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カルイザワ

作者: つむら

 家族そろってカルイザワに行くというので、わたしたちは朝早くに目覚めた。いつものとおり弟は目覚めがわるく、お母さんに引っ張られるようにして車に乗り込んだ。わたしはあきれた。だって、今日はいつものとおりに小学校へ行く日ではないのだ。家族そろってお出かけをする日なのに。これだから、低学年生はいつまでたっても子供なのだ。

 お父さんが運転する車は高速道路をぐんぐんと進み、山を切り分けるようにしてカルイザワへ向かう。ビルやマンションや看板の見える景色から、山や田んぼや真っ直ぐ長い道路ばかりの景色に変わっていく。そして、だんだんとトンネルをくぐっても同じような景色が続くようになってきた。わたしはそれに退屈しながら、運転をするお父さんの横顔を後ろから覗いた。

 なんだかめっきり最近、お父さんは話しをしなくなった。わたしが欲しいものや行きたいところを話しても、うん、とか、わかった、と言うだけで真剣にそれについて考えてくれている様子はない。今日だって、お母さんが無理矢理にお父さんを説得してお出かけにこぎつけたのだ。後ろから見ていると、今もお母さんがたくさん話しかけているけれど、お父さんはしょぼしょぼと返事をしているだけのように思う。

 わたしは心配になる。わたしたち家族のイチダイジだ。そんな大変なときなのに、これまたわたしの弟とくれば、わたしの膝のあたりを枕にしてのんきに眠っている。そしておそらく起きたら起きたで、やかましいに決まっている。元気のないお父さんにもおかまいなく、自分勝手なことを言うのだ。あぁ。こんな時にお兄ちゃんかお姉ちゃんがいてくれたら。いないから、わたしがお姉ちゃんだから、わたしがしっかりするしかない。


 窓の外を眺めながら、私も少しうつらうつらとして来た頃、今日のなかで1番長いトンネルがあって、なにやらお父さんとお母さんが小さい声で話しているのが聞こえて、それが少し言い争っているように感じたので、わたしが2人の間に入らないと、と思ったのだけれども強い眠気がじゃまをして、話がわたしの耳に入ってこない。お父さんとお母さんの頭が小刻みに揺れる。もう、なんでこんな時に。何でもいいから言葉を出そう。強引に口を動かそうと試みていると、まばゆい光が閉じかけた目に入り込んできて、トンネルを抜けたのがわかった。わたしはすっかりと起きた。

「お母さん」

「なに?」

 お母さんがわたしに振り向いた。

 さっきは何とでも言えばと思っていたけど、いざこの時になってみると、何と言えばいいかわからない。お母さんはわたしの目をじっと見てくる。

「どうしたの?」

「こいつ、ずっと寝てるんだけど」

「いいじゃない。そういうお年頃なのよ。あと、こいつ、なんて言っちゃだめ」

「…はい」

 怒られてしまって、結局何も言えなかった。お父さんはというと、黙々と運転をしている。怒っているようにも、落ち込んでいるようにも、なんともないようにも見えた。わたしには大人が何を考えているのかちょっとわからない。そして、そういうところが大人はずるいと思う。いじわるに、わからせない時がある。

 膨れっ面でいると、弟が目を覚ました。

「あれ、ここどこ?」

「もうカルイザワだよ」

 お母さんが前を向いたまま言った。

「やったー!着いたら何するの?」

「お蕎麦を食べて、それからはのんびりするかな」

「えー、つまんねー。何かしたい。何かしたい」

「静かにしなさい!」

 わたしは怒った。

「なんだよ。お姉ちゃんだってどっか行きたいとかいっぱい言っていたくせに」

「今日はそういうことじゃないの」

 わたしにだって、なんとなくわかる。そうは教えてくれなくっても、様子を見ていてわかる。今日は、お父さんのお休みが目的なのだ。だから、わたしたちはお父さんが元気になるように、良い子でいないといけない。弟はそれをわかっていない。きっと、話したところでちんぷんかんぷんだ。これだから、低学年生は困る。

