8話 屋台と織田信長と焼きそばと
「待ってなさい、屋台っ! 今すぐにわたしが食べに行ってやるんだからっ!」
大きな鳥居から真っ直ぐに伸びた参道。
その左右に立ち並ぶ屋台に向かって、気合いの雄叫びを上げた。
通りゆく人たちが冷ややか視線をぶつけていく。
だけれど、今日はそんな視線は気にしないのだよ。
今日は地元の神社では、毎年恒例のお祭りをやっているのだ。
わたし達が今いる大鳥居から五百メートルいった参道の突き当たり。
そこから二百段もある石階段を登った先に神社の境内がある。
毎年、その境内で神様へ奉納の舞の儀式が行われているのだ。
「おい、倫っ! 美味い喰い物が本当にあるんだろうなっ!?」
「もっちろんですよ、信長さんっ!」
「そうか……これは期待せねばならんなっ!」
わたしと信長さんは、互いにニンマリとさせて、ヨダレを浴衣の袖で拭き取った。
今日は信長さんもいつもの服装と違って、涼しげな浴衣姿をしている。
浴衣を着ているのは、信長さんとわたしだけではない。
お祭りに行きたいってことで、幸村さんと政宗さんも参加しているし、当然のことながら日和と智巳も一緒。
で——
せっかくお祭りに行くのならってことで、日和が全員分の浴衣を用意してくれたのだ。
わたしと日和、智巳と参道を横一列に並んで、ゆったりと歩いている。
「この三人で夏祭りに来るなんて、いつ以来っスかね〜?」
「確か……小学校以来だったはずですわよ」
「そうだよね〜」
久しぶりに三人でお祭りに来ているのだから、懐かしい気分になってくる。
小学校高学年までは、よくこの三人でお祭りに来たいたのだけれど。
中学に入ってからは一緒にお祭りには来ていないんだよね。
まあ、智巳は小さい弟さん達と、日和は祭りの主催者側として家族とね。
ちなみにわたしはお爺ちゃんとだけれど。
「祭りとはこれほど賑やかな物なのかっ! オレが知る祭りとはまるで別物ではないかっ!」
わたし達の少し前を歩く政宗さんは、鳥居をくぐってからずっと興奮しているみたい。
まあ屋台が珍しいのだろうけれど。
しきりに屋台を指差しては、目をあちこちの方向に動かしては驚きの声を上げている。
「はぁ〜……はああ〜……」
政宗さんの横を歩く幸村さんも、子供のように目をキラキラと輝いているし。
カラフルな屋台を眺めては、感嘆のため息を漏らしている。
「ふふ。真田幸村さまや伊達政宗さまと歩けるなんて……まさに夢のようですわ」
「そうっスよ……こんな貴重な体験、ウチの人生じゃ二度とできないっスよっ」
幸村さんや政宗さんが歩く姿に、日和と智巳の二人は気持ちが昂っているようだ。
「それにしても結構急だったのに……よく全員分の浴衣なんて用意できたわよね、日和」
「うふふ。こんなこともあろうかと思いまして。常に準備は怠らないものですわよ」
言って日和は、クスリとほくそ笑んだ。
わたしが今着ている藤の花柄の浴衣。
智巳が着ている朱色の金魚が泳いでいる浴衣もそうだけれど。
「でもさ。信長さん達の浴衣……寸法を測ってから出来上がりまで早くない?」
「ふふ。我が藤原家に出来ないことはありませんのよ?」
全員が着ている浴衣を、たった数時間で仕立ててしまったのだ。
信長さんが着ている浴衣は淡い藍色の生地に、木瓜の花柄が散りばめられている。
政宗さんのは真っ黒な生地に、ド派手な金の龍の模様。
幸村さんが着ているのは、白い生地に真っ赤な炎の柄と背中には六文銭の紋様。
そんな柄の生地、どうやって用意したのかと疑問にさえ思うけれど。
「さすがお金持ち……出来ないことはないとしか言えないわ」
それにしても、浴衣姿で歩く三人。
