塔の王女と再会
窓から見える景色は、どこまでも殺風景だ。時折ガタガタと揺れる馬車の中。あたしはぼんやりと外を眺めていた。その先に広がるのは、どこまでも続く荒野。お城がある王都から戦地まではかなりの距離があるらしく、馬車で二日ほどかかるそうだ。…クロードさんがいるならば、一瞬で移動することができるのに。そんなことを考えてしまったあたしは自己嫌悪に陥った。思わずため息をつく。お別れして何日も経っているはずなのに、ふとした瞬間、彼のことを思い出してしまう。それどころでは、ないはずなのに。そもそも、この選択をしたのはあたしだ。それなのに…。
そう思いつつ馬車の外の何もない土地をじっと見つめた。何もないおかげで、空はとても綺麗に見える。どこまでも、遠く。その先にはナテロ国がある。…けれど、元々、ここは、大きな町があったはずの場所。そう思うと、心の底が重くなる。数年ほど前までは、ここはかなり発展した町で、人も大勢住んでいたという。けれど、ある日、災害が起こり、町の半分が被害を受けてしまった。それなのに、国王は何もせず、一人、また一人と町民はこの町を去って行った。
完全に住人がいなくなった後は、周りの町の人々が、ここの廃屋が盗賊などのアジトになったら困る、ということで建物を全て取り壊してしまったそうだが…。だが、その周りの町というのも、既に存在していない。この辺りに住んでいた人は、皆、ナテロ国に行ってしまったそうだ。ここからだと、国境までの距離はそこまで遠くない。歩いてでも行けるはず。本当にこの国は…、限界な状態なのだ。時折、その跡なのか、綺麗な長方形の形の石や、井戸が見える。けれど、既にそこには誰もいない。何の音もしない。人が住んでいたとは、思えないほどに。
しばらく馬車に揺られていると、生命を感じさせない、無機質な土地に出た。先ほどの場所には、多少草が生えていたし、人々の生活の跡が若干残っていたのだが、この辺りには本当に何もない。褐色の荒れ果てた土がむき出しになっている。そして、その奥にあるのは高い壁。天高くそびえ立ち、この土地一体を見下ろしているようだ。その真下にはたくさんの小屋。遠くにあるせいか、驚くほど背の高い壁のせいか、非常に小さく感じられる。あの場所こそが、戦いの最前線。壁の一部は穴が空くようになっていて、そこから攻撃するらしい。そして、壁の向こう側に、ナテロ国軍がいる。けれど、絶対によじ登ってくることは不可能だ。それくらい…、高い。
「意外と大きい…。あたしの破滅の力でどれくらい壊せるかな…。そもそも、一番上に登れる?」
梯子でもあればいいんだけど。そこまでつぶやいたところで慌てて口を押さえた。聞かれてたらまずい。けど、幸いなことにこの馬車にはあたし一人だけ。聞かれる心配は全くない。ちょっと安心したけど、油断しないようにしないと…。この計画は、誰にも知られてはならないのだから。壁の上から力を使えばかなり効果的に壁を壊せそうだと思ったんだけど…、微妙かもしれない。なるべくなら、手の施しようがないくらい、広く、大きく壊したい。そうじゃなければ、きっとこちら側はすぐに体制を整えてしまう。一回力を練習できればいいけど…、どうだろう?果たしてそれくらいの余裕があるかどうか。そんなことを考えているうちに、壁は更に近付き、少しして馬車がゆっくりと止まった。
「――失礼いたします、王女殿下。到着いたしました」
外でそんな声がして、扉が開く。その瞬間、冷たくて鋭い空気が流れ込んできた。その冷たさに思わず身を強張らせる。…そして、呼びかけの声を聞いて、思ってしまった。やっぱり、クロードさんの呼ぶ「王女殿下」の声の方があたしは好き、と…。…こういう、些細なことでも思い出してしまう。あれから、何回も。――何回も。そう思いつつ、重い足取りで馬車を下りる。乾いた風が何もない荒野を吹き抜けていく。あちこちで兵だと思われる人たちが動きまわっていた。けれど、どの人も元気がなさそうだ。
「…それで、早速ですけど、あたしはいつ、力を使えばいいんですか?」
あたしは馬車の周りでこちらを待っていたらしき人々に尋ねた。恐らく、この場所にいる中ではかなり偉い人たちだと思う。下手するとあたしよりも偉いかな、なんて考えてしまう。
「明日でございます。それまでに何かやっておくべきことはありますか?」
そう尋ねられたあたしは辺りを見た。壁のところに梯子がある。どうやら、そこから上に登れるらしい。それなら、上がるための手段は探さなくて大丈夫そうだ。それなら、必要なのは…。
「そうですね…。なら、今日のうちに兵を遠くに避難させておいて頂けますか?もしかしたら、あたしの力が広範囲に及ぶ可能性があるので。なるべく、こちらの兵は減らしたくないでしょう?」
そう言って笑うと、彼らは少しだけ表情を強張らせる。…少し、怖がらせてしまったかもしれない。でもそれくらいの方が良いだろう。彼らはそれを承諾し、去っていく。あたしは壁の方を向いた。けれど、思いを馳せるのは、それではなく、壁のもっと先にいるだろう人物。
「クロードさん……、ごめんなさい」
思い返さないようにしても、どうしても心に浮かんでしまう相手。でも、それもきっと、――明日で終わり。
