて歯牙にかける必要すらないけれど。
しかしながらやっと本気になった白面を相手に今の霊力量ではやや心許ないか。
「そうなるとさっきの雨のせいで僕は霊力の回復が必要なんだけど、少しだけ時間を稼いでくれません?」
「少しでいいのか? あれはそんなに消費の軽い術じゃないと思うんだけど」
「あれくらいだったら十分くらいあれば大体は回復出来るよ。流石に連発は難しいけどね」
「……マジ? 嘘だろ?」
「僕は嘘は吐かないので。必要な場合は援護するから。お願いしていい?」
「……分かった。だけど援護は必要ないよ。今は回復に専念していて欲しい。俺がその分の時間稼ぎをしよう」
浄化の雨で消費した霊力は既に三割方は回復出来ている。時間さえあればもう一度放つことは出来るけれども、再度使用した際に今の白面に対して鬼と同等の被害を与えられるとは思えない。
それに今もああして平然としている様を見るに、何かしらの方法で先ほどの雨を回避していたみたいだ。
現れた位置からしてずっと屋外にいたはずだと言うのに損傷らしきものは一つも見当たらないのはおかしい。
何か、カラクリがあると見ていいはずだ。
先ほど、空間から出てきたのがそれか。しかしそれにしてはわざとらし過ぎる気もする。
「清花」
その時、後ろから袖を引かれる。
そこでは目の前で繰り広げられる戦いに圧倒されたのか、いつもの気丈な様子とは違って少し気圧されたような珍しい咲夜がいた。
無理もない。戦う術を持たない彼女にとってはこの戦いの規模は目にしたことすらないはずだ。
白面の放つ圧倒的なまでの威圧感は抵抗力のない人を委縮させる。気を削ぎ、抵抗をしようという気さえ起こさせない圧迫感がある。
積年の恨みがある冬香のお婆様であってもそれは変わらない。積もり積もった恨み憎しみよりも、自身をいとも簡単に殺しうる白面という存在の恐怖の方がそれを遥かに上回る。それは仕方のないことだ。あれに恐怖することは決して責められはしない。
実力差というもので形容するにはあまりにも隔たりが大き過ぎる。大人と赤子でさえまだ近い方だ。それは咲夜も同じ。それでもと手を伸ばしたのは自分に出来ることを何かしようと考えていたから。
「咲夜? もしかして何か視えた?」
小さくこくりと頷く。
緊張であまり大声で話しにくいみたいなので僕の方から耳を寄せるとか細い声ながらもしっかりと伝えたいことを伝えて来る。
それは僕にとっても予想外なもので。だからこそ心から納得した。
僕の腕を掴んでいた微かに震える手をそっと外す。
「ありがとう。咲夜はここにいて。ちゃんと終わらせて来るから」
「えぇ、気をつけて行ってらっしゃい」
「分かった。冬香、いざという時の為にいつでも水を出せるようにしておくんだよ?」
「で、出来るかどうか分かりませんが、が、頑張ります……っ!」
家族で抱き合って今の状況を乗り越えようとしている冬香たちならそれほど心配はないだろう。
必要なことを伝えた後はしっかりと土御門さんの防御陣の中に入ってもらい、改めて白面と向き直る。
「何か有益な情報は貰えたのかい?」
「勝ち筋は見えました。後は時間さえ稼げれば何とかなります」
咲夜から教えられた情報を下に考えた作戦を実行するにはまだ少し霊力が足りないかもしれない。
出来れば万全を期して全快といきたいところだけれど、八割でも回復が出来れば十分ではあるはず。
こうしている間でも回復は出来ている。今は全体で五割程度の残量で、戦闘自体は無理なく出来る状態だ。白面の術を迎撃するのみに止めればさしたる消費にもならないだろう。しかしそれでは回復に時間が掛かる。
この戦いの決着は彼の実力によるところではあるけれども……。
「それなら俺の方も少しばかり本気を出そうかな」
言いながら両方の袖の内側から取り出された札のような何かを宙に投げつける。何かしらの術が掛けられているそれは、虚空で静止し後に膨大な霊力を放って術式を作動した。
そうして一瞬の内に現れたのは二体の全身がそれぞれ白と黒で染められた大狼たち。
大型の肉食獣すら悠々と超える巨躯の獣は前身を低く構え、いつでも駆けられるよう臨戦態勢を整えていた。
「カッコいいワンちゃんですね」
