第二王子は応援したい
最近、フォルクハルトの機嫌がいい。
先日までの鬱々とした様子はなく、どこかうきうきしているのだ。
ただ、たまに浮かべる笑顔が純粋なものではなく完全に悪い笑顔なのが玉に瑕ではあるのだが。
悪い笑顔の原因はクレアちゃん奪還計画についてを考えているからなのだろう。
何をするつもりなのかはまだ聞いていないが、とりあえず死人が出なければいいなぁ……と思っている。
フォルクハルトはクレアちゃんが絡むと何をするか分からないから。
そもそも俺とクレアちゃんの結婚話に横槍を入れたのだってそうだ。
好きという感情だけで王族の俺から結婚相手を奪ったみたいなものだからな。
そして学園に入学した後もクレアちゃんに何かしたやつは片っ端からそっと潰していた。クレアちゃんに気付かれないように、そっと。
そうしてクレアちゃんは次期公爵の寵愛を受けた娘になり、不用意に近付くべきではないと判断され今に至るわけだが……クレアちゃんが完全に孤立してしまったのは、フォルクハルトの計画通りだったのだろうか。
いや、計画通りではないか。
計画通りなら、婚約者相手に片想いを拗らせたりしていないだろう。
ただの片想いならともかく、婚約者を遠目で見て恋焦がれているわけだからな。婚約者だぞ。二人きりになっても手を繋いでも身を寄せ合っても誰にも咎められない相手だぞ。なんで遠くから見ただけでうっとりしてるんだよ。おかしいだろ。
……取り乱した。
しかしまぁ、触れ合うことさえ出来ない婚約者にあれほど恋焦がれているというのは、少し羨ましくもあった。
あそこまで人を好きになれるなんて、と。
一目見られたというだけで心底嬉しそうに笑っていたり、彼女から貰った薔薇に毎日毎日定着魔法をかけて枯れないように維持していたり、本当に好きじゃなければそんなこと出来ないのではないだろうか。
振り向いてくれるわけでもないのに、ただ一目見ただけで嬉しいだなんて思ったこともないし、定着魔法って結構面倒だし。
普段は可哀想なフォルクハルト、と思うことのほうが多いけれど、それと同じくらい羨ましくも思っているのだ。
俺もいつか、あんなふうに人を好きになってみたい。
……なんてな。まぁ俺、将来は政略結婚確定なんだけどな。
だから俺の代わりに二人が心底愛し合ってくれれば俺も幸せ、だと思うのだ。
フォルクハルトの片想いではなく、愛し合ってくれれば。
クレアちゃん、頑張ってくれないかな。
そもそもクレアちゃんはフォルクハルトのこと好きなんだろうか。
何度か俺とフォルクハルトとクレアちゃんの三人で喋ったこともあるが……いや、まぁクレアちゃんは一言も発してなかったけど、嫌そうな素振りはしていなかったはずなんだよな。
びっくりするほどびくびくしてたけど。
傍から見れば穏やかな貴公子で綺麗な顔をしていて金も地位もある、そんなフォルクハルトが嫌われていたとしたら……それはそれで面白いな?
「マーヴィン」
「ごめん」
「ごめん?」
「いや、なんでもない。じゃあ行くか」
ぼんやりしていたらいつの間にか放課後になっていたし、フォルクハルトに声をかけられていたし、直前まで失礼なことを考えていたのでつい謝罪の言葉が口を衝いて出てしまっていた。
いつもの部屋に行こうとしていた時のこと、血相を変えた男が教室に飛び込んできた。
それを見たフォルクハルトが小さな声で「げ」と零す。
「いた! フォルクハルト、薔薇の子がどこにいるか知らないか?」
「あ?」
教室に飛び込んできた男、それはバルトロメウスだった。フォルクハルトの天敵である。
薔薇の子、とはクレアちゃんのことだろう。そのことに気が付いたフォルクハルトは地を這うような声で応対している。
「まぁあの子はともかくとして、君にも話があるんだ。どこか個室みたいなところがあれば、あと盗聴防止装置も欲しい」
人に聞かれたくない話でもあるのだろうか?