浴衣がめちゃくちゃ似合ってるし、普段より格好よく見える。
のだけれど——
「倫っ! あの男が白い雲を喰ってるぞ!?」
大人しくしてればの話だ。
見たことがないような珍しい物が並ぶ屋台。
それを目にした信長さんは、いつも以上にテンションが高い。
「ええと。あれは雲じゃなくて、綿菓子と言ってですね——」
「おい、箸が刺さったあの真っ赤な球はなんだ!?」
「ええとですね。政宗さん、あれはりんご飴と言いまして——」
信長さんも政宗さんから、わたしは質問攻めにあっている。
まあ、その二人だけならまだマシなのだけれど……
「あっ! 政宗さん、あっちにチョコバナナがあるっスよっ!」
「ちょこばなな!? なんと甘美な響きだっ! オレをそこに案内しろ、智巳っ」
「了解っスっ!」
「あ、ちょっと勝手に行動するんじゃないの! 智巳っ! 政宗さんっ!」
わたしの声も届かず、智巳と政宗さんはすすぅ〜っと人混みの中へ消えていってしまった。
「ああ……もう。なんか子供が二人いるみたいだし。ねえ、日和も黙ってないで何か言ってよって——いないしっ!?」
さっきまで後ろからついて来ていた日和と幸村さんの姿が無い。
参道の真ん中まで来たあたりは、さすがに人の通りが多い。
そんな人混みに巻かれたら、みんなと逸れてしまうのも当然だ。
現にさっきまで居た信長さんの姿も見当たらない。
「まあ、目的地は一緒だし……携帯もあるから問題はないけれどさぁ」
せっかくのお祭りなのに、わたし一人だし。
気づけば、周りにはカップルばかりだし?
「うぬぬ……なんだか無性に腹が減って来たわね。もう一人で食って食って食いまくってあげるんだからっ!」
「おい、倫っ」
人混みの中から唐突に聞こえてきた声の方へ視線を向けた。
「あれ、信長さん?」
人の波をかき分けてわたしの前にたどり着いた信長さん。
少し照れ臭そうに頭を掻いている。
「てっきり智巳に着いていったとばかり……」
「まあ、そのつもりだったんだがな。俺も連中を見失ってしまってな。それに……お前がいないと俺は何も買うことができんのだ」
言って、信長さんは両手をぶらぶらと振ってみせた。
「あはははぁ……なるほどですね」
「まあ……な」
信長さんは気まずそうに苦笑していた。
「ふぅ……仕方ないか。それじゃ、美味しいものを売ってる屋台を制覇しましょう、信長さん」
「おうっ! 行くぞ。倫っ!」
◇
信長さんと一緒に、綿菓子、りんご飴、ベビーカステラを堪能して、次の獲物を物色中だったのだけれど。
「うん……? あれは鉄砲か?」
射的をやってる屋台の前で、信長さんの足がピタリと止まってしまった。
「あれ、倫ちゃん?」
「え、智巳?」
「あら、智巳と倫じゃありませんか?」
「なに、日和もなの?」
境内にたどり着くまで、二人とは合流することもないと思っていた。
でも、まさか射的の露店の前で再開してしまうなんて予想もしてなかった。
「信長殿、これを見てくだされっ!」
射的のコルク銃を手にした政宗さんが、血相を変えて信長さんのそばに駆け寄ってきた
「ほう、鉄砲か。しかし知っているのとはずいぶんと形が違うな」
「ええ。我々が知る鉄砲とはかなり違う作り……最新型の可能性が高いかと」
「弾は入れるには少し小さいな。それに火挟みと火縄が無いようだが……どうやって撃つんだ?」
信長さん顔をしかめて、渡されたコルク銃を隅々まで触って構造を調べているっぽいし。
「これも鉄砲ですか……はぁ〜」
幸村さんは浮かない表情をして、屋台に並んだコルク銃を眺めてる。
なんだか触るのも躊躇しているように見えるのだけれど……気のせいだろうか?
