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9/11

陽菜5

 撮影当日まではあっという間だった。

 朝の4時半。

 待ち合わせ場所は、児童公園と駐車場に囲まれた川沿いの緑道で、早朝に人が集まっても迷惑のかかりにくいところを選んだ。

 陽菜は待ち合わせ時間の30分以上前に到着して、みんなが来るのを待った。俊也は駅経由で、工藤さんに頼み事があるという友人をピックアップしてくる。

 昨日は本番に備えて、夜のジョギングは休みにした。

 一昨日の夜に俊也に走りの最終確認をして貰った。それを頼んだのは、その前の日の夜。俊也は快諾してくれたけれど、ここ数日、毎日朝からどこかへ出かけていて忙しそうだ。雰囲気もそれまでとは少し違い、何て言うか、緊張感、それも使命感を伴った緊張感が漂っているように見える。

 俊也は、会社勤めの時に一度、壊れているので気になった。それで一昨日、ジョギングの後で、

「何かトラブっているんなら、相談乗るよ」

 と声を掛けたら、予想外に、陽菜を労わるような視線が返ってきた。

「ちょっとまだ、いろいろよく分からなくて。出来るだけ早くに、陽菜にも話すよ」

「う、うん……」

 陽菜には到底解釈しきれないようなたくさんの微妙さが、俊也の声にも表情にも含まれていて、それで、陽菜はどう返せばよいのか分からなくなった。

 そうしたら、

「ごめん」

 いきなり、俊也に謝られた。

「え? なに?」

「とにかく、MV撮影を成功させよう」

 俊也の大人びた笑顔に、陽菜は、はぐらかされたと思った。いやいやでも、俊也は立派に大人なのだ。ここは俊也を信用しよう。

 思えば二人、コロナ禍の真っ最中に、いわゆる「社会」みたいなところから放り出されて、築何十年かのアパートに取り残されて、しかもほとんど初対面で、そこから1年あまり。最初は、元也の弟だからというその下心から、面倒をみてやるの体で、そのうち、お互いに気づかぬうちに支え合うようにして、ここまでどうにかやってきた。陽菜は、この男のもっともへこんだところ、そこから少しずつ、試行錯誤しながら浮上していくところ、そして、ついには、おそらくは今、へこむ前の彼を超えて伸びていこうとするところ。それを全部、見てきた。

