薔薇の令嬢は誤魔化したい
本日はいつにもまして屋敷内が穏やかである。
なぜ穏やかなのかと言えば、私とメロディと使い魔の蝶以外に誰もいないから。
まぁわりといつものことではあるのだが、今日はほんの少しだけいつもと違う。
いつもなら誰かが問題を起こしてその火消しに出向いていたり遊び惚けていたりする人たちが同じ場所で集まっている。
「まさか学園を途中で辞めてまで結婚なさるとは思いませんでしたねぇ」
「そうねぇ」
そう、妹が結婚するのだ。
だから今、私以外の人たちは妹の結婚式に参列している。
数日前、妹が妙に勝ち誇った顔で私に話しかけてきた。
「私、もう結婚しちゃうのよ」
と。
正直なところ「へー」以外の感想がなかったしこれと言って感情も動かなかったので黙っていたら、妹はにっこりと笑って続けた。
「あなたより先に結婚しちゃってごめんなさいね」
と。
心底どうでも良かった。
まぁ、どうしても私を下に見たかった彼女のことだ。なんとしてでも私より先に結婚したかったのだろうな、と頭の隅っこで考える。
相手も幼女趣味の男らしいし成長する前に嫁に来てもらったほうがいいとでも思っていることだろう。
利害の一致ってやつだなぁ。
「結婚式には呼ばないけれど、いいわよね?」
別に構いませんが。
「だってあなた、もう婚約者がいるものね? 最近めっきり見かけないけれど」
ふふふ、と妹は笑う。
未婚の男女にとって貴族同士の結婚式に参列するということは将来の伴侶探しにもなるので、その必要はないでしょう、という意味だろう。
「あとね、あなたみたいな姉がいるって、ちょっと恥ずかしいのよね」
私はコイツにここまで言われるほどのことをしただろうか?
そんな疑問が浮かぶ。
しかしそんなことを考えても無駄なこと。
だってコイツはもうすぐ幼女趣味の男のところに行くし、行ってしまえば二度と会うことはないのだから。
まぁ、成長した後に捨てられたら出戻ってくるのかもしれないけれど。
でもそのころには私だってここにいるかどうか分からないからね。留学しているかもしれないし!
「お父様もお母様もそれでいいって仰ってくださったわ」
「そう。さようなら」
永遠に。
そんなわけで、私は本当に妹の結婚式に参列しなかったのだ。
ちなみに妹付きの侍女は今日がローラット家での最後の仕事らしい。
温室側の休憩スペースで言っていたのだ。
「あの子、結婚後も私がついて行くと思ってたみたいでね」
と、笑いながら。
あんな危ない屋敷、誰が近付くかって話らしい。
まぁ近付いたら最後、女とみたら手あたり次第手を付けるって話だしな、幼女趣味の男。怖い怖い。
さらに恐ろしいことに、あちらで新しく妹付きの侍女になる人はもうすでに手を出されているらしい。
これはもしかして、将来的には隠し子がわんさか出てくるのでは……? そう考えて身震いした。
深く考えるのはやめよう。今は目の前のお昼ご飯のことだけを考えよう。
「美味しいわね、このチーズ。私、メロディの作るチーズリゾット大好き」
「ありがとうございますクレア様」
本日のランチはチーズリゾットにサラダ、そしてコンソメスープだった。
すべてメロディが作ってくれたらしい。
メロディは本当になんでも出来る優しいお母……お姉さんだなぁ。
出来ることならずっとメロディと二人で暮らしていたい。いやそうなるとメロディが結婚出来なくなるし私も独り立ちしなければならないのだけれど。
「クレア様、午後からのご予定は?」
「あ、そうそう。今日は誰の目もないことだし、裏山に行って魔石の粉を採取しようと思っているの」
「魔石の粉の採取ですね」
この屋敷の裏手にある小さな山の麓付近に良質な土魔法の魔石の粉が採取出来る場所があるのだ。
土魔法の魔石は普通の土に擬態するのが上手いので、分かる人にしか分からない最高のスポットなのである。
出来ることなら週一ペースで通いたいのだが、この屋敷内の誰かに見られようものならぐだぐだぐずぐずと文句を言われかねないのでなかなか行くことが出来ない。
