第19話 信長と毛利元就とカキフライと
「いやあ〜最近家督を継いだばかりなのに、いろいろと問題を抱えておりましてなぁ」
毛利元就さんは困ったように言ってるけれど。
のほほんとした表情からはとてもそうは思えない。
「家督の問題か。お前も苦労しておるようだな」
「おお、信長殿も分かってくれますか!」
「分かる、よく分かるぞ元就。俺もお前と似たような境遇でな——」
信長さん、元就さんと話がずいぶんと弾んでるなぁ。
こんなに他の武将さんと楽しそうに話す信長さんは、初めてかも。
——毛利元就さん
中国地方を統一した武将さんで、あの「三本の矢」で有名な人物だ。
策略に長けた知将との名高い人でありながらも、天下を望まなかった稀有な戦国武将である。
家督を継いだばかりって言葉から、この元就さんは現在二七歳の元就さんってことになるみたい。
たった今、日和に確認したから間違いはない。
信長さんもたしか歳が近いはずだし、家督問題でいろいろあった経緯からかな。
似た境遇の元就さんに親近感が湧いたのかも知れない。
「それで信長。君は武力による戦略を主軸にして作戦を立てる傾向にあるようだね」
話の終盤に差し掛かったところで元就さんの質問に、信長さんは少し驚いた表情をした。
「……言われてみればそうかもしれんな。お前が言うとおり、たしかに俺は武力による戦い方に比重を置いてる節が強いかもしれぬな」
「だからだよ、信長。これからは武力だけではなく、手段や勝つための技法、人を欺く計略を巡らせることが重要になってくると、私は思うのだよ」
「——権謀術数。たしかそのような内容だったか」
「儒教学者の朱子の書籍だったね。君も知っていたとは、さすがというべきか」
「これくらいのことは知っておって当然のことだろう」
「……国を護り治める者として、これくらいのことは知っていて当然だろうね」
元就さんが言った後、二人は笑い出してるし。
信長さんも元就さんもすっかり意気投合しちゃってるなぁ。
「元就、お前と話すのは実に楽しい。だから——」
するりと背中から純米吟醸の一升瓶を元就さんの前の取り出した。
またお爺ちゃんの秘蔵のお酒なんだけれど。
毎回どこから引っ張り出してくるんだろうか、信長さんは。
「酒でも呑みながらもっと話さぬか?」
「——酒か」
酒瓶を見るなり元就さんは眉間に皺をよせて顔をしかめると、かなり怪訝そうな面持ちをした。
「……お前、酒は飲めぬのか?」
「まあ、私は下戸なのは否定はしないのだがね……しかし信長。私は君が酒を飲むことについて苦言を申したい」
「おお、おお……?」
「良いか信長。酒は百薬の長というがね、そもそも何かにつけて酒を飲むという習慣がだね——」
元就さん、信長さんにお酒がいかに健康に悪いのかと長々と講釈をたれ始めちゃった。
わたしの知らないような難しい言葉をいくつも並べて語ってる。
——ピロリン
着信音に気付きスマホに目をやると、どうして元就さんがお酒のことでここまでこだわる理由があるのか、と日和からのメッセージに書かれてあった。
「ええとなになにぃ。元就さんのお父さんとお兄さんはお酒飲み過ぎて身体を壊して早世したって……ああ、それで納得」
信長さんもどうしたらいいのか、困ったような面持ちを浮かべてるし。
「それで私の父親と兄はだね——」
元就さんの話がまだまだ続いている。
話の内容から察するに、どうも元就さんの過去の話に突入してるみたい。
「そしてそれは私にも大きく関わることになったのだよ。聞いているのかね、信長!」
「お……おう」
それと……さっきからずぅーっと元就さんが一方的に喋っている。
それを聞かされている信長さんは無表情のまま、岩のように固まってピクリとも動いていない。
そういえば、元就さんの逸話の中に、たしか手紙の内容がめちゃくちゃ長かったっていうのがあったな。
手紙だけじゃなくて、若い頃の元就さんは話も長いようだ。
——ごっぎゅううううう〜
毎度毎度、お腹の虫は豪快に鳴り響いて、わたしにご飯の時間を正確に伝えてくれるのよね。
そう周囲の空気すら読まずにね。
「な、なんだね!? 今の奇怪な音は!?」
そんな空気を読まないわたしの腹の虫に、元就さんも視線が突き刺さる。
というか、そんなに奇怪な音をしていた?
