薔薇の令嬢は留学したい
独学で隣国の言葉を勉強し、お手紙の解読にはなんとか成功した。
差出人は私のファンだった。一人称が僕だったので男性だったのだろう。
お手紙をもらったのならお返事を、と思ったのだけれど、そのお手紙には差出人の名前もなければ住所もなかった。
残念ながら名前も住所も分からない人に、お手紙を出すことは不可能だ。
折角必死で勉強したというのに。
「きゃあっ」
お手紙の解読という大きな仕事を終えた私は、完全に暇になっていた。
そのせいで隙を作ってしまったのだろう。
久々に当たり屋がアタックしてきた。
相変わらず勝手にぶつかってきて謝りながら去っていく。
今までずっと面倒だなだとか、嫌だなだとか、そんなことばかりを考えていたから気が付かなかったけれど、あの人はなぜ私の居場所が分かるのだろうか?
私は誰とも口をきかないどころか一日誰とも目が合うことすらなかったなんて日もあるほどに気配を消している。
今だってただただ廊下の隅の隅を足音さえ立てずに歩いていただけだった。
それなのに目敏く私を見付けて近寄ってきてぶつかって……いや、そもそも私はなんで彼女が近付いてくることを察知出来ないのだろう?
あの子も気配を消しているのか?
いや、しかしぶつかられると結構な衝撃を受けるので直前まで気配を消しているとなると……おかしいな?
おかしいっていうか、薄気味悪いな?
私は鳥肌が立ってしまった両腕をしばしさすっていた。
その薄気味悪さが不気味さへと進化したのはそれから数日後のことだった。
彼女が新聞に載ったのだ。類い稀なる魔力を有する人物として。
類い稀なる魔力とは? と思い記事の内容を少し読み進めてみると、彼女は全属性の魔法適性があるらしい。
この世界の魔法は火、水、風、土、光の五つに分類されており、人々はそのうちの一つを神々に与えられているという。
たまに二つを与えられた人もいるらしいし、極稀に三つを与えられた人もいるらしいけど、それは本当に稀なこと。
それなのに、彼女は全属性、要するに五つも神々から与えられているというのだ。
今後は神々に愛された娘としてもてはやされることになるだろう、とのことだった。
さすがはヒロイン。ゲームでもそんな設定……だったっけな? 覚えてないけど。
とはいえ、この記事では神々が云々という話を中心に書かれているが、結局のところ全属性魔法を操ることが出来るということは、単に元々持っている魔力の容量がクソデカいという話なのだ。
要するに魔力がゴリラレベル。
自分で考えて、一瞬鼻で笑ってしまった。魔力ゴリラて。
ちなみに私が持っているのは土魔法の適性だ。客観的に見れば地味だが、土いじりが趣味の私にはとても便利な魔法なので私は神に感謝している。
なんて、こっそり笑っていられたのはその日までだった。
新聞が出た翌日、学園に行くとまぁ件の魔力ゴリラが幅を利かせているではないか。
私は神々に愛された娘ですのよ、という雰囲気をまとって学園の頂点にでも立ったかのような顔をしている。
それだけならば無害だったのだけれど、なんと私の立ち位置までも変わってしまっている。
今まではただのいじめっ子だった私が、神々に愛された娘をいじめた大罪人に仕立て上げられていたのだ。
大きな声で糾弾されるわけではないが、学園中の人々からの視線が痛い。
あの子が神々に愛された娘をいじめたのね、とでも言いたげな視線が。
こうなってくると学園から追放されるのも時間の問題なのではないだろうか。
そうなったら……温室に引きこもろうかな。
いや、学園からの追放ともなると家族にもバレてしまうし、家にも居場所はなくなってしまうかもしれない。
どうしたものか、と考えているところにウェラード先生がやってきた。
どうやら私を探しているらしい。しかし私は完全に気配を消しているのでなかなか見つからない。
なんかもう面倒だし隠れてやり過ごそうかなと思ったところで、先生の手に見覚えのある封筒があることに気が付いた。
あれは、先日隣国から送られてきたものと同じ封筒だ!
