塔の王女と事件
それから、数か月が経った。その頃にはあたしはクロードさんがいる状況にかなり慣れ、外にこっそりと連れて行ってもらうこともかなり多かった。本当は良くないことなんだろうけど、楽しくて、その時間だけは自由で、外に連れて行ってもらう時間がいつも待ち遠しかった。それに、行った先々で、クロードさんは色々なことを教えてくれる。世界情勢や、この国、リネー国とナテロ国の関係性について…。しかもすごく分かりやすい。薬師よりも家庭教師とかの方が向いていそうなくらい。そのおかげで、かなり知識が増えたような気がする。ただ、最近、リネーとナテロは史上最悪の関係の悪さ、とクロードさんは言っていたけれど…。大丈夫かな。戦争が起きないか心配だ。もしそうなったらクロードさんが帰れなくなってしまうし…。まあ、転移魔法を使えば大丈夫かもしれないけど。
…それにしても、どうしてクロードさんはそんなに世界情勢などについて詳しいんだろう…?本当は機密情報なんじゃないかと思ってしまうくらい細かいことを知っていたけど…。何だか最近、クロードさんに対する謎が深まってきている気がする。まあ、そう言ってもクロードさんは笑ってはぐらかすけれど……。なので、結局クロードさんの正体は分からないままだ。
そんなある日。あたしがいつものように経済に関する本や資料を読んでいると、クロードさんがやって来た。しかし、いつもと雰囲気が違う。どこか険しい。そして、その雰囲気のまま、彼は無言であたしに何かを渡してきた。思わず受け取ると、それは手紙だった。差出人の名はない。取りあえず開封して…、気付いた。
「これ……っ!お母様からの手紙…!どうしてクロードさんがこれを?そもそも、どうやって…」
今まで、ほとんど来てなかったのに…。急にどうして…?実は、あたしの母は隣国、ナテロ国出身だ。色々とあってこの国の当代国王の側室になったけれど、こちらにあまり馴染めず、体調を崩し、今は故郷のナテロに戻っている。そのため、ほとんど会ったことがないし、手紙もあまり来ない。どうしているのかな、とは一応気にしているけれど…。そんな母からの手紙が来たことは、とても予想外のことで…。だから、戸惑っている。しかし、クロードさんは何も言わず、取りあえず読めと無言で催促してきた。
仕方ないので、あたしは大人しく、何も言わずに手紙を読むことにした。手紙を開くと、美しい、流れるような文字が書かれている。そこには、なかなか手紙を送れなくて申し訳ない、ということ。体調はかなり良くなったこと…。そして、もう一つ、大事なことが書かれていた。それは、リネーとナテロでそろそろ戦争が始まるということだった…。クロードさんに二つの国の仲が悪いということは聞いていたけど…。早くない!?だが、その先にも文章が続いていたので、あたしは取りあえず続きを読むことにした。
『恐らく、この戦争でリネーは負けるでしょう。そうなれば、あなたも危険に晒されることになります。ですが、一つだけリネーから抜け出す手段があります。詳しくは、あなたのところにいる彼に尋ねて下さい』
そこで、文章は終わっていた。あたしはそれを読み終わった後でクロードさんを見た。「あなたのところにいる彼」って、どう考えてもクロードさんだ。すると、クロードさんはようやく話し始めた。
「…王女殿下は、リネーとナテロの血、両方を引いている。だから、どっちにいても問題はないだろう。ただ、ここにいたままでは、自由に生活を送ることができない。ナテロ王はそれを知っていて、証拠もちゃんと集めた上で、今が絶好の機会だと俺をここに寄越したんだ。薬師ってのも事実だが」
「…でも、ちょっと待ってください。リネーが負けるってどういうことですか!?そんなの、実際に戦争が起きないと分からないのでは…」
