11話 焼き餃子と徳川家康と
「おい、女。今すぐ俺様の側室になれ」
「ええと……はい?」
出会って数秒でわたしは信長さんの連れに求婚されてしまった。
しかもだよ。
わたしの腰に手を回して体ごと引き寄せると——
「問題はあるまい? この俺様に言い寄られて断るなんてないよな」
その人は息がかかりそうなくらいの距離に顔を近づけている。
たしかにかなりのイケメンなんだけれど……
「全力でお断りさせていただきます。と言うか、信長さんっ、この人は誰ですか!?」
わたしは信長さんに助けを求めるように視線を送ったのだけれど。
男の人の背後に立っていた信長さんは、ふぅ〜と、呆れたように深いため息をついてみせた。
「……お前は誰彼かまわず女に声をかけすぎなんだよ……その癖を治そうとは思わないのか、元康?」
「ああん? 誰でも良いわけじゃないぞ、信長。俺様が気に入った女だけにしか言ってない。そこは勘違いするな」
「いや。俺はお前が出会った全ての女に声をかけてるのを見てるんだが……まあ、それはいいとして、そろそろ倫を離してやれ」
「無理だな。こんな愛らしい女を簡単に離すつもりは、俺様にはない」
「いいから離してやれ、元康っ。今日はそれが目的じゃないだろう」
「……ふぅ。そうだったな、信長。仕方あるまい」
言うと、元康さんって人は腰に当てた手をフッと手を離してくれた。
「女、俺様から離れても悲しむなよ?」
「ええと……それは無いです」
「ふっ、そんなに照れを隠さなくてもいいからな」
「ええと……照れても隠してもありませんっ」
どれだけ自信家なんだ、この人は。
わたしの態度で嫌そうにしてるのが分からないのか。
「すまんな、倫。元康のやつが迷惑をかけてしまったな」
「ええと、それはもう済んだことですし、どうでもいいんですけど……あの元康さんって人は誰なんです?」
「奴は松平元康。奴と織田とで同盟を結んでもらうようにずっと説得してるんだが……なかなか首を縦に振ってくれんのだ」
あれ……? 信長さんずいぶんと難しい表情をして元康さんを見ている。
「なんだか難しそうな話なんですねぇ」
「まあ、難しい話なんだがな……それで倫の飯を喰わせて懐柔しようと考えて連れてきたんだが……まあ、そのなんだ。早速、お前に迷惑をかけたようだ……すまんな」
申し訳無さそうに、信長さんが頭をペコリとわたしに向かって下げた。
あの誰にも媚びない臆さない信長さんがだよ。
元康さんって人のために頭を下げるだなんて……
それだけでも、元康さんと同盟を結ぶのがすごく重要なことが、わたしでも分かる。
松平元康さん——
……あれ?
わたし、松平元康さんって人は知らないぞ?
信長さんが重要視する人なんだから、歴史的に見ても有名人なはずなのに……
戦国時代、武将さん達はいろんな理由から他の武将さん達と同盟を築いていた。
余計な争いを避けるためだったり、力を増強するためだったりと、様々な理由からだ。
有名なところでは、信長さんの妹・お市さんを近江の浅井長政さんに嫁がせて同盟を築いてたりしている。
だから、この松平元康さんもそんな中の一人なんだろうけれど……
「ふむむ……これは智巳に聞かねばならないわね……ええと、『松平元康さんって誰?』っと送信っ!」
わたしはポケットから取り出したスマホで智巳にメッセージを送った。
あとは歴史オタの智巳から返答を待てばいいのだ。
「——で。わたしはいつも通りにご飯を作ればいいんですよね?」
「ああ、そうだ。やってくれるか、倫?」
「ええ、任せてくださいっ」
頼んだぞ、と言うと信長さんは元康さんを連れて居間にあるテーブルの前に向かい合わせで座った。
そして、これまたいつもどおりに、お爺ちゃん秘蔵のお酒を取り出して、二人で酌み交わしはじめている。
「ふむむ……今日はなんだかいつも以上に真剣そうな雰囲気だな」
最近、信長さんが少し変わってきたような気がするんだよね。
以前より大人びてきたというか、落ち着いてきたと言うか。
今日だって、わたしに頭を下げたりしたからね。
