薔薇の令嬢は穏やかに過ごしたい
「こんなはずじゃなかったなぁ……」
色とりどりの花が咲き乱れる公爵家の庭園で、項垂れる一人の使用人。
その使用人の顔には、疲労の色がかなり濃い目に滲んでいる。よほど疲れているのだろう。
「とりあえずお茶でも飲んで」
「いや……はい」
お茶を勧めたのは私の侍女、メロディ。
この疲れた顔をしている使用人は、公爵家の使用人ではない。しかし私もよく見知った使用人。彼女は確か私の姉付きの侍女だった。
温室の中から声だけは聴いていたけれど、顔を見たのは本当に久しぶりだ。
「落ち着いたら、順を追って教えてもらっていいかな?」
そういったのは、私の婚約者、フォルクハルト様。
微笑む目元は優しく、口調も穏やかなのだけれど、少し怒っている気がする。ただ、目の前の使用人に対して怒っているわけではない。
だって、このフォルクハルト様、私、メロディそして使用人の四人でちょっとしたお茶会でも、と誘ったのは他でもないフォルクハルト様だったから。
まぁローラット家の使用人の彼女がここにいるってことは、あの家で何かがあったというわけだろうし、その内容を察知して怒っている可能性はあるんじゃないかと思う。
なぜならフォルクハルト様はあの家の人間がお嫌いなようだから。
あとメロディの口元が今にも笑い出しそうなのも気になっている。メロディはメロディであの家の人たちを雑魚だと言っていたし、あの家の人たちの不幸は笑い話だと思っている節もあるし。
私も似たようなものだけどね。二人と。
「……よし。じゃあまずは、端的に言います。クレア様のおばあ様にあたる人物が亡くなりました」
へぇ、あの人死んだんだ。くらいの感情しか湧かなかった。
メロディはぷぷぷ、と明らかに笑っている。隠している空気だけは出しているようだけれど、全て見事に漏れ出ている。
フォルクハルト様は……にっこりと笑っている。それはもうにっこりと。私とお話してくれる時のフォルクハルト様はいつも笑顔でいてくれるけれど、あんな露骨過ぎる笑顔は初めて見た。笑っているのに、めちゃくちゃイラっとしている。
「そもそもあのババ……あの人、かまってちゃんだったんですよね」
そんな使用人の言葉に、メロディが「前からそんな節あったな」と呟く。
使用人があのババアと言いかけたことについては、皆スルーするつもりのようだ。何事もなかったように。
私も頑張ってスルーするつもりだけれど、気を抜いたら笑いそうである。まさかの笑ってはいけないお茶会。
「でも誰からも相手にしてもらえないものだから、仮病を使い始めたんです。最初こそ心配している素振りを見せる人もいましたが、仮病があまりにも下手くそ過ぎてまたすぐ相手にされなくなりました」
滑稽な人だな。
でも亡くなったってことは、仮病を使い過ぎた結果本当に病気になったのだろうか? 嘘から出たまこと、みたいな?
「それで、仮病は失敗だと思ったのでしょうね。今度は足が悪いふりをし始めたんです」
病気ではなかったようだ。
あの人くらいの年齢にもなれば、足腰が弱ることなんてままあることだろうから、仮病よりも騙しやすいと思ったのかもしれない。
「わざわざローラット家のお屋敷に来ては『人の助けがないと歩けない』と大きな声で騒いでいてよろよろよたよた……」
使用人は小さな小さな声で「正直鬱陶しかった」と零した。小さな声だったけれど、多分皆聞こえていた。
笑ったら負け……笑ったら負け……。
「本当に足が悪い可能性は?」
ふとフォルクハルト様が問いかける。
「お屋敷に入る前、誰も見てないと思ったんだろうけどしっかりとした足取りで歩いてるの見ちゃってるんですよ。屋敷内の大半の人が」
シンプルに頭が悪い。
あまりにの頭の悪さにフォルクハルト様も呆れかえって絶句している。
「え、じゃあ結局なんで死んだの?」
そんなメロディの問いかけに、使用人は小さなため息を零しながら言った。
「階段で転びそうになったふりをしたつもりが本当に転んで頭打って死んだそうです」
と。
皆、一瞬言葉を失った。
しばし沈黙が続いた後、一番に口を開いたのはメロディだった。
「なんて?」
「だから、階段で転びそうになったふりをしたつもりが、本当に転んで頭を打って死んだんですって」
要するに助けてくれなきゃ転んじゃうぞ~ってやってたらマジで転んで打ちどころが悪くて死んだってことか。
シンプルに頭が悪い。
「誰も助けなかったの?」
