13.いざゆかん隣町
「こぉりぃ~氷っ! 氷はいらんかねえぇ~」
あの騒動から一月。季節は一年で最も暑い紅月に入り、街のあちこちで節を付けて歌い練り歩く氷売りの姿を見かけるようになった。氷売りが魔法で氷を削り取り、細かくなった氷に蜜をかけた甘味はこの地方の名物で夏の風物詩でもある。
そして、そんな街中の家々の軒先には、この時期ににしか咲かない大輪のトゥラソーレが咲き誇る。目にも眩しいその赤色が歩き行く人たちの目を惹いていた。
結局あの後街に戻ると、冒険者ギルドで大目玉を食らったレオ。襲ってきたグラスウルフに対処し、逃げ場で夜を明かしたノエルはまだしも、夜間に街の規則を破って門の外に出たレオは、いくら上級冒険者とはいえ許される事ではないとギルドの外にまで響く大声で怒鳴られることと相成った。
とはいえ、そんなことを気にする男ではない。怒鳴られ終わってギルドの外に出た途端、表で待っていたノエルの元へ一直線で向かったレオ。そんな彼を見て、心配で集まっていたパーティーメンバーは驚嘆した顔や、意味ありげな笑顔、呆れた顔など様々な表情をしたという。
そんな日を経て本日。夏の熱さ真っ盛りの工房で、遂に研磨の段階を終えたノエルが、いつも通り魔石を運ぶ役割として来ていたレオと、たまたま遊びに来ていたミーシャに告げる。
「研磨が、終わりました」
「うわぁ! キレイ!」
「美しいな」
相変わらず汗まみれのノエルの手元には、六角形の水晶の形となった曙色の魔石が静かに輝いている。彼女の顔は無表情ながらも満足に溢れていることを、その上気した頬が物語っていて。見つめるレオやミーシャの顔も自然と柔らかくなっていた。
あれから大量に使う事となったヒチ草の薬液も、ノエルが助けた少年とその工房の親方が謝辞を伝えるためにと工房を訪れた際に、せめてものお詫びにと薬液の入った瓶を大量に持参してくれたおかげで量は十分に足りて。様々な人の力を借りて、無事に研磨を終わらせることが出来たという事実もノエルの安堵の大きな一因となっていた。
「お疲れ様! これで完成?」
「いいえ。後はこちらに定着剤を纏わせて完成となります」
「……? 定着剤とはなんだ?」
「それぞれの魔石に合わせて薬液を作り、最後に魔石と一緒に魔力を通すと、魔石がより安定して使いやすいものとなるんです。その薬液の事を定着剤と呼んでいます」
「あー! あの時のあの作業ね! キレーだったよね!」
特大魔石を袋にしまい、レオに渡しながらそう答えるノエル。隣では、ミーシャが胸元に付けているノエル作の自身の魔石を触りながら懐かしそうに笑う。
「ですから、また隣町に行ってきますね」
「行ってらっしゃーい♪」
「待て」
急な宣言に理解が追い付かないレオが思わず言葉を挟むと、不思議そうな顔で首を傾げる二人。
「定着剤を纏わせる作業で、なぜ隣町に行く必要が?」
「私たちが住む街は魔石業が盛んで、加工店や販売店が多数ありますが、加工するための材料が万全に流通しているとは言い難いんです。作業に最低限必要なものや、多少上級レベルの物でしたらすぐ揃うのですが……。ですから、今回のような場合は隣町に行って直接品を買い集める方が早いんです。それに、自身の目で品物を確かめたいですしね」
「うん! 隣のイェドジュラはこの国で三番目に大きな街だからね。ノエルが欲しい材料だったら、新鮮で価格を抑えられたものとか、いつもだったら手に入りにくい物とか結構すぐ集められると思うよ~」
商会の関係で、何度か隣町を訪れたことがあるミーシャがしたり顔でそう告げる。
「では、二人で向かうのか?」
「いいえ、さすがに隣町くらいでしたら一人で行きますよ」
「前も一人で行ってたもんね! 一緒に行きたいけど仕事がなぁ~……」
「……隣町まではどれくらい?」
「馬車の定期便で二日かかりますね」
「あ、この前行った時はトレントが出たから気を付けて! やっぱり夏は出やすいから!」
「以前、私が行った時はハーピーでしたね。まぁ、大丈夫でしょう」
「………俺も行く」
「「え?」」
その翌日、早朝の馬車乗り場には不思議なメンバーが揃っていた。
定着剤の材料を買いに行きたいノエル、その話を聞いてついて行くことになった不機嫌顔のレオ、レオの話を聞いて自身もと声を上げたマリアとシン。計四名が馬車乗り場に集結している。
「まさか、マリアさんとシンさんもご一緒するとは思っていませんでした……」
「あら。私たちもまさかレオから急に『明日遠出をしてくる』なんて聞かされて、それがノエルさんと一緒だなんて驚きましたよ? でも折角の機会ですし、ご一緒するのも悪くないかと思い立ちまして。私たちもと立候補させて頂いたんです」
「本当はリーダーもミリエラも来たがっていたんですけどね。各々用事があった為に、僕とマリアがお邪魔することになりました」
「お前ら……」
きらきらと輝くような笑顔でそう告げる二人の横で、レオが不機嫌な様子をさらに強める。そんな二人の顔にはっきりと”面白そう”と書いてあることに気が付くのは、パーティーメンバーのみであろう。
そうこうしているうちに馬車がやってきて、集まっていた人々が次々と乗り込んでいく。ノエルもその波に向かおうとするとレオに肩を掴まれた。
「レオさん?」
「俺たちの馬車はあっちだ」
