第42話「針千本は飲まない」
何分経っただろう。
僕も突然のことで冷静じゃなかったかもしれない。
これ以上がむしゃらに探しても見つからないだろう。
迷子センターに行ってアナウンスしてもらおうかと思ったけど踏み止まる。
ひまりの今日の格好と聞こえてきた男の子たちの会話。
ひまりの名前を出すのは得策じゃないように思えた。
荷物はずっと置きっぱなしだから、もしかしたらひまりはさっきの場所に戻って来るかもしれない。
僕はあの湖の見えるテーブルへと戻った。
ひまりの荷物はまだある。
念のためまたスマホでひまりに電話してみたけど、着信音はバッグから鳴り響いた。
「ひまり……戻ってくるかな……」
それからずっとずっと、僕は待ち続けた。
*****
時刻は夕暮れ前──映画の最終上映が始まり、辺りには人影がなくなってきた。
ポツンと座ってるのは僕だけ。
不安になってくる。
ひまりは事故に遭ってないだろうか、無事だろうか、ひまりは……僕と同じ気持ちになってないだろうか。
僕は今日、ひまりを連れて来なければよかったんじゃないだろうか。
いろんなことを考えてた。
そんな時だった。
「修くん……」
僕の真後ろから声が掛かる。
振り向かなくても分かる。
いつもの声、いつもの呼び方。
だけど、その声音はいつものものじゃないことはすぐに分かる。
罪悪感を抱えた声だ。
僕はゆっくりと振り返った。
泣きはらした顔。
「ひまり……無事でよかったよ」
「……修くん……ごめんね……また……また逃げちゃった……」
また。
ひまりは何から逃げたんだろう。
「ひまりは、逃げたくなかったの?」
「……うん、逃げたく……なかったの……でも……ダメだった……また……逃げちゃったの……」
「ごめんね。僕が連れて来なければ、ひまりは傷付かなかったよね」
「ううん、違うの。修くんは何も悪くない……」
ひまりはすごく自分を責めている。
そんなひまりを僕は見たくなかった。
笑ってて欲しい。
「ねぇ、ひまり? 僕は針千本飲まないよ?」
「……え?」
ひまりは一瞬、何のことかと思って疑問の声を上げたけど、すぐに僕の言葉の意味を理解したようだった。
「修くん……お話、聞いてくれる?」
「うん、ちゃんと聞くよ?」
ひまりは僕の真横に座った。
食べ終わったスイーツの空箱をジッと見つめながら、話し始めようとした。
「あのね──」
「あっ、いたいた。やっと見つけたよ」
テーブルの向かい側から男の子の声が聞こえてきた。
誰かを探してたんだろう。
その声を聞いた瞬間、ひまりの体が硬直する。
探してた対象は、ひまりのようだった。
背格好と顔つきからして僕らと同じくらいの年頃の男の子。
金髪にチャラチャラしたネックレスを引き下げている。
その後ろにはさっきひまりの話題を出していた男の子たち二人。
もしかしたらあの時、僕がひまりの名前を大声で叫んだせいかもしれない。
「久しぶり、花菱さん。元気してた? 俺に何も言わず勝手にいなくなるなんて、ヒドイんじゃない?」
「……」
ひまりは何も言わない。
顔色がどんどん悪くなってる。
ひまりは逃げたくないって言ってた。
でも、ここにいさせていいんだろうか。
「ひまり? 大丈夫?」
「……うん」
「おいおい、俺のことは無視?」
「えっと……君は、ひまりのお友達?」
「ん? お前こそなに?」
「僕はひまりのお友達だよ?」
「あぁそー、俺も友達だよ」
男の子はそう言ったけど、とてもお友達という感じではなかった。
ひまりは男の子の方を見ようとも、名前を口にしようとすらしないから。
まだひまりは何も言わない。
でも、次の言葉を男の子が発した瞬間、ひまりの感情は大きく揺さぶられる。
「あ〜、友達っつってもあれだよ? セフレだよセフレ。セックス“フレンド”ってやつね?」
「ちがうっ!」
こんな取り乱したひまりは見たことなかった。
そんなひまりをよそに、名前も知らないその男の子は冷静に話を続ける。
「何が違うの? 花菱さんもヤッた後に俺が気持ちよかったよって言ったら『うん』って言ってたじゃん?」
「……」
ひまりはまた黙り込む。
その沈黙が何を意味するのか、事情を何も知らない僕には読み取れない。
「ひまり? 違うことは違うって言ったほうがいいよ?」
「勝手に口挟まないでくれる? 今はセフレの俺が話してるんだから、ただの友達は黙っててくれないかな?」
「ひまりはさっき、違うって言ってたよ?」
その一言を聞いて、男の子はニマニマしながらスマホを取り出した。
「いやっ! やめてっ! 修くんに見せないで!」
ひまりは悲痛な叫び声を上げると、テーブルに顔を突っ伏して塞ぎ込んでしまった。
「ほらっ、しっかり見なよ! 花菱さんも思い出すでしょ? あの時は気持ちよかったなぁ〜」
男の子はスマホをこちらに向けた。
その小さなスクリーンからは、動画が再生されている。
映った背景からしてどこかの旅館だろうか。
少し上から撮られた定点カメラの映像。
男の子が上から誰かに覆い被さり、腰を振っている。
少しだけ乱れた浴衣からすらりと足が伸び、右膝にはどこかで見たようなホクロがある。
男の子が顔を上げたとき、女の子の顔が映し出される。
そこに映っていたのは今より少しあどけない顔、たぶん中学生くらい。
黒髪姿の──ひまりだった。




