第36話「にゃくえん」
あれから少し経ってから遥と家を出て、目的の場所へと歩いて行くことになった。
とりあえずどっち方向に行くんだろうか。
家の門を潜り、前を歩く遥へと問いかけた。
「ねぇ遥、まだ内緒なの?」
「うん、内緒」
「どっち方面に行くの?」
クルンと振り返った遥は笑顔で答えた。
「駅前だよ」
駅前に僕が行ってドキドキするところなんてあったかなぁ。
一体遥はどこに連れて行こうとしてるんだろう。僕は遥と並んで駅の方へと歩みを進める。
遥は車道側、僕は歩道側を歩く。
自然と場所を替わろうと試みたけど、何故かうまくいかない。
なんか遥に阻止されてる気がした。
「危ないからこっち歩いた方がいいよ?」
「……やだ」
「どうして?」
「なんでも」
前に二人で歩いた時はこんなことなかったと思ったけど、一週間前からこんな調子だった。
嫌だと言ってる女の子に無理強いはよくないと思い、このまま歩いていくことにした。
残念ながらここの通りもう散っちゃったみたい。
もう少し早ければ綺麗な桜の花が見れたのに。
駅前に続く道の途中、大きな分かれ道に差し掛かったときに異変が起きた。
突然遥が僕の裾を掴んで、歩みを止める。
「修ちゃん……そっちはダメ……」
「え? どうして?」
「お願い……」
「うん……」
遥の大きな可愛い目から、必死に訴えかけてくる気迫に押された。
僕としてはまだ大丈夫なんだけど、遥はどうしてもこっちの道を通るのは嫌みたい。
遥は僕の裾から手を離すと、僕の右手を取って違う方向へと導く。
咄嗟に掴んだからなのか、握られているのは人差し指から薬指の3本だけ。小さくて可愛い手。
時折、にぎにぎとする感覚が伝わってくる。
少し遠回りになるけど、僕たちは違う道を通って駅へと向かった。
******
駅前を通り過ぎ、少し経ったところで遥が立ち止まる。
どうやら目的地に着いたみたい。
「修ちゃん、着いたよ」
「……え? ここって……」
「うん、そうだよ? 修ちゃん……好きだよね?」
「うん……大好きだよ……」
そこは僕が一度は行ってみたい場所だった。
一人で入るのはなかなか気が引けるし、あまり男のお友達と行くような場所でもない。
僕の中ではカップルで入る場所というイメージだった。
初体験を前にドキドキする僕を、遥が優しくエスコートする。
「修ちゃん、入ろ?」
「うん……」
お店に入って遥が手続きを進める。
店員さんが説明してるけど、僕はすでにワクワクが止まらなかった。
遥が荷物を預けに行き、二人で手を洗って消毒したあと、いよいよその扉を開け放った。
「にゃ〜」
そこには──楽園があった。
猫カフェ。
一体何匹いるんだろう。とにかくもふもふがいっぱいだった。
「可愛い……もふもふがいっぱいだ……」
「うん……可愛い……」
「触ってもいいんだよね?」
「うん、抱っこはできないのが残念だけど」
はやる気持ちを抑えつつ、近くにいたシルバーのアメリカンショートヘアにゆっくりと手を伸ばす。
整えられた綺麗な毛並みに沿って、優しく手を這わせる。
スルンとした指通り、久しぶりに猫ちゃんに触れた気がする。
人馴れしてて、とっても大人しい。
撫でると少し目を細め、気持ち良さそうな表情をする。
僕は堪らず床にうつ伏せになり、その可愛さを堪能した。
「可愛い……凄い……楽園だ……」
「……えへへ〜」
遥はまだ猫ちゃんに触ってないのに、なぜか嬉しそうだった。
二人で猫ちゃんたちの可愛さに魅了される。
ペルシャ、マンチカン、ロシアンブルー、ラグドール……ふわぁ〜…………
しばらくして僕の意識が戻ってきたところで遥に訊いてみた。
「遥はどの猫ちゃんが好きなの?」
「え? えーっと……」
遥は言い辛そうにしながら辺りを見渡すと、ソファに向かって指を差した。
そこには茶色のスコティッシュフォールドが鎮座している。
「あの子だね。可愛いね」
「うん……」
遥の表情が沈んだ気がする。
何か隠してるような、そんな表情。