 それで、だんだんに分かるようになった。兄の元也が、なぜ、弟の俊也を、ある意味、尊敬しているのか。

 だから陽菜も、もうそれ以上、俊也から聞き出そうとするのは止めにした。何が起きているのかは分からないけれど、俊也の判断を尊重することにした。

 待ち合わせ場所に、陽菜の次に来たのは、工藤さんだった。もうすっかり見慣れたオフロード車が駐車場に大雑把な感じで滑り込む。

 それで運転席から、例のもじゃもじゃ頭。助手席からは、中学生くらいのすんなりとした体形の男の子が降りてくる。

「いつも父がお世話になります」

 工藤少年は礼儀正しく頭を下げ、陽菜も、

「こちらこそっ! いつもお父さんにはお世話になっています」

 慌てて頭を下げた。

 どっちが大人か、わかりゃしないと、陽菜は自虐に浸る。

「陽菜ちゃん、悪い、あのさ」

 後ろからドタドタと駆けてきた工藤父が言った。

「実は今日の撮影、俺一人だと手が足んないから、学生時代の仲間にも手伝いに来てもらうことにしたんだけど」

 なんか、話が拡大している。

「そいつの車が急に故障したとかで、機材もあるから、これから迎えに車で一っ走り行ってくる。往復30分もかからないから、ちゃんと時間には間に合うから」

「分かりました。了解です。宜しくです」

「悪いね」

 そうして慌ただしく車が走り去ると、そこには、工藤少年と陽菜が取り残された。

 さて。中学生男子と、いったい何を話せばよいのやら。

 陽菜が大人らしく振舞わなくてはと妙に緊張していると、工藤少年は気さくに話し出した。

「何か、すみません、父の趣味に巻き込んじゃって」

「いや、そんなこと全然ないよ。MVなんて、あたし一人じゃ全然撮れないし。あたし貧乏だし、工藤さん、タダでやってくれるっていうし、ホント、すごい助かってるよ」

「父も、ホントに嬉しそうで。――昔、諦めた夢だから」

「お父さんって、映画監督を目指していたんでしょ?」

「えっと、微妙に違って、父は、自然とか、そういうののドキュメンタリー系の映像作家を目指していたんです」

 工藤少年の微笑みから、陽菜は、あ、この子、父親の抱いていた夢のことを話すのが好きなんだと感じた。工藤少年は続けた。

「もともと、大学の映像学科で、音響はかなり得意だったみたいです。でもそっちはあくまで生活費の糧のつもりで、結婚して兄が生まれてからも、しぶとく映像を撮ることは続けていたんです」

 あれ?と陽菜は思った。

 ええと、何か違和感が……。

 そして、その正体にすぐに気づいた。

 兄っていうことは、子供が二人?

「工藤さんって、お子さんは一人だって聞いていたけれど」

 陽菜が呟くと、工藤少年は、ハッとしたように、しまった、というように、陽菜を見た。明らかに、NGなツッコミだったようだ。陽菜は、思ったことをすぐに口に出してしまう自分の性格を呪った。

「あ、何か、ごめん」

「いえ」

 工藤少年は、すぐに柔和な表情に戻った。

「いたんです。兄が。でも、死んじゃったんです。――僕がまだ生まれる前のことです」

 陽菜は言葉に詰まった。

 工藤少年は、淡々と続けた。

「交通事故でした。遊んでいた児童公園から飛び出して、それではねられたと聞きました。兄が病院に担ぎ込まれた時はもう瀕死の状態だったみたいですが、その時、父はお金にならない映像撮影のために、あのオフロード車で北海道まで一人で旅行に行っていて。それで兄の死に目に会えないどころか、携帯も圏外で、――連絡がついて家に戻ってきた時にはもう、兄が亡くなってから何日も経っていたみたいです。それ以後、父は自分から、映像の道をきっぱりと諦めました」

「――ごめん。全然、知らなくて」

「こちらこそ。これから撮影っていう時に、暗くなるようなことを聞かせてしまって、すみません」

「――でも、それでも」

 陽菜は、工藤父の全身から、のみならず、送られてきたメールの行間や絵コンテの一筆一筆からまで、やる気、それから喜びが溢れ出ていたのを思い出す。

「お父さんは、今日これから、映像を撮ってくれるんだね」

「はい。そうです。そうなんです。――兄が亡くなってから今年で17回忌です。ええと、つまりはまるまる16年です。今回、封印を破るにあたり、母とも相談していたようです。16年経って、父も母も、ようやく一つの区切りを付けることが出来たんだと思います」

 工藤少年は、いつの間に遠い空を見ている。そこには何が見えているのだろう。彼が写真でしか知らない、兄の姿だろうか。あるいは、映像作家を本気で目指していた、若き日の父親の姿だろうか。

 工藤少年は視線を陽菜に戻し、いたずらっぽく笑った。

「父の仲間たち――。映像を目指して、結局、それだけでは食えていない人たちみたいですけど、でも、みんな、父が戻ってくるのを待っていてくれました」

「16年も?」

「ええ。16年も。だから仲間のうち、今日は調整のつく2人が駆け付けるって言ってました」

 陽菜の頭に浮かんだのは、もちろん、ガールズバンドの仲間たち。フーミン、文ちゃん、そして今、コロナに苦しむネジコ。バンドから去って行ってしまった仲間たち。

「それってさ、その16年って、人生の旬のときだよね。その間もずっと待っていたのかな」

「そう、――なんでしょうね」

「恨みもせずに?」

「昔のことは僕には分かりません。でも少なくとも、僕が物心ついてからは、恨むだなんてそんなことは全然。みんな、気の良いおっちゃんたちです」

 ――あたしは今、24歳だ。そこから16年経てば40歳になる。40歳の自分。もはや、今の母親の年齢の方が近い。そのとき、あたしは。まだギターを弾いている? 歌を唄っている? 誰と一緒にいる? 仲間はいる?

