三話-6 浄化の水使いの本領
どうして、という疑問はある。
ここには妖怪がいる気配はなかった。いれば一番に僕が気づくはずだし、咲夜の視界から逃れられるはずがない。
しかし現実として妖力を纏った一撃は僕達を襲い、命を奪おうとしている。
何かしらの方法でどこかに潜んでいたとしても、それを暴くことは出来ないし、そんな余裕はない。
だから不必要な思考は一才投げ捨てることにした。
コイツは白面だ。白面金色九尾の狐。日本に数えるほどしかいない災厄を齎す凶悪無比な存在。曰く、最強の一角。
そして、僕の敵だ。それだけ確認出来ればいい。
「いきなりなんて卑怯じゃないか」
『やはり防ぎおる。つくづく実感するわ。浄化の神子こそ我らの大敵であるとな』
瞬時に放った水球は死を予感させる一撃をすら掻き消した。
質こそあの業火には劣るものの、妖力に対して絶大な効果を誇る浄化の力だからこそのこの結果だ。
ただの水では一瞬にして水諸共に蒸発してこの世から消え去っていたに違いない。あの炎はそれほどの威力だった。
現に、有利を誇るはずの水球は対消滅をしていてこの場には業火と水球が残した温い空気が漂っている。
頬を伝う水は自分で出した水が跳ね返って来たものか、あるいは別の何かか。
「そっちはこそこそ悪巧みしたり、不意打ちをしたり、随分と狡いことをするじゃないか。まるで害虫みたいに厄介な存在だね。念の為に殺虫剤でも持ってくるんだったよ」
『急に湧いてきたのは其方であろうに。何とも酷い言い草だの』
「言われて当然のことをしてきているのはお前の方だろ」
たった一撃が相手に致命傷を与える。それはこちらとて同じ事だ。
会話をしつつ向こうに溜めの隙を与えない為にに業火を放った先へと浄化の水を展開させた。
その量は鬼に対して使ったものとは比較にならないほど広範囲に散りばめ、子犬一匹の隙間すら与えないほどの密度を保っている。
触れずとも近くにあるだけで力を削いでいくこの水は邪悪なるモノその存在すら否定していく。
これであの業火が再度放たれようとも迎撃は更に容易なものとなったはずだ。
『残念だったな。そこには在らぬよ』
「知ってる。でも、もう得意の妖術は効かないよ。近くにいるだけで妖力が削られてる感覚が分かるだろ?」
『……フム。確かに力が削がおる。対策を施して尚この力。これ程の逸材、初代にすら匹敵しような』
「初代を知ってるの? ……まぁ、知ってるか。無駄に年だけは重ねているみたいだし」
途端に四方から襲い来る妖術の嵐を捌きながら会話を試みるも、問答無用とばかりに火、水、風、土、ありとあらゆる術が四方八方から飛来し、家屋を破砕しながら見たこともないような威力の術が僕達に降り注ぐ。
それを迎撃しながら会話や術の発生源から相手の居場所に繋がる手掛かりを探ろうとしているものの、未だに発見には至っていない。
(気配が多すぎる……)
こちらを狙う殺意の線を辿ろうにも線が多すぎてどこへ意識を向ければいいのかさえ難しい。
浄化の力が元々がそういう能力ではないとしても、手当たり次第に水を飛ばして直接触れないかと試してはいるのだけどもその結果は芳しくはない。恐らくは普通じゃない手段で身を隠しているのだろうと予想している。
呪いがそうであったように、隠形の術は得意なようだと。
『彼奴とは何度も命のやり取りをした間柄なだけよ。くくっ……何度辛酸を舐めさせられたか分からぬがな』
押し殺したような笑い声の後、今度は嘲るように嗤う。
『それに引き換え、お主は霊力こそ初代を凌ぐものの、術の扱いがまるでなっておらぬの。それは練度の違いを霊力で補っているだけよ』
「そんなことくらい知ってるよ」
こっちは浄化の力の使い方なんて全く知らないまま扱っていたのだから。使い始めて数ヶ月の若輩者が熟練者と比べて劣っているのは当然だ。
それでも今まで何とかやってこれたのは白面の言う通り、霊力の多さによってごり押しを出来たから。
