薔薇の令嬢は没頭したい
これは……もったいないなぁ。
そんなことを思いながら、私は手元の魔石を眺めている。
この魔石は水の魔石。綺麗な青い宝石のようにキラキラしていてとても美しい。
この美しさなら、人によっては何にも使わず鑑賞用にすることもあるのかもしれない。
私も、出来ればそうしたほうがいいのではないだろうかと思う。
しかしこの魔石、いつも私に薔薇の苗をくださるあの手紙の主が贈ってくれたものなのだ。
薔薇の品種改良に使ってください、という手紙と共に。
品種改良に使うには、これをすり鉢でガリガリゴリゴリと削って粉末にしなければならない。
こんなに純度の高い美しい魔石を粉にするのはもったいない。猛烈にもったいない。
とはいえこれだけ純度の高い魔石の粉を使えば、きっと綺麗な薔薇が咲くことだろう。
……でもなぁ、と、実はかれこれ数時間ほど頭を抱え続けていた。
何時間悩んでるの、って話なのだが今は考えることがあるほうがありがたい。
なぜなら留学についての資料をいただいた後、そう、この国の第二王子ことマーヴィン様とぶつかったあの日以降私の立場はさらに悪化してしまっていたから。
あの瞬間を誰が見ていたのかは知らないけれど、噂が立ったのだ。
私が第二王子に色目を使った、みたいな噂が。
はぁ? 色目ってなんですかぁ? ナチュラルな会話すら出来ない私がそんな高度なこと出来るとでもお思いですかぁ? と言いたい気持ちしかない。
事実、あんまり覚えていないけれど、あの日の私は多分「いえ」くらいしか言っていないはずだ。
それでも噂は立ってしまった。
ナチュラルな会話すら出来ない私は、当然噂の消し方なんて分からない。
……まぁ、人にごちゃごちゃ言われているのを聞こえないふりでやり過ごすのは慣れている。
もちろん全く傷つかないわけではないけれど。
そんな時だった。隣国から、この美しい魔石が贈られてきたのは。
この方はいつもそうだ。私がつらい時を狙ったように贈り物をくださる。
きっと偶然なのだろうけれど、私はいつもこの方に救われている。
出来ることならお礼が言いたいのだけれど、いつだって差出人の名は書かれていない。
相手の名前も住所も分からないのではどうしたってお礼なんか出来ない。
感謝してもしきれないほどに感謝しているというのに。
手紙以外で感謝を伝える方法がないものかと思いながら薔薇の世話を続けていたところ、先日いただいた薔薇が咲いていることに気が付いた。
綺麗なオレンジ色の薔薇だった。
オレンジ色の薔薇の花言葉は確か、信頼とかだったような気がする。
可愛らしい花弁をつんつんとつつくと、その場に甘くて優しい香りが広がった。
……手紙以外で感謝を伝えるとすれば。
私はオレンジ色の薔薇の茎に触れる。そしてそっと魔力を込めた。
フリル咲きは結晶化に適していないから、色の情報が詰まった核だけを取り出さなければならない。
細心の注意を払いつつしばらく魔力を込めていると、薔薇の中央から光の種が生まれた。これが核だ。
私はそれをそっと掬い上げるように採取し、それを慎重に小瓶に移す。
さらに同じ方法でこのオレンジ色の薔薇とは別の、結晶化に最適な丸弁咲きの薔薇の核を取り出して同じ小瓶に入れる。
そこにまたゆっくりと魔力を込めれば、クリスタルのような種が出来上がるのだ。ちなみにここで失敗すると種は出来ずに消し炭となる。
その種を、土の魔石の粉、水の魔石の粉、光の魔石の粉、さらにほんの少しの火の魔石の粉を混ぜた土に植えるとそのうち芽が出てくる。ここで失敗していると大体芽は出ないし、出たとしても花は咲かない。
花が咲いた後、それが思っていた色や形状と違っていたら核を取り出す作業か魔石の粉の調合のどちらかを失敗していたということ。花弁が結晶化しなければ、大体は魔石の粉の調合を失敗していたということとなる。
