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7話 真田信之と親子丼と

「失礼しますっ」


「はい……?」


 玄関を開けると、見覚えのない子供が立っている。


 しかもだよ、ただの少年じゃあない。


 目が覚めるような美少年さんが、自宅の前にいるじゃあないの。

 十六年生きてきたわたしの人生の中で、こんな美少年はお目にかかった事は一度もない。

 

 美少年はわたしに向かって、にぱっと可愛らしく微笑んだ。


「ええと……?」


 歳は11か12歳くらい。

 着ている着物から、この時代の人じゃない事は分かる。


「ええと……君は——」


「倫殿。大広間の掃除が終わりまし……た!?」


 掃除を終えた幸村さんが、玄関にいたわたしに声をかけてきたのだけれど。


 玄関先にいる子供を見た幸村さんは、めちゃくちゃ驚いた顔をして固まってしまった。


 幸村さんはかなり動揺しているのか。

 持っていた箒が手から離れて、廊下にバタンと倒れてしまった。


「幸村さん? ど、どうしたんです?」


 幸村さんは両肩をぶるぶると震わせている。

 あの沈着冷静な幸村さんが、ここまで動揺するなんてあり得ない。


「……あ、兄上っ!?」


「へっ? この子供が幸村さんのお兄さんっ!?」


 わたしは、すかさず玄関にいる子供に視線を向けた、その瞬間——


「ゆーきーむーらーっ!」


「んなぁっ!?」


 子供が幸村さんの名前を叫びながら玄関を駆け上がると——


「兄上っ!」


「幸村ぁっ!」


 二人で楽しそうに抱き合ったまま、廊下でぐるぐると回っている。


「ええと? なによ、これ……?」


 わたしは唖然として、この光景を見ることしかできなかった。



 ◇



「倫殿。この人が俺の兄上、真田信之です」


 幸村さんに紹介された信之さんは、姿勢を正しくて深々とお辞儀をした。


「いつも弟がお世話になっております」


「い、いえ……こちらこそいつもお世話になってます」


 わたしも釣られて、お辞儀を返したのだけれど。


 幸村さんも礼儀正しいけれど、お兄さんも礼儀正しいだなんて……


 兄弟揃って本当に礼儀正しいな。



 ——真田信之さん


 同じお母さんから産まれた兄弟。

 戦国時代では珍しく、仲が大変良い兄弟でもある。


 そんな仲の良い兄弟ですら、無情に引き裂くのが戦国時代なのだよ。


 詳細は省くけれど。

 紆余曲折あって幸村さんは豊臣方、信之さんは徳川方に別れることになった。


 そして敵味方に別れて、二人の実家である上田城で戦ったのだ。


 その間に、石田三成率いる豊臣軍は関ヶ原で徳川軍に負けることになる。


 結果。

 豊臣方についた幸村さんは、和歌山九度山に蟄居ちっきょさせられてしまう。

 

 逆に徳川方だった信之さんは、領地までもらって大名にまで登り詰めた人なのだけれども。

 

 大きなつぶらな瞳と子供っぽさのある顔からは、そんな偉い人には思えない。

 