要するに今日は絶好のチャンスというわけだ。
「それでは食後のデザートを食べて、少し休憩してから出発しましょうか」
「ええ」
『お供いたします』
使い魔の赤い蝶も付いてきてくれるらしい。
「温室から長時間離れることになるかもしれないけどいいの?」
『問題ありません。主には伝えておきます』
……ということは、第一王子に私が裏山に行くことがバレるわけか。
いや、まぁいいけど。別に。
「あ、そうだ、クレア様に渡したいものがあるのでデザートと一緒に持ってきますね」
「ん? ええ、分かったわ」
私が頷くと、メロディは席を立った。食器を片付けてデザートと渡したいものとやらの準備をしてくれるそうだ。
渡したいものってなんだろね、と呟けば、使い魔の蝶が『なんでしょうね』と相槌を打ってくれた。
最初こそ第一王子はなぜ蝶を、しかも赤い蝶をチョイスしたのだろうと思っていたけれど、表情が一切分からないので案外話しかけやすい。
目も小さいしどこを見ているかも分からない。
温室にいるときは大体ひらひらふわふわと舞っているか薔薇の葉に止まっているかなので何を考えているかも分からない。
一応監視のためにいるはずなのに、威圧感がない。
今までずっと人の目や顔色を窺いながら生きてきた私にとって、それらはとてもありがたいことだった。
見られている気もしないし顔色も分からない。ただ、赤という色だけはちょっと……なんというか、フォルクハルト様と見間違えた件もあるので、ちょっぴりいただけないのだが。
……いや、蝶と人間を見間違える私も私だけどさ。
「お待たせいたしました」
「わぁシフォンケーキね!」
ふわっふわのシフォンケーキに歓喜する。するとメロディは優しく微笑んでくれる。
「それから、こちらが渡したいものです」
「これは……?」
メロディが手に持っていた籠から取り出したのは大きめの図鑑と布製の袋だった。
「こちらは魔石図鑑です。頂き物ですけど」
「頂き物」
「これはちゃんとした頂き物ですよ! 友人に魔石の話をしてたらその友人の知人がお子さんに買い与えたけど一切興味を持たなくて宝の持ち腐れになってるやつがあるって言ってくださって」
「へぇ」
これはちゃんとした頂き物、ってことは……今までの頂き物の中にちゃんとしてない頂き物があるということだろうか。
まぁ詳しくは掘り下げないけれども。
「折角奮発したのに! って言ってたのでお高いやつみたいですよ」
「確かにとても詳しく書いてありそうだわ」
ぱらぱらと捲ってみたら、しっかりとした小難しいタイプの図鑑のようだった。
これでは子どもの興味は引けないだろう。
「そして、こっちはお金です」
「お金?」
「クレア様が育てた薔薇やその薔薇を使って作った物を売ったお金ですよ」
「あぁ……え、こんなに?」
思っていたよりも多額のお金が入っている。
「なんでも薔薇の香りを使った物が評判に評判を呼んでとっても良く売れたんだそうですよ」
メロディはそう言って伝票のようなものを見せてくれる。
どうやらサシェやポプリがよく売れたらしい。
あと結構お高め設定にしたプリザーブドフラワーも売れている。嬉しい。
「サシェは奪い合いが起きそうな勢いだったんですって話でしたよ」
「そうなの? じゃあ次はもう少し増やすべきかしら?」
「増やせるのなら増やしたほうがいいんじゃないかなと思います。私は。もちろんクレア様の負担にならないようでしたら、ですけど」
「負担にはならないわ。……サシェが売れてて、プリザーブドフラワーも売れてる……薔薇の香りがするプリザーブドフラワーを作れば……」
「高く売れますね!」
メロディが興奮していた。
よし、とりあえず試しに作ってみよう。
家族内に誰一人として当てになる人はいないし、今後独り身でも生きていける準備をしていかなければいけないわけだし、売れそうな物を作るのは大事なことだ。
「えーっと、じゃあここからメロディへのお給金を出すわ」
