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俊也4

 実は、俊也は「遠藤部長」のことを陽菜から聞いたことがある。

 舌打ちばかりする、細かい、うるさい、暗い、小心者、それから住宅ローン……。

 でも、この目の前のミミズク男から受ける印象は、そういうタイプのネガティブさからはおおよそかけ離れた、おおらかでやわらかな感じなのだ。

「遠藤部長、じゃなかった、遠藤さん……、やっぱり、部長は部長ですよ」

 陽菜にとってはあまり会いたくない相手、のはずなのだけれど。相変わらず明るいままなのは陽菜の大きな長所だなあと、俊也は素直に感心して、目の前の二人を眺める。

「夏目さん、財団が閉鎖になった時は、まだ就職先決まってなかったよね」

「いまは、ドラッグチェーン・ハナコでバイト生活です。っていうか、あたしの再就職のこと、覚えてたんですか?」

「それはまあ。私は夏目さんの上司だったわけだし。再就職に関しては無力だったけど」

「いやでも、部長も、あたしのことを気に掛けるような、そんな余裕があるようには全然見えなかったし」

「うん、まあ、そうなんだよね。私自身、再就職が決まらなかったから」

「今は?」

「マンションの管理人をやっているよ。夏目さん知ってるかな、財団って、親会社の古いビルの管理をいくつかやってたんだけど、その時の知識が多少役に立って、なんとか、今年の3月から就職できた」

 6月末で失職というのは、自分とだいたい同じだと、俊也は思う。俊也の場合、正確な退社時期はもう少し後になるが。

 そしてそこから、半年以上の失業期間。

 このミミズク男は、それをどう乗り切ったのだろう。

「あ、部長、住宅ローン。住宅ローンは大丈夫だったんですか?」

「結論から言えば、ダメだったよ」

 遠藤元部長は、しんみり、でも、あっさりと言った。

「ダメって、じゃあ」

「家は売った」

「えー! 部長、あんなにマイホーム、マイホームって、自慢、いや、大事にしていたのに」

「それは迷いはあったんだけど。結局、息子の一言が背中を押したっていうか」

「息子さんの?」

 すると遠藤元部長は、星空を仰いだ。

「私が、失業してから住宅ローン返済のことばかり気に病んで毎日カリカリしていたら、見るに見かねたんだろうね、当時は中3だった息子が、『父さん、俺と母さんと、それだけじゃダメか』って。『みんな元気で暮らせていれば、家なんかどこでもいいじゃないか』って言われてさ。それでこっちもカッとなって、『おまえに父親の気持ちなんか分かるか』って珍しく怒鳴りつけたんだよね。そしたら、『父さんだって、俺や母さんの気持ちを全然分かってない』って。『父さんが理不尽な目にあって、厳しい状況にあるのは分かってるから、母さんも俺も一緒に支えるから』って。その時の息子の真っすぐな眼差しを見てたら、あ、そうか、と。何か、すとんと、気がついた。いつの間に、私一人がすべてを背負っている気になっていて、家内も息子も、その背負っている荷物、もちろん大事な荷物ではあるんだけど、でも荷物だと思っていたんだよね。それはそうじゃなくて、家内も息子も、私と一緒に背負おうとしてくれているし、背負えるんだと。もちろん、それですぐに家を売ることに踏ん切りがついたわけではなかったけれど、でも、その時の息子の言葉がターニングポイントになった」

 それで遠藤元部長は、陽菜の方を見て続けた。

「思えば、家を買う時に背伸びをし過ぎたんだと思う。住宅ローンのプレッシャーは、借りたその瞬間から一時も頭を離れたことはなかった。そういうプレッシャーを糧にして伸びる人もいるんだろうけれど、私はそれで委縮した。リスクを極端に恐れて、部下のミスが自分のマイナス評価に繋がるのが怖くて、ビクビクしていたと思う。そういうことって、後になってみなければ分からない。それが、今はよく分かる」

「遠藤部長……」

「うるさくて、嫌な上司だっただろうと思う。それに肝心な時に、何の力にもなれず、なろうともしなかった。すまなかった」

 それで、遠藤元部長は陽菜に深く頭を下げた。

 陽菜は慌てて言った。

「え、ちょっと、止めてくださいよ! 仕事がいい加減でミスばかりだったあたしだって悪かったんだし、部長のこと、それほどは恨んでませんから」

「陽菜、それって、それなりに部長さんを恨んでたってことじゃん」

 俊也がぼそっと呟くと、

「うるさい!」

 陽菜は俊也を叩こうとし、遠藤元部長は苦笑を漏らした。

「それにしても、すごい偶然ですね」

 俊也は、陽菜の攻撃を逃れながら言った。陽菜を皮肉ったのとは裏腹に、俊也は少なからず感動していた。まったくの偶然。出会いの偶然。ミミズクが取り結んだ縁、みたいな。

「ホント、偶然だ。でも、夏目さんに謝れてよかった。私は財団が閉鎖と決まった時、夏目さんや、ほかのみんなに、上司としてもっとやるべきことがあったんだ。でも自分の将来の心配ばかりで、何も出来なかった」