しかし逆を言えば、白面の言うその初代でも出来ない戦法が僕には可能ということ。
「それで? どうやって僕を殺す気? 練度がどうとか言ってたけど、こんな生温い攻撃じゃいつまで経っても僕を殺すのは無理だよ。ほら、出来るものならやってみなよ。退屈過ぎて欠伸が出そうだ」
『カカッ、言うのぉ』
瞬間、吹き荒れる妖術の中に違和感を感じて咄嗟に身を屈む。
元いた場所を冷たい氷の飛礫が突き抜けて床を貫通していき、その鋭い刃先は家を破壊しながら突き進み続け、そのまま屋外へと突き抜けて行った。
もしもあれをまともに食らっていたら致命的な手傷を負っていたに違いない。それ程の妖力があの一撃には込められていた。
『初代でも初見では避けられはせんかったが。……戦いの勘は彼奴以上ということかの』
「威力が減衰しても届くくらいに質を高める。それくらいは想定内だよ。その対処法もね」
今のはたった一発だったから最低限の身のこなしで避けただけ。
そうなれば、向こうが打つ次の手は決まっていた。
『なるほど。では、これは如何に?』
展開される全方位からの氷の飛礫。部分的に消して避けることは出来るけれど、避ければこの場にいる非戦闘員である三人に被害が及ぶかもしれない。こちらがその選択を取れないことを計算しての攻撃に内心で舌打ちをした。
僕の影響が濃い近距離では飛礫が生成できないこと、慣性によって威力を増す為にはある程度の距離が必要なこと。
二つの要因から瞬時に殺傷に至る速度になるにはある程度の間がある。
「水壁」
その合間に水の膜を僕たちを覆うように展開。その濃度を増すことで質を上げた飛礫であろうともその威力を相殺しきることが出来た。
「ほらね? 意味なかっただろ?」
『この程度では大した消耗は狙えぬか』
水の膜は僕達を囲むように隙間なくお椀型に展開されている。普通であれば維持をするのに精一杯なんだろう。
それをモノともしない僕の内包する霊力と、短時間で霊力が回復する力は連綿と続く血のお陰と言ってもいい。
こればかりはかなり強かったらしい初代の浄化の水使いでも真似出来ない芸当だ。つまり白面は僕のようなの浄化の水使いと戦ったことはないということ。ここに付け入る隙があるかは分からないけど、やってみる価値はある。
「名のある白面金毛九尾の狐もこの程度なの? ちょっとガッカリだよ。もう少し歯ごたえがあると思ってたのに」
今のところ、僕は命に危険はないと思っている。殺意の高い攻撃は事前に察知出来るし、それを避けることは出来る。避けられないような強い攻撃はどうしても溜めが必要だから迎撃も容易。
鬼のような短期決戦型と違い、遠距離の勝負なら相手により多くの負担を強いることが出来る浄化の力はやはり長期戦でこそ真価を発揮する。今暫くはこのまま相手との撃ち合いを続けて浄化の力による弱体化を狙うのは上策であるはずだ。
『……認めよう。初代と比べることがそもそもの間違いだったと』
過去の浄化の水使いと戦った時にはおそらくこうして戦ったのだろう。自らの妖力を頼りに消耗戦を仕掛けて弱った時を狙っていた。
本来ではあればそれは間違いではない。浄化の力は消耗が激しく、長期戦には不向きであると考えられていたから。
だからこそ、浄化使いはここぞという時の為の決戦に投入されていた歴史がある。そうお猿さんに渡された本には書いてあった。
昔から戦い続けてきた白面であれば尚更に僕の戦い方には理解し難いものがあるだろう。
今も続く妖術の嵐を防いでいるのを見て、少しずつ無駄撃ちをせずに威力重視の術に切り替え始めて来ているのを感じる。
「一応聞いてみるけどさ、どうして僕を狙うの? これでもまだ高校生の未熟な退魔師の卵なんだけど。わざわざ狙う価値なんてある?」
『愚問だの。怨敵を屠るのに理屈など要らぬ。それが未熟であるのなら尚更狙わない理由がなかろうよ』
「……それはそうだ。僕だって多分そうすると思う。そうやって恐れられたばかりに大蓮寺家は狙われたんだね」