「自慢の式神たちだよ。行け!」
走り出したと同時に白面に肉薄する狼たち。その早さは先ほどの鬼をすら超えていた。相手をするのが僕だったらと思うとゾッとするところ。
反面、味方だと思えば実に頼もしい。白面は本気を出し始めたものの、狼たちの攻撃に意識の一部を割かれている。迎撃をしようとすれば瞬時に離脱をし、無視をしようとすれば即座に噛み付きに来る。相手をする上でこれほど厄介な相手もそうはいないだろう。
『鬱陶しいのぉ』
白面の防御網を突破することは敵わずとも、完全に無視出来なくて対処に相応の労力を割く必要がある相手というのは中々に厄介だ。
特に、今のこの時間が欲しいという場面においては実に頼もしい戦力だった。
「攻撃は最大の防御ってね」
狼たちを出した後に自身も攻撃に回っていた土御門さんの術が乱舞する。
迎撃する白面の術との高威力の術が宙を飛び交い、衝突をしては激しく空気を振るわせていく。相殺し切れなかった術たちがあらぬ方向へと飛んで行ってはあちこちで爆発を起こしてその地形を変えていっていた。
その時、迎撃の為だと思われた白面が放った術の中の一つが明らかに別方向へと飛んでいっているのに気づく。
「あの方向は……」
「どうした? 何かあったか?」
「……いえ、手がかりを一つ失った程度です。気にしないで下さい」
「それって結構重要な気がするんだけど……あー、過ぎたことじゃ仕方ないか」
多分だけど、白面は攻撃が逸れたように見せかけて証拠となるような物を消している。あそこにあったのは冬香のお婆様に案内をして貰った小屋の方だ。おそらくはもう既に跡形もなく無くなっていることだろう。
それでも、この規模の戦いで極力建物を破壊しないようになんて言ってられない。
相手が相手だ、余計な気遣いをしていられるほど余裕がある訳がない。
「それよりも随分と乱発をしているようですが、霊力の消費は平気ですか?」
「俺の術はこれでも低燃費なんだ。相性の良い術をぶつけて相殺しているだけだからね。少し込める霊力を増やせばこの通りさ。とはいえ一日中続けられるかは分からないけど。まぁでも、この程度なら大した労力でもないよ。安心しておいて」
もしも生身で受けてしまえば人なんて跡形もないような攻撃が目の前で繰り広げられている。
例え力が削がれていても先ほどと比べれば白面の妖術も一段と殺傷力を増しているはずなのに、それでも土御門さんを攻めきれないでいる。
大妖怪たる白面の術が弱い訳もなく、つまりそれだけ彼の術の扱いが卓越しているということに他ならない。
空中で爆炎が轟く中から飛来する不可視の風の刃が防がれ、ついに白面の口から苦々しい声が漏れ出る。
『小癪な……』
「時間稼ぎならこれでいい。無理に責める必要はない。ただお前がそこでじっとしてさえそれで構わない。決着は彼女に任せるさ」
宣言通り、土御門さんの攻撃は攻撃に非ず、それはただの牽制だ。
攻撃によって相手に防御を行使させ、術の出掛かりを潰して術そのものを無効化する。
その攻撃が決定打に繋がることはないけれど、時間を稼ぐという意味ではこの上なく有効だった。それに合間を縫うようにして突撃を敢行する狼たちが絶妙に鬱陶しいに違いない。白面の口からは度々恨み事のように舌打ちが漏れている。
その証拠のようにこちらに届く攻撃の頻度が明らかに落ちていた。届いたとしても結界に相殺されたりして壊せる程のものではなくなっている。
予想をしていたよりも善戦——いや、それ以上の戦いぶりに驚く他ない。それは白面も同じなようだった。
「これなら最初から任せておけば良かったかな?」
「いやいや、流石にこの撃ち合いを長時間は厳しいよ。それに君がいなかったらそのままの威力の攻撃が激しくて耐えられたかどうか分からないしね」
「その割にはまだまだ余裕そうに見えますけど?」
「さっきの雨のお陰で向こうの術も大半の力が削れてるからね。いや、やっぱり浄化の力はやっぱり凄いよ。あの大妖怪も君の前だとまぁまぁ強い妖怪に成り下がるのは見ていて痛快だ」
「この攻撃を受けてまぁまぁだと言える貴方も相当だとは思いますが」
「ははっ、これでも伊達に天才って呼ばれてはいないってことだよ」