すると、クロードさんはあたしが見ていた経済の資料を手に取った。そして、何かのページを探すと、あたしの目の前につきつける。それは、ここ数年のリネーの経済状況だった。
「王女殿下もこれを見てたなら分かっているだろう。この国は、既に滅びているも同然だ。今の王は、絶望的なほど民に興味がない。実際、災害が起こったり、凶作だったりしても、何の手も打とうとしない。そのせいで、どんどん田畑は荒れ、人口は流出し、経済力が異常に落ちている。そしたら、更に人々の生活は貧しくなり、また人々が他の国へと移っていく…。この国では、今この瞬間も、負の連鎖が起きている。王都の辺りだけは、どうにかなっているが…。そんな国が、戦争で勝てると思うか?」
それは、あまりにも厳しい言葉。だが、あたしは首を振った。勝てるわけがない。それは、分かっていた。ただ…、現実を、認めたくなかった。目の前にある、たくさんのことを示す数値。それらは、今の国王になってから急激に下がっている。…クロードさんの言う通り。この国は、滅びているも同然の状態だ。でも、それが分かっても、塔にいるあたしでは、どうにもならない。だから、ずっと知らないふりをしてきた。
「そんな状況のこの国が今まで攻め込まれていなかったのは、他国がこの土地を治めることに価値を感じていなかったからだ。さすがにこの状態じゃ、征服したって意味がない。この土地の回復に大金を使うくらいなら、今のままでいい、と思っている」
あたしはうつむいた。何も、返すべき言葉がない。この国は、半分滅びている。それでも、誰も何もしようとしていない。クロードさんは言葉を続けた。
「そういうわけだ。まだ具体的には決まってないが、恐らく数か月後には戦争が始まる。それまでに…」
だが、その時だった。急に、この部屋の真下で、何か叫び声や大声が聞こえてきた。あたしとクロードさんは顔を見合わせたが、取りあえず窓から外の様子を確認した。…が、そこで何が起こっているのか気付いたあたしは、目を見開いた。クロードさんも「嘘だろ…」とつぶやいている。そこでは、乱闘が起きていた。この塔に入ろうとしている賊がいるらしい。…けど、どうして…?理由が分からない。既に負傷者も出ている。服を真っ赤に染めて動かなくなった騎士も…。だが、あたしたちもその様子を悠長に見ていられなかった。クロードさんが後ろを見て、顔を強張らせる。
「王女殿下……っ!危ない!!」
その言葉と同時にクロードさんの方へ強く引き寄せられる。その直後、壁に何かが刺さる音が聞こえた。見ると、さっきまであたしがいたところに矢が突き刺さっている。あたしはぞっとした。…というか、矢が飛んできたってことは…!そう思って部屋の入り口を見ると、やはりそこには賊がいた。しかも、複数人…。クロードさんがあたしを庇うように前に出る。けど、こちらは何も武器を持っていないし、圧倒的な人数の差がある。恐らく、賊の狙いはあたしだ。先ほどから賊はじっとあたしの方を見ている…。だが、クロードさんが何か武器となるような物を持っているのではないかと警戒しているらしく、なかなかこちらに迫って来ない。…でも、その状態がずっと続くわけがない。
賊の一人が軽く手を振った、その瞬間、戦いが始まった。賊の一人が剣を手にこちらに向かってくる。きらりとその刃が輝き、振り下ろされる。だが、クロードさんはそれをすれすれのところで避け、その人の足元を払って床に倒した。その拍子にその人の手から落ちた剣を素早く奪うと、別の人と戦い始める。賊は思わず反撃されたことに驚愕したようだったが、すぐにそれに対応し始めた。
「……っ、アシュリア!取りあえずここから逃げろ!」