……と、今までは品種改良と言えばこの流れが当たり前だと思っていたけれど、前世を思い出した今、すごくファンタジックなことをしている気分になっている。
「クレア様、そろそろ夕食のお時間です」
「あぁ、ありがとう」
作業に没頭し過ぎて時間を忘れていた。
私は薔薇たちに「また明日ね」と声をかけて温室を後にした。
さっき作った種が成長し、オレンジ色の花弁が結晶化すれば調べるまでもなく新種の完成が確定する。
なぜなら、花弁が結晶化する薔薇を作れるのは今のところ私だけだから。
他の人たちもチャレンジはしているみたいなのだけれど、まだ誰も成功していないらしい。
成功できないのは、土の魔石の粉とほんの少しの火の魔石の粉が原因なのではないだろうかと見ている。
土の魔石の粉は扱いが難しいのだ。見た目が地味で分かりにくいのもあるし、ちょっと目を離すとその辺の土と見分けがつかなくなるから。
見分けがつかなくなるだけならまだしも、純度次第ではいつの間にか溶けてなくなったりもするから。
あと、単にあの見た目が派手な結晶化した薔薇を作るのに地味な土の魔石の粉を使うと思っていない人もいるかもしれない。
光の魔石の粉をぶち込みすぎて爆発させた人がいるらしいって噂を聞いたこともあるくらいだから。
そして火の魔石の粉だ。こちらは本当にほんの少し。うっかりこぼしちゃった! 程度の量を混ぜなければならない。
……初めて結晶化する薔薇を作った時、うっかりこぼしちゃったのよね、火の魔石の粉。調合する気なんてさらさらなかったんだけど。
だからもう火の魔石の粉に関しては調合ではなくほぼ混入なのだ。
それに気付ける人がいれば、私以外の人でも結晶化する薔薇を作ることが出来るだろう。多分。わかんないけど。
そんなわけで今、オレンジ色の花弁が結晶化する薔薇を作れば、きっとこの贈り主に私が新種を作ったことが伝わるだろう。
それが感謝の気持ちとして伝われば……とは思うのだけれど、王宮には出来れば……行きたくない。
「あれ?」
ごちゃごちゃと考え込みつつ、メロディと共に食堂に入ったのだが、そこには誰も居なかった。
「今日はクレア様お一人ですね」
「そう」
食事の時間はさすがに兄弟と顔を合わせなければならないから覚悟していたのだけれど、なんとなく拍子抜けしてしまった。
「……ざ、コホン、皆さんお忙しいそうですよ、何かと」
メロディ、今きっと雑魚って言いかけたよね。前も言っていたし。
しかし皆揃って忙しいとは。……毎日忙しくしててくれれば穏やかにごはんが食べられるのになぁ。
「二番目のお兄様が領内で揉め事を起こしたとかで、旦那様と一番目のお兄様が火消しに行っているそうです」
「揉め事」
うちの次男は、例の祖父にとても気に入られていた。
だからなのか祖父に似て血の気が多いしわりと頻繁に誰かに対して怒鳴っている。そのせいで領民からの評判はものすごく悪い。正直、領民に反乱を起こされて命を落としても驚かない程度には評判が悪い。
それなのに当の本人はそのことに気付いていないらしくふらふらしてはそこら辺で揉め事を起こしているのだ。
そしてそのたびに父と長男が火消しをしている。
父と長男がストレスで死んだら確実に次男のせいだろう。
「お姉様は、今日はもう帰ってこないかと」
姉は両親が忙しくしていて見つからないのをいいことに"ご友人"と遊びほうけている。
メロディ以外の侍女が噂していたけれど、その"ご友人"は男性で、しかも一人ではないらしい。
そのうち誰のか分からない子どもを身ごもって帰ってきても不思議じゃないわ、と笑われていた。
ここで分かる通り、私の兄弟たちは領民からも侍女たちからもそこそこ嫌われている。
私も、多分嫌われてるんだと思う。メロディ以外の侍女たちとの交流はないし。
……そういえば、妹はなぜいないのだろう?