と、フォルクハルトの側で首を傾げていると、バルトロメウスが声を潜めて言った。
「ジェニーのことなんだ」
と。
ジェニーといえば、ジェニー・サリス。例の"魅了"の女だ。
「その話、俺も聞かせてもらいたいのだが」
俺は二人の間に割って入る。
「え。……いや、え?」
バルトロメウスの顔に「なんでお前が」と書いてある。
しかしここでぐずぐずしていれば、あの女に捕まってしまう可能性もある。さっさと連れて行ってしまおう。
「王宮内の一室を貸す」
「え? ……ん?」
「行くぞ」
混乱するバルトロメウスを捕縛し、俺たちはいつもの部屋へと急いだ。
「すごい部屋だな」
いつもの部屋につくなりバルトロメウスが言う。
さっきまで混乱していた彼だったが、部屋を見て惚けるほどの余裕を取り戻したらしい。
「この部屋なら外部に音が漏れることはない。あと魔法も使えない」
「結界かぁ」
緊張感のない声だった。
案外大物なんだな、バルトロメウス。確か伯爵家かどこかの子息だった気がするのだが。
「話というのは?」
フォルクハルトの地を這うような声がする。
「そうだ! その、君は君の意思でジェニーの側にいるのか?」
「あぁ?」
フォルクハルト、あからさまに喧嘩腰である。
「俺は、ジェニーが側に来ると錯覚が起きるんだ」
「錯覚?」
今にも噛みつきそうなフォルクハルトを手で制し、俺が相槌を打つことにする。
「俺には愛しい恋人がいるというのに、ジェニーが側にくるとジェニーのことが好きなんだと、妙な錯覚が」
おそらく"魅了"のせいだな。
「正気には戻れるのか?」
俺の問いに、バルトロメウスはこくこくと頷く。
ということは、バルトロメウスは完全に"魅了"に惑わされることはないのだろう。
「それで俺、薔薇の子に相談したんだ」
「なぜクレアに」
心の底から嫌そうな顔をしたフォルクハルトが言う。
「いや……恋人と揉めたから。薔薇の子は婚約者とあのジェニーが一緒にいるのを知っているはずだと思ったし、俺の恋人と薔薇の子の立場は一緒だろ?」
間違ってはいないけれども。
「俺は絶対に恋人のことが好きなのに、ジェニーに対して好意を持つなんて変なんだよ。だから、妙な魔法を使われているんじゃないかって薔薇の子に言ったんだ」
バルトロメウスはそう言いながら、ポケットからそっと手を出した。
今までずっとポケットに手を突っ込んだままだったのに。
「見てくれ」
「なんだ、それ」
バルトロメウスの手には手の平に収まるサイズの袋があった。
そしてその袋の中からざらざらと、赤い何かの欠片のようなものが出てくる。
「お守り石、っていうらしい」
「どちらかというと砂では」
「砂になったんだ。朝は石だった。割れて砕けてこうなった」
お守り石というと、昔じっちゃんに聞いたことがある。身を守ってくれる石だと。
昔はよく使われていたんだそうだ。
そのお守り石が割れるということは、魔法を使われたということだろう。
「……それで、なんでクレアを探していたんだ?」
フォルクハルトの問いに、バルトロメウスが興奮気味に答える。
「薔薇の子が、割れたら報告してほしいって言ってたから」
「報告」
「このお守り石、薔薇の子が作ってくれたんだ。魔法を使われると割れる石だから、その錯覚が魔法によるものなら割れるって」
と、いうことは。この報告を聞けば、フォルクハルトが魔法の力のせいであの女の側にいるって気付いてもらえるのでは?
「クレアの手作り……お前が……」
あ、だめだ、フォルクハルトの頭が働いてない。
「で、ついでに君にも教えようと思った。君もきっと錯覚を起こしてるんだろうなって思って」
「……ああ。錯覚というか、あれは"魅了"という魔法だ」
「なんだそれ」
フォルクハルトがムッとするだけだったので、俺が代わりに説明をする。
するとバルトロメウスはきょとんとしながら首を傾げる。
「知っててジェニーの側にいるのか?」
「そうだ」
フォルクハルトの肯定の言葉を聞いても、バルトロメウスは首を傾げたまま。
「クレアちゃんにはもっと別の魔法がかけられてるんだ。だから、フォルクハルトはクレアちゃんを守るために仕方なくあの女の側にいる」
「え、でも薔薇の子はそんなこと一言も」
「クレアは知らない。以前俺がクレアに近付いた時、クレアが体調を崩したから」
「……なるほど、自分じゃなく愛しい人に危害が加えられると思うと、確かに近づけないな」
バルトロメウスがうんうんと頷きながらそう言った。
愛する人がいる者たちにしか分からない感情なのかもしれないな。
「でも、薔薇の子は『自分以外の人に優しくしてるの見たら百年の恋も冷める』って言ってたけど」
とんでもない攻撃がフォルクハルトを襲う……!