空気は読んでないけれど、割と控えめな音をしていたはずなんだけど。
「お、おう。そろそろ腹が減る時間だと思っておったぞ、倫! なんなら俺も今日は手伝ってやらんでもないぞ!」
「え? いや、信長さんが手伝うって料理できませんよね——」
「いいから早く厨房に向かうぞ、倫!」
「え、ええええ!?」
信長さんに強く背中を押されキッチンへと向かうことになるのだよ。
居間に元就さんただ一人だけを残して——
◇
「……なんかわたしの腹減りを理由にして、元就さんから離れてませんか、信長さん?」
「……そんなことはない。元就とは一切関係はない」
わたしから視線を逸らしてそっぽを向いてる。
すごい分かりやすいなあ、本当に。
「まあ……いいですけど。それで信長さんは今日の晩ごはんを作るの、本当に手伝ってくれるんですよね?」
「——俺が手伝うわけがなかろう!」
うわぁ。
ムカつくくらい清々しい顔で言いきったよ、信長さん。
「……あはは。そんなことだろうとは思ってましたけどね。とりあえず邪魔だけはしないでくださいね」
「おう、任せろ」
むぅ。そんな自信満々に言うことではないでしょうが。
「まあ信長さんは置いておいて、早速調理に取り掛かるとしましょうか……さてと——」
まずはむき身の牡蠣を用意する。
つい先日、親戚のおばあさんから結構な量の岩牡蠣を送ってもらっていたのだよ。
それで今日はこの牡蠣を使ってカキフライをば作ってみようかと思う。
冷蔵保存していた牡蠣を保存容器ごと取り出してっと。
「よし! ちゃちゃっと始めますか」
まずは牡蠣の殻から汚れや付着物を取るために、たわしでゴッシゴシと洗い流す。
これが結構な重労働なのだけれど……美味しいカキフライを食べるためなら、これくらいは問題ないのよね。
全ての牡蠣を洗い流した後は、いよいよ殻を剥く作業。
「まずは怪我をしないように、しっかりと軍手をしてっと」
用意ができたら、牡蠣ナイフで殻の先の隙間から差し込んで——
「中の貝柱を切れば、簡単に開くのよね」
信長さんが珍しく感心するように、ほうっと唸った。
これは慣れればそんなに難しいことじゃないんだよね。
「じゃあ次の牡蠣にいくとしましょうか」
これも繰り返し作業にはなるけれど。
殻を剥く作業はそれなりに楽しかったるするのだよ。
そこそこの時間をかけて牡蠣を剥き終えたら、次はむき身の汚れを落とす作業だ。
小さめなボウルに塩水を作って、そこへ牡蠣を一つずつ入れて汚れを洗い流してやる。
「むき身はあまり力を入れずに優しく洗ってやるのがコツなんですよ」
洗い終わった牡蠣は水気を軽く切って、布タオルの上に置いていく。
残りの牡蠣も同じように塩水で洗っていき、全て布タオルに並べて——
「上から別の布タオルを軽く押さえて、ヒダの中まで水気も軽く吸いとるっと」
これで下準備は終了である。
次は牡蠣を揚げる準備に取り掛かるから、フライパンに油を入れて180度くらいの温度になるまで火にかけておく。
「で、その間に小麦粉と溶き卵とパン粉を準備準備っと」
小さめのボウルに割って卵をお箸で適度に掻き混ぜれば。溶き卵の完成。
バットには小麦粉を入れ、別のバットにパン粉を敷き詰めておく。
「さてと……」
むき身の牡蠣の表面に小麦粉を薄くまぶす。
このとき余計な粉は落としておく。
次に溶き卵の中をくぐらせて、パン粉の上に置いて——
「むき身が隠れるくらい、上からたっぷりとパン粉かけ、手でやさしく押さえるっと」
これを繰り返し、全ての牡蠣にパン粉をまぶしてやれば、いよいよ油で揚げる番なのだよ。
「まずは一つずつ入れて揚げるのもコツなんですよ、信長さん」
「なるほどな。一見、面倒そうに見えるが、一つずつ入れることに意味があるのだな、倫?」
「お、信長さん鋭いですね。実は——」
「ふむ。牡蠣とやらを一気に全て揚げると油の温度が下がる。そうなると揚げる時間が長くなり、せっかく旨いカキフライが油っぽくなる、というところか」
「……信長さん、正解です」
「無駄にお前の飯を喰ってはおるわけではないぞ、倫」
まったく信長さんの洞察力には驚かされる。
言い当てた信長さんは軽く微笑んだだけで、いつもみたいの得意げそうな表情はしていない。
