面倒くさがり屋の放蕩皇子
「レヴィン様、あの的をよく狙ってください」
俺は指定された場所に立ち、的に向けて手を掲げる。
「さあ、元気よくいきましょう!」
意気揚々と、俺の横に立つ金髪の魔術教師は笑顔で俺に言う。
俺はその熱さにため息が漏れる。
面倒くさいなあ……。
俺は八歳にして、極度の“面倒くさがり屋”という性格に目覚めていた。
ラーヴァス帝国、帝都ルドルシア。
その中心に聳える王城の訓練場で、俺は魔術教師による魔術訓練を受けていた。
父曰く。このラーヴァス帝国の皇帝ラウザールの子供は、皆武力を身に着けなければいけないらしい。
そう……俺の父はこの国、ラーヴァス帝国の皇帝だ。
そして俺はというと、その第三皇子。
誰も好き好んでこんな面倒な立場になった訳じゃないのに、生まれながらにして面倒ごとを背負っている。生まれというのは酷なものだ。
俺も八歳になり、兄姉たちにもれなくいろいろな教育が本格的に始まった。魔術に武術、剣術に教養……一通りをこの城で学び始めている。
だが、そんなもの俺に言わせれば必要のないただ面倒なだけのものだ。
「聞いてますか、レヴィン様!」
「はは、レヴィンが聞いてるかよ。こいつは落ちこぼれだぜ? のほほんとした顔をして、やる気もねえ。出来ねえからって不貞腐れてるのさ」
後ろで煽り文句を並べるのは第二皇子のライネス。俺とは四歳年の離れた兄だ。
優秀な男らしく、剣術の腕はかなりのものらしい。父さんの遺伝だろうな。
「こら、ライネス様。レヴィン様が怖がっちゃいますよ。まだ八歳なんですから、大目に見てあげないと」
「俺なんか五歳の頃にはもうあの的くらい簡単に届いたけどな」
その言葉に、先生はふぅっと溜息をつく。
「ライネス様は優秀だからですよ。レヴィン様にそれを求めてはいけません」
俺は何の才能もないただの凡人だ。なんでこんな皇子という立場にいるのか不思議なほどの、才能なし。
――そう思われている。
「レヴィン様。こうしている間にもどこかで新たな魔族が復活しているかもしれませんよ? 少しでも強く成っておかないと、皇子として国を守れませんよ」
「まあ……」
「ですから、レヴィン様。魔術を極めましょう! 剣術は少し合わなかったかもしれませんが、魔術はエリス様のように適性があるかもしれません! さあ、あの的に向かって初級魔術、“魔弾”を撃ってみましょう!」
魔弾は、低級魔術に属する超初級魔術だ。
魔術を学ぶとき、最初に習得する入門魔術。出来て当たり前の魔術だ。
「はあ……わかったよ。じゃあ行くよ」
ひとつ前に行った剣術訓練では、剣に振り回され地面に多くの切り傷を残した。
だって、もし普通に打ち合っていたら――先生の首を落としてしまいそうだったから。
それに、下手にこの歳から才覚を現してしまうと面倒なことになるのは目に見えていた。
それは当然、この魔術を上手く撃ってしまっても同じだろう。
天才だと持ち上げられてしまう。
それは、面倒くさがり屋な俺にとって一番求めていないことだ。目立てば、その先にあるのは面倒ごとの山。持ち上げられ、帝位争いに巻き込まれ、戦場に連れ出され、派閥争いに巻き込まれる。
八歳にして俺はその真理に到達していた。
想像しただけでぞっとする。俺は楽に生きてのんびり生活したいんだ。
ならばここは、敢えて下手を打つ。
誰も俺に期待しないように。
えーっと、威力を下げて、スピードを落として……ついでに曲げとくか。
「できますよ、頑張ってください!」
俺の翳した手から、魔力の反応が溢れる。そして。
「――“魔弾”」
瞬間。白色の魔力の弾丸が、俺の手の先から放たれる。
俺の弾丸は数メートル進んだところで、ぐいんと右に曲がる。そして徐々に色が透明になり、遂にはポスっと音を立てて霞のように消えた。
見事な失敗っぷり。我ながらなんという高等テクニックだ。
「ぎゃはははははは!! ゴミ過ぎるだろ、レヴィン!! なんだ今の魔術は!! 本気で撃ったのかよ!?」
ライネスは思い切り身体を九の字にして、苦しそうに笑う。
「ちょっとライネス様! 笑っては……ぐっ‥…いけません……よ!!」
と、ライネスを咎めて俺を擁護してくれるはずの先生でさえ、笑いを堪えられない様子だ。
俺は満足気にふんと鼻を鳴らす。
さて、俺の仕事は終わったようなものだ。
「先生、俺もう行っていいですか……? ちょっと今日は体調がすぐれないみたいで」
そう申し出ると、先生はコホンと息を整える。
「そ、そうですか。根を詰め過ぎてもいけませんからね。また日を改めましょう。がんばれば、きっと立派な魔術を使えるようになりますよ。なんたって、ラウザール様の息子なんですから。では、本日はレヴィン様はこれまでにしておきましょう」
「けっけ、逃げやがってよ。魔弾はこうやって撃つんだよ!」
そう言ってライネスは魔術を放つ。
ライネスの放った魔弾は、俺の倍以上の速さで疾走すると、二十メートルは離れた的に的確にヒットする。
その真ん中に半径五センチほどの焦げ跡が残る。
「さすがライネス様。剣だけでなく魔術の才能もおありですね」
「当然だ。俺が帝位を次ぐんだからよ」
とライネスは愉快そうに笑う。
俺はその笑い声を後ろに聞きながら、てくてくと訓練場を後にする。
見せつけられた力の差。それをヒシヒシと感じながら俺は下を向き、なんて自分はダメなんだと嘆く――訳もなく、むしろ意気揚々と廊下を歩く。
あんなくだらねえ訓練を受けるくらいなら、書物でも漁っている方がマシだ。
面倒なことはやらない。これは俺の信条だ。
帝国は大陸一の超大国だ。その分、皇帝の役割は超重大だ。政治に外交、それだけならまだしも、この国は代々皇帝が武力を誇り、戦闘でもその力を発揮する。
ハッキリ言って、死ぬほど面倒くさい。俺から見れば、あれはこの帝国の奴隷だ。俺はそんな不自由な生活はしたくない。だから、帝位継承権があろうとも、皇帝になるつもりはない。
だから俺は、絶対に人前で本気を出すつもりはないのだ。
「おはようございます、レヴィン様」
「……おはよう」
新人か……?
珍しく衛兵から挨拶をされ、俺は挨拶を返す。珍しいこともあるもんだ。
すると、俺が通り過ぎた後、後ろで先輩衛兵との小声の会話が聞こえてくる。
「おい新入り、わざわざ挨拶しなくていいんだよ、あいつには」
「え、でも、彼は皇子では……」
「皇子ってだけの出来損ないだよ。あいつにぺこぺこしても何のうまみもないぜ」
「はあ……なるほど」
「媚びを売るならエリス様かライネス様がお勧めだぜ」
とまあこんな感じで、真面目に訓練も受けずにダラダラ適当に流して生きている俺は、いつしか出来損ないの放蕩皇子として城中に知れ渡っていた。
表ではニコニコしている城仕えの人たちも、子供だから聞こえないだろと裏では言いたい放題。ま、堅苦しい方が面倒くさいし俺にはそれでいいんだけどさ。
広い城を歩きながら、とりあえず俺は自室へと戻るのだった。