白面だって馬鹿ではない。一度効かないと分かった攻撃を続ける真似はせずにどんどんと新しい術でもってこちらを責め立ててはいる。きっと並みの……いいや、凄腕の退魔師であろうともこの攻撃に耐えられるのはほんの一握りに違いない。
この大妖怪を一度は打ち倒したという過去の退魔師は一体どうやって対抗したというのか甚だ疑問ではある。
問題はそんな相手を目の前にしても涼しい顔でいられる土御門さんの方ではあるのかもしれないけれど。
今度は反対にこちらが観察をしていると、隣から苦笑気味に問いが掛けられた。
「それよりも、そろそろ結構いい時間だと思うんだけど?」
「そうですね。霊力も全回復したのでそろそろ始めようかと」
本来ならばこの速度での回復なんて有り得ない。術を多用する彼はそのことを十分に理解しているので感心したように口笛を鳴らした。
「その回復速度の秘訣を是非とも知りたいね。どうすれば教えてくれる? 術師からしたら垂涎ものの力だよ?」
「秘伝の技なので秘匿権利を行使します」
「秘伝かー。それは残念だけど、仕方ないか」
退魔師が自身の術の秘匿性を保つ為によく使う言葉で躱しつつ、後ろにいる冬香のお婆様に語りかける。
「冬香のお婆様、少しだけ建物を壊してしまうかもしれませんが平気でしょうか?」
「か、構いません。それで奴に一矢報いることが出来るのならば……っ」
「感謝します。出来るだけ損壊は抑えるようにしますので」
声こそ震えてはいるものの、その意思は変わらない。白面にとっての怨敵が僕ならば、大蓮寺家にとっての宿敵こそがあの白面だ。本当なら自分の手でしてやりたいとは思っているのだろうけれど、それを今の冬香たち家族に望むのは酷というもの。
ならば、多少でも同じ血を引いている僕が幕引きを図るのは大蓮寺家にとっての為にもなる。
軽く頭を下げた後、僕はその思いも背負って白面を睨みつける。
『来るか』
気配を察知したらしい白面も土御門さんの攻撃を捌きながらこちらへ意識を向ける。
先程よりも強い殺気と質を増した妖力を伴いながら。何なら今からが本番だとでも言っているかのように。
でも、それももう終わりだ。
「白面、今回は僕の勝ちだ」
先ほどと同じように内に霊力を溜め、空へと放つ。
『ふむ、何をする気だ? 先程と同じことをしても無意味だと分からんのか?』
雨が降る。視界が霞む程の大雨が。
白面は何も出来ない。この雨が降る空間内ではどんな妖力を秘めていようと全てが無に帰す。
だから白面は何もしない。この雨が長続きしないことは知っているだろうし、それは僕も重々承知している。
見れば向こうは雨を直接受けないように術によって結界を構築し身を守ることにのみ専念していた。
『先程までと何も変わらぬようだが? このまま待っていれば自ずと自滅を……』
「雨が降っている中は攻撃出来ないって誰が言った?」
この雨が人工的なものならば、僕がこの水を操れない道理はない。
ここまで使用した水、一回目に降らした雨、そしてこの雨水。どれも無くなったりなんかしていない。
近くにある全ての水は僕の制御下にある。
総量の内の半分もの霊力消費までしたのは今、この時、この為にあった。
「これで終わりだ! 大海嘯ッ‼︎」
『ぬ、お、おおおぉぉぉぉぉーーーーーっ!!』
前に降った分の水も交えて地面へと流れていった筈の水が逆流し、水流は次第に渦のように大きなうねりとなって白面へと襲い掛かる。
量が量だ、例え相手が空中にいたとしても関係なんてない。
浄化の力の影響下で強力な妖術を使えたとしてもこの水流を前には白面が使える手段はないに等しい。
これが浄化の力という対邪特攻の真骨頂。
途方もない質量に為す術なく飲み込まれた白面は未だ存命ながらも、更に透明な防御壁のようなものを作り出して直接水に触らないようにしている。
しかし、今の白面にこれ以上何かをする余裕はない。結界を意地するので精一杯みたいだ。
それも少しずつ剥がれては新しいものを作り出す。いつかは限界を迎えるただの延命措置に過ぎない。
畳み掛けるのならば、今しかない。
『な────』
と、思わせておいて僕は全く別の場所へと一部の水を向かわせる。