「お給金? いただけませんよ! 私は何もしていませんし」
「私は作っただけだもの。その先の作業は全てメロディがやってくれているじゃない」
「いえいえいえ」
「いやいやいや。こういうことはきっちりしておかないと」
一切首を縦に振らなかったメロディが、ぽんと一つ手を叩く。
「それじゃあ、これは一緒に貯金、ということにしませんか?」
「一緒に貯金」
「クレア様と私との共同貯金です。クレア様の留学費用であり、そのお供としてついて行く私のための費用にも出来ちゃう、そんな貯金!」
「いいわね! じゃあ共同貯金にしておきましょう! 金庫に入れて温室の奥に置いておくわ!」
「はい!」
これで、費用さえ貯まれば学園を通さなくてもこっそり留学することが出来る、そう思うとわくわくした。
この人生でこんなにわくわくしたのは生まれて初めてかもしれない。
留学どころかこの国からの脱出計画を企てている気分になり始めている。
折角記憶を持って転生したんだし、傷つくことに対して耐性を付けていくだけじゃなく、もうちょっと人生を謳歌してみたい。
考えてみれば、前世だって流れで進学してそのまま就職して嫌がらせを受けて自殺したのだ。好きなことなんて一つも出来なかった。
今後流されるままに婚約破棄をされれば、また同じことを繰り返すかもしれない。
今度の人生は、そんなことしたくない。
「メロディ、私頑張る」
「はい。応援しておりますし、なんでも協力しますからね!」
「ありがとう」
もちろん婚約破棄をされるのは辛いこと。
しかし、きっと辛いだけではないはず。
お相手がフォルクハルト様で本当に良かったと思う。
だって、前世で知り得なかった恋心を知ることが出来たんだもの。
フォルクハルト様が優しくしてくれたから、私は今ここにいる。
おそらくフォルクハルト様がいなければ私はもっと早い段階で、祖父が生きているうちに前世と同じことを繰り返していた。
そう考えると、フォルクハルト様は私の恩人なのだ。
たとえフォルクハルト様の望みがこの温室や新種の薔薇だったとしても。
だから、フォルクハルト様に感謝をして、私はそっとここから去ろう。
フォルクハルト様の邪魔にならないように。
……まぁ、フォルクハルト様のあの優しい視線や声色があの魔力ゴリラへと向けられることになるのは、正直嫌だけど、その辺は私が口出し出来るところではないし。そこは深く考えずにそっと逃げよう。
「クレア様、どうかしましたか?」
「ん? んー、私、もしかしたらものすごく好きだったのかも。フォルクハルト様のこと」
今更気付いたって遅いんだけど。
「はい?」
「……いや、なんでもない!」
私、今とんでもないことを口走った気がする。
「クレア様」
「ご馳走様! 美味しかったわ、シフォンケーキ! さて裏山に向かう準備をしましょう!」
勢いよく立ち上がったので、椅子がガタガタと激しい音を立てて倒れてしまった。
「そんなに焦らなくても裏山は逃げませんよクレア様」
メロディは苦笑を零しながら椅子を元に戻してくれた。
恥ずかしい。
「私、温室に行って魔石の粉採取セットを持ってくる」
「はい。ではお部屋でお待ちしております」
着替えが必要ですからね、とメロディが微笑んだ。
裏山に向かうのだから動きやすい服装で行かなければならないのだ。
焦りのせいでそこまで頭が回っていなかった。
焦りすぎでは。
「よし、準備は整った! 張り切って採取するわ!」
「落ち着いてくださいね、クレア様」
「分かってる」
「あまり泥だらけにならないように。傷を作るなんてもってのほかですからね!」
「分かってる!」
その後、淑女の風上にも置けないレベルで泥だらけになってメロディに叱られたのは言うまでもない。
ブクマ、評価等いつもありがとうございます。励みになっております。
そしていつも読んでくださって本当にありがとうございます。
楽しんでいただけているといいのですが。