「一番近くにいたのは奥様だったらしいんですが、またいつもの虚言だろうと思ったとおっしゃっておりました」
母だけでなく、周辺に居合わせた人たちも「はいはいまたいつものやつね」と思って視線すら向けていなかった、とのことだった。
普段から嘘ばっかついてたせいで死期を早めてしまったようだ。なんとも呆気ない。
「ちなみに現在の奥様の口癖は『私は悪くない』です」
軽いトラウマになってるやつじゃん。
めんどくせぇ祖父の陰から、虎の威を借る狐のようにぎゃーぎゃー言ってた時から面倒な人だと思っていたけれど、最後の最後まで面倒な人だったのだなぁ。
「クレア様があの家を出た後で良かった」
メロディがぽそりと呟いた。
「それで? その話をしにきただけかな?」
フォルクハルト様が問いかけると、使用人はふるりと首を横に振って否定した。
「一応、葬儀があるのでクレア様にも声をかけてくるように、と言われて来ました」
彼女が来たということは、その指示をしたのは姉なのだろう。
葬儀だと言われても、正直なところ行きたくない。葬儀に行きたくないという気持ちもあるし、そもそもローラット家の人たちに会いたくない。もう顔も見たくない。やっと離れることが出来たのに。
「へぇ」
そう小さく零したフォルクハルト様の表情が、今までに見たことのないものになっている。初見過ぎてどんな感情なのかも分からない。
「結婚式には呼ばないのに、葬儀には呼ぶんだ」
クソクソガチギレした時の顔だったみたい! こっわ!
結婚式に呼ばなかったってのはあれだ、妹の結婚式だ。あれも別に行きたくなかったから呼ばれなくて良かったんだけども。
「ですよね!」
使用人も大きな声でクソクソガチギレフォルクハルト様に乗っかった。
「私もそう思ったんです。でもあの人今情緒不安定で言い返すとヒステリーを起こして大変だから言うこと聞いてるふりでもしておかなきゃ面倒臭いなぁと思ったりしまして……」
「情緒不安定?」
「情緒不安定……」
メロディと使用人が視線を合わせながら肩をすくめている。
「大変なところで働いているんだね……」
フォルクハルト様が不憫そうに言った。
「そうなんです。だから、今日こちらのお屋敷に来て門前払いをされる予定だったんです」
フォルクハルト様も私もメロディも「門前払い?」と同じように首を傾げる。
「門前払いをされて、門前払いされちゃいましたって報告をして、クビにしてもらうつもりでした。あの人なら役立たず! って言うと思って」
あぁ、だからこんなはずじゃなかった、とぼやいていたのか。
門前払いの予定がお茶会に引っ張り込まれているのだから。
「クビになったら困るでしょ?」
「絶賛崩壊中のあの家で働き続けるよりはマシです。遅かれ早かれクビになると思いますし」
そういえば、かつてロータスさんに占ってもらった時、私の家族に不幸が襲うみたいなこと言ってたな。
私が家を出たら崩壊するのみって。
「……そういえば以前占いで、私があの家を出たら崩壊するのみって言われた……」
「やっぱりそうですよね。クレア様ってあの家に残された最後の良心みたいなお人でしたもんね」
「え、あ」
小さな呟きを拾われたことに驚いたのと「最後の良心」という誉め言葉っぽいものをいただいて挙動不審になってしまった。コミュ障、治らず。
「そう、私のクレア様はあの害虫に育てられたとは思えない良心の塊」
「いやクレアは俺の」
あぁ、フォルクハルト様とメロディのにらみ合いが始まってしまった。
「メロディさんが楽しそうで良かったです」
二人のにらみ合いを気にすることなく、使用人が笑っている。
「え?」
「メロディさんっていっつも難しい顔ばっかりでしたから」
メロディと使用人の顔を見比べて、私は首を傾げて見せる。
だって、私の側にいるメロディは、いつも優しい顔をしていたから。難しい顔ばかりではなかった。
「クレア様と二人きりの時以外は、敵が多かったから」
「神経をとがらせている、って顔だったんですね。でももう敵の戦力もあのころに比べたら半減していますよ」
使用人はそう言って苦笑を零した。
半減したかどうかは知らないから何とも言えないけれど、祖母は亡くなったし、母はそのせいでちょっとおかしくなってるし、妹は今ロリコンのところにいるし……他の人たちも問題ばっかり抱えてるからなぁ。
「今後もどんどん崩壊が進むんでしょうねぇ」
今のままでは自分もその崩壊に巻き込まれかねないわりにはどこか他人事で使用人が言う。