 だから幸村さんのお兄さんだなんて言われても、ピンとこない。


「——で、君は幸村の事をどれくらい知っているんだい?」


「ええと……どれくらいと言われても」


 正直、わたしって幸村さんの事はそれほど知らないのよね。


 なにせ、幸村さんに関する資料がほとんど無いし。


 わたしが知っているのは、第二次上田城の戦いから大坂夏の陣までの幸村さんまでだ。


「どうやら、その様子だと知らないみたいだね?」


「まあ、確かに幸村さんの事って知らない事のほうが多いですけれど……んん!?」


 わたしの言葉に、信之さんの目の奥がきらりと光った。


「だよね! じゃあさ、ここは僕が幸村の事を君に教えてあげるよっ」


 うぉっ!? 急に生き生きした表情になったぞ、信之さん。


 そこからは信之さん、幸村さんの小さい頃の話や如何に幸村さんが優れているのだとか。

 そんな話をずぅっと嬉しそうに、延々と語ってくれたのだ。


 そして1時間が経過した——


「それで、幸村はね——」


「あ、あの兄上……そろそろ俺の話はもういいんじゃないですか? 倫殿もお疲れでしょうから……」


「……幸村は相変わらず他人を思いやる優しい子だね。そこは昔っから変わっていないね」


 言って、信之さんは幸村さんに慈愛のこもった眼差しを向けている。


「ほっんとうにいい子だよ、幸村はっ!」


 今度は嬉しそうに幸村さんの頭をわっしゃわっしゃと撫でまわし始めた。


「あの、兄上。俺ももう大人ですから……そうやって子供みたいに頭を撫でるのを辞めて貰えませんか……?」


 迷惑そうにそんな事言ってるけれど。

 幸村さん、どことなく嬉しそうしてるのは、わたしの気のせいだろうか。


「いいじゃないかっ。僕はね、君と久しぶりに出会えたんだからすっごく嬉しいんだよ」


「久しぶりって……兄上と別れて二ヶ月くらいですよ? 懐かしむには、少々早いのではないですか?」


「え、二ヶ月……?」


 幸村さんを撫でていた信之さんの手が突然止まった。

 さっきまで嬉しそうだった顔が、今は不思議そうな表情に変わってる。


「……兄上? そんな顔をしてどうしたんですか?」


「あ、ううん。何でもないよ……って、僕を心配してくれるなんて……もう良い子だよ、幸村はっ!」


 あ〜あ。

 めちゃくちゃ幸せそうな顔しちゃって、幸村さんを思いっきり抱きしめているし。



 ——ごぎゅるるるるるっ



 強烈に鳴ったわたしのお腹。


 その音に驚いた信之さんが、わたしを射るような視線を送ってくる。


「すごい音だね、君……そんなにお腹が減っているの?」


「いや〜あはははぁ……ええと、わたしご飯作って来ますね」


 幸村さんは顔を伏せて必死に笑うのを堪えて、体がぷるぷると震えている。


 うぅ〜すっごく恥ずかしい。


 わたしは恥ずかしさに耐えきれず、キッチンへと逃げた。


「あ〜めちゃくちゃ恥ずかしかった……さあ、気分を切り替えて、晩ご飯を作っちゃおうっ」


 いつものようにエプロンを装着し、食材の準備を——


「ねえ、君っ」


「うわっ……の、信之さん! ど、どうしたんです?」


 突然後ろから声をかけて来るから、思わず驚いて仰け反ってしまった。


 うん? 信之さん、さっきより真剣な顔をしてるけれど……どうしたんだろう?


「ねえ、教えてほしいんだ。あの幸村はいつの幸村なの?」


「ええと……? どの幸村さんとか言われましても……」


 なんて答えればいいのよ。

 信之さんの質問の意味が分からないぞ。


「僕はね。幸村とはもう数年も会う事が出来ていないんだ。だから、幸村が言う二ヶ月ってあり得ないんだよ……ねえ、もし君が知ってる事があれば、それを僕に教えてほしいんだっ」


 真実を知りたいと云う、信之さんの真剣な眼差しをした表情。

 