以前の信長さんなら、そんなことはしなかったのに。
「っと、考えても仕方がないっか。とりあえず信長さんに任されたんだし、今日も美味しいご飯を作るわよ〜っ」
気合を十分に入れて、わたしはキッチンへと向かった。
◇
キッチン——
壁に掛けたお気に入りのエプロンをつけると、冷蔵庫から下準備した材料を取り出す。
「——さて。今日の晩ご飯は餃子だ」
まずはキャベツを細かくみじん切りからだ。
キャベツは少し太めのせん切りをして、そこから粗めに細かくみじん切りにしていく。
細かくみじん切りすることで、餃子の餡と馴染むからだ。
キャベツは切り終わったから、次はニラを同じようにみじん切りにする。
このとき、ニラはミリ単位で出来るだけ細かく切っていく。
「……よしっ。次はいよいよお肉の出番だ」
豚のひき肉をボウルに入れて、塩胡椒を加えてよぉ〜くかき混ぜる。
ひき肉に粘り気が出てきたらみじん切りにしたニラとキャベツを入れ、さらに捏ねていく。
キャベツやニラがお肉と均一に混ざれば、餃子の餡の出来上がりだ。
「ふぅ〜……こんなものかな。それじゃ次はっと皮で餡を包んでいく工程だ」
昨日から作り置きしておいた餃子の皮を冷蔵庫から取り出す。
手のひらの上に皮を平らにおき、そこへ餃子の餡を乗せるのだけれど。
「このとき餡は平らに伸ばしておく。こうしておけば皮が包みやすくなるのだよ」
餡を乗せたら皮と一緒に半分に折りたたみ包み込む。
皮の端をしっかり摘んで、ひだを作り、できたひだは左手の親指でしっかり押さえて波状にヒダを寄せながら包んでいくと——
「一個目完成っ!」
無駄のない完璧なフォルムの餃子に、思わずうっとりしそうだ。
美味しそうだし。
「っとと。感心してる場合じゃない。続き続き」
残りも同様に同じ工程を踏んで餃子を作っていく。
——十五分後
「よし……これだけあれば十分でしょ。うん、我ながらよくやったよ」
気づけば金属バットの中には、餃子が密集してぎゅうぎゅうに敷き詰められていた。
途中で作ってる数えるのをやめたくらいに、餃子を大量に作っていたのだよ。
「まあ……これくらいならわたしと信長さんだったら余裕だよね」
煌く敷き詰められた餃子の皮。
それに呼応するかのように、わたしのお腹が「ズキュゥーンっ」からの「ゴゴゴゴゴ」と鳴り響りはじめる。
「はいはい。もう少しだから我慢しなよ、お腹くん。もうすぐすれば出来上がりなんだからね」
鳴り響くお腹をなだめながら、わたしは28cmもあるフライパンを二つ取り出して、それぞれコンロの上に。
フライパンの中にサラダ油をたっぷりと入れてあげて強火をかける。
火をかけたらフライパンに餃子を並べていく。
じゅうっと皮の焼ける食欲をそそる美味しそうな音が聞こえてくる。
「さ、ここで熱湯の登場っと!」
サッと熱湯をフライパンに入れると、すぐに蓋をする。
餃子の具は全て生ものだから、きちんと火を通すさないと片焼けになってしまうからだ。
フライパンの中で水蒸気が餃子全体を満遍なく加熱してくれている。
火が通るまで約四分間、わたしはジィッと待つのみなのだよ。
——四分経過
「そろそろいいかな……」
蓋を開けると、むわっと水蒸気がわたしの顔を包み込んだ。
「仕上げの前の一手間に胡麻油をっと」
胡麻油を餃子の上にかけると、胡麻油が熱せられてじゅわっと美味しい音と香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってくる。
くぅ〜たまらない匂いだ。
またまたわたしのお腹が、食わせろと急かしてくる。
「もうちょっとかなぁ」
餃子をよく見ると、焼き面のふちに焼き色が見えている。
いい具合に焼き色がついてきたら——
「完成っ!」
焼き面を上にしてお皿に盛り付ける。
お酢とお醤油とラー油で作った餃子のタレと……
「ご飯ご飯っと。これがなきゃ餃子を食べた気にはならないのよねっ」
三人分のご飯を用意して、わたしは信長さんと元康さんがいるテーブルまで運ぶ。
◇
テーブルに並べられた餃子に、信長さんは爛々と目を輝かせている。
