薔薇の令嬢は貸しを作りたい
魔石の粉採取で張り切りすぎたせいか足のあちこちが筋肉痛になっている。
ものすごく痛いわけではないけれど、なんとなく、ただただ地味に痛い。
馬車を降りる時が一番痛かった、なんて思いながらゆっくりと教室を目指す。
さっさと教室に入ってとりあえず座りたいと思っていたのだが、進行方向には会長くんの姿がある。
このまま真っ直ぐ突き進めば、会長くんの目の前を通らなければならない。ちょっと嫌だ。
しかしこの地味に痛い足を引きずりながら遠回りするのも、ちょっと嫌だ。
どうしたもんかと思案していたら、会長くんに気付かれてしまった。残念!
「おはよう、薔薇の子」
「……おはようございます」
小さな声で返事をして、目を合わせないように通り過ぎる。
「ちょっと相談があるんだけど」
会長くんはあからさまに避けて通ろうとしている私になど構うことなく、声を潜めながらそう言った。
相談、と言われましても、コミュ障の私が他人の相談に乗れるわけがない。
あと彼の相談というとあの新種の薔薇を譲ってくれという相談の可能性が高いのでお断りしたい。
よし、短い言葉で断ろう。と、意を決して顔をあげたら、なんとも顔色の悪い会長くんの顔が視界に飛び込んできた。
「……やつれた?」
顔色が悪いっていうか、目の下にものすごいクマが出来てる?
「そうなんだよ……」
しまった、思ったことが口を衝いて出てしまったせいで相談に乗る流れになりかけている。
立て直さなければ。何事も立て直しさえうまくいけば逃げきることが可能なのである。
「彼女と揉めてしまって」
「え」
「フラれそうなんだよ……」
ここまで来てしまったら逃げることなど不可能なのである……。
「あの、えと」
いやでもそんな内容の相談なんか私に乗れるわけがない。てっぺんから真っ逆さまに落ちている真っ最中のジェットコースターに飛び乗るレベルで無理なのである。要するに無理無理の無理なのである。
「密会だと思われることは避けたいし、お昼休みに中庭の隅の隅にある石のスツールで待ち合わせをしよう」
勝手に決められている……。
「えーと」
「お互い少し離れて座って本でも持っていれば人に見られてもなんとか誤魔化せると思う」
「は……い」
負けました。会長くんの目の下にある大きなクマの圧に。
まぁ……本でも持ってればって話だし、丁度メロディに貰った魔石の図鑑も持ってるし、なんとかなるでしょ。……なるか?
無理な気がする……。
でも今ここで断ったりしたらまた一悶着始まりそうだしそうなったら誰に見られるかも分かんないし、魔力ゴリラになんて見つかった日には面倒なことに、と思っていたら、もうそこに会長くんの姿はなかった。
ははーん、さてはアイツ、自分勝手だな?
「はぁ……」
私は小さくため息を零し、改めて痛い足を引きずりながら教室を目指したのだった。
そうしてやってきたお昼休み。
手早くお昼ご飯を食べ終えた私は会長くんの言いつけを守って中庭の隅の隅にやってきた。
広い学園内にはいくつか中庭と名の付く場所があるのだが、この石のスツールが置いてある中庭はあまり人がいない。不人気らしい。
人気の中庭と不人気の中庭があるなんて知らなかったな。
よっこらせ、と心の中で掛け声を零しながら石のスツールに腰かける。
そして図鑑に視線を落とす。
「え、もう来てたんだ。お待たせ」
図鑑を開いてほんの数分したころに、会長くんはやってきた。
そして私の斜め後ろにあるスツールに、私に背を向けるように腰かける。
これで私たちは完全に背中合わせになっているし、偶然同じ場所でお互い本を読んでいるだけですよ、という演出が完成……したつもりらしい。
無理がある気がしないでもないけれど、さっさと相談とやらを終わらせてくれたほうが身のためなので早いとこ話を始めてほしい。
「相談なんだけど」
「はい」
「……君は、神々に愛された娘って知ってる?」
「……一応」
まさか開口一番に魔力ゴリラの名が出るとは思わなかったので少しだけ動揺した。
「あの子、変だと思わない?」
「……変?」
「変なんだ。俺は彼女のことが好きなはずなのに、あの子が近付いてくるとあの子のことを好きなんだと錯覚してしまうことがある」
「錯覚」
ヒロイン補正かなんかかな?