 これは誤魔化すとか出来なさそうだな。


「う〜ん……仕方がないですね」


 信之さんの真剣さに負けて、わたしは正直に話ことにした。


 この家の秘密や、居間に座っている幸村さんがどの時点での幸村さんであるかを。


 もちろん話の流れで、幸村さんが大坂夏の陣での最後のことまでも話した。


 信之さんは話を聞いてる間、一言も喋らずにずっと難しい顔をしていた。


「……そうなんだ」


 弟の最後の話を聞いても、信之さんの態度に変わった様子はない。

 むしろどこか誇らしげな表情を浮かべている。


「あのですね。それでこの話は幸村さんには——」


「心配はいらないよ。幸村にこんな話をするつもりはないからね。仮に話たとしても、弟は絶対に大坂に行くだろうけどね」


 信之さんは幸村さんの方をチラッと見て、クスリと笑った。


「じゃ、僕は向こうで幸村と料理が出来るのを楽しみにして待ってるよ。それに……僕は幸村とまだまだたくさん話しておきたいからね」


 そう言い残すと、信之さんは幸村さんが待っている居間へと戻っていった。


「よしっ! 二人が美味しいって喜ぶくらいの料理を作るとしますかっ!」


 冷蔵庫から食材を取り出して、キッチンに並べていく。


 今日の晩ご飯は親子丼なのだよ。


 まず鶏もも肉を一口大に切り分けていく。

 玉ねぎは薄切りにする。


「次は卵ねっ」


 ボウルに入れた玉子を溶いておく。


 フライパンに油を入れて中火で熱したところに、切っておいた鶏もも肉を投入。


「ん〜……ジュウジュウとお肉が焼ける美味しい音と匂いにヨダレが止まらない〜っ」


 ぐるると、お腹の音が鳴り止まない。


「うぐ……もう少しだから我慢してね」


 お腹にそう言い聞かせて、わたしは調理を続けていく。


 鶏もも肉の色が変わったタイミングで、切った玉ねぎを入れて炒める。

 玉ねぎがしんなりしてきたら、醤油、お酒、みりんに砂糖を投入っと。


 そのまま中火で煮込んで鶏もも肉の中まで火が通ったのを確認する。


「調味料の汁気が半分くらいになったら溶いた玉子を2/3を流し入れて……」


 少し固まってきたら残りの玉子を追加し、中火で10秒程したら火から下ろす。


 どんぶりに炊きたてほかほかのご飯に、出来上がった物を乗せたら——


「親子丼の完成……っと、三つ葉を忘れちゃいけないわね……うん、これでよしっ……今度こそ本当に完成なのだよっ!」


 三人分をテーブルの上に、どんぶりを並べていく。


 どんぶり前にした信之さんは、目を丸くしている。


「な……なんだい、この料理は……!?」


「んふふふ〜これは玉子と鶏肉を調理した親子丼って奴なのですっ」


「お、親子丼……?」


「じゃ、いただきましょうっ」


 どんぶりを手に取り、親子丼を口に中に流し込んでいく。


 あ〜……つゆが染みてるおかげで、ご飯がサラサラと口に中に入ってきて、止められない。

 フワフワの優しい味の玉子、柔らかい玉ねぎに歯応えのある鶏もも肉。


「ん〜〜〜っ! おいひぃ〜っ!」


 もう最高である。


「うんうんっ! この親子丼、なんて美味しいんだいっ。まさかご飯と玉子がこれほど合うなんて……僕の想像を超えてる美味しさだよっ」


 親子丼をめちゃくちゃ絶賛してくれている、信之さん。

 余程気に入ってくれたのか、一生懸命になって親子丼を食べている。


「そうでしょう、兄上。倫殿の作る料理に間違いはありませんからね」


 幸村さんも信之さんに負けないくらいの勢いで食べている。


 目尻を下げてまで、二人は料理を美味しそうに食べてくれるから……


「えへへへ〜なんかそう言って貰えると嬉しいです」


 わたしも顔が、ついほころんじゃうのだよ。



 ◇



「ふぅ……ご馳走様。本当に美味しかったよ」


 食べ終えた信之さんが、ドンっとテーブルの上に空になったどんぶりを置いた。


「ご馳走さまでした、倫殿。今日も美味しい料理を——って、兄上。口の周りにご飯が着いていますよ」


 言って、幸村さんは信之さんの口の周りに着いた米粒を一つずつ取っていってる。


 なんて微笑ましい光景なんだろ。

 本当にこの兄弟は仲がいいのが、わたしにまで伝わってくる。


「お前は本当に変わらないな、幸村」


「……兄上?」


 幸村さんを見る信之さんの切なくて悲しそうな瞳。

 

 幸村さんも何かを感じたのかな。

 二人はお互いに見つめあったまま、何も語ろうとしないでいた。


「——そろそろ時間のようですね」


 そう言う幸村さんの体が少しずつだけど、薄れはじめていた。


 「……そのようだね」


 名残惜しそうな幸村さんに、信之さんは優しく微笑んでいた。

 わたしには辛い気持ちをグッと堪えて、無理して微笑んでいるように見える。


「幸村……ぼくはお前を誇らしく思うよ」


「俺もですよ。お互い進む道は違いますが、お互い真田家のために——」


「うん、そうだね」


「ええ。また必ず会いましょう、兄上」


 幸村さんはにっこりと微笑んで消えてしまった。


 幸村さんが消えた虚空を、信之さんは黙ってじっと見つめていた。

 背を向けて立っている信之さんの表情は、わたしからは見えない。


「また会おうだってさ……呑気な弟だよ、全く……」


 信之さんの声が震えていた。


 敵味方に別れて以降。 

 信之さんと幸村さんとが再度会ったと云う記録は残っていない。


「また会いましょう」と言った幸村さんの言葉。

 信之さんにとって、どれだけ辛い言葉なのだろうか。


 この家に来れば、幸村さんとは確かに会える。

 でも会えば会うほど、信之さんは辛くなるだけだと思う。


 だって、信之さんの知ってる歴史には、もう幸村さんはいないのだから。


 ——信之さんはもう二度とこの家に来る事がない


 わたしには、なんとなくそんな気がしてならないのだ。

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