激しい剣戟を繰り広げながら、クロードさんがそう叫んだ。だが、賊は部屋の入り口を塞ぐようにして固まっている。窓から無事に飛び降りることができるほどの運動神経の持ち主でもない。…つまり、今の状況では外に逃げるのは絶望的だ。それに、クロードさんを一人置いていけるほどあたしは薄情ではない。どうしよう、どうすれば…。何か力を持っていればどうにかすることができたかもしれない。けど、あたしは何も持っていない…。自分に力がないことに悔しさを覚えた。あたしが上手く回らない頭で方法がないか考えていた、その時。不意に、誰かに腕を掴まれた。はっとして見ると、そこにいたのは賊。戦っているクロードさんの隙をついて近づいていたらしい。逃げる間もないまま、剣が勢いよく振り上げられる。思わず目を閉じたが、いつまで経っても痛みは襲ってこない。いつの間にか掴まれていた感覚がなくなっている。
「…うっ…」
代わりに誰かがうめく声が聞こえた。恐る恐る目を開けて、そこに見えたものにはっとした。
目の前に、クロードさんが倒れている。その腕から、ぽたぽたと赤色の雫が滴り落ちている。すぐ傍には、先ほどの賊が倒れていて……。
「…!!クロードさん!!!どう、して…」
先ほどまで、他の人と戦っていたはずなのに…。あたしは呆然としながらも、クロードさんの横に座り込んだ。どうやら、腕を深く斬られたようだ。こういう時って一体どうすればいいのだろう。あたしがおろおろしている間にも、血は流れ続けている。クロードさんは痛そうに顔をゆがめている。だが、賊はこちらの状況など全くお構いなしに、クロードさんに止めを刺そうと、近付いてきた。あたしは咄嗟にクロードさんの前に出た。本当ならあたしが斬られるはずなのだから、これ以上彼に怪我をさせるわけにはいかない。
「だめ!!クロードさんに攻撃しないで!!!」
だが、その時。
突然、あたしの目の前で金色の光がはじけ、部屋に茜色の風が吹いた。
金色と茜色が視界を満たした刹那、茜色の風は部屋を暴れ狂った。思わずあたしは目を閉じ、顔を覆った。一体、何が…!?混乱している間にも、ガラガラと何かが崩れていく音がする。しばらくして、それらの音がようやく収まった。恐らく時間はそこまで経っていないはずだが、非常に長い時間に感じた。恐る恐る、目を開ける。けど、おかしい。明らかに先ほどと違う。景色が、一変している。
部屋が、文字通り、無くなっていた。
天井や壁はなくなり、床も所々穴が空いている。床には、瓦礫が落ちていた。上を見ると、普通だったら見えるはずのない、青い空が見える。隙間から風が吹き込み、あたしの髪や千切れたカーテンを揺らす。どういうこと…?さっきの茜色の風が原因なのだろうか。賊もいつの間にかいなくなっている。
「王女、殿下…。…さっきの、賊は…?そもそも、何なんだ、この状況…?」
後ろからそんな声が聞こえてきたので慌てて振り返ると、クロードさんが怪我していない方の腕を支えに起き上がったところだった。怪我したところを押さえつつも、部屋の惨状を見て唖然としている。
「あたしにも、よく分からなくて…。いや、そんなことより、早くお城に行きましょう!怪我を治してもらわないと…、すごく痛そうです!」
致命傷ではないが、かなりひどい傷だ。クロードさんは腕を見て、それからもう一回、部屋を見た。そして、何かを考えるような表情になる。その時だった。急に階段の方からばたばたと足音が聞こえてきた。…まさか、また賊?そう思ったが、違った。お城の騎士たちが青ざめた表情で上がってきた。そして、あたしたちを見て更に顔を強張らせる。でも、ここに来たならちょうどよい。あたしは慌ててその人たちに言った。
「お願いです、クロードさんをお城に運んでください!賊に腕を斬られて……っ!」
騎士たちはしばらく呆然としていたが、少ししてからうなずいて、早速クロードさんを運んでくれた。どうか、怪我が早く治りますように…。あたしは瓦礫が散らばる塔の中で心からそう祈った。
読んで下さり、ありがとうございました。