「くはははは! また旨そうな料理が出てきたな。倫、これは何ていう料理だ?」
「今回は餃子です。出来立てあっつあつだから口の中を火傷しないでくださいよ?」
「——ゴクリっ……熱いうちに喰うのがいいのか……そうか。ならば一番旨いうちにいただくとしようっ!」
いきなりお箸で餃子を突き刺すと、信長さんは熱々の餃子を口の中に放り込んだ。
「ほっほ……! たしかに口の中が熱くなるが……これは旨いっ!」
ほふほふと口をさせながら熱そうにしてるけれど、次から次へと餃子を食べていく信長さん。
「う……わ、わたしもいただきますっ!」
めちゃくちゃ美味しそうに食べる信長さんを見てると、わたしも我慢なんてできるわけがない。
まずは何もつけずにそのまま餃子を一つ口の中へぱくりと頬張った。
「ん〜〜っ! んふふふふ〜」
パリっとした食感のいい餃子の皮。
その中からぶわっと溢れ出る肉汁。
味が渾然一体となった口の中で、肉とニラとキャベツが調和を奏でてるようだ。
「よし。今度はタレにつけてっと」
小皿に入ったタレを餃子につけて、それを一回ほかほかご飯の上に乗せる。
そして、餃子を口に入れたらすぐさまにご飯も口の中へ——
「はぁ〜……至福の時間だよ……」
餃子のタレがついたご飯もたまらなく美味しい。
「旨そうに喰いやがって……どれ俺様も喰ってやろうとするか」
わたしと信長さんがあまりにも美味しそうに食べている姿を見て我慢できなかったんだろう。
元康さんも餃子をお箸でつまむと、ポイッと口の中に放り込んだ。
「こ……これは——!?」
「えへへ。どうですかどうですかっ。餃子、美味しいでしょ?」
食べるまで難しい表情をしていた元康さんの表情。
まるで美味しくて抑えきれないってくらいの満面の笑顔を浮かべている。
そんな笑顔されたら、わたしも作った甲斐があるっていうものだ。
「どうだ、元康? お前もこんなに旨い飯は喰ったことはないだろう?」
「……悔しいがこれほど旨い飯は生まれて初めて喰うな。お前はいつもこれほど旨い飯を喰えるのか、信長?」
食べることに夢中になりすぎて、元康さんには気づかなかったけれど。
元康さんが手にしたお茶碗は、米粒一つ残らないくらいキレイに空になっていた。
「……でぇ。餃子を食べた感想を聞かせてほしいですけれど……」
「ああ、たしかに旨かった。が、俺様は気に入らんな」
言って元康さんは、わたしの手をギュッと握りしめて——
「信長一人にお前を独占する権利があるのが、俺様は気に入らん!」
「ええと……そんなことを言われましてもですね……」
「おい、女。俺様だけのためだけにこれから飯を作り続けろ。他の連中になぞ作ってやる——」
「お前なあ……本当にいい加減にしろ」
呆れてモノが言えないって表情で元康さんを見ている。
「何がそんなに駄目なんだ……ああ、そうか。この女はすでにお前の——」
「いやそれはないな。この倫がいなくなったら旨い飯が喰えなくなる。ただそれだけのことだ。そこは勘違いするな、元康」
そう言い切られると、なんか面白くない気分なんだけれど。
もう少し、わたしが心配だとか言えないものだろうか。
「なんだ? どうしたんだ、倫。そんな頬を膨らませて……?」
「ふんっ! なんでもありませんよっ、もうっ!」
不思議そうに首を捻っている朴念仁の信長さんに、わたしはちょっとだけ腹が立っていた。
◇
食事が終わって、わたしは片付けをしていた。
信長さんと元康さんは、またお酒を飲みはじめていたんだけれど——
「それで元康……俺と同盟を——」
「またその話か、信長。以前にも言ったが俺様はお前と同盟を組む気はない。何度も同じことを言わせるな」
「元康、義元はもういないんだ。いつまでも義理を立てる必要はないんだぞ」
信長さんの言葉に、元康さんは押し黙ったままだ。
ずっと白熱した討論みたいなのをしてるけれど。
でも、なかなか元康さんの気が変わらないみたい。
信長さんがさっきから今川義元の名前を出しているってことは、元康さんは義元さんの親戚かなのかな?