意外な信長さんの一面を知った驚きはあったけれど、わたしは調理の手を止めることなく、カキフライを油の中へと沈めていく。
正直、そんなことよりもわたしにとっては、食欲の方が最優先事項なのだよ。
油に沈んだカキフライは、じゅわじゅわぁっとした音から、カラカラっと美味しい音へと変化していく。
カキフライを揚げる時間は、約三分くらいが目安。
揚がるまでの間、たまに上下を入れ替えるようにしてやれば、両面がほどよいきつね色になる。
もちろん最後に取り出すときは、しっかりと油を切っておけば——
「さっくさくのカキフライが出来上がるのよね」
「おお出来たか! 揚げたてのカキフライはどれほどの旨さか……さっそく喰ってみなければならんな」
「食べたい気持ちは十分すぎるほど分かりますけど。もう少しだけ待っててください」
「——むうぅ。まだ喰んのか」
「そんな子供みたいに残念そうにしないでください。カキフライにこれがあれば、もっと美味しくできちゃうんですから」
「なんだ……お前が手にしている、その黄色いものは?」
「ふっふっふぅ。これは檸檬ですよ、檸檬」
「れ、檸檬だと——?」
◇
「お待たせしました、元就さん! 今日の晩ごはんはカキフライですよ!」
「かきふらい……このきつね色の物があの牡蠣だというのかね?」
テーブルに出されたカキフライに、元就さんは目を丸くしている。
安芸の国に領地を持っているのだから、牡蠣くらいは知っているはず。
「ええ。その牡蠣を油で揚げた美味し〜い料理ですよ」
「なるほどだね……ではせっかく倫殿が作ってくれたカキフライをいただこう」
カキフライを口にした瞬間、衣をザクリと噛み切る心地よい音が元就さんの口から漏れてくる。
そして——
「う……うまい!」
「えへへ。でしょ?」
「これがあの牡蠣とは驚くしかないね。殻ごと焼き食しても美味い牡蠣を油で揚げると、また違った風味が口いっぱいに広がってくるね」
はぁと元就さんから溢れるため息は、美味しいって証拠のため息だ。
「どうだ、元就。これほどの旨さを持つカキフライにだな、この檸檬の絞り汁をかけてやるとだな——」
信長さんは自分のお皿に乗せたカキフライに、檸檬をぎゅーっと絞ってみせた。
「何をしてるんだね、信長! このままでも十分美味いのにそんな得体の知らない汁をかければ味が損なわれてしまうのではないのかね!?」
「さて、それはどうかな?」
信長さんはにぃっと不敵に笑むと、元就さんの口の中へ、檸檬のかかったカキフライを放り込んだ。
「ぐ……こ、これもうまい!? 微かな酸味がカキフライの旨味をいっそうに引き立ててくるではないか!」
「ふむ、そのカキフライ問題ないようだな。どれ、俺もそのカキフライを喰ってやるとするか」
元就さんの反応をじぃっと見ていた信長さんも、バクリとカキフライを口に頬張った。
「——うむ、柑橘と油で揚げた衣がこれほど合うとは意外だったが、悪くはない」
信長さん、悪くはないとか言っているけれど、美味しそうに顔を綻ばせているじゃない。
信長さんも元就さんも、カキフライを一口食べては感動して、「美味い」と連呼しているし。
もちろんわたしも二人に負けないくらい、カキフライの美味しさを堪能していますとも。
「はぁ〜……檸檬の搾り汁に揚げたてカキフライ組合せ……さいっこう! さらにそしてだよ」
檸檬をかけていないカキフライに、自家製タルタルソースをどっぷりとつけて、パクリと口の中へ投入する。
「はぁ〜〜……タルタルソースにつけて、ご飯と一緒に食べるのも、本当に最高!」
さっきから信長さんが恨めしそうにわたしを睨んでいる。
元就さんも訝しげな表情をしてるけど。
「おい、倫。なぜ一人でそんな旨そうな喰い方をしておるのだ?」
「そうだよ、倫殿。なぜ私と信長にはそのような美味い食べ方を黙っていたんだね?」
「ふっふっふ。それはですね……カキフライの食べ方で巧みに二人を欺いたわけでして、わたしなりの権謀術数です」
次の瞬間——
信長さんは口から米粒を吹き出して、ひゅーひゅーと苦しそうにお腹を抱えて大笑いしている。
元就さんは少し呆れ笑いをしていたのが気になるけれど。
なにかわたしは間違えていたのだろうか——?
