第二王子は見守りたい
いつもの部屋に、またしても突然兄上がやってきた。
ソファに座ったと思ったらそのまま難しい顔をしながら流れるように頭を抱える。
あんな兄上はあまり見たことがない。とんでもない難題でも抱えているのだろうか。
兄上、俺、フォルクハルトの前にお茶が用意される。
カップからはふわりと湯気が漂っていて、それに乗ってやってきた甘く優しい香りが鼻腔をくすぐる。ぴりぴりとした空気が満たすこの部屋の中でなければ、この香りはさぞ俺たちを癒してくれたことだろう。
お茶を運んできてくれた従者が部屋から出ていくまで、俺もフォルクハルトもまともに息が出来ないほどの緊張感に包まれていた。
「お前ら、学園内で妙なカードが流行っていることを知っていたか?」
人払いが済んだところで兄上が口を開く。
そこで初めて一つ息を吐いた俺とフォルクハルトは、揃えたように同じ形で首を傾げる。
「お前らは揃いも揃って……」
兄上に呆れられてしまった……!
「も、申し訳ありません」
「いや、いい。女子の間で流行っているそうだ」
兄上はそう言いながら、テーブルの上に手のひらサイズの箱を置いた。
あの箱の中にはカードが入っているらしい。
残念ながら俺もフォルクハルトも友達が多いほうではないし、女友達などいろいろと危なくて作れないし、そもそもフォルクハルトには婚約者がいるので女子との接点は少ない。よって女子の間で流行っているものの話など耳に入ってこないのだ。
兄上だって立場は似たようなものだろうし、分かってくれると思うのだが。
「女子の間で流行っているのに、クレアも知らなかったそうだ」
クレアちゃん、友達いないもんなぁ……。
「クレア?」
フォルクハルトがクレアちゃんの名に即反応した。
その姿はさながら餌の袋を見て目を輝かせた犬のようだった。本人にはそんなこと言わないけど。怒られるから。
「このカードは占いに使うものだ。そしてこのカードの元所有者はクレアだ」
「それはクレアが持っていたものなのですか!」
ください! って顔してるけども。
「落ち着けフォルクハルト。このカードの文様に使われている魔石が分かるか?」
そう言われて初めて、俺たちはカードをまじまじと見た。
遠目に見ればただの文様だが、これは魔石が使われている。
魔石で文様を描くとなると、まじないの類いか。
「魔力を吸い取る魔石……ということは、誰かがクレアの魔力を吸い取ろうとしていたんですか!?」
「落ち着けフォルクハルト。最初に言っただろう。学園内の女子たちの間で流行っている、と。クレアだけじゃない」
お前は本当に、クレアが絡むと周りが見えなくなるな、と兄上が呆れている。
まぁフォルクハルトは昔からそういうやつだもんな。
それはいいとして、だ。
「そんな危険なものが学園内で流行っていたんですか?」
「そうだ。俺が気付く前にお前たちのどちらかが気付いてくれていればなぁ」
「そんな危険なものを持っていたクレアは大丈夫なのですか!?」
「落ち着けフォルクハルト。クレアには薔薇の加護がある。問題ない。先日言っていた新種になるであろう薔薇がすべて防御してくれていた」
兄上の言葉を聞いたフォルクハルトは「よかった」と小さな声で呟きながら両手で顔を覆っていた。
「しかし誰がこんなものを学園内に持ち込んだんだ……」
「それについては調べがついている。これを持ち込んだのはジェニー・サリスだ」
ジェニー・サリスといえば、神々に愛された娘と持て囃されていたあの女だ。
そう、フォルクハルトにべったりとくっつく"魅了"の魔法を持った女。
「厄介な話になりそうですね」
「あぁ、とんでもなく厄介だった」
そう言って大きなため息を零した兄上は、このカードについて順を追って説明してくれた。
なんでも、このカードの噂を入手したのはクレアちゃんだったそうだ。
クレアちゃんが担任から聞いて、温室にいた兄上の使い魔に教えたのだとか。
その話の中で、カードを作ったのは王都にいる占い師だと知り、そこを調べた。
するとそこから芋づる式に厄介な話がずるずると出てきたそうだ。
「占い師はただの駒だろう。問題は占い師じゃなく、それを作らせた奴だ。そいつはスキアーという組織に所属する人間……」
「スキアー……魔力に恨みがある人々が構成する組織、ですね」
俺がそう言うと、兄上はゆっくりと頷いた。
その組織は表立って行動することはない影の組織と呼ばれている。
魔力に対して恨みを抱き、この魔力至上主義の世界にも恨みを抱き、と、正直王族である俺たちにとってはあまり存在していてほしくない組織だったはずだ。
