薔薇の令嬢は心臓がいたい
朝、眉間にこれでもかというほど深い皺を刻み、あからさまに私は不機嫌ですという顔をした母と遭遇した。
これは話しかけられたら面倒なやつだと思ってスルーしようとしたのだが、残念ながら捕まってしまった。
母は私の正面に立ち、じっと私を見下ろしている。
母の機嫌が悪い原因はなんとなく分かっている。
おそらくではあるが、妹のお相手となった男が別の女を連れて歩いていたという話を耳にしたから。
そしてそれを妹に悟られないように必死でガードしているから。
それで気疲れから不機嫌になっているのだろう。
……と、メロディが言っていた。
「はぁ……」
わざとらしいクソデカため息を零した母は鋭い視線で私を刺す。
「あなたがもっとあの子の面倒を見てくれる子だったら良かったのに」
やれやれ、と呆れているようだが、呆れたいのはこっちである。
お言葉ですがお母様、そもそもあの妹の製造元は母であるあなたなのです。
運悪く同じラインで製造されただけの存在である私には何の責任もないと思うのですが、その辺の自覚はお持ちでしょうか?
そう言ってやりたい気持ちはあるのだが、そんなことを言ってしまえばヒステリックに怒鳴られるだけなので私は大人しくしているしかない。
「申し訳ございません」
心にもない謝罪を述べる。
そうすればもう一度ため息を零して母はこの場から去る。
その後聞こえるように「あの子はバカでクズでゴミ。なんの役にも立たない」そんなことを言う。
あの祖父もそうだった。
あのクソ爺がこれ見よがしに怒鳴り散らしていたせいで、ここの親族は私にならなんでも言っていいと思っている節があるし、多分私をサンドバッグかなにかだと思っている。
幼い頃はいちいち傷ついていたが、今ではもうなんとも思わない。
心が一ミリたりとも動かなくなってしまっていた。
ヒステリックに怒鳴られるより遠くでぐずぐず言われてるだけのほうがダメージも少なく済むし。
なんてことを考えながら学園へとたどり着いた私を待っていたのは、会長くんにべったりとくっつき、なぜか私に対して勝ち誇った顔を見せている魔力ゴリラだった。
……なんていうか、どいつもこいつもめんどくさいなぁ。
なぜ私に対して勝ち誇った顔をしているのかは知らないが、その人の彼女は私じゃないよ。
まぁ教えてやる義理もないから放置するけれども。
腹立たしいような面倒臭いような、何とも言えない気持ちを抱えていた私だったが、ウェラード先生の一言で一気に浮上した。
「いつものが来ているから、放課後職員室にいらっしゃいね」
そんな嬉しい一言で。
そのたった一言でうきうきできるのだから、私はとっても安い女なのである。
その後うきうき気分で、しかし己の気配は完全に消しながら一日を終え、私は職員室へと滑り込む。
「うーん……」
ウェラード先生のデスクに近付くと先生の呻る声が聞こえる。
どうしたんだろうと思いつつ近付くと、完全に頭を抱えてしまっているウェラード先生がそこにいた。
「あの、ウェラード先生」
「あ、ごめんなさいね。いつもの贈り物はこれよ」
そこに置いてあったのは、透明なカプセル状の箱に入った薔薇の苗だ。
今回の薔薇はもうすでに一つ花を咲かせており、色は赤とピンクのマーブル。サイズが小さいのでミニ薔薇のようだ。可愛い。
「可愛らしい薔薇ね」
「はい」
返事をしながら苗が入ったカプセルを抱き上げる。
その時視界に入ったのは、先生の目元にくっきりと浮かんだ疲労の色だった。
「……先生、お疲れのようですね」
普段なら無駄話などせずにさくっと切り上げてさっさと温室を目指すのだが、先生の顔があまりにも疲れていて気の毒になってしまった。
「最近クラス全体の成績がガクッと下がってるのよね……」
とんでもないことを聞いてしまったのかもしれない。
「え、クラス全体?」
「そうなのよぉ」
悲しげな先生は、詳細を教えるわけにはいかないんだけど、と前置きをしてから小さな声で話し始める。
「主に女子の成績が下がってるの。あ、クレアさんは下がってないみたいね。上がってるくらいだわ」
私成績上がってるんだ、やったー。なんて喜べる空気ではない。
「女子の成績だけ急に下がるなんてことあります?」
「うーん……今までの教師生活の中では、初めて見たわね」
クラスの大半の女子の成績が下がる……ボイコット的なことでもしているのだろうか?