 ネジコ、お願いだから、元気になって。

 あたしを置いていかないで。

 16年経ったら、また、一緒にバンドやろうよ。

 別にプロになってくれなんて、言いはしない。

 だから、やろうよ。

 もしまた楽器やる気になったのなら、何をおいても飛んでいくからさ。



 それから数分もしないうちに、

「陽菜ちゃん、待ったあ?」

 由紀恵さんが、ドラッグチェーン・ハナコに乗りつけてくるのと同じママチャリでやって来た。

 その後すぐに、今度は見たことのないワゴンが駐車場に止まり、見たことのない、でも工藤父と同じ匂いのするオッサンが降りてくる。そのオッサンに向けて、

「榊さん!」

 工藤少年が手を振る。

 さらには、ちょうどそのタイミングで、徒歩で俊也が現れる。

 しかも俊也は、いたいけな感じの女子を連れている!

 陽菜たちは、その多くは初対面で、それぞれに挨拶をして自己紹介をして。

 俊也と一緒にいる女子の名前は、間宮あさみ。大学のサークルの後輩。

 ――コノヤロー、いつの間に!

 陽菜は、置いてきぼり同士と思っていたから裏切られた感は否めないけれど、でも、それでも、俊也にこういう子がいることが嬉しかった。

 それで陽菜は、ふと、どこに飛んで行ってふらついているのか分からない、元也のことを思い浮かべる。

 最後に、待ち合わせ時間ギリギリに、工藤父のオフロード車が戻ってくる。

 いよいよ、撮影が始まる!



 撮影中は無我夢中だった。

 工藤父の指示に従い、俊也につけてもらった走り方のレッスンを意識して、ただただ、駆けた。駆けて、駆けて、また駆けた。それから、明けていく空を見上げ、横を走る俊也や、由紀恵さんや、工藤少年に視線を投げ。ミミズク男の遠藤部長、朝はいないけれど、その辺りでは木立の梢にも目をやり。

 工藤父とその仲間は、プロっぽい機材をいくつも駆使していた。けれど、それを眺める余裕など、陽菜には全く無かった。

 気がつけば、6時半を過ぎていた。もう、ジョギング人がずいぶんと増えてきている。工藤父は、動画の撮れ具体を確認し、周囲を見回し、

「よし、これで終わろう。みんなでの撮影は、クランクアップ!」

 満足気に宣言した。

 結局、一部を撮り残した。でもそれは織り込み済だったようで、後は、陽菜と工藤父だけでゲリラ的に撮影すれば大丈夫と、工藤父は言った。工藤父が、事前チェックのために早朝に何度も撮影予定場所を訪れていたことを、陽菜は当日になって初めて知った。

 みんなは、最後に、待ち合わせ場所だった駐車場横の緑道に戻った。

「みなさん、ご協力ありがとうございました」

 工藤父がきっちりとした挨拶をし、陽菜も一緒に深く頭を下げ、それで、昇り始める太陽の下、解散となった。

 入梅が間近に迫り、でも、梅雨を飛ばして夏が来たような、エネルギッシュな陽光が陽菜たちをじりじりと焼く。

 そして。

 ――集まってきてくれた人たちが、……あたしの仲間と呼ばせてもらえるかもしれない、呼ばせてほしい、この人たちが、三々五々、散らばっていく。

 それは、祭りの後、なのだった。

 楽しい時間は、楽しいと気づく間もないほどに猛スピードで過ぎ去ってしまい、その後には必ず、ひときわ大きな寂しさがやって来る。

 駐車場には最後に、陽菜、それに機材の収納に手間取る工藤父子が残された。

 機材の片づけを手伝いながら、陽菜は、工藤父に言った。

「工藤さん、MVにちょっとだけ、一番最後のところなんですけど、追加して欲しいシーンがあるんです」

「もちろん良いけど。どんなアイデアか、まずは聞かせてくれる?」

 工藤父は片付けの手を休めて、陽菜を見る。

「あの、――あたしの以前組んでいたバンドのメンバーの子が、結構、シリアスな持病を持っているのに、それなのにコロナに感染しちゃったんです。それで入院していて、あたしに出来ることは何かって考えて、そうだ、MVを送ろうと思って。だから……」

 陽菜は、ゆっくりと確かめるように、自分のプランを語り始めた。

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