白面もそのことにすぐに気付いたものの、既に遅い。何かをしようとする前に僕と水流は大蓮寺家の入り口へと辿り着いていた。
「引っかかったな。卑怯者め」
浄化の雨に当たっても無事でいられたのは屋外にはいないからという推察は当たっていた。
ああして姿を見せ、温存していた妖力を解放したからこそ視えた、上空にいる白面とは別の位置にいるという何か。それと上空にいる白面との妖力が同じだと見抜いた咲夜は屋内にいる方こそが本体であると教えてくれた。いや、それですら正確な表現ではない。
相手にしている敵があまりにも強い威圧感を放っていたから誤認識していたけれど、あれは白面本体ではなく分身体のようなもの。いくら攻撃して倒せたとしても分身が消えるだけで本体は生き残ってしまう。これによって今まで死なずにしぶとく逃げ延びてきたのだろう。
そうして隠れて隠れて、人知れず数多の人を陥れて不幸にする。これを卑怯と言わずに何と言うのか。
確かに正面から戦っても強い。浄化の力によって相当に力が落ちるはずの分身体でこれならば本体はどれ程のものなのか想像すら出来ない。
そんな白面を、分体といえどこのまま逃せば何事もなかったように活動を再開させるだろう。
そんなことを許せるはずがない。だからこそ、ここで一部だけでも仕留める。
『こ、の……っ』
家の中に入る直前、最後に悪足掻きにこちらへと全力で攻撃を仕掛けてはくるけれど、それは全くの無意味だ。
僕を狙った攻撃は全て彼によって無効化される。
「させないよ。お前の相手は俺だ」
『小童が!』
雨によって威力の激減した妖術は土御門さんによって難なく防がれる。咲夜たちを放置して突撃を敢行出来たのは彼がいたから。
もしも僕一人だったらどこまでも防戦一方になってしまっていたかもしれない。そこは感謝しかない。
「後はお願いします」
「任された。こっちのことは安心してくれ」
咲夜たちの土御門さんに任せて、僕は最後の戦いに向かう為に家の中へと入って行った。
上空の白面は悪足掻きを最後の抵抗として沈黙。その間に僕は家の中の奥にある掛け軸、更にその奥に隠された秘密裏に作られていたらしい地下へと壁を蹴破りながら突入する。
道中はまるで洞窟のように狭く、ありとあらゆる大怪我を免れないような危険な罠が仕掛けられていた。
それら全てを水流によって破壊し尽くし、最奥にある広間へと降っていく。
そこにあったのは少し広い程度の小部屋といった空間だった。しかし、たったそれだけの空間の壁には怖気が走るほどびっしりと隙間なく文字が刻まれている。
おそらくはこれが他者から気づかれないようにする為の術を帯びているのだろう。
『来よったか』
「……やっぱり、それも本体じゃないみたいだね」
奥の玉座のような場所いた——いや、あったのは白面の身体などではなく、水晶玉のような何か。
そこから出てきたのは白面の本体——ではなく、これも分体だった。二重か、あるいは三重以上に分体を経由して動かすことによって本当の自分の存在へと辿り着かせないつもりらしい。事実として、最初の一つ目の分体だって白面が自ら出て来なければ僕達は存在さえ知らなかった。身を隠すことにかけては並ぶ者なんていないのだろう。
その白面がどうしてわざわざ姿を表したのか。そこだけはずっと気に掛かってはいる。けれど、この相手は問いかけたって馬鹿正直に答えてはくれないし、そもそも聞いたところで僕はそれを信じない。だから今は考えるだけ無駄だと思考から切り捨てる。
『左様。これもまた分体でしかないと言うことよ。ぬか喜びをさせてしまったかの?』
物凄い妖力を発露しながらもその存在を巧みに隠し続けていたこれに誰も気付けなかった。それほどに繊細かつ巧妙で、もしも咲夜の目がなければ誰も気付けなかったはずだ。
上で分体を倒して満足していたら、実は地下には本命がいたなんて笑い話にもならない所だった。
「お前の悪意はずっと感じていたよ。本気を出してくれたお陰で繋がりが強く見えた」
『空事よの。ここに意識を戻したのは上の分体を消したからに過ぎぬ。主ら、浄化使いの感知を避ける為にここに意識は残しておらぬ故、ここを見つけられるのはお主ではなく、またあの小童でもない』