私は急いで立ち上がり、廊下にいたウェラード先生に近付く。
「あぁクレアさん、また隣国から贈り物が届いているわ。今回も薔薇の苗とお手紙。お手紙は先に渡しておくわね」
「ありがとうございます」
お手紙を受け取った私は、あまりの嬉しさに思わず封筒に小さくキスをしていた。
しかし、即座にその行動を後悔することとなった。
なぜなら、偶然廊下にいたフォルクハルト様と目が合ってしまったから。
出来ればこんな奇行、見られたくなかった。
会釈くらいするべきなのだろうと思ったのだけれど、あまりの恥ずかしさに、私はそそくさと踵を返し自分の席へと戻る。
そんな私の背中に、鳥肌が立つレベルの甘い甘い猫なで声が聞こえてきた。
「ねぇフォルクハルト様ぁ、今日の限定デザートはイチゴのパフェなんですって。一緒に食べませんかぁ?」
ジェニーの声だった。
フォルクハルト様はそんなに重たい甘いものは食べないでしょ。
「……あーいいね。僕も食べようかなー」
食うんかい!
私は脳内で即座にツッコミを入れてしまった。
だって、フォルクハルト様は以前言っていたのだ。「俺、甘いもの好きなんだけどたくさんは食べられなくて」と。
絶対に言っていた。忘れるはずはない。
そんな話をしていただけなら忘れたかもしれないけれど、彼はその直後「だから半分食べてくれる?」と言って私にフルーツケーキを食べさせてくれたのだ。手ずから。猛烈に優しい笑顔で「あーん」と言って。
私はそれがもう恥ずかしくて恥ずかしくてその後数日間ずっと動悸に悩まされていたのだから。
今思い出しただけでも心臓がバクバクし始めた。
……でも、僕も食べようかなってことは、ジェニーと一緒に食べるってことだろうし、彼女と半分こでもするつもりなのかもしれないな。
そう思うとバクバク言っていた心臓が突然静かになった。
なんだか猛烈に虚しい。
何よ、僕も食べようかなーって。その話をする直前に私と目が合ったんだから、私が側に居たことも知ってたくせに。
……っていうか何よ「僕」って。私と話してた時はずっと「俺」じゃなかった?
あとそんな間延びした喋り方してた?
もっとこう、前のめりでぐいぐいはきはき喋る人ではなかった?
……話さなくなった間に変わってしまったのだろうか?
まぁ……人は変わるものだからな。
フォルクハルト様が変わってしまっただけかもしれない。
しかし今彼の近くにいるのは魔力ゴリラ……。
うーん、やっぱり不気味だ。
フォルクハルト様がほんの少し心配になったけれど……魔力ゴリラは一応ヒロインだしフォルクハルト様は攻略対象キャラだし、大丈夫かもしれないな。
大丈夫じゃないのはどっちかっていうと私のほうだな。
このままだとおそらく学園から追放されるだろうし、追放後のことを考えなければ。
と、そんなことを考えながら授業を受け、待ちに待った放課後がやってきた。
私は急いで帰宅準備を整え、職員室へと向かった。
「失礼いたします。ウェラード先生は――」
「クレアさんこっちこっち」
私を待っていてくれたらしい先生に誘われるままについていく。
「今回の苗には蕾が付いているみたいよ」
そんな先生の言葉を聞きながら透明のカプセル状のケースに入れられた苗を見る。するとそこには先生の言うとおり、可愛い可愛い蕾が付いている。
「オレンジ色かしらね?」
「そうですね。おそらくオレンジ色のフリル咲き……かもしれない、といったところだと思います」
「フリル咲き?」
「咲くと花弁が波状になって、フリルのような形になるのです」
「きっと可愛いお花が咲くのね」
「はい!」
まぁ薔薇は皆可愛いので形状がどうあれ、色がどうあれ可愛いお花を咲かせてくれるのだけれど。
そう思いながら、私は大切な苗をしっかりと抱える。
そしてそのまま先生に挨拶をして職員室から出た。
前回いただいた苗は隣国でしか手に入らないものだったから、今回もこの国では入手困難なものなのかもしれない。
そんなうきうき気分で歩いていた私の視界に、とある文字が飛び込んできた。
「留、学……」
職員室から玄関へと向かう廊下にある掲示板に「留学制度」と書かれたプリントが貼ってあったのだ。
この学園から数名、特別留学生を募っているのだとか。
特別留学生になると学園のお金で数ヵ月から数年留学させてもらえるらしい。
留学先一覧を見てみると、そこには薔薇の品種改良大国である隣国、センテッド王国の文字もあった。
これだ!
