薔薇の令嬢は未来に希望を持ちたい
ぱちりと目を開けると、見知らぬ場所に立っていた。
さほど広くはないこの部屋に窓はなく、少し薄暗い。でも嫌な感じはなく、心が落ち着く優しい香りがする。
目の前にあるテーブルもソファも、とてもおしゃれで趣味がいい。
背の高い本棚にはぎっしりと本が詰まっている。
そして月の光のようなテーブルランプが一つ、星の光のようなペンダントランプが一つ、二つ、三つ……。
「転移魔法は初めてでしたか」
「ぴっ」
ふいに真後ろから声をかけられて驚いた。
「ぴ? 独特な驚き方だ」
そこは恥ずかしいので触れないでいただきたかった。
いや、そんなことを考えている場合ではない。そうだ、私は帰りの馬車を待っていたところでこの人に話しかけられてここに連れてこられたんだ。
……ということは、私は誘拐されたのだろうか?
ふと自分の手の甲を見ると、不思議な文様が刻まれたままになっている。
「ああ、それはあなたの魔力が外に漏れないように遮断する魔法……いや、おまじないみたいなものです」
「……え」
「あなた、第一王子からの監視が付いてるでしょう?」
「あ」
「さてさて、そのソファに座ってください。お茶とお菓子もどうぞ」
そう言われても、私は恐ろしさとコミュ障のせいで身動きがとれない。
なんか誘拐されたっぽいし完全に見ず知らずの人だしもうどうしたらいいのか分からない。
「大丈夫。あなたに危害を加えることはありませんから。だからとりあえず座ってください」
誘拐しておいて危害は加えないと言われてもいまいち信用ならない。
しかもそれだけじゃなく手に変な文様まで刻まれてしまったわけだし。
「あ、それは話が終われば消しますよ」
消せるんだ。
そう思いながらちらりと目の前の男性を見ると、もう一度「座ってください」と言われた。笑顔だったけど、ちょっと圧が強かった。
「……あの」
ゆっくりと、浅く浅くソファに腰を下ろす。
自分でもびっくりするほど小さな声で彼に声をかけたら、にっこりと微笑まれた。
「初めまして、ロータスといいます。職業は占い師。最近は王都で一番当たる占い師と評判になっているんですよ。ちなみに特技は未来視です」
「……あの、カードの人」
「そうそう。あの危ないカードを作った人です」
やべぇカードを作ったはずで、その自覚もあるみたいなのに、彼はにこにこと微笑んでいる。
「人から魔力を吸い取るカードだったんですよね?」
「はい」
「悪意を持って」
「そういう文様でした。生温いやり方では気が付いてもらえませんから」
「……ん?」
今なんて? と首を傾げていると、彼はもう一度軽く微笑んでからテーブルの上にあったお茶を一口すする。
ただ黙ってそうやっていれば、さらさらの緑がかった黒髪や深い深い紫色の瞳がとても綺麗だ。
あと普通に顔も綺麗だな。美形だ。お茶を飲んでいるだけなのに、絵になるくらい。
「いやしかし第一王子が先に気が付くとは。それは想定外でした」
「特技は未来視なのに……?」
「未来視といっても未来がすべて見えるわけではないんですよ。たまに変わるし」
変わるんだ。
「人の運命ってわりと変えられるんですよ。宿命は変えられないことのほうが多いんですけど」
「運命と、宿命」
「で、あなたの運命は今日変わったばかりです」
そう言った彼は「ちょっと待ってて」と言って立ち上がり、部屋の隅にあったドアを開けてどこかへ行ってしまった。
よく見てみると、この部屋にはドアが二つある。今彼が出ていったドアか、もう一つのドアが出口なのだろうか。
危なくなったら、どちらかから逃げたほうがいいのだろうか。っていうか今すぐ逃げたほうがいいような気もするけれど。
「よっこいしょ」
呑気な声がしたと思えば、彼が大きくて重そうな物を持って戻ってきたところだった。
「水、晶……?」
「そう。大きくてツンツンでカッコイイでしょう」