 車は高速道路を降りて、フツウの道を走ると、背の高い木が道路を覆うようにして伸びていて、葉っぱのトンネルになっていた。

「トンネルみたいだね」

「ほんとだね。ちょうど木漏れ日がライトみたいで、自然のトンネルだね」

「トンネルみたい!」

「わたしが今そうやって言ったでしょう」

 真似をする弟に言うと、むっくりとした。にらみ目をきかせて、わたしを見てくる。わたしだって負けてられない。そもそもわたしは間違っていない。にらみかえしていると、

「ほら、あなたたち。もう着くから。お店のなかでそんな態度じゃあ、店員さんに海に投げ込まれてしまうよ」

「カルイザワに海はありません」

 わたしはカルイザワがどこにあるのか教科書で調べてきたので、いじわるなお母さんに言い返した。

「どうかしら」

 お母さんはさらにいじわるに笑って言った。

「お姉ちゃん、間違えてら」

 弟がへらへら笑う。こいつはほんとうにまったく。何も知らないで。まあいい。高学年生になったときに、わたしがいかに賢いか思い知るがいい。

 駐車場に車を停めて、お店の中に入った。お店は丸太でできていた。床も壁も天井も、机や椅子まで。こんなお店があるんだと私は感動した。窓からはふさふさと揺れる木も見える。きっと、おいしいに違いない。しかも、わたしはお蕎麦が大好きなのだ。わくわくして、ざる蕎麦を頼んだ。

 お母さんはお店にあった雑誌をとって、ぺらぺらとめくりながら、ちょっと遠いか、ここいいかも、なんて言いながら、お父さんにも意見を聞いた。お父さんは家でわたしに言うような感じで、うん、とか、そうだね、とかしか言わなかった。お家の外でもこんな様子じゃあ、心配になる。わたしの知っているお父さんはもっと元気だ。お風呂あがりにあえてお尻を出したまま、外に出ようとしたり、当たり前のように難しい顔で新聞を読んだりして、わたしたちを笑わせてくれる。お出かけした時は聞いてもいないのに色んなことを教えてくれる。しゃがんでわたしの顔の近くまで顔を寄せて。わたしが見えないときはわたしを担ぎ上げて。それがわたしのお父さんなのだ。今のお父さんはちょっと違う。

 お蕎麦が運ばれて来た。

「おいしい」

 わたしの予想どおりにとびきりおいしい。こんなお蕎麦食べたことない。お母さんも、目をまんまるに大きくして、

「うんま」

 と言った。お父さんも少しだけ、おいしいと言ってわたしは安心した。この調子でおいしいものを食べ続ければ、元気になっていく気がする。

「わたしの少し食べてもいいよ。お腹いっぱいになってきちゃって」

 わたしは向かいに座るお父さんにお蕎麦を差し出した。ほんとはお腹いっぱいになんかなっていない。むしろ、お腹いっぱいになったとしてもこのお蕎麦であればいくらでも食べられる。それでも、お蕎麦よりお父さんの方が大切だ。セニハラはかえられない。

「だめよ、ちゃんと食べないと。あとでお腹空いちゃうよ」

 お母さん。なんでこの状況を分かってくれないの。せっかく私がきをきかせているのに、じゃまをしないで。お父さんのためなのに。まったく、お母さんもこの調子じゃあ、先が思いやられる。みんなでお父さんを元気づけないと。

「ちがうのに」

 わたしは元気だったお父さんの姿が頭に浮かんで泣きそうになった。みんなだって、その頃のお父さんに戻って欲しいはずなのに。なんで、知らないフリをしているの。

「おいしいから、くれたんだよね」

 下を向いていると、お父さんがぼそっと言った。そう。そうなの。おいしいから。お父さんにあげたかったの。

 一度泣き出すと止まらなくなった。鼻水も出て、苦しかった。

「そうだよね。ごめんね。お母さんが悪かった。良いことしたのに、ごめんね」

 わたしが泣き止みそうになかったので、お母さんと2人でいったんお店の外に出た。

 外の空気を吸うと少し落ち着いて、涙もちょっとずつおさまった。お母さんは後ろからずっと、両手でわたしの胸あたりを抱いて、ゆっくりと揺らした。髪の毛が頬にあたって、良い匂いがする。

「ありがとうね。お父さんを元気にしようとしてくれて」

「わかってたの?」

「わかるよ。でも、大丈夫よ。お父さんのことは、お母さんが守るから」

「お父さん、どうしちゃったの?」

「どうしちゃったのかなあ。疲れちゃったんだろうね」

「何に疲れちゃったの?」

「お仕事、かなあ」

「ふうん」

 お仕事のことは、よくわからない。大変だということはわかるけど、他の家のお父さんが私のお父さんのように、元気がなくなってきているのか知らないし、お仕事の内容によっても違うのかもしれないし。

「お姉ちゃんは、そういうことも感じるようになって来たか。さすがだね。もう大人だね」

 ほめられて、悪い気はしない。でも、ほんとうのところはまだまだ子供だ。しょせん、小学生なのだ。

「じゃあ、戻ろうか。お蕎麦はのびちゃうからね」

「うん」

 2人で戻ると、お父さんがちょっとだけ笑っていた。弟がアホなことを言って、それに笑っていた。アホな弟も、つかえる時はつかえる。やるじゃないか。何にもわかっていないにしても、わたしが引き出せなかったお父さんの笑顔を簡単に引き出している。いい調子だ。