お前! お前、なんてことを言うんだ! フォルクハルトが可哀想だろう!
「……ぐ」
ほら見ろ! 渾身の一撃を食らっているじゃないか!
「だから、どうにかして事情は話したほうがいいと思う。じゃないと君、嫌われるだろう」
多分、バルトロメウスはフォルクハルトを心配しているんだと思う。思いたい。
「話すなら早いほうがいい。薔薇の子は『すぐに嫌いになれるかな』って、すごく悲しそうな顔で言ってたから」
「悲し……そう?」
「そう。嫌いになれないから悲しんでるってことだろ、あれ」
バルトロメウスのその言葉で、フォルクハルトが完全に動かなくなってしまった。
おそらくだが、まだ嫌われていないという望みはあるのでは、と思っているのだろう。
でも悲しませてしまっているという現実も目の当たりにしてしまって喜ぶに喜べなくて思考が完全に止まったものと思われる。
「これが割れた報告をするから、俺がその時に」
「いや、やめてくれ」
バルトロメウスの言葉を、フォルクハルトが遮る。
「嫌われたいのか?」
「違う。俺は、あの女が許せない。クレアに危害を加えたことを一生後悔させてやりたい」
「……ふーん。まぁ、分かった。君が気付いているってことは言わない。これが魔法のせいだってことだけ報告する」
「そうしてくれ」
「あんまり長引かせると薔薇の子が可哀想だ。早めになんとかしてあげたほうがいいと思う」
「そう、だな」
「俺に何か出来ることがあれば言って。君はともかくとして薔薇の子には恩があるから」
フォルクハルトは、こくりと頷いていた。
うん。協力者が増えるのはいいことだ。
「……なぁ、一つだけ聞きたいんだが、いいか?」
「うん」
「俺はまだ……嫌われていないのだろうか?」
フォルクハルトの問いかけに、バルトロメウスが首を傾げながらなぜか俺のほうを見た。
そしてもう一度フォルクハルトを見て、さらにもう一度俺のほうを見る。とても不思議そうな顔で。
「俺に聞かれても」
そうだよな。
「でもまぁ、ギリギリ持ちこたえてるんじゃ……ないかな?」
フォルクハルトが両手で顔を覆ったまま動かなくなった。
それを見たバルトロメウスが、俺に向けて小さな声で言う。
「大丈夫?」
と。
「大体いつも通りだから大丈夫だ。そいつの望みは『嫌われたくない』だから」
「両想いじゃないのか」
「現状はフォルクハルトの片想いだ」
「そうかぁ」
その時のバルトロメウスの目は、可哀想なものを見るときの目だった。
話も終わったことだしそろそろ帰ろうか、そんな流れの時だった。
ノックの音が響く。そして「入るぞ」と言って問答無用でやってきたのは兄上だ。
兄上は俺とフォルクハルトしかいないと思っていたらしく、バルトロメウスを見てぎょっとしている。
そしてバルトロメウスもぎょっとしている。
突然部屋に飛び込んできたのが次期国王だったら、そりゃあ驚くだろう。
「どうしたんですか、兄上。あ、彼は俺たちの友人です」
「……そうか」
そう呟いた兄上は、しばし押し黙る。
「あ、俺は帰ります。失礼しました」
と、バルトロメウスが言う。
「じゃあ、俺も帰る」
フォルクハルトも続いた。
「ああ、悪いな」
そんな兄上の言葉を聞いた二人は、静かに帰っていった。
ドアが確実に閉まるのを待って、兄上が大きく息を吐く。
「友人とやらはともかくとして、フォルクハルトに聞かせるかどうか迷ったんだが……クレアが消えた」
「……え?」
「クレアが、姿を消した」
「え、な、誘拐、ということですか?」
「分からん。使い魔を使っても探知出来ない」
これは、確かにフォルクハルトに聞かせるかどうか悩むところだ。
アイツが聞いていたら、おそらく尋常じゃなく取り乱す。
「俺はとりあえず外を探す。お前は学園内を探してくれないか?」
「分かりました!」
俺はそう言って、急いで学園へと向かったのだった。
ブクマ、評価等いつもありがとうございます。
そしていつも読んでくださって本当にありがとうございます。