あの呪いを直接肌で感じたからこそ分かる。冬香とその家族を苦しめ続けてきたのは他ならぬコイツだと。
一際妖力を纏った氷の礫の一つが膜を突破してくるけれど、それを水を纏わせた拳で砕く。初見では当たってしまったという初代では出来ない芸当に白面の攻撃が一瞬だけ止む。
『おぉ、怖い怖い。その拳には出来れば当たりたくないの』
「さっさと出て来いよ、卑怯者。そうやってめそめそと隠れているしか脳がないから大昔に妖怪たち丸ごと封印されたんだろう? この腰抜けめ、少しは自らを曝け出して戦おうという気概はないのか?」
『その手には乗らぬよ、若いの。敵愾心を煽ってこちらの力を削ぐつ心算であろう? そのような意図、明け透けが過ぎて童でも容易に読み取れるわ。儂はこのままで良い。じっくりと甚振って嬲り殺しにしてくれようぞ」
(短期決戦を仕掛けて来ないのは助かる……けど、狙いが分からないな)
相手が大妖怪だということを利用して神経を逆撫でする言葉をしたつもりだけれど、返ってきたのは平坦な感情の起伏などない声だった。
こちらの狙いはやはり知られていたらしい。初代浄化の水使いと戦ったことがあると言っていたし、こういった戦い方は経験はしているということか。
だからといって煽ることは決して意味がない訳ではない。白面のこの僕達浄化使いに対しての執着からして、何かしらの思い入れがあることには違いない。まだ相手の心に余裕があるから受け流せているだけだ。
「天下の大妖怪がなんとも情けない話だね。それとも、実は大したことはなかったりして?」
『どのような汚名も勝ちて雪げばそれで良い』
「本当に、厄介な相手だよ……」
ともあれ、白面は氷の飛礫程度はもう効かないことと分かっているだろうけど、壁を解けばすかさず飛ばしてくるので解除は出来ない。
こういう時に心配になるのが視界が膜の分だけ不透明になってしまうこと。
それを踏まえた上で、こちらに攻撃する手段があるとすれば──
「やっぱりね。そう来るのは読めてたよ」
飛来したそれは右の膜を突き破り、水弾の迎撃で弾道が逸れて地面に突き刺さる。
それは氷の礫よりも早く、それに比例して威力も跳ね上がっていた。
浄化の力の感知能力の弱点は飛来物の速度までは分からないこと。色々な術の飛行速度を変えて巧みにこちらの余裕を奪って来ているのが分かる。
『ほほっ、よう防ぎおるわ。完全に不意を狙ったつもりだったのだがの』
(礫でいい気にさせておいて……。気が抜ける瞬間がなさ過ぎるな)
飛来したのは鉄で出来た鋼の刃だった。それが妖力を持たず、ただの慣性のみによって水の膜を切り裂いて膜の内部へと侵入してきたのだと理解する。
僕の浄化の水が減衰させるのはあくまで術などの所謂"気"の類のみに限る。
物理的な攻撃が弱点だから鬼のように肉体を主に武器として使う種は相性としては悪い部類に入り、極力戦いたくはない相手になってしまう。
それを向こうは理解しているので、こうして術を伴わない物理的な攻撃に移行したという訳だ。
(問題はこれが比較的簡単な術であるということ)
術理としては物質を飛ばすまでが術式であり、飛ばした後は妖力を伴わないただの物理攻撃になる。
鋼刃は水刀と水弾で応戦するも、まるで幽霊が手にしているように宙に浮いた本物の刃はどの角度から攻撃をしてくるのか予想は困難だ。
落ちた物を回収すれば再利用出来るし、これがいくつも追加されれば形勢は不利になるかもと冷や汗が滴るのを感じる。
流石は古強者というべきか、これだけ多彩な攻撃をしてきているというのにまだ底が知れない。
未だ姿さえ見せないのにこの展開だ
(老獪って言葉が似合いそうだね)
相手は数百年を生きた知識と経験の宝庫。これくらいのことは当たり前にしてくるということか。
「————観察はもう済んだでしょ。そろそろ手を貸して欲しいんだけど、天才さん?」
