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陽菜2

 レコーディングスタジオで、収録を終えた後の雑談。MV撮影をするお金も無いし、手伝ってくれる人もいないと愚痴ったら、

「じゃ、俺がやろうか?」

 工藤さんが突然言い出して、陽菜は不意を衝かれた。

「え? でも工藤さん、レコーディングのエンジニアさんですよね?」

「いや、そうなんだけどさ」

 工藤さんは、ちょっと照れた時の癖で、もじゃもじゃの髪の毛を両掌で圧し潰しながら言った。

「俺、大学は映像出てるんだよね」

「え? そうなんですか」

「そうそう。ホントは、映画監督になりたかったんだけど、ま、紆余曲折あって、今に至るわけ。だから、MV、撮ってあげるよ。というか、撮りたいな」

「お金、出せませんよ」

「陽菜ちゃん、レコーディングのお得意様だし、それに俺、映像の方は結局モノにならなかったわけだし、シロウトなわけだから、タダでいいよ」

 まだバンドでやっていた時、初めてのレコーディングで、スタジオ経由で依頼したエンジニアさんがたまたま工藤さんだった。出来上がった音の出来がすごく良くて、しかも人柄も一見がさつな感じがバンドメンバーと相性が良くて、それ以来、バンドでレコーディングの時は必ず、工藤さんにお願いするようになった。

 やがてバンドからするすると人が抜けていき、「解散」と名乗るほどの派手さすらなく、陽菜一人になっても、レコーディングはいつも工藤さんにお願いした。

 もっとも、レコーディングといったところで、陽菜は「プロ」ではない。学生時代はお小遣いやバイト代を貯めて、財団の社員になってからはお給料から、スタジオ代、レコーディング代を払って、仲間うちでビデオ撮影なんかもして、それを動画サイトに載せる。それから、時々、ライブもやる。それでも、動画再生数もライブ集客数もちっとも伸びず。

 それでも、気持ちだけはプロのつもりでいる。プロになるつもりでいる。一人になっちゃったけど。それでも。

 だから、MVだって、自分の満足のいくものにしたい。

「えっとその、――MV、思ったようじゃなかったら、ダメ出ししますけどいいですか?」

「いいよ、全然。俺、レコーディングについてはちょっと言わせてもらうって感じだけど、映像はさ、大学出てちょっともがいた後はもう、子供の成長記録くらいしか撮ってないからさ。ミュージシャンの指示に従うよ」

「じゃ、ホントにお願いしちゃおうかな」

「お願いされるよ、俺」


 スタジオの外に出ると、夜が明けるところだった。

 一昨日が満月で、昨日が十六夜。その、ほぼほぼ満月が、まだそこそこ色濃く空で粘っている。

「ほんじゃ、お疲れー。撮影のアイデアが出来たら連絡するよ」

 工藤さんはあくびをしながら、車に乗る。

 陽菜は電車だ。もう始発が走っている。

 走り去る工藤の十年物(?)のオフロード車を見送りながら、陽菜は駅へと歩く。もう街は動き出していて、でもまだその脈動は表面には出ていなくて、その雰囲気の中を歩いていると、どこからともなくワクワク感が湧き出てくる。

 おそらく半分は、徹夜したことによる睡眠不足からくる高揚感だ。でも、どんなことがあったとしても、夜明けの街を背筋を伸ばして歩けば、きっと良いことがある。バカみたいな楽観主義だと分かってはいるけれど、そういう思い込みでも無ければ、なかなかやっていけない時もある。

 駅につく頃には、もう完全に朝になっている。始発から数本目。この時間でも、上り電車にはそこそこ人が乗っていて。でも、下りはホントにガラガラで。一両に一人貸し切り、なんてこともある。


 陽菜の住むアパートが見えてくる。

 深夜レコーディングは割安に出来る。まだ実家にいた頃は、ずいぶん、親と揉めた。

 3年前、陽菜が実家から喧嘩別れしてこのアパートに引っ越してきた時、隣のこの部屋には、岡崎俊也ではなく、岡崎元也が住んでいた。

 陽菜は、ほとんど実家を転がり出てきたみたいなものだったので、荷物はちょっとしかなくて、引越しはすぐに終わった。ガールズバンドの仲間たちが手伝いにきてくれた。とにかく最低限、暮らせるまでにセットし終わると、それでも夜の7時を過ぎていて。それで、お腹すいたねーと言い合って、みんなでスーパーでいろいろ買い込んできて、新居でミニ転居祝パーティーをやった。

 たった3年前のことなのに、なんだか、陽菜には遠い過去、前世の記憶のように思い出される。

 そりゃあそうだ、なにしろその間に、元也と出会い、元也がいなくなった。それは決して、1増えて1減ったからまた元の通りゼロになったわけではなくて。そこに、コロナも重なった。コロナでいろんなことが変わってしまった。