「ねえ、部長、そういえば、ミチコさんとかどうしてるか知ってますか?」

 確か、ミチコさんというのは、財団で陽菜の先輩だった人だ。彼女のことも、俊也は陽菜から聞いて知っていた。

「いや、私があんなだったから、その後も連絡を出来ずにいるよ」

「あたしもです。あたしも、自分のことで、いっぱいいっぱいで」

 陽菜はちょっと唇を噛み、続けた。

「あたし、ミチコさんと連絡取ってみます」

 風が、ミミズクが止まっていたかもしれない木々の梢をざわめかせ、すり抜けていく。夜の暗さの中で、俊也には、時の流れていく音のように聞こえる。

 そういえば、陽菜は遠藤元部長の悪口をよく言っていたけれど、その一方で、どこかに仕方のないオッサン、という赦しのようなものが垣間見えていた。それは陽菜の美質であるだけでなく、遠藤元部長自身、余裕がなかっただけで、それほど悪い人ではないということだったのかもしれない。

 生きていれば時は過ぎ、何もかもが変わっていく。誰かとの関わりも。時には悪いほうに、時には良い方に。そして、自分自身の在り様も。

 自分のかつての上司と遠藤元部長とは違う。同じようには行かないだろうし、したくもない。でも自分もまた、ここにずっと立ち止まったままでいるつもりはない。



 それから2日後。

 MV撮影の日程が今週金曜日の早朝に決まった。

 MVに出演する話を俊也が電話で伝えると、間宮あさみは大興奮で、

「すごい、すごい! 先輩、俳優デビューじゃないですか! 芸能プロダクションからスカウト来るかも」

 とはしゃいだ。

「いやいや、そんなんじゃないから」

 と、それがアマチュア・ミュージシャンの動画撮影でしかないことを伝えても、

「先輩、きっかけって、チャンスって、そういうものです。先輩ならきっと」

 と興奮は醒めない。

 LINEだけではなく、直接電話でちょくちょく話すようになって、今更ながら初めて知ったのだが、どうやら間宮は俊也のことを本当にアイドル並みの容姿だと思っているようなのだ。

「先輩、撮影、わたしも見に行っていいですか?」

「いや、そんなに騒がしくなると拙いんじゃないかな。コロナ禍でもあるし」

「大人しくしてます。黙って見てるだけですから」

 電話で話すようになると、間宮は、サークル存続を賭けての困難な戦いについて、長い時間をかけて俊也に語った。それは、実際、間宮にとって散々な戦いだった。世の中の感染が収まってきて、これでサークル旅行の計画が立てられそうとなり、それでリモートで企画を練って、部員に声をかけて、新入部員募集の宣伝をして、さあいよいよとなると、必ず感染がぶり返した。ギリギリまで様子をみて、それでも感染拡大は収まらず、結局、計画は中止になって。それでサークルからは着実に人が減って行き、でも数か月経つとまた感染が収まってきて、それで、今度こそとサークル旅行の計画を立てて……。去年の春から延々とこの繰り返しだった。完全に消耗戦で、上の代は引退して抜けて、新人は仮入部しても旅行サークルなのに旅行が出来ない現実を前に全然定着せず、現部員も次第に抜けていった。

 俊也に話したところで事態は何も変わらない。それでも、悩みを共有できた効果なのか、間宮あさみの声は日に日に明るくなり、話す内容もずいぶん前向きになった。

 間宮は、スマホの向こう側で何か考えているようで少しの間沈黙し、そして、

「ねえ、先輩。わたし、やっぱり、撮影現場に行きます。それで、撮影をする監督さんに、サークルのプロモーションビデオを撮って貰えないか、相談してみようと思うんです」

 俊也は、間宮あさみと電話では話すようになったけれど、まだ、直接の再会は果たしていない。つまりは、陽菜のMV撮影現場が、1年半ぶりの再会の場となるのだろう。

 俊也の知っている1年生の間宮は、内気で地味で静かな感じの子だった。元々の元気さが表れてきたのか、それとも、この困難な年月で彼女のつよさが培われたのか、どちらなのかは俊也には分からないけれど。いずれにしても、今の間宮あさみが眩しかった。

 そして自分も、自分のことをいまだに眩しく思ってくれている彼女に答えたい、もう一度、眩しく輝きたいと思うのだ。

「分かった。了解した」

 俊也は答えた。

「陽菜経由で、事前に、撮影してくれるレコーディングエンジニアの人に伝えておく」

「ありがとうございます!」

 間宮あさみの弾んだ声を聞くと、俊也も、それだけで嬉しくなる。

 前に進もう。

 別にそれは、元居たような、名の通った会社に再度就職しなくては、ということではない。そうじゃなくても、陽菜のように、ミミズク男、じゃなくて遠藤元部長のように、もっと言えば、あの憎らしい、兄の元也のように、それぞれに、それぞれのやり方で前に進もう。



 早朝。

 梅雨前の快晴はまだ続いていて、窓を開け放ち、俊也がキッチンに立って小さなコンロにフライパンを乗せ、朝食のスクランブルエッグを作っていると、珍しく固定電話が鳴った。

 ここで火を止めると仕上がりが悪くなるので躊躇いはあった。しかし、しつこくなり続ける電話についに諦め、10回以上、コールが続いた後だったけれど、ようやく受話器を取った。

 電話の相手は、外務省と名乗った。

 外務省?

 おおよそ、縁のない役所の名だ。

「岡崎元也さんのご家族の方でしょうか?」

 そう聞かれたので、

「弟の俊也ですが」

 俊也が答えると、

「岡崎元也さんは、今、***共和国におられるのですが」

 そこは、政情不安で知られる国。

 最近も、日本人NGOメンバーが拘束されたというニュースを見た。

「実は、元也さんが当局に逮捕されたと、現地大使館から連絡が入りました」

 外務省担当者は俊也に気の毒そうに告げた。


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