これが僕一人との戦いならもっと大きく動いて鋼の刃相手にも動き回って避けるなりして臨機応変に戦うことが出来る。
けれど、それが出来ないのは張った膜の内部に何人もの非戦闘員を抱え込んでいるから。
咲夜たちを守りながらの戦いとなるとこちらから打って出るわけにもいかず、守る一辺倒の防戦一方になる他ない。例え敵の居場所が分かっても踏み込むことが出来ずにいると言うのが現状だ。
ただ幸いと言っていいのか、ここには神童と謡われたらしい青年が一人いる。それが嘘や騙りではないことを祈るばかりだった。
その当人は待ってましたとばかりに自らの膝を叩いて立ち上がる。
「失礼。戦う姿に見惚れていて手を出すのを忘れてたんだ」
嘘吐け、と心の中で毒を吐く。それでも彼は時折、術を使ってみんなを守ってくれていたのは知っていた。
なので文句は言わないけども、そろそろ手伝ってくれてもいいのではと非難の目を向ける。
追加の参戦に口を挟むのは相手をする白面の方。
『おや? 後ろで女に守られておる腑抜けかと思ったが。そのまま陰に隠れていなくてもよいのか?』
「彼女の実力を見るのが目的だったんでね。あまりに退屈過ぎて、彼女一人で大丈夫だろうと思ってつい放置してしまった。本当に申し訳ないと思っているよ。いや、ここまで大妖怪とやらが弱いとは思わなかったんだ」
『ではもう少し寝ていたらどうだ? んん? 怖くて眠れないのならば子守歌でも謡ってやろうかの?』
「年季の入った腐れ婆の子守歌なんて勘弁願いたいね。そんなものを聴いたら逆に永眠してしまいそうだ」
誰が舌戦の援護をしろと言ったのか、しかし器用に喋りながら互いに術を放つ二人。
白面が妖術で多種多彩な攻撃を仕掛けてくるのに対し、土御門の彼は白面の放つ術と反する属性を持つ術をぶつけている。それは陰陽道で言うところの五行相克。木火土金水の関係性を利用した術式は火が土を溶かし、水は火を消すように相手の術に対して有利な属性をぶつけることによって一方的に有利を得ることが出来るという。
僕が膜を張った上で水弾で迎撃している鋼刃をビー玉程度の火の子で無力化しているのがその証左だ。
初めて目にはするけれども、彼の術は精密さ、発動までの速度、威力の全てにおいて今まで見たものの中で段違いに実力が上だ。
それはあの両親も含めて。過去に見たどんな子供よりも、どんな大人たちよりも。
確かに、これを見て天才と呼ばないのは彼に並ぶかそれ以上の熟達者か天邪鬼くらいのものだろう。
その前者に当たる白面はその実力を正確に見抜いていた。
『フハハハッ、若さとは眩しいものよな。人は若かりし頃は誰しも万能感に浸りたがる。井の中の蛙だと知らぬまま己こそ頂点だと誤解し、遂には翼をも捥がれた鳥のように地に堕ちる。その自尊心の高さによって落ちた時の衝撃は計れるというものよの。はてさて、お主はいつまで持つかな?』
僕自信は一度その自尊心とやらが木端微塵になったから自らが最強だとは思っていない。
そもそも浄化の水は対邪性能特化型だから弱点も多いし、特定の相手以外には殆ど効果がないようなもの。
逆に、土御門家の術は陰陽道。今も白面の多数の術を相殺したように多種多彩な術を扱えることで有名だ。
今も彼の放つ術は悉くが無力化されている。そのことに彼はどう思うのか。
「歳は取りたくないものだな。喋ることばかり頭にあってその実、中身がない」
全くもって動揺なんてしていなかった。
二人が第一声を交わした時と同様に至って冷静で、何ならかの大妖怪を見下してすらいる。
「その台詞は相手を跪かせてから言うものだぞ。これだから妖力とハッタリしか脳のない三流術士は芸がない」
今までの彼とは少し雰囲気が変わったような気がする。雲を掴むような飄々としたものではなく、今は鋭い刃のように触れる物全てを斬る殺伐とした空気を身に纏っている。それは彼の体から迸る霊力が彼の余裕さを物語っていた。
今までの戦いは全く以て全力ではなかったのだと。
