⑨
信じられない気持ちもあったが、どこか腑に落ちる部分もあった。
こんな自分がスティーブンに愛されているはずはない。
振り返ればセレニティはスティーブンにひどい態度を取り続けて拒絶していたのだから。
最近は愛されているかもしれないと思っていた……そう思いたかっただけかもしれない。
(……わたしがスティーブン様に愛されることはない。ジェシーお姉様の言う通り、彼の足枷でしかない)
いつの間にかジェシーは去っていった。
暫く放心状態だったセレニティはレオンに「お母様?」と声をかけられるまで動きを止めていた。
そしてセレニティはあることを決意する。
(わたしはここにいてはいけない……ここから去らないと)
そう思ったセレニティはずっと寄り添ってくれたマリアナを大金を持たせてから解雇する。
「今まで本当にありがとう……幸せになって」
マリアナは最後までセレニティを引き止めていたが、セレニティの決意は固かった。
セレニティは幼いレオンを連れてネルバー公爵邸から姿を消した。
そしてビルード侯爵家から出て行ったキャサリンの元へと向かい、彼女に助けを求めた。
キャサリンとは学園を卒業してからも手紙のやり取りを続けていた。
キャサリンは結局、貴族の生活にも馴染めずに家を飛び出して商人と結婚した。
そして子宝にも恵まれて今も幸せに暮らしているそうだ。
キャサリンは快くセレニティとレオンを受け入れてくれた。
街での生活は慣れるまで大変だったが、レオンと生きていくために奮起したセレニティは強かった。
それにここでは誰もセレニティの顔の傷を気にする者などいない。
(レオンは必ずわたくしが守ってみせる……!)
数年後、セレニティはキャサリンに手伝ってもらいながら働いてなんとか生活を送れるようになっていった。
「…………帰ろう、セレニティ」
しかしセレニティの前にスティーブンが現れて二人を連れ戻しに来た。
その時のスティーブンは恐ろしく、セレニティの知っている彼ではなくなっていた。
「帰りません!わたくしの居場所はここよ。もう放っておいて」
「…………」
「来ないで、帰って……!お願いっ」
再び地獄に戻りたくないとセレニティは必死に抵抗した。
しかしスティーブンはセレニティとレオンを問答無用で馬車に押し込んだ。
蘇る辛い思い出がセレニティを襲い恐怖が支配する。
ジェシーとスティーブンの子を見るくらいなら……もう一層のこと。
そう考えるほどにセレニティは追い詰められていた。
「あとで真実を話す」
そう言ってスティーブンは部屋から出て行った。
何も説明されないまま部屋に閉じ込められたセレニティは、錯乱してレオンの前で自ら命を絶ってしまう。
割れた花瓶の破片で首を切ったのだ。
レオンの泣き声にスティーブンが駆けつけた時にはもう手遅れだった。
ネルバー公爵邸にネルバー公爵夫人はもういなかった。
そしてジェシーのお腹の子供はスティーブンのものではなく、セレニティに嫌がらせをするためだけに孕んだネルバー公爵家で働いている護衛の男性の子供だったのだ。
ジェシーはネルバー公爵夫人に気に入られた訳ではなく、彼の手引きで別邸に出入りしていた。
侍女を金で買ってセレニティに嘘の噂を流していたのだ。
ジェシーは自分の子供はスティーブンの子供だと言い張っていた。
スティーブンはそれを「ありえない。妄言だ」と一蹴した。
スティーブンはセレニティの気持ちを考えてジェシーに会うことを避けていたからだ。
実際、髪色も瞳の色も全く違うのだが、ジェシーはスティーブンの子供だと思い込んでいるようだった。
嘘がバレて、公爵家を嵌めようとした罪でジェシーと護衛の男性はスティーブンに首を切られた。
スティーブンはセレニティを失ったことで己を責め続けた。
彼は優しさを失った。
すれ違いが故に生まれた悲劇の内情を知るのはスティーブンとレオンだけだった。
レオンの中に刻まれた記憶は怒りとなり、母を壊した父を恨みながら育った。
ジェシーの子供はシャリナ子爵達が育てた。
そして彼らが成長した時に様々な問題を引き起こすこととなるが、それはまた別のお話……。
* * *