会長くんは知らないだろうけど、魔力ゴリラはヒロインであり君は攻略対象キャラだから……とは言えないから黙るしかない。もどかしい。
「怖いんだ。何か、得体の知れない魔法でもかけられているみたいだ」
「……」
「フォルクハルトがあの子と一緒にいるのも、錯覚に惑わされてるんじゃないかな」
「……さぁ」
そんな話、聞いたこともない。なぜならフォルクハルト様とあの女が一緒にいるようになってから、一度もフォルクハルト様とお話ししたことがないから。
「君は、フォルクハルトに対して怒ってる?」
「怒る?」
「だって君という婚約者がいるのに別の人といるんだよ?」
衣擦れの音がした。
おそらく、会長くんがこちらを向いたのだろう。でも、私は図鑑から視線を上げることはない。
「立場が、違うから」
「次期公爵だからってこと?」
「ええ」
「でも! いや、ごめん。これは俺が口出しする話ではないね。じゃあ……もしも、君とフォルクハルトの立場に差がなかったとしたら?」
会長くんの相談に乗るって話だったのに、なぜフォルクハルト様の話を持ち出されているのだろう。
「……分からない」
「浮気者なんだよ?」
「立場に差がなかったらなんて考えたこともないし、考えが及ばない……無理……」
「え、俺そんなに難しい質問してたんだ。じゃあ、分かった。一旦全部忘れよう。身分とか、そういうやつ全部忘れて」
「忘れて……」
「ただの女の子の意見として聞かせてほしいんだけど、お互いがお互いを好きで恋人になった相手が自分以外の女に優しくしてたら、嫌いになる?」
「自分以外の人に優しくしてるの見たら嫌だし百年の恋も冷める」
「ぐ……」
会長くんのほうからくぐもった声が聞こえてきた。もしかしたら渾身の一撃が決まったのかもしれない。
「でも、どうだろう……すぐに嫌いになれるかな……」
つい最近「私、フォルクハルト様のこと結構好きだったのでは?」と思い至ってしまったからなぁ、私。
心のどこかで戻ってきてくれるかも、とか期待してしまっているのかもしれない。不毛なことに。
「贈り物とかで、彼女の気持ちを引き留めたり出来ると思う?」
「……新種の薔薇なら無理だよ」
「いや、それは諦めてるけど」
諦めてたんだ。
「君さ、学園近くのお花屋さんで雑貨とか売ってない?」
「……な、なんで知ってるの?」
誰にも言ってないはずなのに。
「あ、やっぱりあれ君が作ってたんだ! 良かった、一か八かでカマかけてみて」
最低だよお前!
「彼女が言ってたんだ。お花屋さんに薔薇関連の雑貨があるって。薔薇といえば君だったからなんか関係あるのかなと思って」
誘導尋問にしても下手くそ過ぎる残念な手法に引っ掛かってしまった自分が憎い。
「まぁ作ってるのは私だけど。誰にも言わないで」
「はいはい。誰にも言わないって約束するから、いい匂いがする袋? それを買わせてくれないかな? 人気商品だから買えないって彼女が嘆いてて」
さてはお前自分勝手だな!
とはいえ、冷静に考えればこの人の彼女さんとやらは魔力ゴリラにこの人を奪われそうになって傷ついているわけだ。
立場は違えど境遇は私と同じ、そう思うと少し可哀想だ。
「いいよ、あげる。一つ持ってるから」
貸しにしてやるんだ……。
「ありがとう……!」
「足元に置いていくから落とし物として拾って持って帰れば受け渡ししてる場面も見られないでしょう」
まぁ、今ここに人はいないんだけど、一応ね。
「なるほど!」
あまりテンションをあげないでほしい。声が大きくなったら元も子もないし。
「……でも、贈り物をしたって根本的なことは解決出来ないと思うけど」
贈り物をして彼女の気持ちを一時的に引き留めたとしても、また魔力ゴリラに捕まってしまえば同じことなのでは? と、思うのは私だけだろうか?
