7.加工師ギルド
あれから数日が過ぎた。
翌日、店にやって来たレオの態度は全く変わらないもので、その後も特に何かが起こることもなかった。いつも通り麻袋に入った魔石を受け取り、加工して、時間になったら魔石を返して終了。
拍子抜けした、という答えがノエルの本音だった。
そんな彼女の頭に浮かぶのは、かなり昔にミーシャから押し付けられたいくつもの小説で。その中には、お互いを見つめあった後に熱い言葉を交わす騎士と姫の姿というものもあったが、現実に見つめ合ってみれば謝罪に始まり困惑や戸惑いが残って終わってしまった。
とはいえ、最初は多少落ち着かない気持ちだったノエルも、お客様を不快な思いにさせずに済んだのだろうと勝手に予想をつけ、胸をなでおろす事で気持ちに整理をつける。
「……何か?」
「いーえー、別に?」
「そうそう、何でもないんですよ」
唯一、ノエルを見るマリアとシンの温かい笑顔が、以前より多くなっているような気がすることが気にかかる点だったが。
何はともあれ紆余曲折がありながらも白月に入り、魔鉱石の加工は大詰めの段階を迎える。いよいよ下準備が完成し研磨の段階が見え始めていた。
魔鉱石の加工は選別に始まり、魔石を整える原型作りを経て研磨へと進む。
原型作りで安定させた魔鉱石を、研磨剤を使ってより整えていくのだ。研磨と言っても魔石を削るのではなく、研磨剤を魔石に纏わせるように付与していくとより磨かれ使用者の魔力も通りやすくなることから、鉱石を加工する時と同じ呼び方で研磨と呼ばれていた。
使う研磨材は魔獣から採れた皮や薬草の葉など、定番ともなっている材料を組み合わせ、粉砕したり煮詰めたりすることによってそれぞれの魔石に合わせた物を作り上げる。そうして魔石の見た目を整えたりしながら、最後に持ち主の魔力を付与すれば完成するのだ。
だがしかし、これほど大きな魔石ともなると、どの材料が最も適しているのかノエルが培ってきた知識だけでは判断が付かなかった。
一人で考えても答えは出ないし、仕事のためなら人に相談することも厭わないノエル。そのため休みの日に、いつもならば気の進まない加工師ギルドへと向かうことにしたのだった。
『久しぶりだ……』
街の中央部、いくつものギルドや協会が立ち並ぶ一角にそれはある。
私服に着替えたノエルの目の前に立つ古ぼけた木造の立派な建物が、魔石加工師ギルドであった。
ノエルの愛する小さな自身の店ならば二件と半分は入りそうな横幅に三階建てのその建物は、ラトリティシアという国の中でも比較的大きな街の加工師ギルドということもあって、近在の建物の中では一二を争う大きさで歴史を感じさせる見た目をしている。
決して華美ではないが、鉄枠に色魔石で作成されたたギルド紋章が飾られ、入り口の扉横には歴代のアガトゥムナと呼ばれる名工匠たちによって作られたランプが並ぶそこは、見るものが見れば心をくすぐられる場所だった。
『……よし』
ノエルが意を決して扉を開けて入ると古い木の香りが充満し、鼻腔をくすぐる。
まず目に入ってくるのは、受付に並ぶ様々な人種の人々。穏やかに話している様子の人間もいれば、大きな声で騒いでいるドワーフもいる。そしてその横で、職人らしき風貌の男がしかめっ面をして手にしている魔石を見つめているかと思えば、奥では審査のためか獣人が机で作品を広げて職員と思われる人物と話し合っている様子も見えた。
そして、なんといってもその場の賑やかさがノエルの耳を埋め尽くす。
「おーい! レイザス山の魔鉱石について聞きたいんだが…」
「こちらで受付完了となります。報酬に関しては改めてこちらでよろしいですか?」
「ですから、このランクの魔石ではわたくしどもでは判断がしかねると…」
「おう、お前さんも久しぶりだな! 最近の仕事はどうだ?」
人々のざわめきのを背景にしながら、とりわけ大きな窓から入る光が受付台の魔石や人々が手にしている魔石を照らし輝いている。苦手な場所ではあるけれど、いつもながらノエルはその光景と喧騒にひっそり興奮してしまうのだった。
しかし、ふと視線に気が付いて振り向けば、ノエルを見ると顔を背ける数人の職人たち。その表情は苦々しいもので、彼女に対して好意を抱いていない事実が遠くからでも感じられる。
ノエルが一級加工師となってから、年配の加工職人達の彼女への態度は冷たいもので、人によっては直接罵声を浴びせてきた者もいた。
決してギルドが嫌いではないし、全員がそうだと思っている訳でもないが、赴く足が遠のきがちになる原因と久しぶりに直面し彼女がざらつく気持ちになる瞬間であった。
「おぅ、ノエルじゃねーか」
「ギルド長」
気持ちを切り替え、面会の申請をしようとノエルが受付に向かっていると突然後ろから声をかけられた。振り向いてみれば長身で黄金色の髪のがっしりとした体つきの壮年男性が立っている。
この人物こそがノエルの知る唯一の頼れる相手、加工師ギルド長・ドミニクだった。
気さくな人柄で今までも何かにつけてノエルを心配し、『何かあったら遠慮せずに言えよな』と声をかけてもらっていたことから彼女が真っ先に頼ろうと頭に思い浮かべた人物である。