言葉の意味が分からずノエルが疑問符を頭に浮かべていると、歩き始めたマリアとシンが向かう先に今までノエルが見たことがない様な豪華な馬車が待機していた。艶めく車体にさりげなく施された装飾が美しいその馬車には、クドゥーマと呼ばれる馬型の魔物が繋がっている。
馬よりも力強く、けれど総じて大人しいその魔物は六本足が特徴で、黒々としたたてがみが陽の光に照らされて淡く輝いていた。
「あれは……」
「俺の体はデカい。乗合馬車では窮屈すぎて二日も我慢できん。だから手配した」
「そんな、料金は」
「気にするな。俺のためだ」
慌てるノエルの背を押し、馬車に向かわせるレオ。タラップに足をかけてノエルが乗り込むとその内装の素晴らしさに思わずきょろきょろと見回してしまう。ベルベットの生地がふんだんに使われた柔らかいソファに、ゆったりとメンバーが座れるだけのゆとりがあるスペース。更には風の魔石が使われているのか、暑い時期なのに涼しい馬車内に驚きを隠せないでいた。
「せっかくだからと一番いい馬車をレオが手配したんですよ?」
「そうそう、今まで一度もそんなことしたことなかっ……むぎゅ」
向かい合わせの席に座ったマリアとシンが口々に裏話を始めると、ノエルの後から馬車に乗ってきたレオに話の途中で顔を押しやられるシン。
「一緒に乗せてくださって、ありがとうございます」
いつも乗っている乗合馬車との違いに、嬉しくなったノエルの声がほんの少しだけ上がる。それに気づいたかどうかは分からないが、レオは彼女を見つめて頷くと、扉を閉めて力強く壁を三回ノックした。
それが合図だったのか、四人を乗せて馬車は動き始める。
『早い……!』
いつもなら暑い風を浴びながらある程度込み合った馬車でのんびりと隣町に向かっていたが、さすがクドゥーマ。景色があっという間に流れていく様を、ノエルは興奮した気持ちで見やっていた。
その後、馬車は順調に街道を進みゆく。途中、森の中の道ででトレントに遭遇するも、そこは上級冒険者パーティーの面々が揃っていることもあり、難なく倒して進むことが出来ていた。そうこうしていると、いつもならノエルが夜を明かす村を通り過ぎていく。
「あの、レオさん今晩は? 村で泊まらないんですか?」
「あぁ、クドゥーマがいれば一気に距離を稼ぐこができるからな。次の街道の休憩場で夜を明かそうと考えている」
「そんな所まで進むことが出来るんですね……」
ラトリティシアでは魔石業の盛んさゆえに、街道が他国よりも発達している。特に主要な都市へと向かう道の途中では、休憩場と呼ばれるある程度整備された場所があり、運送業に携わる者たちや旅人が一夜を明かすくらいなら問題がないようにと等間隔で配置されていた。
その会話から少し経つと少し日も暮れ始め、目的地としていた休憩場に到着する。お飾り程度の木の柵で囲まれたその場所は、草が刈り取られ、地面が整地されている大きな広場といった様相で。その時点でで二組のパーティーが先に到着している様子が見て取れた。豪奢な馬車に武骨な広場という組み合わせに、いくつかの視線を感じずにはいられない。
慣れているのか、御者が一夜を明かす為の準備としていくつかの荷を手際よく下ろし、それに合わせてレオやシンがテントを張り始める。馬車から降りたノエルが落ち着かない様子でいると、
「ノエルさん、一緒に焚き木を集めていただけませんか?」
と、彼女にマリアから声がかかり、慣れない手つきながらも彼女は集中して拾い集め、気が付けばあっという間に全ての準備が整っていた。
風の魔石が配置され和らいだ暑さの中で、マリアが食前の祈りの言葉を唱え終わると、御者から夏らしくひんやりとしたスープの入った器を渡されたノエル。それと黒パンと呼ばれる日持ちのするパンが、本日の夕食らしい。
「……凄いですね」
「え?」
「いえ、私がいつも過ごしている移動の仕方とは違い過ぎて」
快適な馬車に、至れり尽くせりの食事。驚くことしかできないノエルが思わず声を漏らす。
「ご負担でしたか?」
「……仕事の一環でこんなことを言っていいのかは分からないのですが、とても楽しいと」
途中で恥ずかしくなったのか、段々と小さくなる声にその場にいたメンバーの空気が緩む。
食後和やかな談笑を終え、片づけ終わって各々がテントに戻り寝ようとする中、体がなまるから少し動こうと外に出たレオが空を見上げているノエルに気づく。
「おい」
「レオさん」
焚火の明るさも僅かしか届かないテントの裏で、空へと向けていた顔をレオの方にやるノエル。
「どうした?」
「星を、見ていました」
二人が一緒に空を見上げると満天の星空。
その中心で、夏の神の心臓とも言われるアストラレラウスとい名のついた赤く大きな星が、ひときわ明るく輝いていた。夜半になり少し涼しくなったとはいえ、少し汗ばむ暑さの中、濃い木々の匂いに包まれているとぽつりと彼女が言葉を漏らす。
「あまり、こんな事は言わないのですが」
レオがその声に反応してノエルを見る。
「この仕事が終わってしまう事が、寂しいと、感じてしまっているようです」
いつもと変わらず変化のないその表情。
しかし、声から感じられる寂しさは静かに夜に染み渡っていく。
すると、隣に立っていたレオが優しく彼女の頭を叩く。
「もう寝ろ」
特に何か言うわけではないけれど、その優しい声にノエルは安心する。
「……はい、おやすみなさい」
遠くで見張り番をしているシンがかきまぜた焚火の跳ねた音が、二人の間に響いて消えていった。