薔薇の令嬢は稼ぎたい
壁に耳あり障子に目あり。
そして、温室にクレアあり……なんちゃって。
「もういよいよだわ、ここ」
「ねー」
温室のすぐ側に、小さなベンチがある。
そこはたまに庭師が訪れる程度で、ローラット家の人間は見向きもしない場所。
というわけで、今では使用人たちが好きに休憩をしつつ噂話に花を咲かせる場所になっている。
……だがしかし。
皆さん側に温室があることを忘れていませんか?
もしかして、温室どころか私の存在ごと忘れていませんか?
その噂話、すべて私に筒抜けなんですけど……?
温室内に入ったことのない人は外からの音が丸聞こえなのを知らないのだろうけれど……。
先ほど「いよいよだわ」と呟いたのは確か姉付きの侍女さんだったはずだ。そしてそれに相槌を打っていたのは妹付きの侍女さん。
彼女たちの噂話によると、ローラット家はいよいよヤバいらしい。
遊び惚けている姉はどこぞの男の家に入り浸り状態で帰ってこないし、婚約者という存在に憧れて盲目になった妹は本当にあのロリコン伯爵と婚約するらしいし。
噂のロリコン伯爵は当たり前のように使用人の女の子たちに手を出すような奴なので、妹付きの侍女さんは妹があの家に行くと同時に退職するつもりなんだとか。
そりゃほぼほぼ手を出されることが確定している場所になんか行きたくないわな。
……で、その妹よりもヤバいのは姉のほうだ。
妹のほうはまぁ相手も貴族だし貴族同士の政略結婚なんてよくある話だし、なによりきちんとした手順を踏んでいるので問題はない。相手の人格に問題があろうとも。
でも姉のお相手は貴族ではない。なんならお相手が一人でもない。
あの人、多分貴族として……いや、もうこの世界に生きる女として終わったんじゃないかな、と思う。
いくら両親が忙しいとはいえバレるのも時間の問題だろうし、バレてしまえばローラット家の人間ではなくなるだろう。
貴族というのは体裁が何よりも大切だから。
やっちまってんな、あの人。
なんてことを考えていると、人の足音が聞こえてきた。
どうやら噂話の輪に人が増えたらしい。
「あら、顔色が悪いみたいだけど大丈夫?」
姉付きの侍女さんが言う。するとそれに答えた声は男性のものだった。
「大丈夫か大丈夫じゃないかで言うと大丈夫じゃない。っていうか普通に大丈夫じゃない」
この大丈夫じゃない人の声は、確か次男付きの従者さんだ。
大丈夫じゃないってことは次男もなんかヤバいことになってるんだろう……。
「今回ばっかりはもうどうしようもない。あの次男、お忍びでその辺ふらふらしてると思ったらいつのまにか領民の女の子を孕ませやがった」
とんでもねえ。
「しかも今のところ分かっているのは三人。まだ増えるかもしれない」
マジでとんでもねェェェェェ!
「本っっっ当にあのポンコツ(自主規制)じゃねぇか! (自主規制)だし(自主規制)!!」
うわぁ……あの真面目で温厚そうな従者さんの口からとんでもない暴言が乱射されている……。
いやぁマジでヤバいじゃん。ヤバヤバのヤバじゃん。
悪役令嬢の私が次期公爵フォルクハルト様の機嫌を損ねてローラット家没落コースを想像したこともあったけれど、このままでは私がフォルクハルト様の機嫌を損ねるよりも先に自滅する。
というかもう自滅に片足突っ込んでる。……いやもう片足どころの騒ぎじゃないか。
「揉み消せるのかこれ……」
さっきまで暴言を乱射していたとは思えない、絞り出すような声だった。
揉み消して済むような問題ではないと思うのだが、父は金でも積んで揉み消すつもり……なのだろうか?