「今は例の冒険者パーティーの依頼に取り組んでんだってな。どうよ、順調か?」
「はい、実はその件で少しご相談が……」
「あー、レヴィーラ、今は大丈夫か?」
後ろに控えていた秘書らしき女性が手元の手帳を確認する。
「えぇ、三の鐘まででしたら問題ございません」
「おぅ! じゃあ行くか!」
そう言った途端、鼻歌交じりでノエルの首に手をまわしズカズカと階段に向かうドミニク。
「ギルド長……」
「あ、わり! すまんな!」
その勢いと苦しさのあまり彼女が不満げな声を漏らすと、ガハハと笑って手を離される。
『気さくな人柄はがさつと紙一重』
時間を作ってもらってありがたいと思う反面、ノエルはぼんやりそんなことを思うのだった。
「……んー、そうか」
三階の一番奥にあるギルド長室の中で、立派な応接ソファに座り向かい合って座ったノエルは今までの経緯を簡単にドミニクに説明した。無事に原型作りを経て研磨へと進んだこと、しかし研磨剤をどうするかで悩んでいること。完全に自身の知識不足ではあるが、最後まで自身の力で完成させたいため力を貸してほしいこと。
本来、そういった知識に関しては秘匿とする職人も多いし、単純に知識のなさを明かすようで少し苦しくもあったが、こういった場では真摯に説明することが一番だと学んでいた。仕事に関しては誤魔化すと碌なことがないと、不機嫌な顔でため息をつく師匠の顔が思い浮かぶ。
「師から引き継いだ知識では、実践を伴っていないため不安が残ってしまって……まずはご相談してからと思いました」
そう告げると、ノエルは自身が考えた研磨剤の素材一覧をドミニクに見せる。いつもの飄々とした笑顔ではなく、ギルド長らしい真摯な顔で眉間にしわを寄せながら手を口元にあて一覧を見ながら考え込むドミニク。
「……今なら奴がいるだろう? 呼んで来い」
すると、いきなり後ろを振り返ったかと思えば側に控えていた秘書に指示を出す。一礼して去っていく彼女の後姿を見ながら、何が起こるのかぼんやり待ち受けるノエル。少し経つと、秘書は厳めしい表情をしたドワーフを引き連れて戻ってきた。ドワーフの中でもとりわけ立派とも言える白髪交じりの鬚に、いかにも職人といった豆だらけの分厚い手が印象的だった。
「なんじゃあ、坊主が呼びつけおってからに」
「じいさん、そんなこと言わず助言頼むよ。あいつの弟子なんだよ」
「……ふん」
ノエルが頭に疑問符を浮かべつつ二人のやり取りを見ていると、それに気が付いたドミニクがにかっと笑ってドワーフの肩を叩く。
「お前も聞いたことがあるだろ? シュムック工房の工房長、デンベルクだ」
その言葉を聞いた瞬間、ノエルの背筋に嫌な汗が流れる。
デンベルクと言えば次のアガトゥムナに最も近い工匠として街で有名な人物であり、風の噂で耳に入ってきた話によれば最初にミリエラたちパーティーが断った工房だったからだ。
無表情ながらもほんの少し硬くなった顔でノエルがお辞儀をすると、デンベルクは机の上に置いてあった研磨材料一覧をひったくるように取って見ていく。
「あの……」
「デジレニドの針はいらん。エルト蛾の粉の品質が足りない。アルロームの葉は入れろ」
急な言葉の羅列に面食らうノエル。
「おまえさんの師の教えは悪くない、が、今回のもんでは足りんな。量の配分に関しては、神事の時に使う槍飾りの作成はしたことがあるな? それを参考にすればよい」
「あ、ありがとうございます。でも、なんで……」
あまりにあっけなく求めていた情報を教えてもらった事に、驚きのあまり声がかすれてしまう。
「ふん。まぁ、あまえさんの師匠とちっとばかし腐れ縁でな。あやつが街を出ていく時に挨拶に来たかと思えば、昔の借りを返す代わりに機会が合えばおまえさんを助けてやってほしいと一言貰っている。おまけに一応ギルド長であるこいつの呼び出しもあればなおさらじゃな」
「おいおい、じーさん」
そう言うと、ドミニクの苦笑いを無視して素材一覧の紙を机に戻すデンベルク。
「ついでに言っておくが、周りはピーピー騒がしく鳴いておるが、客の要望に応えてこそ我ら加工師だ。五月蠅い雑言は気にしとらん。秘匿だなんだと言っておるが、きちんと助けを求めてきた加工師に助言をするくらいなら大したことないわい」
そしてそっぽを向くと、デンベルクはぼそぼそと呟く。
「儂……の工房はディード通りにある。時間があれば話を聞いてやらんこともない」
「照れ隠しか。ノエル、相談に乗ってくれるってよ」
「ふんっ!」
先達の温かい言葉に目が潤み始めるノエル。
「ありがとう……ございます……」
込み上げてくる感情で声が震えないよう、お礼を言うのが精いっぱいだった彼女の顔は、嬉しさや戸惑いでいつも以上に硬く無表情に見えていた。
しかし心中では、ミリエラに満足してもらえるように、ギルド長やデンベルクの言葉に報いるように、加工を完成させようと改めて誓う。
そんな彼女を見つめる二人は、自身の若かりし頃を思い出しつつ柔らかい表情となるのだった。