重そう、としか思わなかった。
高さ30センチはありそうな大きな水晶ポイントを抱えながら持ってきたのだから。
「はい、見て。あなたは今日ここに来なければ馬車の衝突事故に巻き込まれて死んでたんですよね」
透明な水晶の中に、映像が流れ始める。
うちの御者さんが乗った馬車と別の馬車が派手に衝突する映像だった。
うちの御者さんが乗っているということは、あの馬車の中には私がいるということ。
「え」
そう呟いて彼のほうを見ると、彼は小さく頷いていた。
「え!?」
「今あなたに死なれるわけにはいかないので、強制的にここに連れてきました。話したいこともありましたし」
「……え!?」
「こういう未来があったかもしれない、ということです」
「え、怖い」
「大丈夫。変えたので」
それはそれで怖いわ。
「じゃあ、楽しい話題に切り替えましょう。どうです? 王都で評判の占い、やってみませんか?」
「え、でも」
「報酬は一つ。俺が言うたった一つのことを厳守してくれればいいだけです」
「ん、え、なに」
「そう難しいことではありません。一つだけ絶対に守ってもらいたいことがあるだけです」
なんだろう、よく分からない。とりあえず今頃死んでたかもしれないというあの映像が脳裏に浮かんで深く考えられない。
「守ってもらいたいのは、第一王子の言うことをしっかり聞くこと」
「だ、第一王子……?」
「そう。今後しばらくは彼の言うことをしっかりと聞いてください。一言一句聞き逃さないように」
「え、あ、はい」
それなら簡単だ、そう思った私は、咄嗟にはいと返事をしてしまっていた。
「いい返事ですね。じゃあ占いましょう」
しまった占いが始まってしまった!
「まずは、あなたの家族。あなたの家族、次から次に不幸が襲いそうなんですが……助けたい家族はいますか?」
そう言われて、屋敷を思い浮かべる。
もしも自分の家族にさっきのような不幸が襲うとしたら、助けたいのは誰だろう? と。
「メロディは助けたいです」
「メロディというのは」
「私の侍女です」
「……とても残酷なことを言うようですが」
ざ、残酷……!
「侍女はあなたの血縁者じゃないので家族じゃないですね」
「家族じゃ、ない……!」
そうだった……!
「家族じゃないとはいえ家族以上の絆が見えますね。あと彼女、幸せみたいなので大丈夫です。安心してください」
良かった……!
「助けたい家族がいないのであれば、あなたは今まで通りの生活を続けていれば大丈夫ですね。あなたに不幸が降りかかることはないでしょう」
「……そうですか」
自分に害がないのであれば別にいいかな。まぁ一応家族だけど。
「まぁあなたに助けてもらえるような人間はいないみたいですけどね。あなたがこの家から出た後は崩壊するのみ」
「そう、ですか」
「何をされたって血を分けた家族なんだから、みたいな考えは捨てたほうがいいですよ。家族といえど一人の人間。やっていいことと悪いことの区別がつかない人間は見捨てても問題ありません」
言われてみれば、祖父を筆頭に私の血縁者はやっていいことと悪いことの区別なんかついてなかったんだろうな。
区別がついていたら、あんな仕打ち受けなかっただろうし。
「あなたは近いうちにあの家から出ることになりますし、その先は特に問題はないでしょう。安心して大丈夫です」
「……大丈夫」
大丈夫なんだろうか?
「何か聞きたいことはありますか?」
「……その、私、留学したくて」
「隣国ですか?」
「え、はい」
「留学かぁ。うーん、まぁ隣国には行けますね」
「行けるんですか!」
「行けます。行くと思います」
留学じゃなかったとしても隣国には行ける、そう思うと少しわくわくする。
「とても楽しそうなあなたが見えます」
「本当ですか!」
隣国で楽しそうにしてるなら、全然問題ないのでは? 私の未来にも少しは希望が見えているのでは?