「………………」
白面の言葉は決して虚勢ではなく、紛れもなく確信に満ちた物だった。
咲夜のことがバレている。この場所から僕達を監視していたのだとすれば、少し前の行動も見られていたということ。
誤魔化しはしたけれど、流石に大妖怪を騙すには至らなかったか。
『あの宝蔵の小娘。出来損ないと聞いたいたが、よもや天眼を所持しておったとはな』
「天眼?」
『知らんのか。まぁ良い、敵にわざわざ塩を送る必要もなし』
どうやら話す気はないらしい。そもそも話されたところで本当かどうかも分からないから聴く必要もないけども。
向こうももう何も話す気もないらしいので水晶体らしきものを滅する為の水刃を生成する。
「最期の言葉はそれでいいの?」
『命乞いでもすれば見逃してくれるのか?』
「そんな訳ないだろ。お前は分体といえども一片たりとも残してはおかない」
『で、あろうな。では、お主が死ね』
同時に襲いかかって来る妖術の嵐。それらを最低限かつ、最小の動きで避けながら突き進む。
こちらの方が本体により近い分、供給される妖力は上にいた分体の比ではない。先ほどの戦いよりも更に苛烈さを増していた。
だから多少の傷は許容範囲とし、絶命に繋がるようなもの以外はあえて無視をする。
殺意しかない攻撃に生傷は増えては行くけれど、それでも足は止めない。最短で、最速で殺し切る為には接近戦が確実だ。
要はあの水晶玉を砕けさえすればいい。咲夜の見立てだとあれが起点となっているらしいから。
直進を決して止めない僕に、白面がこれでは止められないと判断して大技を使おうとしたところに詰めに後ろに残しておいた水を流れ込ませる。
「終わりだって言っただろう」
ただの水球では相殺しきれないような大規模な術は質量で勝る水流に流されて掻き消え、残ったのは水流が直撃し鎮座したまま何も出来なくなった水晶玉だけ。分体すら流されて掻き消えた。
これを砕いたとしても本体が死ぬことはない。しかし、咲夜にしてみれば繋がりはあるという。そうじゃないと遠くから分体を操ることは出来ないし、そこで得た情報も自分の下に来ないから繋がり自体は確かに存在する。
『ここまでか』
「あぁ、お前の野望もここまでだ。最後にお駄賃代わりにこれも貰っていけ」
水晶玉からその繋がりという名の糸へ、今ある全ての力を叩き込む。糸を辿って本体へと届くように、力任せに力を注ぎ込んだ。
妖力で出来た繋がりはそこを起点に崩れていき、最後に文句を言いに薄らと姿を表した分体は少しずつ輪郭を失い始めていっていた。
『お、の……れ。くち……お、しや』
繋がりを失った分体は恨み節を残して消えていく。しかし、あくまでこれは分体。これを倒したところで本体が死ぬ訳ではない。
いずれ、この妖怪が何事もなかったかのように新たな活動をするのは止めようがない。
この大悪党が暗躍するのを僕は止められない。
それでも————
「いずれ本体で来る時がお前の最期だ。覚悟して来るがいい」
それでも、白面は絶対に僕を見逃しはしない。僕という存在がいることを看過なんて出来ない。自分に届き得る浄化使いの存在を許すことは出来ない。
だから、いずれまた必ず僕の前に姿を現す。
『あぁ……つぎ、こそは』
殺す、と。それだけは明瞭に聞き取れた。それを最後に白面は完全に消えてなくなった。
果たしてこれで本当に終わったのか。もしかするとまた分体が現れるかもしれない。ついそう考えてしまうのは直接戦った者として当然のことで。
改めて本当に気が抜けない相手だった。
それでも、一先ずはこれで終わりだ。殺意は消え、白面の妖力はもう感じられない。終わったと判断していいはずだ。
「ふぅ……終わったぁぁぁぁぁ…………」
奴が拠点としていたここも白面という主を失い、残る妖力の残滓も僕という存在がいることで浄化されていく。もう間も無くここは無害な空間に変わるはずだ。
さながら僕は空気清浄機といったところみたいだった。そんな冗談が頭に浮かんでくるくらいには疲れているらしい。
とりあえずは絞り出して空っぽになった霊力の回復を図りながら周囲の警戒をしていると、土御門さんに守られながら咲夜たちがやってきたみたいだった。