翌日。あたしは一人、壁の上に突っ立っていた。でも、そこまで幅はないので、落ちないように気をつけないと。時折吹く風は、何もかも奪っていきそうなほどに強い。ここには、あたし以外誰もいない。誰か人を同行させることを提案されたけど、断ったのだ。途中で止められたら嫌だし、そもそもその人が無事ではいられないだろう。ふと下に目を向けると、地面が遥か下に見える。ここから落ちたら、きっと、ひとたまりもない…。あたしが完全に目的を果たすまでは、どうか無事でいられますように…。そう願いつつ、荒野の先を見つめる。この付近一帯はただ痩せた土地が広がっているだけ。ここからだとどちらの軍の姿も確認できる。やっぱり、ナテロの方が圧倒的にその数が多い。そして、この壁が崩れ去れば、どちらの姿も明瞭に見えるようになる。そうなればきっと、こちら側の兵で投降する人や逃げ出す人も増えるだろう。それが、狙い。なるべく犠牲者が出ないように。戦いが起こらないまま終わるように。そのために、あたしはここにいる。
「…さて。そろそろ始めようかな。あまり遅いと不審に思われそうだし」
わざと軽い調子でつぶやいた。上手くいくか、自信はない。でも、成し遂げなければならない。あたしは深呼吸して、真っすぐとどこまでも続く壁の先を見据えた。
その瞬間、金色の光がはじけ、茜色の風が吹いた。
茜色は、あたしの意思に従うように壁全体へと広がっていく。そして、広がっていく場所から壁が壊れ始めた。静かに、静かに、ゆっくりと。前回よりは派手じゃないけど、周りの人に気付かれないようにするにはこれくらいがちょうど良いだろう。この調子ならどうにかなりそうだけど…。問題はあたしが立っている場所。言わずもがな、壁の破壊はあたしのいる場所から始まっている。つまり、一番先に崩れる可能性が高いのは…、あたしが立っているこの場所。でも、崩壊が壁全体に行き渡るまではどうにか…、保ってほしい。
壁が崩れ落ちていく。人々のざわめきが広がっていく。その声は高い場所にいるあたしの耳にも届いた。あと少しだけ持てば。そうすれば…。
だが、その瞬間、大きく視界が傾いた。直前まで地面や壁の暗い色が映っていたはずの目の前に、広く青い空が広がっている。綺麗で、澄んだ色の――。どこまでも、ずっと続いている。一瞬、混乱したが、すぐに分かった。どうやら、あたしが立っていた場所にも限界が来てしまったようだ。下へ下へと落ちていく。その時間が、何故かとても長い。こんな状況にも関わらずそれをどこか不思議に思ったその時、急に視界が真っ白になった。
「え……?」
白かった視界に一気に色が戻る。けれど、その光景を見たあたしは呆然とした。広がっているのは、草原。ちょうど丘のようになっているらしく、下には荒野が広がっている。その中央にあるのは、ほぼ全壊状態の壁…。そこへ大勢の人が向かっていく。つまり、あの場所は戦場。さっきまで、あたしがいたはずの場所。何で、こんなところに…?まるで、一瞬で移動してしまったように。こういうことができる人物をあたしは一人知っている。けど、その人はここにいないはずで…。
「――アシュリア!!!」
よく知っている声があたしの名前を呼んだ。二度と、会えないと思っていた人の声。あたしはゆっくりとその方向を向いた。そこに、予想していた人がいた。その姿を見るだけで、何故か安心する。
「良かった、生きてる。…ああ、でも、あちこち怪我してるな。痛いだろう、早く治療しないと」
クロードさんは心配そうにそう言った。確かに、あちこちに切り傷ができている。落下した時に壁の破片に当たってしまったのかもしれない。けれど、どうして…。どうして、彼は、あたしを助けたんだろう?あの時、あたしはお別れの言葉を言って、クロードさんもあたしの作戦に同意してくれたのだと思っていた。それなのに…。この作戦は、最終的にあたしが死ななければ意味はない。
「どうして……っ、どうしてあたしを助けたんですか?」
「…色々と理由はあるが。ある方に命令されてな。それに、そもそも俺は、アシュリアにこのことについて提案されたとき、同意も否定もしてない。つまり、その考えに関して止めなかったが、邪魔しないとは言っていなかった」
言われてみれば確かにそうかもしれないけれど…。あたしはうつむいた。
「…でも、あたしの力はない方がいいんです。もしかしたら、この力のせいでまた誰かを傷つけてしまうかもしれない。それなら、あたしは……っ」
けど、そこから先の言葉は続けられなかった。急にクロードさんに腕を掴まれ、引き寄せられる。次の瞬間には視界が真っ暗になっていた。体が何かに包まれているようで、温かい。
「それでも、俺は、アシュリアに生きていてほしいんだよ!!」
その言葉を聞いて、ようやく何が起こったかを理解した。けれど、その言葉と口調の強さにあたしは動けなくなった。困惑と驚き。その二つが心の中で入り混じる。クロードさんはそのまま言葉を続けた。
「確かに、アシュリアの力は、危険なものかもしれない。だが、それが不安なら、俺が傍で見守っていてやる。もし、それを使いそうになったら、俺の力でアシュリアだけ別の場所に移動させたっていいし。他人を巻き込まずに済む方法なんていくらでも考えられる。…それに、まだ見せていない場所が色々あるからな」
クロードさんの言葉は、いつもあたしに希望を持たせてくれる。そんな、不思議な力があるみたいだ。
――本当は、ずっと不安だった。塔にいた頃は、何の役にも立っていないあたしがここにいても良いのかと。それは、「破滅」の力の存在が分かった後も、ずっと思っていたことだった。こんな力、あっても意味がない。けれど、クロードさんはそんな力を持っているあたしも、生きていて良いのだと…、そう肯定してくれたような気がした。初めて誰かに認められたような、そんな気がして…。
涙が次々と溢れてきて止まらない。そんなあたしが落ち着くまで、クロードさんはずっと、あたしを抱きしめたままでいてくれた。
読んで下さり、ありがとうございました。