もしも隣国に行けたら、いつもお手紙をくださるあの方に一目でいいから会ってみたいな、なんて思っていたら、目の前の彼が「うーん」と首を傾げている。
「石……魔石とか、好きですか?」
「わりと好きです」
こくりと頷くと、彼もうんうんと頷く。
「ちょっとついてきてもらってもいいですか?」
彼はそう言って立ち上がり、さっきの大きな水晶を取りに行ったドアのほうへと歩き出す。
ついてこいとのことなのでとりあえず私も彼の後を追う。
「わぁ!」
ドアの向こうには、大きな棚やケースが並んでいて、沢山の魔石や宝石が保管されていた。
「俺の先祖に腕のいい占い師がいましてね。彼女の遺品なんですよ」
「へぇ……綺麗」
大きなものから小さなものまでありとあらゆるキラキラが集まっている夢の空間だった。
「で、俺は石の声がたまに聞こえるんですが……水の魔石持ってませんか?」
「持ってます。えーっと、このくらいの大きさの」
手近にあった大きな魔石を指す。
「ありがとうって言ってるんですよね。割ろうとしました?」
「あぁ、その魔石、いただき物なんです。薔薇の品種改良の素材にどうぞってことだったので、素材にするなら粉にしなきゃなって思ったんですけどあんまりにも綺麗だからそのまま持ってて」
私がそう答えると、彼はあははと笑っていた。
「……この大きさの魔石って、やっぱりお高いんですか?」
「お高いですね。それをくれたってことは……愛のなせる業ってところですかね」
「あ、あい」
「あはは」
彼は笑いながらさっきのソファに戻っていく。
私はもう少し石を眺めていたかったけれど、仕方なく彼を追ってソファへと戻る。
「さて。あなたについての占いはこんな感じですね。基本的には流れに身を任せて安心していて大丈夫です」
「……はい。あの、さっき言ってた『今死なれるわけにはいかない』みたいな話って」
ずっと引っかかっていたことだった。
見ず知らずの人なのに、私が死んで困ることってなんなんだろう、と。
「俺は今、俺の祖父の最後の願いのために動いてるんですよ。あ、祖父も未来視が特技だったんです」
「おじい様の願い?」
「そう。変わり者だった祖父に懐いてた子どもたちがいて、その子どもたちを助けるためにはあなたに死なれるわけにはいかなくて」
「なぜ私……」
「その辺は時が来たら教えます。あなたは、演技とか苦手そうですし」
彼はそう言ってくすくすと笑った。
笑うことないじゃん。私だって演技くらい……やったことないから分かんないや。
それにしても、おじい様の願いを叶えるためとはいえ、彼はあの危ないカードを作った人なのだ。絆されて忘れるところだったけれども。
「あの……なんで、あのカードを作ったのかは教えてもらえませんか? その、あなたが悪意を持って危ないカードを作ったとは思えないのですが」
悪い人には見えない。だからこそ教えてほしい。
「ああするしかなかった。……それも、詳しいことは時が来たら教えます。もちろん、きちんと罰も受けますよ」
微笑みを崩すことなくそう言い切った彼を見て、私は何も言えなくなってしまった。
「あなたはただ巻き込まれただけ。俺の言った通り第一王子の言うことを一言一句聞き逃さないようにして、それ以外は健やかに過ごしていてください」
健やかに過ごせればいいのだけれど。
「あ、あとこれは助言というか忠告というか……まぁ一言言わせてもらいたいんですが、家族に優しく出来ないことを気にしてはいけませんよ」
「え」
「気に病むだけ無駄です。さっさと忘れるくらいで丁度いい」
「は、はい」
こくこくと頷いて見せると、彼は立ち上がり、私の手を取った。
「よし、とりあえず今日のところはこの辺で。何かあれば手紙を……出せたらいいなぁとは思うのですが」
「出せたらいいなぁ、とは」
「俺は悪者ですからねぇ。出したところであなたに届くかどうか。届かなければ、何か別の手立てを考えましょう。それでは」
彼が私の手をぎゅっと握ったと思ったら、またバチンという衝撃が私の手を襲う。
「痛!」
「うちは先祖代々古の魔法の研究なんかが好きなんです。この文様も古くて難しい魔法の類いなんですよ」
その言葉に対して相槌を打つ暇もなく、私の視界は暗転した。
そして次に目を開けたときにはもうその部屋にはいなくて、いつの間にか馬車乗り場にいた。
「クレア様!」
「あ、えと」
御者さんに声をかけられた。額に汗を滲ませて、肩で息をしている。これはもしかして、いやもしかしなくても、探されていたやつだ。
「その、ごめんなさい、迷子に」
「とにかくお屋敷に帰りましょう。無事で良かった……」
「ごめんなさい……!」
「謝るのは僕にではなく、第一王子殿下に」
小さな声でそう言われた。
まさかとは思うけれど、第一王子にも探されていたりするやつですか……?
どうしよう、なんて言い訳をしよう、そう考えながら手の甲を見ると、そこにあった文様はもうすっかり消えてしまっていた。
ブクマ、評価等いつもありがとうございます。
そしていつも読んでくださって本当にありがとうございます。
もうそろそろ完結ですので最後まで楽しんでいただけたら幸いです。