 みんなが自分の分を食べ終わって、車に戻った。

「のんびりするって、どこに行くの?」

 弟が身を乗り出して聞いた。のんびりするんだから、どこだっていいじゃないのと思ったが、さっきの件があったのでここは弟に任せてみることにした。

「そうだねえ。ちょっとそのあたりまで」

 お母さんは突き出した弟の頭をがしがししながら、お父さんに、

「ね」

 と言った。

「どこなんだよー」

 騒ぎ出した弟をお母さんとわたしでたしなめて、車はちょっとそのあたりに向かった。

 10分ほどして着いたところで、わたしは頭がコンランした。

 目の前には海が広がっていた。わたしたちの他に人はいなかった。

「やっぱりお姉ちゃん間違えたんだ」

 くすくす笑う弟は気にならなかった。わたしは頭の中で、必死に地図を思い返していた。カルイザワから海までは、わたしたちの家からカルイザワまでの距離と同じようなはずだ。だから、こんなにすぐに海まで来られるわけはない。

 車から降りると、弟はすぐさま波打ち際まで走って行った。わたしは立ち止まって、車のボンネットに腰掛けるお父さんとお母さんの顔を見た。

「行ってきていいよ」

「そうじゃなくて」

「どうしたの?」

 わたしは思い切って、

「こんなところに海があるわけない」

「そこにあるでしょう」

 お母さんはまぶしそうな目で海の方を見た。

「わたし、教科書で地図を見て来たの。こんなところに海があるわけない」

「お父さんも驚いてる」

「?」

 お父さんの方を見ると、なんだか感心するように海の方を真っ直ぐ見ていた。

「あなたはほんとに賢いね」

 お母さんはもたれかけてた身体を起こして、わたしの右手を握って、それからお父さんに、わたしの左手を握るようにうながして、3人で手を繋いで弟のいる方へ向かった。久しぶりに触れるお父さんの手は、やっぱりお父さんの手だった。元気がなくなっても、間違いなくわたしのお父さんだ。

「すげーきれー」

 弟ははしゃぎながら、ヨセテハカエス波と遊んでいた。

「濡れちゃうよ」

 わたしも楽しくなって、弟と一緒に、際まで行っては戻ったりして遊んだ。波が引くと砂がキラキラと光って、綺麗な貝殻がいくつも転がっていた。拾おうとするとすぐに次の波がやって来て、そうなるとわたしは引き下がるしかない。そうやって遊んでいると、車の方から大声が聞こえた。

 なんだと思い振り返ると、どうやらお母さんが何か言ったようだった。はじめは怒られたのかと思ったけど、そうではないようだった。気にしないで遊び続ける弟を置いといて、お母さんとお父さんのところに行くと、大きい岩の近くに木の看板が立っていた。お父さんは、

「ほんとに?」

 と、不安そうにお母さんに話していて、お母さんは、

「まあ減るもんじゃないし。嘘だと思って」

 と、お父さんにしかけていた。

 看板には、こう書いてあった。

(さけびましょう。そうすれば、それが願いとなって、いずれ叶えられるでしょう)

 変なの。でも、これを見てお母さんがさっき大声をだしたのだとわかった。

「この看板変じゃない?」

 わたしが言うと、2人とも気付かないようで、お父さんが少し震えているのがわたしにはわかった。

「でも、どうなればいいか。俺にはわからないよ。だから、どうしようもないんだ」

「大丈夫。どうなったっていいから。とにかく、さけんでみることよ」

 涙目のお父さんはわたしの存在に気付いて、地面に膝をついてがしっと抱きしめてきた。わたしはあごの下にあるお父さんの頭に顔を擦り付けた。少しくさかった。

「お父さん、くさい」

 お父さんはばっと手を離して、はっとした顔をして、

「…そうだよね。そうだよね。しっかりしないとね。くさいままじゃだめだよね」

 そう言って顔いっぱいに笑ってわたしを見て、もう一度抱きしめてきた。やっぱりくさかった。でも、ここは我慢。もう少しだ。

「嫌われる前にやめたほうがいいよ」

 お母さんがいじわるにお父さんに言って、お父さんの肩を優しくたたいた。

「うん」

 そうしてお父さんは弟の方まで走って、大きな声で海に向かって何かを叫んだ。何と言っているのかわたしにはわからなかったが、海の向こうはずっと海ではなくて陸があって、風に乗って、お父さんの声がそこまで届けば、きっとお父さんの願いはかなえられるんだろうと思った。

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