覚醒
「......はぁ、はぁ」
荒い息を吐きながら、次の薬を手に取る。
ここは「神隠れの森」。今は不敗の邪龍が棲みつく、死の森。
あれから、かなり時間が経った。助けが来る気配はまるでない。
足下には何十本もの空の薬瓶が転がっている。
秘薬は、飲むたびに寿命を縮める。俺の場合、一本につき一年。
だから俺たちは集団で狩りをするし、危険な仕事も金次第でする。コツコツ長く稼ぐ、なんて概念は狩人には存在しない。
そんな薬を、俺は何本飲んだ?
身体に異常な負荷がかかる。強烈な副作用に呻きながら、頭の中で計算する。
もう、いつ寿命が尽きてもおかしくない。
そう思いながら、次の薬に手を伸ばす。
「もうそろそろ死んでくれよ......」
何万本矢を降らせても、リンドヴルムはその全てを吹き飛ばすか、消し炭にする。
何本か撃ち漏らした矢が翼に刺さってはいるが、そんなものは意にも介していないらしい。
未知の原理で活動する邪龍に、体力という概念はない。死なない限り、いくらでも炎を吹き続けられる。
そしてリンドヴルムが他の邪龍と違う点は、その耐久力と回復力だ。例え俺の矢が千本刺さったって、奴は身じろぎもしないだろう。
痛いほどよくわかっているはずなのに、それでも何か気が変わって、巣に帰ってくれないかな、なんて想像をする。
馬鹿馬鹿しい。
「......雨」
水滴が落ちて来て見上げると、いつの間にか灰色の雲が空を覆っている。
それは瞬く間に嵐のような大雨を降らせた。
そういえば、聞いたことがある。この森は不思議なことに、毎年決まった日に必ず雨が降る。
その翌朝になると、樹々が一斉に花を咲かせるらしい。
あれは、何日だったか——。
——グラアアアアアッッッ!!
咆哮に気付いた時には、もう遅い。
雨に気を取られて魔術を撃ち忘れていた。死神が、その鎌をもたげる。
「......っ!」
慌てて薬を飲む。だが心の中では、間に合わないだろうな、と思っていた。
どの道、もうどうにもならない。俺はよくやったよ。
——それでいいのか?
誰かの声が、聞こえた。
——さっきまでの感情は、嘘だったのか?
嘘じゃない。でも、もう疲れた。
——妹は、どうなってもいいのか?
「いい訳ないだろ!」
俺は叫んだ。実際にはそんな時間はないはずなのに、叫んだ気がした。
——ならば、どうして諦める?
力がないから。俺には、あいつを守る力がないから。
——それなら、力をやろう。残り僅かな命を、大切な者のために使ってみせろ。
そんな声が、聞こえた。
そして、俺は現実に帰る。
向かって来るリンドヴルムの動きが、酷くゆっくりに見えた。それでいて、意識はクリアだ。
身体中に、力がみなぎっていた。
今更“目眩しの矢”を撃ったって、何にもならない。頭ではそれがわかっているのに、何故だかうまくいくような気がした。
「“神が授けし矢ホーリーアロー”」
自然と、頭の中にその言葉が浮かぶ。
見惚れるほど幻想的だった。
昼間だというのに流れ星のように輝く矢が、リントヴルムに次々と突き刺さる。回避も、迎撃も、役に立たない。
「......はは」
これは夢か。それとも死後の幻か。
気がついた時には、歴戦の邪龍が、嘘のように沈んでいた。
意識が曖昧なまま、三日間夜通し歩き続けた。
索敵魔術を持つデュークがいないせいで、すっかり道に迷ってしまったのだ。
それでも、不思議と疲れはなかった。
雨はいつの間にかあがっていたが、もともと日が射しにくい場所なだけあって水は残っている。泥混じりではあるものの、汚いという気はしなかった。
食べ物は木に登って、果実を食べればいい。
そして、四日目の夜。
ついに村の光を見つけ、安堵する。それと同時に、急に脚が一歩も動かなくなった。
「......あれ」
次の瞬間、ばたりと倒れる。
どうやら四日分の疲れが一気に来たらしい。
睡魔が急激に襲ってくるが、ここで眠るのは不味い。
毛布もないこの状態では凍死の危険がある。それに、リンドヴルムは死んだとはいえ、森の中には猛獣もいる。
......そう、リンドヴルムは死んだ。
俺が倒した。凄腕の狩人が束になっても歯が立たなかった、あの化け物を。
何が起きたのか、自分でも分からない。
ただ、これからの人生は、一秒たりとも無駄に過ごしてはいけないことは、何となくわかった。
そんなことを考えていたら、どんどん深くまどろみの沼に沈んでいく。
意識は混濁していき、俺は眠った。
「......ん」
目が開けられないくらい、朝日が眩しい。
記憶がはっきりしないが、辛うじてここが自分の宿ではないらしいことがわかる。
「あ、目を覚ました!......無理しないで。ゆっくり起きればいいよ」
傍らには、知らない女の子がいた。
いや、童顔なだけで実際は二十代前半か?
「あなた、丸一日以上寝てたよ?私が森で見つけなかったらどうなってたか」
「あぁ......すまない」
だいぶ状況を思い出すともに、意識も多少はっきりしてくる。
しかも大事なものが全て入っていたバッグも無事だ。奇跡的、といってもいいだろう。
「......君は?」
「私?私はアンジェラ。あなたは?」
「バニティ。これでも一応、狩人だ」
自嘲気味に言ってみる。森の中で道に迷って倒れる狩人なんてそうそういない。
実際はかなり特殊な状況だったのだが、彼女にそれを説明するのも面倒だ。
しかし、アンジェラは意外なことに、ぱあっと敬意に満ちた顔になった。
「あなた、狩人さんなの?」
「......まぁ、一応」
「でも、あのリントヴルムを狩りに行った狩人さんたちは、だいぶ前に帰ってきたけど」
「色々あってね。はぐれてしまって、命からがら逃げて......いや」
嘘をつこうとして、やめる。
俺がリントヴルムを倒したのは、事実だ。俺自身も信じられないが、バッグの中を漁ってそれは確信に変わった。
つまり、森に邪龍はもういない。
それを隠せば、村の人々が困るはずだ。たとえ姿を見せなくても、邪龍が潜んでいる可能性がある森に入るなどはできない。
この村はリントヴルムによって外との接触を絶たれ、ずいぶんな損害を被っている。やはり黙っているわけにはいかない。
「......?」
怪訝そうな表情のアンジェラに、とりあえず俺は言う。
「悪いが、朝食を作ってくれないか?ここ数日、ロクなものを食べてないんだ」