そういえば、猫ちゃん用のアイスが売ってるらしい。買いに行こうかと思ったら、ここに来てとんでもないことに気がついた。
財布を忘れてきた。どうしよう……。
僕がゴソゴソしてたのと、顔に出てたんだろうか。すぐに遥が声を掛けてくる。
「修ちゃん、お金のことは気にしなくて大丈夫だよ? 今日は私が連れて来たんだし」
「でも、そんなの悪いよ」
「内緒で連れてきてお金払ってなんて、そんな酷いことしないよ」
「ありがとう、遥」
「何か買いたいものあったんだよね? 修ちゃん、何が欲しいの?」
「えっと……猫ちゃん用のアイスが欲しくて……」
「私も欲しいから、買ってくるね」
遥は猫ちゃん用のアイスを買いに行った。
すぐに遥が戻ってきて、アイスを差し出してくる。
「修ちゃん、一緒にあげよ?」
「うん!」
僕は遥の手を握って、二人でアイスの棒を持つ。
猫ちゃんたちの寄り方が半端ない。
僕と遥はたくさんの猫ちゃんたちに囲まれた。
ペロペロ、ペロペロ、ペロペロ
凄い食いつき方だった。
「凄いペロペロしてるね……」
「手を握って……ぺ……ペロペロ……ペロペロ……」
「は……遥?」
遥は心ここにあらずという感じで、何かを思いながら棒の先を一心に見つめていた。
*****
カフェ内に設置されているソファベッドに遥と並んで腰掛け、足を投げ出して二人で寛ぐ。
興奮しっぱなしで少し疲れてしまったけど、すごく楽しかった。
「遥、今日は連れてきてくれてありがとう。すごい楽しいよ」
「うん!」
遥の今日一番の笑顔。やっぱりモヤモヤする。
「それにしても、どうして猫カフェだったの?」
「えっと……修ちゃん……ごめん……さっき嘘ついちゃった……」
「え? 嘘? いつ?」
「修ちゃん……どの猫ちゃんが好きか訊いたでしょ? 私……雑種の茶トラの猫ちゃんが好きだったんだけど、いなかったから……」
「雑種の茶トラって、うちで飼ってた"トラ"のこと?」
「うん……」
昔、うちで飼ってた茶トラの猫ちゃん。
もともとおばあちゃんちで飼ってた猫ちゃんだったけど、僕がしっかりお世話するならってことで譲ってもらった。
本当に可愛くて、僕は一生懸命お世話してた。
遥にもとっても懐いてて、うちに遊びに来たときは鳴きながら遥にすり寄ってた。
でも……腎不全で3年前に死んじゃった。
僕は本当に悲しくて、遥も連れて一緒にトラのお葬式をしたんだった。
僕は悲しい顔を見せちゃいけないと思って必死に涙を堪えてたけど、遥は僕の代わりにたくさん泣いてくれた。
「修ちゃん、猫ちゃん好きだけどあれから飼ってないから、寂しくないのかなって思って……それで猫カフェ連れて来たの」
「そうだったんだ……僕が思い出して気を落とすと思ったんだね、ありがとう。もう大丈夫だよ」
また飼いたいけど、やっぱり死んじゃった時が本当につらい。
僕がもっと大人になって、強くなったらまた飼おうと思ってる。
そういえば、そのことで疑問に思ってたことがあったのを思い出した。
「遥はうちにトラがいたから遊びに来てたんだったよね? あれから今日まで、うちに遊びに来てないから」
「……違う……違うの。私は……修ちゃんと……遊びたかったんだよ?」
じゃあ、どうして遊びに来なくなったんだろう。
あの頃から遥の口調が変わって、元に戻ったのも何か関係あるんだろうか。
僕は遥の記憶を手繰り寄せるように、あるお願いをした。
「ねぇ遥……笑って?」
「……え?」
「なんかね? 最近、遥の笑顔を見るとモヤモヤするんだ。だから、ちょっと笑ってみて?」
「え……えっと……こう?」
遥がニコっと笑顔を作る。
なんか違う気がする。モヤモヤしなかった。
作り笑いじゃダメってことかな?
「自然な笑顔じゃないとダメなのかも」
「じゃあ……修ちゃんがいっぱい笑顔にしてね?」
「うん、分かったよ」
この日、僕は遥と一つ約束を交わした。
その約束を果たしたとき、記憶の手掛かりになるのか。
それは僕にも、誰にも分からないことだろう。