「俺はクビだなぁ」
次男の従者さんが呟く。
彼が言うには、おそらくは従者さんの監督不行き届きだの職務怠慢だのを理由にしてクビにされるだろうということだった。
残念だが、私もそうなるんじゃないかなと思う。
我が家には使用人がたくさんいるのだ。
私に散々罵詈雑言を浴びせ続けてきた祖父が猛烈な見栄っ張りだったこともあり、見てくれのためだけにやたらと使用人を雇っていたから。
高位貴族でもないのに私たち兄弟に各一人ずつ従者や侍女が付いているのも祖父の見栄っ張りが原因だ。
ただ、祖父が死んでからというもの兄弟たちがあちこちで小さないざこざを起こしては父や長男が金にものを言わせて揉み消してきた。
だから、端的に言えば金がない。
とはいえ金がないからクビとは言い出しづらいので、あれこれ理由を付けてクビにしたいと思っている。
おそらくそんなところだろうな、と。
「まぁ人件費を削ってでも金で揉み消すつもりよね、旦那様たちは」
姉付きの侍女が言う。
彼女もきっと私と同じように推測しているはずだ。
「そりゃそうだろう。揉み消さないといけない理由があるからな」
「揉み消さないといけない理由?」
「娘が次期公爵夫人になるんだ。それまではなんとしてでも持ちこたえないとだろ」
なるほど、私のせいか。
今はまだ婚約中なのでそれほどでもないけれど、結婚してしまえばただの貴族の端くれだったローラット家の後ろ盾に公爵家が入る。
そうなれば地位も名誉もある程度はいただけるだろう、みたいな話……らしい。
私も自分のことでいっぱいいっぱいだし詳しいことは分からないのだけれど。
まぁどちらにせよこっちはこっちで婚約破棄目前っぽいんですけどねぇ。
「しかしなんでローラット家の娘だったんだろうな。あの頃はまだ……あの人も生きてたし評判は悪かったはずなのに」
祖父のことを名前を呼んではいけないあの人みたいな呼び方したな今。面白い。ぷふふ。
「それは私も知らないけど」
「噂じゃ高位貴族が高位貴族同士での婚姻を続けた結果子どもが生まれにくくなったから下位貴族の子をって話らしいけど、わざわざローラット家に目を付けた理由ってなんなんだろうなぁ」
……そんな理由で選ばれてたんだ、私。
「詳しいことは分からないけど、ローラット家に目を付けたってわけじゃない気がする」
妹付きの侍女さんがそう言うと、姉付きの侍女さんはそれに「うんうん」と相槌を打っている。
「え? どういう意味?」
という次男付きの従者さんの声がして、しばし沈黙が訪れる。
え、え、どういう意味なの? と、私も手に汗を握りながら侍女さんたちの言葉を待つ。
「え、見てて分からなかったの?」
私の「何が!?」という心の声と従者さんの声が見事にハモった。
「えぇ? その目、ちゃんと仕事してる? 職務怠慢なんじゃないの? クビにしたら?」
姉付きの侍女さんったら辛辣ー! じゃなくて!
「次期公爵様はローラット家なんて見てなかったと思うよ」
「私もそう思う。っていうかローラット家のことなんてどうでもいいくらいに思ってた気がする」
「こら、みんなしていつまでサボってるの!」
「わぁ、噂をすればなんとやら……!」
突然噂話に終止符が打たれた。
それも、メロディの手によって。
もう少し詳しく聞きたかったな……!
「こんなところでサボってて大丈夫なの?」
というメロディの問いに、三人が苦笑を零している。
「まぁ大丈夫ではないし出来ることなら急いで次の働き口を探したいところだけど、さすがに毎日休むわけにもいかないしねぇ」
と、姉付きの侍女さんが言った。
使用人の皆さんは、屋敷の住人が出払っている隙に就職活動をしているらしい。
どうりで最近やたらと静かだったわけだ。
「そもそもなんで皆ここにいるのよ」
「皆置いてけぼりよ。この家の人たちってば一人じゃ何もできないくせに使用人はいらないって言って置いて行っちゃうから」
「噂話の種にされるからって問題が起きてるところを使用人に見せないようにしてるんですよね、あれ」
妹付きの侍女の言う通りだと思う。
まぁ使用人に見せようと見せまいとこうして噂話の種にはなっているのだけれど。
くすくすという笑い声と、足音が聞こえる。
皆屋敷の中に戻っていくのだろう。
もうちょっと聞きたかったなぁ。
「あ、メロディさんは知ってます?」
お、まだ続いてた。
「なにが?」
「次期公爵様がクレア様を大好きな理由」
だ
「知ってる」
え、知ってるの!? メロディさん知ってるの!?