「そうなんだよなぁ、あれが錯覚だって分かってもらえれば……」
良かった、私だけじゃなかった。
魔法をかけられているかもしれない、って話だし、目に見える魔法じゃなければどうしたって分かってもらえない。見えないんだから。
「……お守り石」
「ん?」
丁度、手元の図鑑にあった文字が目に留まった。
「魔法をかけられた時、一度だけ身を守ってくれる石があるって書いてある」
「石?」
「身を守ってくれた石は割れてしまうって」
「うん」
「だから、彼女と対峙したときに錯覚を感じる前に石が割れたら魔法だし、石に変化がなければそれはただのあなたの心変わり」
「……なるほど! よし、その石はどこで買える!?」
知らんがな。
「ここには作り方しか書いてない。良質な土魔法の魔石の粉に水をくわえて捏ねて固めて磨くんだって」
泥団子の作り方みたいだなぁ。
「良質な土魔法の魔石の粉って……どこかで買えるやつ?」
「採取するやつ」
ただ土魔法の魔石の粉を探すのはわりと難しい。
まぁ、今私の温室に行けば死ぬほどあるけど。
「採取……」
なんだか絶望に打ちひしがれたような声がした。
「作ろうか?」
「え」
「面白そうだし、私材料持ってるし」
単純に、興味があった。
お守り石の作り方にも、魔力ゴリラが本当に魔法を使っているのかということにも。
ヒロイン補正ではなく魔法を使っているのだとしたら、もしかしたらフォルクハルト様も……。
「ありがとう」
「いいよ」
別にあなただけのためではないし。
「受け渡しは……」
「出来上がり次第持ってくるから、その時すれ違いざまにあなたのポケットに入れる」
「分かった。本当にありがとう。お礼に何か出来ないかな?」
「……じゃあ、一つだけお願いを聞いてほしいんだけど」
「なに?」
「学園内で堂々と話しかけてこないで……」
「……ご、ごめん……」
会長くんの情けない謝罪を聞いた私は、サシェをその場に落としてから立ち上がる。
「あ、でも、出来るだけ話しかけないようにするけど、石が割れたら報告」
「それはお願い」
「あ、はい」
なんとなく、立場が逆転した気がした。
そもそも小さな声でしゃべることに集中していたから失礼な口調にもなっていたんだけど……まぁ指摘されてないしいいか。
そんなこんなで帰宅した私は薔薇の世話を終えてから、無駄に採取してきた土魔法の魔石の粉を捏ね始めた。
完全に泥遊びだ。
土魔法の魔石の粉はさらさらでひんやりしていて気持ちがいい。
しかしそこらへんの泥と違ってなかなか固まらない。案外時間がかかりそうだ。
折角だし自分の分も作っちゃおうなんて軽く考えていたけれど、今日中には無理そうだ。
自分の分は追々作ることにしよう。なんせ死ぬほど採取してきたもので。
偶然とはいえ沢山採取しておいて良かった。
「出来た!」
せっせと捏ねてせっせと磨いて、出来上がった頃には日が暮れ始めていた。
「我ながら綺麗。カーネリアンみたい」
『綺麗ですね』
「ありがとう」
使い魔の蝶も褒めてくれたそれは元がただの泥だったとは思えない、オレンジ色の綺麗な石になっていた。
大きさは直径五センチほど。思ったより小さくなったが受け渡しに苦労することはないと思えばいいだろう。
そして翌日、思った通り、受け渡しに苦労することはなかった。
直径五センチほどの石を小袋に入れ、すれ違いざまに誰にも気付かれることなく彼のポケットに放り込んだ。ただそれだけ。
そこまでは良かった。良かったのだけれども、その日の放課後、私は昨日の自分を恨むことになる。
「お嬢さん、落とし物ですよ」
それは帰りの馬車を待っていた時のこと。
聞き覚えのない声だったけれど、肩を叩かれたので振り返る。
そこにいたのは背の高い男性で、彼は手にハンカチを持っている。
しかし、それは私のものではない。
「私のものではありませ、ん」
彼は私の言葉を最後まで聞くことなく、そっと屈んで私の手を取った。
「おかしいな、あなたのものではありませんでしたか」
そう言いながら、彼が私の手の甲に触れた。
「痛、え」
ぱちん、と小さな衝撃があったと思ったら、私の手の甲に不思議な文様が浮かんだ。
この文様、どこかで見たことある。どこだっけ。
「あ」
「失礼。さあ、行きましょうか」
彼のそんな声がしたと同時に、目の前が真っ暗になった。
あぁ、やっぱり昨日無理してでも自分の分のお守り石も作っておくんだったな。
ブクマ、評価等いつもありがとうございます。励みになっております。
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