そんな雰囲気を感じたことはないけれども。
「……ねぇクレアさん、王都で評判の占い師が作ったカードって知ってる? 流行ってるみたいなんだけど」
流行っているかどうかは知らないが、そのカードなら知っている。
例の乙女ゲームでヒロインとクレアが神経衰弱対決をするあのカード。そう、私が先日うっかり偶然入手してしまったあのカードだ。
「いえ、私は流行りに疎いので」
噂話は勝手に耳に入ってきたりするけれど、流行りは分からない。なぜなら私は流行りについてを話す友人がいないから。泣いてなんかいない。
「そのカードを持っている子の成績がガクッと落ちているそうなのよ」
「え」
「だから、この成績が下がる現象はうちのクラスに限ったことではなかったりするの」
えええ、私そのカード持ってるんですけど!?
と言える空気ではない。
あのカード、なんかヤバいカードなのかな?
私にとっては、というかクレア・ローラットにとってはヒロインに喧嘩を売るアイテムなのでまぁヤバいものなのだけど、私以外の人間にとってもヤバいなんて知らなかった。
「噂でしかないけど……クレアさんはカードに手を出さないでね……!」
「は、はい。えと、失礼します」
持ってるけど……!
そう思いながら、私は逃げるようにその場から立ち去ったのだった。
しかし占い用のカードを持っているから成績が下がるってどういうことなんだ。
いや、持っているだけの私の成績は下がっていないらしいので持っているだけではなく使っている人の成績が下がっているってことなのだろうか。
私はビビってクローゼットの最奥に隠したから全く使ってないもんなぁ。
占いにハマり過ぎて勉強をおろそかにしてるとかだと納得出来ないこともないけど、先生方が頭を抱えるほどの人数がいるみたいだから……妙な話だな、やっぱり。
カードが怪しいのか、王都で評判の占い師とやらが怪しいのか、なんてちょっとした探偵気分であれこれ推理しながら温室のドアを開けた。
「……っ!」
心臓のあたりが、ギュッと痛んだ。
視界に、懐かしい赤が見えた気がして。
……忘れてた。そうだった、温室内に監視用の使い魔さんがいるんだった。
バクバクと鳴っている心臓を宥めるために胸元を押さえる。
そして一瞬止まってしまって乱れた呼吸を整えるために深呼吸をする。
そんなことをしていると、使い魔である赤い蝶が私の目の前でひらひらと舞う。
「こんにちは、使い魔さん」
『こんにちは』
赤い蝶は男性とも女性ともいえない不思議な声で挨拶を返してくれた。
多少の会話は出来ると言っていたけど本当に返事が返ってくると少し不思議な気持ちだ。
私は雑念を払うように、少し急ぎ足で温室の奥へと足を進める。
そして今日いただいたミニ薔薇を植える。
ミニ薔薇の花弁は赤とピンクのマーブル。今までこの温室内にマーブルカラーの薔薇はなかったから、きっとフォルクハルト様がこれを見たら瞳を輝かせて綺麗だねって言ってくれるのだろう。
なんて、そんなことを考えたって無駄なだけなのに。
温室の中に動く赤を見た瞬間、ほんの少しだけ期待をしてしまった。
フォルクハルト様が来てくれたんじゃないか、って。
だって、かつてこの温室内で動く赤と言えば、フォルクハルト様の髪だったんだもの。
私は小さなため息を零し、新しく植えたミニ薔薇の前でしばらくしゃがみ込んでいた。
赤い蝶とフォルクハルト様を見間違えた、たったそれだけ。それだけのことでこんなに動揺するなんて私らしくない。
だって私はバカでクズでゴミなのだ。暴言を吐かれたって一ミリたりとも心が動かない無機物のようなもの。
だから大丈夫。大丈夫。
自分にそう言い聞かせながら立ち上がり、温室の隅にある椅子に腰かける。
久しぶりに動揺したので少し疲れてしまった。
使い魔の赤い蝶は新しく植えたミニ薔薇の側でひらひらと舞っている。新種かどうかのチェックでもしているのだろうか。
しかし第一王子はなぜ使い魔を赤い蝶にしたんだろう。心臓に悪い。