「政宗っ。この鉄砲で試し撃ちをしてみたい。獲物は……そうだな。この屋台の奥の棚に並んだ置物を的に据えるぞ」
信長さんはコルク銃の先で、屋台の棚に並んでいる景品を指した。
「それはいい考えですな、信長殿。しかし、試し撃ちだけとは物足りん……」
「ふっ……ならば、あの棚に置かれた置物をどちらが多く撃ち取れるか勝負といこうか、政宗っ!」
「この政宗……いくら敬愛する信長殿とて、勝ちを譲るつもりはありませんぞっ! 幸村、貴様も加われっ!」
「俺もですか!? いえ、俺は——」
「つべこべ言わずに来いっ!」
乗り気じゃない幸村さん腕を、二人は強引に引っ張っていく。
急遽始まってしまった、三人の武将による射的勝負。
コルクを素早く銃身に詰めると、信長さんも政宗さんもテンポ良く撃っていく。
「はぁ〜〜さすが戦国武将っスね。銃の持ち方から様になってるっスよ」
「本当。まさかこの時代で本物が見れるとは……まさに眼福ですわね〜」
日和はうっとりした表情で、三人の射劇姿を眺めている。
「ふん。動かん的ほどつまらん物はないなっ!」
政宗さんは文句を言いつつも、ポンポンと景品を撃ち落としていくし。
「ふっ、政宗よ……文句を言っている暇があるなら、もっと頑張らないか。俺の方が撃ち落とした数が多いようだぞ?」
政宗さんよりも多く景品を撃ち落としている信長さん。
そんな二人を見ている屋台のおじさん。
顔は笑っているけれど、額からは大量の汗があご先までダラダラと流れ落ちている。
通常、こういう屋台の景品ってなかなか落ちないのだけれど。
二人がこうも簡単に撃ち落としていくもんだから、おじさん内心焦っているんだろう。
勝負開始から十分後。
「まあ、こんなものか」
勝負を制したのは信長さんである。
袋に詰めた大量の景品を手にして、めちゃくちゃ満足そうな表情してるし。
「くっ……なぜ負けたのだああっ!」
政宗さんは悔しそうに固く唇を噛みしめている。
「やはりお二方は強いですね。俺は銃の腕はさっぱりなので……ははは」
言って、幸村さんははにかみを見せている。
他の二人に比べても、景品は二つしか取れていないし。
「……おかしいっスね。真田幸村と言えば馬上からも鉄砲を撃てるくらいの名手だったと思ったんっスけど……?」
幸村さんを見てる智巳の顔は怪訝そう。
わたしが知る限り、幸村さんは九度山にいるとき鉄砲の鍛錬を積んでたはずなのだよ。
大坂夏の陣には、自分専用の短銃「馬上筒」を作って戦いに挑んでいるのだ。
「もしかしたら……これで負けたから悔しくて腕を磨いたのかも」
「あ〜それはありそうっスね」
智巳とわたしは顔を見合わせてクスリと笑った。
幸村さんの今の表情は全く悔しそうにしてないのに。
心の中じゃ悔しくて仕方がないくらい、負けず嫌いなんだなぁって。
「それじゃあそろそろ境内の方に——」
——ごぎゅうぎゅうぎゅう〜
わたしを除く全員が、「あ?」と言う呆れた顔をした。
「ええと……さ、行きましょうっ!」
わたしはその場から逃げるように、射的の屋台を後にした。
◇
境内まで続く石畳の参道。
カランコロンと下駄を鳴らして、わたし達は目的地である境内を目指していた。
「おい、倫。本当の本当に美味い飯が喰えるんだろうな?」
「くふふ、期待しててくださいよ〜」
腹減りのわたしが向かっているのは、焼きそばの屋台だ。
境内に上がる階段のすぐ脇に構える屋台だんだけれど。
伝説の屋台と、わたしは勝手に言ってる。
それくらい美味しい焼きそばが食べれるなのだよ。
お爺ちゃんに教えて貰うまで、わたしもここの焼きそばの存在を知らなかったんだよね。
それ以来。
ここの焼きそばを食わずして、お祭りを締めくくる訳にはいかないのだ。
「あ、あれっスね」
智巳の人差し指の先。
赤と黄色のラインが入ったビニールの屋根に『焼きそば』と書かれている。
あれが本日のメインディッシュである、伝説の屋台。
距離にして約五十メートル。
離れていても分かるくらいにソースの匂いが漂ってくる。
「くはははっ! これは期待できそうなくらい美味そうな匂いだな、倫っ!」
「でしょでしょっ! この焦がしたソースの匂いがたまんないんですよね〜」
もう我慢ができないってくらい、わたしのお腹が鳴っている。
わたし達は足早に屋台に近づいていく。