「……魔力に恨みがあるやつが魔力を吸う魔石を使ったカードを流行らせる、ということは生徒たちの魔力をなくそうとしていた?」
いや、魔力はいくら吸おうとなくなることはない。体内の魔力量が減るだけだ。
「お前たちは、小国の英雄の話を知っているか?」
小国の英雄というと、この国と隣国の間にあった小さな国に実在した歴史上の人物だ。
あの小国に住む人々は元々魔力を持たない民族だった。
昔、ある国がこの国と隣国に喧嘩を売ってきたときのこと。ある国はこの国と隣国をまとめて葬ろうとしてとんでもない魔物を差し向けてきた。
両国の間にあった小国は運悪く巻き込まれてしまうわけだが、結局は魔力を持たない小国の英雄が武力のみで魔物を封印したのだった、というお話だ。
その小国も今はもう滅びてしまったけれど。
「端的に言えば、魔力ではなく武力で封印された魔物を、この世に呼び覚まそうとしている者がいる」
「え」
これまた突拍子もないことを考えるやつがいたもんだ。
「組織の人間は凝り固まった頭を持った奴が多いらしい。クレアの話となると盲目になるフォルクハルトのようにな」
「反論の余地もありません」
言い切りやがった。
「小国は滅んだ。よって今武力のみで戦える者は存在しない。魔物を呼び覚ませば、誰も封印出来るものはおらず、魔力至上主義のこの世界は終わりだ、そう思っている者たちがいるんだそうだ」
小国の英雄が規格外の強さだったというだけで魔力で封印出来ない魔物ではないはずなのだが、盲目になってしまったその者たちの耳にその話は入らないらしい。
とはいえ、魔物を呼び覚ませば被害は出る。厄介だ。
「しかし封印した魔物を呼び覚ますなどそう簡単ではないでしょう」
「そのはずだった。しかし奴らは力を手に入れた」
「力?」
「神々に愛された娘を引き込むことに成功したようだ」
魔力を否定しておきながら、人よりも多い魔力を有した人物を引き込む……矛盾してないか?
まぁ、目的が達成されるのなら過程はどうだっていい、ということなのかもしれない。多分。
「ちなみに、クレアに得体の知れない魔法をかけたのはおそらく件の占い師だ」
「え? ということは、クレアはこの一件に巻き込まれているということですか!?」
「あぁ。ついでに言うとお前も巻き込まれているぞ、フォルクハルト」
「へ? 俺も?」
フォルクハルトが間抜けな声を漏らした。
兄上はそんなフォルクハルトに多少呆れつつ、テーブルの上に小さな魔石を置いた。
「これは俺の使い魔が収音してきたものだ」
兄上が指した先には、紫色のトンボがいた。心なしか誇らしげな顔をしている気がする。虫だから表情は分からないのだけど。
『話が違うじゃない!』
小さな魔石から、女の声がする。ジェニー・サリスの声だ。どうやら怒っているらしい。
『魔力を提供すれば私の思い通りにしてくれるって言ったのに!』
『男はお前の側にいるんだろう? それの何が不満なんだ』
男の声だ。この声は知らない。話の流れから推測するに占い師か?
『私は勝ちたいの』
『勝ちたい?』
『私が見たいのは屈辱にまみれた女の憎悪に満ちた瞳。それなのにあの女……クレア・ローラットは一切表情を変えないじゃない。愛しい婚約者を奪われているっていうのに!』
『……だからお前は第二王子じゃなく婚約者がいる次期公爵を狙ったのか。"魅了"さえあれば誰でも狙えるだろうに』
『そうよ。私は地位も名誉もいらない。ただ幸せな女が嫌いなだけ。幸せを奪われて泣く女が見たいだけ』
あの女、とんでもない女だな。
『ねぇ、魔力ならいくらでも提供するわ。だから、今年中にあの二人の婚約をなかったことにして』
『そんなに焦ることはないだろう。学園を卒業するのは来年だ』
『だめ。婚約者がいる女は来年から花嫁修業が始まるんだもの。その前じゃなきゃ婚約破棄なんて出来なくなるじゃない』
『分かった分かった。準備をしよう。じゃあ、俺は行くから』
『絶対よ!』
声は、ここまでだった。
鳥肌が止まらない腕をさすりながら、ふとフォルクハルトを見ると、完全に目が据わっていた。
この場合、なんと声をかけるのが正解なのだろうか。
「要するに、フォルクハルトとクレアはスキアーが神々に愛された娘を駒にするための餌だったわけだ」
「クレアちゃんはあの女のわがままのためにあんな苦労を……」
「……ふ、ははは」
フォルクハルトが笑い出した。ついに気でも触れたかと思ったのだが、そうでもないらしい。よかった。