「元康っ、俺と共に乱世を終わらせて新しい時代を築こうじゃないか」
「……新しい時代だと?」
「ああ、新しい時代だ。それを創るにはお前が必要なんだ、元康っ」
にぃっと微笑んだ信長さんは、向かいに座る元康さんに腕を差し出した。
「俺様が必要だと……そこまで言われたなら黙っていられんな。いいだろう、信長っ! 同盟の話、受けさせてもらおうじゃないかっ!」
がっしりと腕を取り合った二人の姿に、わたしまでなんだか嬉しくなってくる。
「いいか、信長。俺様一度惚れた男からは一生離れるつもりはないぞ。覚悟をしておけよっ?」
「ああ、望むところだ。俺もお前とは何があろうとも裏切るつもりはないからなっ!」
こういうのを男同士の友情っていうのかな。
こんな友情って羨ましいなぁ。
「じゃあ今川とは縁を切るが……今川から貰った元康の名前のままだと締まらんな。何かいい名前はないか、信長?」
「名前か……そうだな——な、なんの音だ!?」
二人が真剣そうな顔で考え込んでいた瞬間だった。
わたしのスマホから派手な着信音が鳴り響く。
「おい、倫……今、俺と元康が真面目な話をしている最中にだなぁ」
「ええと……ご、ごめんなさいっ! す、すぐに切りますからっ!」
じろりと、信長さんが怪訝そうにしてわたしを睨んでいる。
わたしは着信音を消して、スマホの画面に視線を向けた。
画面には智巳からのメッセージが一通のお知らせが届いている。
「なんてタイミングが悪いのよ、智巳は……っと、なになに……」
『松平元康さんが来てるんスか!? そこにいる松平元康さんって人は徳川家康さんと同一人物っスよ! 激レアっスよ、倫ちゃんっ! あ、お礼は元康さんの写真でいいっスよ!』
「えっ!? 徳川家康さんなのっ!?」
徳川家康さん——
一度は誰でも名前を聞いたことがある人物。
江戸幕府の礎を築いた初代将軍だ。
松平元康さんが、徳川家康さんってことはだよ……
今、信長さんと同盟の話をしている内容は、あの『清洲同盟』ってことっ!?
「その徳川家康と云う名前、気に入ったぞ。どこの誰の名前でも構わんが、俺様が貰ってやるっ」
「ええと……それは良かったですね……あははは」
「おい、女。いい名を考えついたお前を褒めてやるから感謝しろっ! はっはっはっはっ!」
よっぽど気に入ったのかな。
元康さん……じゃなくて、家康さんは嬉しそう笑っている。
と言うか、それはあなたがこれから一生名乗り続ける名前なんですよ。
あれ、でも待てよ?
徳川家康さんてたぬき親父とか、柔和なイメージしかないのだけれど。
わたしの目に前にいる家康さんは、俺様キャラだし……イメージとはかなり違う。
「あ……もしかして……」
家康さんは小さな頃から人質としての生活が長かった。
最初は織田家の人質で、次には今川義元の人質としての生活。
そんな中で彼は自分を強く演じるために、もしかしたらこんな風になったのかも知れないな。
「ま、名前が決まって良かったじゃないか。というわけでこれからは頼むぞ、家康」
「ふっ、誰にモノを言っているんだ、信長。俺様とお前が居れば乱世などすぐに終わらせてやるさっ」
「おうよ。くだらん乱世などさっさと終わらせて、太平の世にしてやろうじゃないかっ!」
信長さんと家康さん、今度はガッチリと両手で握手してる。
戦国時代は、他国の武将と同盟を結んだりしていたのだけれど。
裏切りや同盟破棄なんてよくあった話なのだよ。
そんなのが当たり前の乱世で、この二人は同盟を破棄することなく共に乱世を駆け続けたのだ。
この清洲同盟っていうのは、まさに二人の硬い絆で結ばれた友情と言い換えても過言じゃないと、わたしは思っている。
目の前にいる信長さんと家康さんを見てたら、わたしにはそんな気がしてならないのだ。