そして、ふと楽しそうな笑顔でもう一度口を開いた。
「次に問題が発覚しそうなのは、クレア様の姉にあたる人ですね!」
めちゃくちゃ他人事だけど、この人姉付きの使用人だったよね。
「楽しそうね」
そのことに気が付いているであろうメロディが小さく笑いながら声を掛けているし、それに対して元気よく「はい!」と答えている。一周回って楽しくなってきちゃった感じなのかな。
「だからさっさとクビにしてもらいたい気持ちと、あの人たちがどこまで落ちるのかを観察したい気持ちがせめぎあっているんです」
怖いもの見たさってやつですかね。私ならとっとと離れたいけどな。巻き込まれたくないし。
なんてことを考えていると、フォルクハルト様がうーんと小さく呻りながら首を傾げていた。
「観察を続けて、今日みたいに報告してもらうのはどうだろう?」
あ、なんかとんでもないこと考えてた。
「楽しそうですね」
あ、使用人めっちゃ楽しそう。
「君の身に危険が迫らないようにこちらで手を回す。そしてクビになるか完全崩壊するかしたらうちで働けばいい」
「いいんですか!?」
使用人の言葉に、フォルクハルト様は難しい顔をしたまま頷いている。
「公爵家のほうでも、クレアがあの家でどんなに酷い目に遭っていたは大体把握しているが、実際に見ていた人物がクレアのそばにいてくれたほうが俺も安心出来る」
「私がいますけどぉ?」
「公爵夫人になるんだから、侍女一人では足りない。もちろんこちらでも準備はするが、クレアがどんな心の傷を持っているかも分からないんだ。過去を知っている人物は一人でも多いほうがいい。それにその子はあんなに酷い屋敷で働いていたのに精神を病んでいるようには見えないし悪事に手を染めてもいないようだ。根性面でも合格だと思う」
フォルクハルト様、メロディとにらみ合いながらめちゃくちゃ早口で言い放った。
なんだかよく分からないけれど、私に対して過保護になっているんだろうなということだけは分かった。照れた。
「お任せください! 今まで根性だけで生きて来ましたから! それに今頑張ればメロディさんと一緒にクレア様のお手伝いが出来ると思えば残りの仕事も乗り越えられます!」
大問題ばかりを抱えている家での残りの仕事を、メロディはともかく私なんかのためにそんな頑張れるもんかな? という疑問は湧いているものの、使用人は楽しそうだし、将来的には公爵家で働けるのだから歓迎してもおかしくないか。
「クレアはどう思う?」
「あ、えと、お願いしたい、です」
私がそう答えると、使用人は満面の笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします! あ、今更ながら、私の名前はティモーナです!」
「よろしく」
ぎこちないながらも笑顔で返事をすれば、使用人、ティモーナは「就職先が決まった」と嬉しそうに笑っていた。
「あ、で、そういや忘れてたけど雑魚の葬儀は?」
和やかな雰囲気のなか、普通のお茶会になりかけたところでメロディが気付いた。
そうだった、本題は祖母の葬儀だった。
「あぁ、葬儀なら公爵夫妻、次期公爵夫妻の四名で行く、そう伝えてくれ」
まさかの四人参加。我が家の、しかもあの祖母の葬儀に公爵夫妻が参加なんてありえない話では?
……っていうか私たちはまだ婚約中なだけで次期公爵夫妻ではないのでは? 思いっきりどさくさに紛れてて一瞬スルーしかけたけど。
「四名?」
メロディも、それからティモーナも私と同じことを考えたのだろう。私たち三人は同じように首を傾げている。
「そう言えばローラット家の人間たちが嫌がるだろう」
「確かに」
「あの家の人間はクレアがいなくなってから不幸続きで鬱憤も溜まっているだろうからな。クレアを呼んでその鬱憤を晴らそうとしているだけだ」
まぁ、確かにストレス発散のためのサンドバッグみたいなもんだからな、あの家での私は。
「そんなこと、俺がさせると思うか? クレアのいないところで存分に生き地獄を味わえばいい」
さっき一瞬和やかな空気が流れていたから落ち着いたのだと思っていたけれど、クソクソガチギレモードは終わっていなかったようだ。
あぁでもクソクソガチギレ顔のフォルクハルト様もかっこいいな。心臓に悪い。
お久しぶりです。
あれこれ書きたいネタが溜まったので放出していこうと思います。しばしお付き合いくださると幸いです。




