8.トラブルは突然に
そうして、挨拶をした後に加工師ギルドを出たノエルはさっそく素材の買い出しに向かう。
ギルドを出た瞬間、夏の気配を感じられる日差しが眩しくて思わず彼女は目をしかめた。
石畳を歩く道すがら、ノエルの胸の中では嬉しさがじんわりと溢れていた。
今まで師匠の許で加工技術を学び続け、一級加工師試験に受かってからも性差のことがあってかあまり同業他者との交流がなかった。勿論、友人のミーシャに助けられたり、良きお客様たちに恵まれたりしたおかげでここまで仕事を続けてくることが出来た訳だが。
だが、改めて同じ仕事をしている人間に助けられ、認められたという事実が無性に嬉しかったのだ。そんな喜びを胸に、頭を切り替えて買い出しに向かうノエルだった。
「あー、嬢ちゃんすまんな。そいつぁ軒並み売り切れてんだよ」
「そんな……」
「今は時期がなぁ。西の方で魔物が出たせいで素材の流通が悪ぃんだよ」
「……分かりました。ありがとうございます」
カランカランとお店のベル鳴らして店を出たノエル。
「はぁ……」
思わず店を出てすぐため息をつくくらいには、途方に暮れていた。なぜなら途中までは至極順調だった買い出しも、リラングの牙やアルロームの葉など、西から入ってくる素材の品切れが続いていたからだ。
馴染みの店から始まり、商店通りに並んでいる信頼のある店を巡ってみたが判を押したように同じ言葉を言われてしまう。どうやら最近、厄介な魔物が西の流通路付近に出た様子で、彼女が求める素材が街にまで届いていなかった。
どちらの素材も手に入りにくいわけではないが、リラングの牙はまだしも、アルロームの葉はなるべく採取されてから時間が経ってないものが欲しかったノエルは思わず眉間にしわを寄せる。それまでに購入した素材の入った袋の重みが、先ほどよりも腕にのしかかった気がした。
『こうなったら仕方ない……』
最後の頼みの綱と、ノエルが向かったのは冒険者ギルドだった。
加工師ギルドと違い、荒々しい雰囲気が苦手で普段は近づかない場所だったが、たまに手に入りにくい素材があると依頼を出して採取してくれる冒険者を募集していた。
とは言え、今までのノエルが募集した素材は入手場所まで数日かかって取りに行けなかったり、近くの森の深くにあって採取しづらかったりと、決して高位ではないが自身では取りに行きづらいものばかりで。
今回の様に、商店を何件回っても手に入らなくて……といった理由で、冒険者ギルドに向かうのは初めてのことだった。
何はともあれと冒険者ギルドへと足を向かわせるノエル。
加工師ギルドが比較的街の中心部にあった事に反して、冒険者ギルドは街の端である門の近くにあった。理由はもちろん、冒険者たちが手に入れてきたモンスターの素材を持って街中を歩かれると、住人たちから苦情が来るから。
その為、どこの街でも比較的冒険者ギルドは門の近くにあることが多かった。
そうして到着した南門付近。よく言えば素朴、悪く言えば武骨な建物である冒険者ギルドに入ると、中にいた柄の悪そうな男たちの視線が一斉にノエルに集まる。いつもの無表情でそれらを無視すると、彼女は一直線に受付に向かった。
「すみません……」
「はい、ってあら、ノエルさんではないですか」
迎えてくれたのはたまに来るときにお世話になっている受付嬢。
笑顔で彼女が迎えてくれたことに安心しつつ、ノエルはいつもの通りに依頼を出す。
「リーシアさん、すみません。また依頼をお願いしたいのですが……」
「はい、いつもの素材収集ですね。今日は何の素材を?」
「リラングの牙とアルロームの葉です」
「……両方とも西の素材ですね。ギルドに依頼ということは事情は……?」
「はい、商店の方たちから大まかには聞いています」