あの子は確か私よりも一つ年下で、さすがに男と遊びまわるような年齢ではないはず。
メロディは妹の行方を知っているのだろうか、とメロディのほうへと視線を向ける。
するとメロディはにっこりと笑みを見せるだけで、特に何も言わなかった。
……まぁ、いいか。ごはんがおいしいなあ。
現実逃避に走った瞬間だった。
夕食を摂り終え、入浴も終えて、メロディに休む準備を手伝ってもらっていた時のこと。
メロディが妹の話をし始めた。
「クレア様の妹様なんですが、先日奥様にくっついてお茶会に出向いたそうなのです」
「社交界デビューもまだなのに?」
「はい。なんか、綺麗なドレスが着たかったみたいで。小さなお茶会でしたし、奥様もまぁいいやと思ったのでしょうね」
妹は癇癪を起こすと手が付けられないほど荒れ狂うから、母も面倒になったのだろう。今ここで話を聞いただけの私も面倒臭いという感情で胸がいっぱいになるくらいだから。
あの子はどうにもならなくなったら私に八つ当たりをしてくるから死ぬほど面倒なのだ。
なぜ私に八つ当たりをするのか、それはあの子が私のことを一番嫌っているから。
何が気に食わないのか、詳しいところまでは知らないけれど、あの子は何かと私を目の敵にしてくるのだ。
生まれたのなんかたった一年しか違わないくせに、とかなんかよく分からないことでたびたびキレられていたものだ。
そしてあの子は私に婚約者がいることも気に食わないと思っているらしかった。
なんであんたみたいな奴に婚約者がいるの? と何度も何度も言われていた。
知らんがな! という気持ちとうるさいなという気持ち、それから面倒臭いなという気持ちが強くて深く考えていなかったのだけれど、あれはおそらく羨ましかったのだろう。
私が羨ましいだとか、相手がフォルクハルト様であることとか羨ましいだとかではなくて"婚約者という存在"に憧れていたのかもしれない。
よそのご令嬢からは相手がフォルクハルト様であることが羨ましいという感情をよくぶつけられるけれど、妹は少し違っていたから。
だって、あの子はことあるごとに「あんな愛想のない男の人と一緒に居て楽しいわけ?」と言っていたから。
フォルクハルト様は別に愛想のない男ではないし、元々は妹に対しても愛想笑いくらいは見せていた。
ただ、私に八つ当たりをする様子を見てからは妹に笑顔を、いや、笑顔どころか作り笑顔さえも見せなくなったのだ。
きっと面倒臭い奴だなと思われたに違いない。わかんないけど。フォルクハルト様本人に聞いたことはないから。
「クレア様、ホーンズビー伯爵ってご存知ですか?」
ホーンズビー伯爵? ……あぁ。
「あの……、妙な噂が絶えない人?」
うっかりあのロリコンかぁ、って言いそうになってしまった。危ない危ない。言葉は選ばなければ。
「あの少女趣味の伯爵です」
言っちゃうんかい。
「あぁ、ええ。その伯爵がどうしたの?」
「奥様と妹様、そのホーンズビー伯爵家に行ってるんですよ」
なんで?
「お茶会の時に、妹様がホーンズビー伯爵に見初められたそうです」
みそ……、えぇ……。ロリコン男に見初められたって、地獄でしかないのでは?
「私にも婚約者が出来るのね! と喜び勇んでお出かけになりました」
「……誰も、止めなかったの?」
一応あの子の周囲にも侍女や使用人はいるわけだし、誰か一人くらいあのロリコン伯爵のヤバい話を知っている人がいてもおかしくないと思うのだけど。
そう思いながら恐る恐るメロディの表情を窺うと、彼女は真夏の太陽も顔負けするほどの輝かしい笑顔を湛えていた。
あれは知ってて止めなかった顔だぁ……。
「そりゃあここで働いている侍女たちは皆存じておりますよ? あの伯爵がどんな方なのか。しかし妹様の憧れである「婚約者」を得る機会を奪うのは少し可哀想だと思ったのです」
「な、なるほど?」
「妹様は夢見る乙女ですもの。あの男に愛人予備軍がうじゃうじゃいらっしゃるなんて難しい話、分かりませんよね」
「……うじゃうじゃいるの?」
「噂ですけれど」
……この先あの子に待ち受けているのは地獄ってことかな?
母は止めなかったのだろうか。いや……相手は伯爵だ、止められないのか。
「天罰って、下るものなんですね!」
そう言って笑ったメロディの美しい笑顔を、私は一生忘れない気がした。
次週、別の人視点です。
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