「御託はいいからさっさと掛かって来い。初心者狩りしか出来ない小心者に俺が胸を貸してやろうじゃないか」
そんな剣呑な雰囲気も一瞬のこと。瞬きの後に元の何を考えているか分からないような姿に戻る。
変わったのはそんな彼の言葉を受けた白面の方か。
滲み出た土御門さんの実力を感じ取り、それに呼応するように白面の妖力も更に上がっていく。
彼は僕の方を見て不敵な笑みを浮かべる。
「本番はここからだよ、清花さん」
「そうみたいだね。守りに関してはお任せしても?」
「役割分担としては妥当だろうね。場所を移そうか?」
「出来ますか?」
「お安い御用だとも」
彼が指を鳴らすと同時に風が非戦闘員の全員の体を宙に浮かせ、そのまま家の中を移動して外に出ようとする。
それに待ったをかけるのは白面。狭い建物内の方が死角からの攻撃を狙いやすいし、白面のような術士の戦い方としてはそちらの方がやり易い。このままわざわざ僕達が外に行くのを見逃すはずがなかった。
『逃すか』
「その術はもう見たよ」
氷の飛礫には純度を高めた水弾で相殺。鋼の刃は初動の速度が乗らない内に弾いて軌道を逸らす。妖力がほとんど乗っかっていない鋼刃は少し切先を逸らすだけで無力化出来る。
新たに加えられた雷撃には水で通り道を作って逃がし、風の刃には水刃で対応する。何ら問題はない。対応は余裕を持って出来ている。
それでも僕が対応がしにくいような地形変動系の術は土御門さんが何とかしてくれているようだった。
他にも精神に作用するようなものや幻術のようにだまくらかす目的のものも発動はしているようだけれど、僕の力……と言うより浄化の力で全ては無に等しくなり意味を成さないでいた。
そうして屋外への撤退は難なく成功し、再び展開した水の壁と土御門さんの展開した防御用の結界らしきものによって盤石の構えになる。
「さて……ここまで来たはいいものの、実体が見えない相手にどうやって戦うか。これは見ものだね」
「この期に及んで見学のつもり? 僕がやられたら次はそっちの番なんだけど、そこは理解してる?」
「失敗した場合は泣きついてくれても構わないよ?」
この場面で手を貸さないというのは流石に不自然だ。
彼からはやる気は感じるものの、白面に対して本気で攻撃する気がないように思える。敵の手前、それを隠す気ではいるみたいだけども僕には分かる。
「……今は力を隠しておきたいってことでいい?」
土御門さんは何も言わずに片目を瞑って返してきた。
何やら考えがあるらしく、今は全力で戦うつもりはないらしい。それでも非戦闘員だけは守ってくれるみたいなので咲夜たちのことは彼にお任せするとしよう。
先ほどの攻防で彼の力はある程度分かったからこそ、安心してこの場を離れることが出来る。
「じゃあ、まずは本体を炙り出さないとね」
防御の為の水をほぼ全て攻撃用に切り替え、こちらへ向かって来る妖術を捌きながら前進する。
向かうのは妖術が放たれるその根本の辺り。戦っていく毎に段々と見えてきた術の発生源にまずは向かうことに。
僕が何かをしようとしているのを感じ取った白面の攻撃が苛烈さを増していく。
『何かを狙っているみたいだが、ふむ……』
「何か当ててみなよ」
一発逆転を狙っているのはお互い様。長期戦はこちらの本領ではあるけれど、今の白面の様子からして妖力削りがどれだけ効果があるのかは未知数だ。このまま戦い続ければ戦力差が逆転をするのか、或いはこちらが息切れをするのか分からない。
こちらに余力がある内に削れるだけ削っておきたいというのが僕の狙いで、その為にはどうしても白面の居所を看破する必要がある。
その為の手は既に打ってはいるものの、こちらの消耗に見合った結果が得られると楽観視は出来ない。
何かしらの変化を掴む為、直感に従って白面の居所を探そうとして気配を手探りに走り出し、駆け出した直後にすぐさま元の場所へと地面を蹴って引き返した。
(何をする気だ……?)