私は、これしかないと思った。
学園を追放される前に、自分から出て行けばいいのだ。
留学して、そのままセンテッドに留まり品種改良の研究者になれば……!
そこまで考えた私は、急いで職員室に戻る。
そしてウェラード先生に声をかけた。
「先生、あの、そこで留学制度のプリントを見たのですが」
「あぁ、そうそう数年前から留学生を募っているのだけれど誰も行きたがらなくてね」
「私、行きたいです」
私がそう言うと、先生は驚いたように目を瞠った。
それからすぐに私の手元にある薔薇の苗へと視線を滑らせる。
「なるほど、隣国に行きたいのね」
どうやら私の考えはとても分かりやすかったようだ。
こくこくと数度頷いて見せると、先生はにっこりと笑ってくれた。
「ちょっと待っててね、資料を持ってくるわ」
留学という名目でこの地を離れれば、周囲からの嫌な視線も気にしなくてよくなる。
フォルクハルト様と魔力ゴリラことジェニーがいちゃつく姿を見なくてよくなる。
家族と距離を置くことも出来る。
「クレアさん……」
さっきまでにっこりと笑ってくれていたはずのウェラード先生の表情に陰りが見えた。
どうしたのだろう?
まさか留学制度がなくなっていた、とか……?
「クレアさん、婚約者がいるわよね?」
「え? あぁ……はい」
「婚約者がいる子の留学は、難しいかもしれない」
「え……」
「いえ、でも、婚約者とそのご家族に相談は出来る? 出来るようならまだ可能性は」
先生のその言葉に、私はゆるりと首を横に振った。
無理、だ。
「……そうよね、クレアさんの婚約者のご家族って、公爵様よね……フォルクハルトさんだけならともかく……」
正直、泣きそうだった。
公爵様への相談はもとより、フォルクハルト様への相談も難しいのだから。
「……その資料だけでもいただけますか?」
まだ分からない。
だって、フォルクハルト様と魔力ゴリラがくっつけば、婚約破棄をされるかもしれないもの。
そうすれば即留学だって可能なのだ。
「そうね、ええ、持って帰りなさい。私も何か協力が出来ないか考えておくわね」
「ありがとうございます、ウェラード先生」
私はぺこりと頭を下げて、職員室を出た。
残念だなぁ、と思いながらとぼとぼと歩く。
あの不思議な婚約さえなければ、私はすぐにでも留学出来たのに。
フォルクハルト様と魔力ゴリラがいちゃいちゃする様なんか見ずに、彼との思い出を美しいまま、そっと鍵をかけて心の奥にしまっておくことも出来たかもしれないのに。
この先いちゃいちゃする姿を見続けることになるのなら、それもかなわないかもしれない。
思い出よりも、憎しみが強くなってしまいそうだもの。
憎むくらいなら、品種改良に没頭して忘れてしまいたかった。
そんなことを考えながらぼんやりと歩いていたせいだろう。
私は曲がり角からひょこりと現れた人とぶつかってしまった。
「おっと」
「す、すみません」
「こちらこそ。おやおや」
薔薇の苗を最優先で守ったため、さっき先生にいただいた留学に関する資料をばらまいてしまった。
「あ、すみません、自分で拾うので大丈夫です」
そう言ったのだが、ぶつかってしまった相手はささっと資料を拾い集めてくれる。
「クレアちゃん、留学するの?」
「え、いえ……」
そこで初めて気が付いた。
目の前にいた、さっき私がぶつかった相手はフォルクハルト様の幼馴染、この国の第二王子であるマーヴィン様だった。
彼は拾った資料を見ながら不思議そうに首を傾げている。
「あの、拾ってくださってありがとうございます」
「ん? あぁ」
私が蚊の鳴くような声で言うと、不思議そうにしたままではあったが資料を返してくれた。
彼の口元が何か言いたげで、今にも動きそうだったので、私は急いで頭を下げた。
「し、失礼いたします」
と、言いながら、そそくさとその場から立ち去る。
驚いた。
まさか第二王子とぶつかるなんて。
まさか第二王子に名前を呼ばれるなんて。
あの人、私のこと覚えてたんだ。
ブクマ、評価等ありがとうございます。
そしていつも読んでくださって本当にありがとうございます。