◇
食後——
元就さんは信長さんに、ある質問をしていた。
「なあ、信長。仮に自領の問題を解決した先に君はなにを考えるのだね? やはり君が欲するのは天下なのかな?」
信長さんはコップをテーブルの上に置くと、少し考えるような表情を浮かべて——
「……先の話か。やはり俺は天下を手に入れたい」
「天下をかね……君が天下を望めば、乱世が今以上に混沌とした世の中になると思うのだが……君の戦乱の世を望むのだね?」
「もしそうなるなら、それは仕方がないことだろうな」
信長さんを見る元就さんの眼つき、どんどん鋭くなっていくのが分かった。
もちろん信長さんも元就さんの表情が変わっていることに気づいているとは思うけれど。
「仕方がないのかね……君はやはり——」
「ああ、そのとおりだ。俺が求める天下泰平がその多くの犠牲の上に成り立つのならな」
信長さんの言葉に、元就さんは驚いて呆気に取られたような表情してる。
元就さんが思ってた以上の答えが信長さんから出たからなのかな?
「俺は応仁から続くこのくだらん乱世を終わらせることが望み……使命とすら思っておる」
秀吉さんのときも、夏祭りのときもそんな話をしていた信長さん。
あのときはまだ不明確でぼんやりとした話だったのが、今は信長さんの中で明確な目標に変わっているんだ。
「それで、元就。お前はどうなのだ? 先のことは考えているのであろうな」
「——さあどうだろうね。まだまだ内と外に問題を抱えたままだからね」
「——よく言うわ」
「はははは。でも仮に私が天下を望んだとしても……私は君と戦うことは遠慮しておきたいだろうね」
「ふむ……そうか」
信長さんは何もそれ以上言わずに、お酒を再び飲みだしたのだけれど。
でもそれは元就さんに呆れたんじゃなくて、なんとなく嬉しそうにみえるのだよ。
実際、信長さんと元就さんは信頼関係を築いていたって逸話が残っているくらいだ。
もしかして今日の出会いが二人の親交のきっかけだったりしてと、考えてしまう。
「それと、倫殿には礼を言わないとだね」
「……お礼、ですか?」
「ああ、そうだよ。君の見事な牡蠣料理に感服したからね。私は牡蠣の魅力的な旨さを是非家臣や領民にもっと広めていきたいと考えたのだよ」
「はぁ、そうなんですか……って、あれ? 牡蠣の養殖なんて、時代的にやっていたかなぁ?」
「ほう牡蠣の養殖……?」
元就さん、ぶつぶつと養殖養殖って呟いて考え込んでいる。
「——そうか! 牡蠣の養殖か。それなら何とかなりそうだよ。良い考えをありがとう、倫殿」
何を閃いたような顔をすると、わたしに簡単に礼をして元就さんは帰っていったのだけれど。
牡蠣の養殖なんて、戦国時代にやっていたのかな?
——ピロリン
また日和からのメッセージが届いた。
「ええとなになに……あーなるほど」
『天文年間1532から1555年の間に牡蠣の養殖が始まったと資料が残ってあるわね。
それと毛利元就様は享禄二年の1529年に、安芸から石見にかけての広大な領土を手に入れたのよ。
何がきっかけで元就様は牡蠣を養殖しようと考えに至ったのか。
偶然にしては不思議だと思わないかしら、倫』
そこに書かれていた内容に、わたしは妙に納得してしまったのだよ。
元就さんもまた信長さんに負けず劣らずの食いしん坊みたいだ、と——