殆ど直感に近い何かが僕に下がれと言っていた。
同時に水球を出来るだけ前方に設置し、後方の上空にも水球を待機させておく。
「清花?」
後ろから微かに咲夜の声が聞こえてくるけれど、今はそちらに意識を割くことは出来なかった。
今は白面の次の行動に全力で意識を集中させなければならない。
『お主は妖穴がどうやって開くか知っておるか?』
こちらが応える間もなく答えが出る。空中の一部で妖力が途轍もない程に膨れ上がり、それは一点に集中して注がれる。
止める間もなく、それは行われた。
『とっておきだ。さて、どうする?』
空が割れる。罅割れ、砕け散り、隔てるものが無くなった今、"こちら"と"あちら"が繋がった。
数百年前の退魔師たちによって日本の妖怪や海外の妖魔は丸ごと別世界に追放され、妖界と呼ばれる世界に隔離されたと言い伝えられている。
そこに存在するとされる妖怪たちは、ある日を境に復活しどこに現れるか分からない妖穴と呼ばれる別世界とこの世界との通り道を通ってこちらの世界に現れ、破壊と悪逆の限りを尽くし、瞬く間に日本を、そして世界を一変させていった。
日本では妖怪が、国外では悪魔と呼ばれる存在が人々の生活を破壊していったからだ。
「妖穴……作り出すことも出来るのか」
「みたいだね。いやはや、これをお偉方が聞いたらどういう反応をするかな」
こちらにやって来る為の妖魔たちの行き来する妖穴は自然発生すると考えられており、一般には龍脈と呼ばれる超高密度の力の塊の流動、その異常によって妖穴は発生すると考えられていた。
数多の人が向こう側へと行こうとしたものの、未だ人の手によって意図的に発生することは叶っていない。
それを大妖怪である白面金毛九尾の狐ならば、ということらしい。
「清花さん」
「……鬼、だね」
白面の手によって意図的に作られた妖穴からは、二体の鬼が現れた。
それらは以前に僕が倒したそれよりも明らかに強いことが肌で感じる。いや、比べることすら烏滸がましいくらいに強さの桁が違う。
一等級か、それに近しい準一等級。それが同時に現れるなんて聞いたことすらない。
鬼は日本に現れる妖の中で身体能力では最高。外国に出現する怪異たちと比べても最強を名乗れるくらいにはその潜在能力は群を抜いていると言われている。更に質が悪いのは種全体が平均して強いということ。その上澄みの存在の強さは推して知るべしだ。
その二体はこちらを認識したと同時に駆け出して来る。その速さは新幹線並み。まともに食らえば重症どころではない致命打になるだろう。
「清花さん!」
後ろから土御門さんの声が掛かるけれど、まだ鬼の拳が届くまでには時間がある。
「土御門さんも、白面も。そんなに全力が見たいなら見せてあげるよ」
鬼二体を同時に相手取るには今までの戦い方では手に余る。身体能力には自信はあるものの、アレを前にして流石にそれは自惚れが過ぎるというもの。
ならば、戦い方を変えるだけだ。
「ハァァァッ!!」
白面の失敗は僕に時間を与えたこと。
待っている間に溜めた自らの内にある霊力を最大まで活性化させ、空へと解き放つ。
現れた変化にすぐに気付いたのは二人。
「雨か!」『雨かッ!』
空を見上げて驚きのままに叫んだ。
直後に大粒の土砂降りの雨が前触れもなく突然に降り出した。
