学園ものって難しい
※以下文章には筆者の偏見が含まれます。
こんにちは!!どうも、花咲き荘です。
今回は、題名の通り「学園もの」の難しさについて書いていきたいと思います。
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私のこの「エッセイもどき」を読んでくれている方の大半は、「小説家になろう」にて一緒に荒波にもまれている同志の方だと思います。そんな同志の方なら、「学園もの」がいかに難しいジャンルか分かるのではないでしょうか。
まず、何が難しいのか。
小説を書くときって、ほとんどの方が「思い付き」から始まると思うのです。私の場合は、「あ、こんな主人公がいたら」だとか「こんな展開なら素敵だな」と、他作品を読みながらアイディアを「思い付き」、それを発展させることで物語を構成していきます。
ん?それがどうしたの?
実は、その時点で「学園もの」の難しさが存在していると筆者は思うわけです。
基本的に「思い付き」というのは、過去の「経験」や「知識」から生み出されます。下地がないところから構想を作り出せるのは、本当に一部の天才だけで、普通は過去の「経験」や見聞きした「知識」を脳内の棚から引きづりだして、「あ!」と思いつくわけであります。
つまり、何が言いたいのか。
それは、「学園もの」が自分の経験に比重が傾きがちだ、ということです。
おそらく大半の人間が、学校生活を人生の中で送っています。それは、中学生なのかもしれないし、大学生なのかもしれない。とりあえず、学校という組織の中に組み込まれた人生を送った人間がほとんどなのではないでしょうか。
そんな私たちが真っ先に思いつくのは、過去の自分の学園生活。
これで言いたいことが伝わっただろうか。
自分の経験に比重が傾いている中、小説になりそうなネタという物は、早々簡単には見つからないし、数も少ないという事です。
これが「fantasy」ならどうか。
自分の経験がない分、「知識」に比重が傾きます。すると、自分の経験という「事実」に縛られることなく、不思議とすぐにネタが思いつくわけです。
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今回のエッセイもどきで、花咲き荘が伝えたいことは何か。
「学園もの」を上手く書ける人間は、おそらく学生時代はリアルに充実していた民族に送られる「リア充」という称号を得たものだ!ということです。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
そうですね、ネタのようなエッセイですね。
ただ、本当に学園ものを書くのって難しいのです。短編なら何とか書けるのですが、連載用にストックしていくと、どうしても壁にぶち当たってしまいます。
「あれ、あとどんなイベントがあったっけ?」「これって全国共通なの?」と。
ホント、難しい……。