 ガールズバンドは高校の時に同級生たちと組んだ。陽菜がギター&ボーカル。他に、ベースのフーミン、ドラムスの文ちゃん、キーボードのネジコで、全部で4人。曲は、陽菜とネジコで作った。歌詞はみんなで考えた。

 あの引越しの夜も、歌詞をみんなであーだこーだ言いながら、いじっていて。そこから、高校時代のちょっとした恋バナなんかもして。それから、みんな、明日も会社あるから、と言って帰って行った。

 じゃあねえとアパートの外階段で、道を去っていく仲間たちを見送っていると、反対にアパートに向かって歩いてくる男の姿が見えた。遠目にも、危ない感じの男だった。まず、着ているのが上下とも草臥れたジャージ。履いているのはビーチサンダル。髪の毛は長くてぼさぼさ。そして何より、デカかった。ガールズバンドの仲間たちとすれ違うのを見ると、身長は180センチを優に超えている。体重は……、体重は良く分からない。でも男は、横にもデカかった。それは太っているという意味ではなく、ゴリラか何かのようなのだ。ガールズバンド女子たちは、思わず振り返って男を見ていた、それくらいのインパクト。しかも、その男はアパートの外階段を、ビーチサンダルにしてはやけに重々しい足音を立てながら登って――、つまりは、陽菜の方へとずんずん進んでくるのだ。

 男は階段を上がりながら、右手をジャージのズボンに突っ込み、どうやら尻を搔いているようだった。左手には、スーパーのビニール袋。全身から発散される、その強烈な存在感に捕らわれ、陽菜は部屋の中に逃げ込むタイミングを逸していた。

 男は陽菜の目の前まで来て、立ち止まった。

 自然、陽菜は男の顔を見上げる形になった。ああ、蛇に睨まれた蛙というのは、こういうことを言うのかと、妙に感心してしまった。

「ええと、引っ越してきたの?」

 男が尋ねた。

「はい、ついさっき」

「そう。俺、こっちの隣に住んでる、岡崎っていいます。宜しくね」

 男はそう言って、にっこりと笑った。

 それは、陽菜が初めて見るタイプの笑顔だった。

 敢えて言えばそれは、ヒトの笑顔ではなく、イヌの笑顔だと思った。裏表なく、汚れも無く、遭難した人を救ったり、目の不自由な人を助けたり、そういう類のイヌの笑顔だ。

 ああ、世界には、こんな笑顔をする男がいるんだ。

 陽菜は人生最大級に感動し、――岡崎元也に一目惚れした。

 でも今はもう、その元也はいない。

 代わりにいるのは、全然元也に似ていない弟の俊也。

 午前6時40分。

 俊也の部屋の前を通り過ぎるが、しんと暗く静まったままだ。

 ほぼ間違いなく、俊也は眠っていることだろう。

 週に4日、ハナコドラッグのバイトがあるので、どうにかその時だけは日中に起き出してくるが、それ以外は昼に寝て、夜起きているみたいだ。


 部屋の鍵を開け、ドアを開け。

 中はカーテンを閉めてあるから薄暗い。空気も籠っている。それに比べると外はポカリかアクエリアスのCMのような見事な朝で、そのコントラストが朝帰りの気だるさ、それから謎の後ろめたさを醸す。別に全然悪いことをしていたわけではないのに、なぜか、醸す。家に戻ってきた途端に。

「ふあ~あ」

 陽菜はマスクをむしり取り、欠伸をする。3年前、実家を出る時に妹からこっそり奪い返してきたキャンピングチェアに倒れこむ。

 昨日は遅番でハナコのバイトに入って夜10時まで働き、帰りがけ、松屋で定食を食べてアパートに戻り、ギターだけ取ってすぐにスタジオに向かった。それで、12時から夜明けまでの5時間近くのレコーディング。

 さすがに疲れた。

「あー、疲れたア」

 声に出る。

 独り言、多いなあ。でも、クセになっていて、止められないのだ。部屋では、感情が駄々洩れなのだ。

 その時、陽菜はバイブを感じた。それで、携帯をポケットから取り出して見る。

 LINEだ。

 想定外の相手から。

 昔のガールズバンドのグループライン。

 まだ残ってたんだア。

 そんな感慨にゆっくり浸る間はなかった。

 送ってきたのは、ネジコだった。

 ネジコからのメッセージは、既読を付けるまでもない短いメッセージだった。

「コロナかかっちゃった。もうダメかも」

「マジか――」

 陽菜はまた独り言を呟いた。

「マジか、マジか、マジか!」

 言葉に出したのは全部で4回。

 でも、心の中では、もっと何回も繰り返していた。

 マジか、マジか、マジか、マジか、マジか、マジか、マジか、マジか、マジか、マジか!!

 ネジコは、重い持病のあるネジコだけは、絶対にかかっちゃいけない人なのに。


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