今日の降水確率は零パーセントの晴れ模様。つい先程まで晴天だったのを考えるとこれは異常気象に間違いない。
それを知っていればこれがただの雨でないことは考えればすぐに気付ける。
ただ、向こう側にいて天気など意に介さず、僕にのみ気を取られていた鬼たちはそのことに気付くのがほんの少し遅かった。
「ガ、ア゛ア゛ア゛ーーーッ!」
「グ、ギィア゛ア゛ア゛ァァァァァ゛ッ⁉︎」
寸前で僕へと届いたはずの鬼たちは雨に打たれた体が強酸に焼かれるように、体表から煙を巻き上げながら激痛に藻掻き苦しむ。
降り落ちる雨は弾丸の如く妖怪へと襲い掛かり、決して避けることの出来ない広範囲に際限なく落ち続ける。回避は絶対に不可能だ。
白面も何かをしようとはしていたものの、それら全ては雨によって瞬く間に掻き消えた。
「水刃」
「ギ、ゴァ……」
鬼たちが怯んだ隙を見逃さずに首元に渾身の一撃を叩き込む。
頭と胴が分かたれた鬼は血に沈み、僕が近くに来たことに気づいたもう片方の鬼は痛みに堪えながらも拳を振り下ろした。けれど、その動きは緩慢に過ぎた。浄化の雨によって妖力を削られ続けている鬼の攻撃は全くもって全力には程遠い。
「……で、これがとっておきだって?」
すっかり遅くなった拳を避けざまに鬼の背中へ数度水刃を叩き込む。即座に開いた傷口へ水刃を捻じ込んで体内に浄化の水を送り込んでいく。
「ゴ、ブ……っ」
それでもう一匹が同じように倒れてぴくりとも動かなくなったのを見ているはずだけど、雨が降り始めてからここまで白面からの援護らしいものはなかった。まるで呆けたように何もしていないのは逆に不気味ではある。
鬼は生き絶え、術の撃ち合いは止み、声すら掻き消す雨音だけが今のこの場を支配していた。
『よもやこれ程とはの』
「これで終わりかって聞いているんだけど?」
僕は雨を止める。流石にずっと降り続けさせるのは霊力の消費が馬鹿にならないし、もう既に十分な量の雨は降った。
空間のほぼ全てを隙間なく埋める雨によって白面の位置も大体は把握出来た。
そのことを知られないようにしつつ、会話によって霊力の回復を図る。必要だったとはいえ、流石に消耗が過ぎた。
浄化の気は大気中に満ちているし、地面に落ちた水をどうにかしない限りは白面の術は大幅に威力が減衰されてまとな有効打を狙うことさえ難しいはずだ。それを理解しているからか、白面はまだ攻撃をして来ない。
あるいはまさかの攻撃に呆然としているだけか。
『つくづく実感するわ。天敵というのはどこの世にも存在するのだと』
その声音は険しいものではあるけども、決して諦めの言葉ではない。
寧ろ決意を新たにするような、己を鼓舞する為の言葉のようにも聞こえてくる。
『初心者狩りと言ったな。確かにそうだ。まだ育ち切っていない新芽の内にここで潰さねばならんと今確信した。あぁ、放っておけば必ずや我らに届き得る牙を得ることになろうよ。それは到底看過出来ん。お前は、ここで殺す。殺さねばならぬ』
大蓮寺家の上空にてとある一点の次元が歪む。
満を持して遂に姿を表した九尾の狐。放つ妖力はこれほどまでとは比べ物にならないと即座に悟る。先ほどの鬼でさえアレに比べれば雑魚に違いない。
抑えられない武者震いがこの戦いが最終局面に突入していることを否応なく感じさせる。
「やれるものならやってみろ。僕の首はそう安くはないぞ」