「あの女の目的が分かればこっちのもんだろ。クレアは絶対に返してもらう。クレアは俺が絶対に幸せにする」
笑っているような笑っていないような顔でそう言った。
フォルクハルトがこの顔をしているときは猛烈に怒っている時だ。
あの女、ジェニー・サリスに未来はないな。
「まぁ頑張れ、フォルクハルト。ジェニー・サリスについて軽く調べたんだが、あいつは養女だそうだな。サリス家現当主の弟が使用人に手を出して産ませた子で、その使用人の死後現当主の弟に引き取られ、ジェニーの魔力を欲したサリス家現当主が引き取ったらしい」
「……使用人に産ませた子を引き取る?」
「おそらく"魅了"を使ったんだろう」
「なるほど、便利な魔法ですね」
「どうだかなぁ。"魅了"さえなければこうしてフォルクハルトの逆鱗に触れることはなかっただろうに」
……確かに。こうなったフォルクハルトは恐ろしいからなぁ。
「しかしまぁ、フォルクハルトに気力が戻ったようで何よりだ」
兄上が笑う。
「それは俺も同感です」
「フォルクハルトに"魅了"が通用しなくて良かったな」
「通用していたら今頃フォルクハルトはあの女に骨抜きにされていたわけですからね」
俺も笑う。笑い事ではないけれど。
「クレアに感謝しろよ、フォルクハルト」
「はい!」
「フォルクハルトが"魅了"も含めて大体の魔法を弾くのはクレアが作ったあの新種の薔薇を持っているからだからな」
そう、クレアちゃんが作った新種の薔薇はとんでもない防御力を有している。
だからフォルクハルトに"魅了"が通用しなかった。
しかしその薔薇の防御力について知っているのは王族である我々とフォルクハルトのみだ。なぜなら新種の薔薇が咲いたということ以外は公表されていないから。
これについてはクレアちゃん本人も知らない。
まだ小さな子どもだった彼女に教えて、万が一にも周囲に言い触らしたりすれば彼女自身に危険が降りかかるから、と伝えられなかったそうだ。
この薔薇の力とクレアちゃんの力を「使える」と判断した王族は彼女に温室を贈り、彼女を囲うために俺と結婚させることにしたのだ。
他者に、そして他国に彼女が、というか彼女の能力が流出しないように。
しかし、フォルクハルトはそれを阻止した。
『あの子のことを好きでもない、ましてや知りもしないマーヴィンにあの子はあげたくない』
なんか、そんなことを言われた気がする。確かにクレアちゃんのことは知らなかったが。
王族である俺と子爵家の子であるクレアちゃんとの間に接点などなかったから。
それで言うと、フォルクハルトともなかったはずだけどな?
「……そういえばフォルクハルト、クレアちゃんといつ知り合ったんだ?」
そんな疑問がつい口を衝いて出てしまった。
まぁ兄上もすっかり冷めてしまったお茶を飲んでいるし、今なら無駄口を叩いても大丈夫だろう。
「昔。病弱な母の代わりに俺を育ててくれた侍女が亡くなった頃」
あぁ、あの時のフォルクハルトはものすごく落ち込んでいたっけ。
「あの時、すごく悲しくてなぁ。でも子ども心に母の目の前で落ち込むのもなんか申し訳ない気がしてマーヴィンに会いに来て、結局会えなくて王宮の隅っこに座ってたらクレアがあの新種の薔薇を差し出してくれたんだ」
初耳なんだが。
「あんまりにも暗い顔をしてた俺が哀れだったんだろうな。あげる、って差し出してくれて『あなたの髪と同じ色』ってちょっと微笑んでくれて、天使かと思った」
一目惚れの瞬間だったんだろうな。
「あ、じゃあ今フォルクハルトが持ってる例の新種の薔薇ってその時貰ったものなのか?」
「うん。毎日毎日定着魔法をかけてるから枯れてない」
執念的なものを感じる。
「よし、じゃあ俺はそろそろ帰ろう。クレアを取り返す計画を練らなければ」
フォルクハルトがそう言うと、兄上も立ち上がった。
「俺も、そろそろ時間だ。女はフォルクハルトに任せる。厄介な組織が絡むからあまり深追いはするなよ。極力俺と連携をとれ」
「はい! ありがとうございます!」
そう言って颯爽と帰っていくフォルクハルトを、兄上と俺はなんとも言えない気分で見送ったのだった。
「ちなみにだが、あの薔薇はわざわざ定着魔法をかけなくても枯れない」
「え」
「無駄に空回るフォルクハルトは面白いな。生温く見守っていこうじゃないか」
「……ははは」
正直、笑うしかなかった。
ブクマ、評価等ありがとうございます。
そしていつも読んでくださってありがとうございます。
落ち着けフォルクハルト。




