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陽菜3

 ネジコにどう返信したものかと3時間くらい悩み、結局、当たり障りのない「お大事に」リプを返した。

 返してからもなお、ベッドに横になって、陽菜は悶々とした。

 ガールズバンドの仲間たちとは、決して、喧嘩別れしたわけじゃない。ないけれど、それはやはり、どうにもならない致命的なものではあった。

 一言で言えば、「価値観の相違」。

 陽菜は音楽で生きていきたかった。どうしても、生きていきたかった。

 ネジコは、それに文ちゃんも、フーミンも、そうじゃなかった。音楽は好きだよと、彼女たちは言う。でも、別に趣味でやっていければ、それでいいんじゃない?

 彼女たちは就職を機に、すうっとバンドを抜けていった。

 ――え? 止めちゃうの? どうして? 好きなんだよね、音楽。

 陽菜は、繰り返し引き留めようとしたけれど。

 ――好きだよ、好きだけどでも、別にそれで生きていく必要はないんじゃない?

 彼女たちの考えは変えられない。

 いわば、言葉が通じないのだ。

 だから、喧嘩にもならない。ただ、すれ違ってしまうだけ。

 友だちとして、陽菜は彼女たちのことがずっと好きだったし、今でもそれは変わらない。けれど、でも、いつの間にか言葉が通じなくなっていた。いや、そうじゃない、本当に言葉が通じていたことなど、一度もなかったのかもしれない。

 時々ライブハウスで顔を合わせた、ソロで活動しているツンケンした嫌な女がいた。もちろん、その女のことは全然好きではないのだけれど、でもおそらく、音楽に人生をまるごと賭けてしまっているような、その女との方が言葉は通じるのだろうと陽菜は思うのだ。

 みんながバンドから抜けていき、向いている方向が違うからか、陽菜はみんなと段々に話が合わなくなり。

 止めがコロナだった。陽菜は、勤め先が解散になったから、バイト生活に変わった。ほかの3人は会社がちゃんと存続している。というか、高校卒業後、2年間の専門学校に行った陽菜と4年間の大学に行った彼女たちとでは2年間のタイムラグがある。だから彼女たちはコロナ禍の中で、何と言ってもぴかぴかの新入社員だったのだ。新しい環境、同僚や先輩、そういうすべてに適応していくのに精一杯で、でも幸いなことに彼女たちは楽しそうだった。そして、そうした毎日を経験している3人との心の距離がどんどん開いていく、それが陽菜にはよく分かった。止めようがなかった。

 コロナのせいで直接会ってゆっくり話すことも、ままならない。

 いつのまに、グループラインでは陽菜は既読も付けなくなり。しまいには、LINEも来なくなり。おそらくは、陽菜を除いた3人で、グループを作り直したものと思われ。

 そうして、あっという間に1年が過ぎた。

 コロナに感染してしまったネジコに、いったい、あたしは何を語り掛けることが出来るのだろう。

 もしかしたら。もう、ネジコと話す機会は永遠に来ないかもしれない――。

 ある日突然、誰かと2度と会えなくなること。話せなくなること。

 そんなこと、これまで考えたこともなかった。

 でも、それは十分に起きうることで。

 もしかしたら、ネジコは。持病のあるネジコは。LINEで「もうダメかも」と言ってきたネジコは!

 見上げている部屋の天井がぐるぐる回り出しそうになり、陽菜はきつく目を閉じた。

 喉から胸の奥、そしてお腹に至るまでが、しびれたように冷たくなってくる。

 もう、ネジコに会えないかもしれない。

 ああ、あたしって愚かだと、陽菜は思った。

 こんなに毎日、コロナ感染者数が報道され、亡くなった人の数が読み上げられ、それなのに、やっかいな持病を持つネジコが感染することなんて、考えもしなかった。

 いや、コロナだけじゃない。

 人と人なんて、いつ離れ離れになって、会えなくなってしまうか、分かったものじゃないのだ。

 元也がアパートから出ていってしまったように。

 分かっていたはずなのに。

 あたしは、何て想像力が欠如しているのだろう。



 その日はバイトがなく、午後までゆっくり惰眠を貪ろうと思っていたのに、陽菜には珍しいことに、うまく眠ることが出来なかった。

 結局、昼過ぎにベッドから起き上がり、冷蔵庫からご飯の残りを取り出し、レンジで温めて生卵をかけ、食べ始めた。

 スマホを眺めると、俊也からの「バイト代わって」メールは来ていない。ちゃんと今日の遅番には行くのねと少し安心していると、別のメール着信があった。

 レコーディングエンジニアの工藤からだ。

 メールを開くと、ついさっき頼んだMVのコンセプトがびっちりと書かれていた。

 曰く、「考え始めたら楽しくなって、止まらなくなっちゃって」。

 添付ファイルには10ページを超える絵コンテが描かれている。

 ――あたしが寝るに寝れずにいた間に、工藤さんはこれ、書いていたのか。あたしと同じ徹夜明けなのに!