「分かりました。では、依頼は出してみますが時間がかかる事だけ考慮いただければと思います」
「……はい」
必要事項を依頼書に記入して、保証金を預けるノエル。
「せっかくお越しいただいたのにすみません……」
書類を記入する彼女を前に、リーシアが申し訳なさそうに頭を下げる。
「いえ、でも、それほど強い魔物なのですか?」
「うーん、強いというか、ノエルさんはフォレストエイプをご存じでしょうか?」
「……初めて聞きました」
そこから始まったリーシアの説明によると。
フォレストエイプとは名の通り山に住む猿の魔物で、普段は森の奥深くに生息していて人が住む地域に現れることはなかった。しかし、縄張り争いなのか群れの中での抗争なのか、何らかの理由で一部のフォレストエイプが西の流通路の途中にある山まで下りてきてしまったらしい。
一匹だけならそれほど強くないフォレストエイプも、集団になると厄介なことに一斉に攻撃を仕掛けてくる上に、一人の人間に複数の猿など集団戦法的なものも使って襲ってくるため対処の難易度が上がるとのことだった。
「今は本当にたまたま時期が悪かったんですよ。ランクは高くなくても多数の冒険者パーティーで一斉に討伐すればそれほど問題ない魔物なのですが、たまたまどのチームも長期護衛依頼で街を出ていたり、休みがてらにと少し離れたダンジョンに向かっていたりで……」
悩ましげな顔で頬に手を当て溜息を吐くリーシア。
「もう少しすれば、ある程度の人数も揃うので大丈夫なんですけれどね」
彼女がそう言い終わったタイミングで、受付の奥からリーシアを呼ぶ声がした。
「あ、はーい。ノエルさん、長々とお話ししてしまってごめんなさい。それでは」
「ありがとうございます」
困った笑顔でノエルにそう伝えると、他の職員から呼ばれて去っていくリーシア。
自身の間の悪さに落ち込みつつも、重い袋を抱えて冒険者ギルドを去るノエルであった。
「……ふぅ」
とりあえず今手に入ったものだけでも加工して備えておかなければと、大事に袋を抱きしめながら歩みを進めるノエル。購入した量もそれなりで大きな袋となった為、視界が悪くいつもよりは遅い足取となりつつも転ばないようにと慎重に歩みを進める。
どんっ
すると、突然何かにぶつかってしまった。袋を横にずらし前を見ると、そこには先ほど冒険者ギルドでノエルを見ていたいかつい男達が気持ち悪い笑顔でノエルを見下ろしながら立っていた。
「…………」
ノエルが無視して進もうとすると、先頭の男が前をふさいでニタァと笑う。
「おいおい、つれねーじゃねぇか。ちょっとは相手してくれてもいいんじゃねぇの?」
「……失礼します」
「アンタ、魔石加工師なんだってなぁ。可愛い顔してすげぇなぁ。その荷物俺が持ってやるよぉ」
「結構です」
「そんなこと言わずにさぁ!」
男が無理やりノエルの手を取ろうとしたせいで、彼女が体を固くしたその瞬間。
「やめろ」
男の腕を握って止めた人物がいた。
褐色肌に金色の髪。力強く太いその腕が、音のしそうなほど強く男の手首を握る。
「あぁ!? なんだよてめぇ!」
「……嫌がってる様子だ。やめてやれ」
「なにっ……!」
反抗しようとしたが、その人物にギロリと鋭い視線で睨まれ竦む男達。
「ひいっ!」
「おい、こいつ上級の……!」
「ちっ」
手を離されると、顔色を変えて逃げてく男たち。
急な展開に呆然ととしていたノエルも、少しだけ体のこわばりを解いた。
「大丈夫か?」
「ありがとうございますレオさん。助かりました」
助けてくれた人物を前に、ノエルがその名を呼ぶとレオは不思議そうな顔をする。
「すまないが、以前に会ったことがあるだろうか?」
「……ノエルです。いつも来ていただいてる魔石宝飾加工店の」