……心臓に悪いというか、そもそも赤いとはいえ蝶とフォルクハルト様を見間違える私も私か。
冷静に考えると恥ずかしいな。
サイズ感も形状もなにもかも全く似ても似つかないのに。
あぁ、びっくりした。
以前はちょこちょこ来てくれていたのだ。
最後に来てくれたのはいつだっただろう。
私がどこぞの伯爵令嬢に絡まれた後だったか、それともどこかの誰かに陰口を叩かれていた後だっただろうか。
確か、フォルクハルト様は私が凹んでいると思っていたんだった……気がする。
私が罵詈雑言に対して耐性があると知らないフォルクハルト様は私を憐れんでいたのか、慰めてくれたりお菓子を持ってきてくれたりしていたっけ。
そしていつも優しく「大丈夫だからね」と言ってくれていた。「何があっても、誰がなんて言っても俺は君の婚約者だから」とも言っていた。
それから……「俺が愛しているのは君だけだから」だとか「俺を信じていて」だとか、そんなカッコイイことも言ってくれていた。
……その時恋に落ちてしまった私に罪はないよな。あんなカッコイイ人にそんなカッコイイことを言われたんだもの。
舞い上がってしまっていたあの時の自分では分からなかったけれど、今、冷静な頭で考えれば分かる。
なんせ私はバカでクズでゴミなもんで。
私のことを単純に愛してくれる人なんてこの世にはきっと存在しない。
彼が私と婚約したのはきっと何か理由がある。
この温室が欲しかったのかもしれない。それか、あの新種の薔薇。
婚約の話が出たのも新種の薔薇を王宮に報告しに行った後だったし。
考えてみれば新種の薔薇を褒めていたこともあったし、やっぱり新種の薔薇狙い説濃厚だな。
「お」
物思いに耽っていると、赤い蝶が私の頭に止まった。
今ここに鏡がないから自分では見えないけれど、とてもおしゃれな髪飾りみたいになっている気がする。
『具合が悪いのですか?』
「え? いえ、全然」
考え込んでいた姿を見ていたらしい。
『気分が悪いのですか?』
「いえいえ全然。少し考え事をしていただけです」
そう答えると、蝶は私の頭から離れて目の前でひらひらくるくると舞う。
動き回ると鱗粉がきらきらしてとても綺麗だ。
「……あ、そうだ。使い魔さんは温室の外に出ても大丈夫ですか?」
『少しなら大丈夫です』
大丈夫、なのか。
「あの、使い魔さんは新種以外の鑑定も出来ますか?」
『はい』
ということは、例のヤバいカードの鑑定も出来るのでは?
「見てほしいものがあるんです」
『はい。お安い御用です』
蝶はそう言ってくるりと円を描くように舞った。
「私の部屋にあるのですが」
『行きましょう』
カードをここに持ってくるという選択肢もあったが、危険かもしれないカードを大切な薔薇に近付けたくなかった。
温室を出ると、蝶は私の後頭部に止まった。完全に髪飾りに擬態している。可愛い。
部屋に辿り着いた私は、一輪挿しに飾っていた花に蝶を止まらせる。
クローゼットの奥の奥まで入り込むので頭に止まっていたら潰してしまいかねないから。
魔力で作り出された使い魔が潰れるかどうかは知らないけど。
「あの、これなんですけど」
クローゼットの奥からやっとの思いで取り出したカードを蝶の前に差し出す。
『カードですね』
「はい。なんでもこのカードを使った人たちの成績がガクッと下がったという噂があるんだとかで」
『鑑定を始めます』
蝶はそう言ってしばらく黙り込んだ。きっと鑑定しているはずだから、話しかけるのはやめておこう。
そうして大人しくしてからおそらくほんの数十秒、蝶が次に発した言葉はただ一言。
『危険』
ただそれだけ。
ただそれだけなのに蝶の不思議な声も相まって、なんだか妙に怖かった。
ブクマ、評価等いつもありがとうございます。
そしていつも読んでくださって本当にありがとうございます。
このお話がほんの少しでも皆様の癒しになりますように。
全然どうでもいい話なのですが、先日親知らずを抜きました。怖かったです。