 中年男ながら、そのエネルギーは恐るべしだ。

 今、録音を進めている3曲のうち、工藤さんがMVを考えてきたのは、「長距離ランナーの孤独」という歌だ。

 MVのロケ地は川沿いの緑道。陽菜がそこを走るところからMVは始まる。

 う、安直、と思ったけれど、絵コンテを読み進む。

 最初、夜明け前、薄暗い中を陽菜は一人で走っている。

 するとそこに、中学生の男子が合流してくる。この男子は、工藤さんの息子さんを使うので、ギャラは不要とのこと。

 陽菜と中学男子は緑道を離れて、公園に入る。そこで、中年のおばさんも合流してくる。誰か、当てありませんか? と、絵コンテにメモ書きしてある。バイト先のハナコドラッグで一緒の人、どうですか? と。由紀恵さんか。いつも忙しそうにしているけど、どうだろう。

 そして、若い男が合流する。これ、アパートの隣の人、どうでしょう? と工藤さんのコメント。なんか、いろいろ、プライベートを工藤さんに喋りすぎかも、と陽菜は少し恥ずかしくなる。が、俊也には貸しは山ほどある。それに、俊也は最近、ジョギングを始めたらしい。高校時代、俊也は選手だったんだと、これは元也が言っていた。まあ、頼めるかもしれない。

 走っている映像には、頻繁に、陽菜がギターを弾き語りする短いショット、それに、陽菜が伴走者たちと語らい、笑うショットが差し込まれる。

 でもでも、このMV、そのままみんなで手を取り合ってゴール、なんて幸せには出来ていない。

 今度は、合流したはずの人たちが減っていくのだ。

 一人、また一人と。

 それで最後には、陽菜一人になってしまう。一人、元いた川沿いの緑道に戻る。

 曲の終わり。無音になる。もうすっかり夜は明けている。朝が来ている。でも、陽菜は一人なのだ。

 橋の欄干に両手をつき、陽菜は川を見つめる。

 太陽がしっかりと昇り始めている。

 それで陽菜は、少しだけ俯いた後、微笑んで、ゆっくりと歩き出し、フェイドアウト。

 メールの最後、工藤さんは、『これ、気にいってもらえたかな』と不安げに結んでいた。

「いやいや、これ、ちょっと、きついでしょ」

 陽菜はスマホを消すと呟いた。

「今、この絵コンテ見せられるの、きついでしょ」

 陽菜は右肘をテーブルにつき、頭を支えて、目をつぶった。

 改めて考えると、陽菜は今、ものすごく一人なのだった。3年前に家を飛び出した。去年、勤め先が無くなり、同僚も上司もいなくなった。それから、バンドの仲間が去っていき、元也もどこだかに飛んで行ってしまった。

 そのうえさらに、ネジコの具合も良くない。

 今、あたしが繋がっているのは、俊也、工藤さん、由紀恵さんくらいだ。とはいえ、工藤さんとはレコーディングの時しか会わない。由紀恵さんも、職場で雑談はするけれど、どこに住んでいるかすら知らない。お互いを知り、知られ、本音に近いところを出せるのは、俊也だけだ。

 俊也に依存されているつもりでいたけれど。もしかして、依存しているのは、あたしか。あたしの方かもしれない。

 この現実はキツいぞ、キツい。

 あたしはもともと、能天気で、ばかと言われるタイプではあるけれど。

 それにしても、今の自分の状況に気づきもせずに、自転車漕いでバイトに行って、貯めたお金で一人でレコーディングして、でも、動画アップしても全然観てくれる人は増えなくて、それでまた、自転車漕いでバイト行って。そうやっていつの間にか、あたしは一人になっていて。それにも気づかないでいて。いっぱしに俊也の面倒みているつもりになって。いずれは元也があたしのところに帰ってくる、それであたしはメジャーデビュー! そう信じていて。

 これって、痛い。痛すぎる。

 なんかちょっと、泣きそうだぞ。

 泣くか。

 泣いてしまうか。

 泣いて、さっぱりするか。

 どうしようか。

 あ、でも、さっぱりして、気が済んだような気分になっても、何にも変わらないな。

 変わらないな……。

 あー。どうしよう。

 陽菜は目を閉じたままキツさを堪えて、波が引いていくのを待った。

 でも、波はなかなか去らない。

 だから、ずいぶん長い間、そこでじっと固まっていた。

 そうするうち、また、メールを受信する音がした。

 陽菜は目を開け、逃れるようにメールを開く。

 クレジットカード会社からの、今月の支払い額通知。

「なんだよ!」

 陽菜はスマホをベッドの上に投げつけた。

 スマホはベッドでちょっとバウンドして止まる。

 陽菜は、ベッドに軟着陸したスマホを見る。

 ――こんな気分の時なのに、あたし、スマホが壊れないように、ちゃんとベッドの上に投げている。

 ははは。

 陽菜は笑った。

 すべてがやるせなく、どうしようもなく、どうしたらいいのか分からない。でも、あたしはまだまだこうしてやっていくしかないと思うし、それに、そんな自分が、痛くてキツイところにいる自分が、もしかしたら意外と嫌いではない、のかもしれない。

 陽菜は、あらためて、工藤の描いてきた絵コンテを見る。

 ああそうだ、あたしをこんな気持ちにさせるMVだからこそ、それはつまり、まさにあたしそのものってことで、だからこの内容で撮って貰おう。陽菜はそう決めた。


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