鉄板の上で炒められるキャベツや細切りのニンジンと細切れの豚肉。
それを見たわたし達全員の喉が、ゴクリと鳴った。
じゅうじゅうと言う美味しいそうな音。
焼けるお豚肉と野菜の匂い……見てるだけで口の中に唾が溢れてくる。
いい感じに炒められたそれらの中に麺を投下して——
じゅおっ、と濃厚なソースの焼ける匂いと音が、一瞬にして屋台の周りに立ち込める。
「ああ〜もう、我慢なんてできないっ!」
鉄板の上で踊る焼きそば。
全員がもう我慢できないって顔をして、口の端からヨダレが垂らしているし。
「おじさんっ。大盛り焼きそば四つと、普通のを四つお願いしますっ!」
あいよ、と愛想のいい返事が返ってくると。
屋台のおじさんは、丁寧に素早く注文をこなしていく。
注文をしてから五分もしないうちに、ついについについに——
出来立ての焼きそばがわたし達の前に現れた。
わたしと信長さんには大盛り焼きそばが二つずつ。
幸村さんと正宗さん、日和と智巳は並盛りを手渡していく。
二段に重ねられたパックに、智巳と日和の冷ややかな視線が送られていたけれど。
わたしは気にしないのだよ。
「それじゃあ……いただきますっ!」
わたしの言葉を合図に、全員が一斉に焼きそばをすすった。
「美味いぃっ!」
一口すすった信長さんは、カッと目を見開いて叫んだ。
「くうううっ! 焼いた肉も美味いが……このもちもちした細いうどんにも味がしみて、何という美味さだっ! そう思わんか、幸村っ」
「ええ全くですよ、政宗殿。俺もこれほど美味しいうどんは食べたことがありません!」
幸村さんと政宗さんは、焼きそばの美味しさに感動し震えているようだ。
信長さんも大絶賛してくれているし。
美味しそうに食べる三武将に、わたしも大満足なのだよ。
「っと。三人に見惚れてる場合じゃなかった。焼きそばが冷めちゃう冷めちゃう」
食べかけの焼きそばに、わたしは再び箸をつけた。
ずぞぞぞっと啜る音、香ばしい焼きそばと青のりの匂い。
「くっふぅ〜美味しぃ〜〜っ!」
ソースが染みた豚肉にキャベツや細切りにされたニンジン。
もちもちの麺と一緒に食べれば……
「も〜至高の味と言っても過言じゃないよっ」
焼きそばに添えられた紅生姜。
パクリと口に含めば、くにゅっと顔をしかめさせる。
こいつもいい仕事っぷりだよ、本当にっ。
「うわっ。めちゃくちゃ美味しいじゃないっスか、この焼きそば……毎年来てたけど、ここの焼きそばは他と一味も二味も違うっスよ……」
「本当……こんな美味しい焼きそばを見落としていたなんて……私の失態ですわね」
日和と智巳も、ここの焼きそばの美味しさに驚きを隠せないようだ。
「でしょでしょ? ここにみんなを連れて来たかったんだよね。ね、信長さん達——!?」
「喰い足らんっ!」
言って、二つ目のパックを空にした信長さんが不満そうに叫んだ。
食べるの早すぎだよ。
わたしですらまだ一パック終わらせたばかりというのに。
信長さんだけじゃない。
幸村さんも政宗さんも、ぺろりと完食してるし。
信長さん同様、この二人も全く食べ足りないって顔を覗かせている。
「倫っ! オレもまだまだ喰い足りんぞ、もっとこの料理を用意しろっ!」
「ええと……」
「倫殿。申し訳ありませんが……俺もこの料理のおかわりをお願いしたいのですが……」
「それじゃあ……仕方がありませんね。追加注文しちゃいましょうっ!」
「くはははっ! 頼んだぞ、倫っ!」
あーあーあー。
信長さんの口の周りには、ソースと青のりがたくさんついてるし。
いや、よく見れば政宗さんも幸村さんの口の周りにはソースがついている。
智巳や日和も同じ顔をしているし。
「じゃあ、おじさん。焼きそばの追加を——」
——ドンっ!
その瞬間だった。
空気を震わせる音と共に夜の空がぱあっと明るくなった。
「あ、花火……始まちゃったスね」
夜空を彩る花火が次々と打ち上がっていく。
花火が打ち上がる毎に、そこら中からわぁって言う歓声が聞こえてくる。
「ふっ。どいつもこいつも幸せそうな表情をしおって……俺も早く乱世を終わらせねばな」
焼きそばを食べる手を止めて、天空を仰ぐ信長さんの表情は決意に満ちていた。
花火に照らし出された信長さんの、その表情をわたしは決して忘れることはないだろう。
たとえどんなに月日が経っても決して——