「……え、てことは次期公爵はローラット家を選んだんじゃなくて」
完全に遠くなってしまったのでここまでしか聞こえなかった!
もうちょっとだけ聞きたかった!
とはいえ盗み聞きなのでもう聞くことは出来ない……!
と、残念な気持ちを抱えながら、私は月夜の女王が落とした花びらを拾い集めることにした。
1輪目が咲いてから立て続けに5輪ほど咲いたので結構な量になる。
そしてこれに簡単な定着魔法をかければ萎れずに現状維持が出来るのでそのまま小袋に入れるだけでサシェになる。
ということは、売れば金になる。
うん、メロディに相談してみよう。
そう、私はフォルクハルト様のことを考えている場合ではないのだ。
彼を忘れて、そして忘れてもらうために隣国に行くんだから。
少しでも懐を潤わせておかなければならない。余計なことを考えずに。
……でも、メロディが「知ってる」って言ったってことは、フォルクハルト様は本当に私のこと、だ……。
「クレア様」
「ビャッ」
「クレア様、夕飯のお時間ですよ」
「あ、はーい!」
びっくりした!!
私は大量の花びらを籠に入れ、急いで温室を出る。
「あら、いい香りですね」
「でしょ。サシェにしたら売れる?」
「売れると思いますよ。でも売るんですか?」
「たくさん作れるから。一つはメロディにもあげるね」
「いいんですか?」
「もちろん。メロディがこの香りを嫌いじゃないなら」
「とっても好きです。美味しそうですし」
「美味しそうよね」
ふふ、と笑いながら考える。
よく考えたら、サシェだけじゃなく色んな薔薇グッズを作って売れるのではないだろうか、と。
サシェやポプリに出来る薔薇は月夜の女王だけじゃないし、現状維持の定着魔法を使えばプリザーブドフラワーだって出来るじゃないか。
え、定着魔法って実はものすごく便利なのでは?
悪役令嬢の一件を思い出したことで猛烈にテンパっていたけれど、折角前世を思い出したのだからもっと記憶を活用したほうがいいのでは?
今までなんで思いつかなかったんだろう!
悪役令嬢なんかやりたくないって気持ちで頭がパンパンになってたからだ!
……でも私の可愛い可愛い薔薇たちを金蔓のように考えるのはちょっともやっとするな。
うーん、難しい。
「クレア様、どうしました?」
「ん?」
「難しい顔をしていますけど」
「あ、いや……」
確かに難しいと思ってたけど、そんなに分かりやすかったのかな私の顔。
「……使用人たちが何か言ってましたか?」
「え、あ、いやいや」
そういえばメロディは温室内に外の声が聞こえることを知っているんだ。
そしてあの場所で使用人たちが噂話をしていたのも見ている。
これは誤魔化しづらいな。
「……ローラット家が大変だって話は聞こえてた」
「叱っておきますね」
「ううん、いいの。私は家族との交流がないから、正直なところ貴重な情報源みたいなものだし、何も知らないうちにこの家が崩壊するよりは噂でも知ってたほうがいいかなって」
そう言って笑えば、メロディも笑っていた。まぁ、メロディの笑いは完全に苦笑だったけれども。
「たとえこの家が崩壊したとしても、クレア様は何も心配することはありませんからね」
「うん。……でもメロディは、次の働き口を探さなくていいの?」
「私はずっとクレア様にお仕えしていくつもりですので」
「ありがとう」
ということは、メロディに払うお給金も必要になるな。腹を括らなければ。
とりあえずサシェとポプリとプリザーブドフラワーは作ろう。
あとは何が作れるだろう?
あれ、なんだったっけ。なんか花を特殊な油みたいなやつと一緒に瓶に詰め込むあれ。
形状は覚えてるのに名称が思い出せない。
ネットがあれば検索出来るのに……!
と、前世のことをあれこれ考えることにした途端にネットが恋しくなる私だった。
正解はハーバリウム。
ブクマ、評価等いつもありがとうございます。
そしていつも読んでくださって本当にありがとうございます。