一瞬言葉が理解できなかった様子。
そこからあからさまに驚いた顔をし、レオは動揺した姿を見せる。
「すま、ない。いつもと、その、違っていたから」
「? ……あぁ、服でしょうか? いつもは作業着ですしね」
その日、ノエルはボディスと呼ばれる若草色の胴衣に白いブラウス、濃い緑色の長いスカートを着ていた。ミーシャが『外に出る時くらいちゃんとしなきゃダメ!』と選んだ一品である。
髪も下ろしているし、印象が違っても仕方ないと納得するノエルだった。
「……いや、そう、だな。普段と違うな……」
心なしか頬が赤くなっている様子のレオに、首をかしげるノエル。
「……それはともかく、なんであんな奴らに囲まれていたんだ?」
「荷物が大きくて前がうまく見えずにいたら、ぶつかってしまって」
「……運ぼう」
「……ありがとうございます」
先ほどの出来事もあってか、彼女は素直にレオの申し出を受け入れた。
袋を抱えたレオと、身軽になったノエルが並んで歩く。
心地よいと感じられる日差しと、各所に植えられている木々の新緑が目を和ませる街並みだったが、歩く二人は無言。いつもの店と同じ状態になりながらも、店の方角へと向かう。
「……どこか寄ったりは?」
「もう終えました。加工師協会と商店と冒険者ギルドへ」
「すまない。先の二つは理解できるのだが、冒険者ギルド?」
「……魔物が出た影響で素材が手に入らないそうなんです。ですから、少しでも早く手に入れられればと依頼を出しに行きました」
その言葉を聞いた途端に、レオの足取りがピタッと止まる。
「……レオさん?」
「なぜ私たちに相談しない?」
質問の意図が分からず一瞬止まるノエル。しかし、話の流れを考え返事をする。
「依頼の、話でしょうか?」
「そうだ。西に魔物が出たならば、俺たちが討伐に行けば問題ないだろう」
「それはそうですが……。基本的に、依頼者の方から注文頂いた品を完成させてお渡しするまでが、私たち加工師の仕事です。こういった手間や加工費材料費を含めての料金も頂いてます。ですから、依頼者の方々に相談するなんて考えもしませんでした」
「それは通常の依頼の時だろう」
「でも……」
レオの話に彼女は戸惑った。それは自身が今までしてきた仕事と違い、依頼者である彼らに甘えることになるからだ。勿論、レオ達上級冒険者パーティーが討伐に行ってくれたら助かる……という考えが頭をよぎったことは確かで。
だけれども、だからこそ、その一線を越えてはいけないと感じていた。
「任せろ」
「え?」
「俺たちを誰だと思っている。上級冒険者だ」
そのノエルの戸惑いをレオが感じたのかは分からない。だが、彼が彼女を見つめるまっすぐな視線は安心を感じることが出来るもので。
「……よろしく、お願いします」
この人にならお願いしても大丈夫だと、自然と感じたノエルは思わずそう答えていた。
その瞬間、レオが笑った。
今まで店に来てもいつも怒ったような表情で、愛想もなかった彼が。
来ても無言でノエルの作業を見つめ、帰るだけだった彼が。
今、優しい笑顔でノエルを見つめている。
ノエルの返事に力強く頷くと、レオは再び歩き始めた。
彼が先に歩を進めたせいでその背を追うことになったノエル。そんな彼女が、いつもとは違う鼓動の速さと顔の熱さを感じていたことは誰にも気づかれずに街の喧騒の中へと溶けていくのだった。
実は加工師おじさんたちの心の声では
Aノエルちゃんだ
B今日もかわいい
Cぺろぺろしたい←
ノエルは嫌われてると思っていますが、実は加工師のオジサンたちの間にはノエルファンがいます。
でも恥ずかしいので、いつもいかめしい顔になってしまうという。
加工師オジサンたちはシャイな方が多いのです。