1話 パフェとデスソース
最寄り駅の改札を通り抜けるタイミングで、昨日の記憶が鮮明に熱烈に蘇って来た。
そう。昨日、ここから近い位置にあるファミレスで出会った彼女の事だ。
あの後何度も色々聞いたものの、結局何一つ分からなかった。
気付いたら、「またお会いしましょう」と書かれた書き置き一つ……と、パフェ一つ分の追加注文のレシートを残して消えてしまっていた。
また、という事は次があるんだろう。僕も彼女とはもう一度会える気がしている。
口約束にすらなっていないその言葉を、何故だかすんなりと信じられた。
とは言うものの、きっと僕は再会を心の何処かで望んでいるのだろう。
あの、美しいモノクロームの死神の様な少女を──
「呼びました?」
「!??!?」
驚きのあまり衝撃で数十メートル飛び跳ねた。
……実際には米粒一つ程も飛び上がっては無いのだけれど、これがギャグ漫画ならそのくらい飛んでいた。うん、間違いない。
にしてもこれは誰だって驚く。何と言っても、突如目の前、いや目と鼻の先に件の彼女が見計らったかのように現れたのだ。これで驚かない人は、多分死んでるのではないのだろうか。ショック死。
「こんにちは、トーマさん。何をそんなに慌ているんです?」
「そっちが心臓に悪い出方するから……というか、声も出してないのに呼んだって、心の声でも聞こえてるの?」
「まさかあ。そんな訳ないじゃないですか」
あらあらうふふと、彼女──クロは笑って否定した。ならばなにゆえ登場時に「呼んだ?」と声を掛けて来たのだろうか。
「それで、私に差し出す気になりました? その命」
出会って二日目なのに、このセリフを何度聞いた事やら。ロマンの欠片も無い、まるでRPGのラスボスの台詞の様な口説き文句で、彼女は男数人は殺せそうなスマイルを供に迫って来る。
「うーん、命はちょっとなあ。それ以外なら」
「昨日は死にたいだなんて言っていたのに。仕方のない人ですねぇ」
やれやれ。と、肩を竦めて呆れた様子のクロが言う。
……え、何で僕が悪いみたいになってんの?
「じゃあ、別のモノで払ってもらうとしましょうか。行きましょう、トーマさん」
「えっ、あっ……う、うん」
果たして何処へ連れていかれるのか。彼女に手を引かれながら、僕らはその場を後にした。
……あれ。そういえば、名前教えてたっけ?
然しそんな疑問を、手を繋いでる事実に緊張してしまった僕には考える余裕も無かった。
やって来たのは、「喫茶店」という万人のイメージを体現したかのような、至って普通の喫茶店だった。彼女に導かれるままに、窓際のテーブル席に座る。
駅を出てからそこまで歩いてないのだが、立地の割には閑散としてるのが気になった。ちなみに、昨日のファミレスとは逆方向。
「カフェオレ2つと、抹茶苺わさびハバネロパフェDEATHエディション1つお願いします」
キョロキョロ店内を見渡していたら、いつの間にか注文を決められてしまっていた。というか何だ今の。それ本当にメニューにあるのか?
「昨日はあんなに死にたがってたじゃないですか。どうしてダメなんです?」
砂糖をカフェオレに入れながら──牛丼専門店もビックリな速さで出て来た──クロがそんな事を訊ねて来た。
「昨日は昨日。今日は今日ってだけだよ」
「ふうむ」
右手を顎に支える様に当て、値踏みするかのようにこちらに顔を近づけ凝視するクロ。ドキリと擬音が鳴るかと思う程、心臓が一瞬だけ悲鳴を上げる。
美少女に見つめられる気恥ずかしさでどうにかなりそうなので、目を瞑りカフェオレを味わっている態でカバーする。丁度良い甘さで美味しい。
「確かに昨日より生への執着心が見えますね。何かあったんですか?」
それって見えるモノなの?
「何かあったと言うか……昨日、テストが返って来てさ。ちょっと赤点の奴があったんだよ」
理系だから古典は苦手なのだ。というか、言語が同じってだけであんなの外国語だろ。
「ふーん? それで死にたくなったって事だったんですか」
「そういう事。だから僕に厭世思想とか自殺志願とかそういうモノは……」
「あ、パフェ来ましたよトーマさん。はい、あーん♪」
「人の話聞いて!? ていうか何それ、色グロッ?!」
僕の知ってるパフェと言えば、甘くて白くてスウィートなイメージなのだが、今し方運ばれて来た「それ」は、パフェと言うには余りにも烏滸がましいの度を過ぎたモノだった。
そして今、「それ」を乗せたスプーンがこちらに差し出されている訳だけれど……
「いやいやいやいやいや。無理無理無理無理無理。絶対ヤバイ色してるってそれ」
赤と緑のミスマッチが、綺麗に螺旋を描いて混ざる。酸いも甘いも辛いも、全ての咎を背負った業は、匙という小さな世界の上で混沌を生み出している。
「美味しいですよ? ほら、あーんですよ、あーん♪」
「ッ…………」
時は放課後。
場所は静かな喫茶店。
相対するは悪魔のような笑顔を浮かべた美少女。
そして、状況は彼女が頼んだパフェを、「あーん」してもらっている。
シチュエーションとしては、この上ない程に最高。男なら誰でも夢見る光景。
……せめて、スプーンに盛られた「それ」が、もう少しでもマトモなら。
「はいっあーん♪」
ああ、そういえば赤と緑って補色関係だから目立つんだっけ。だから非常口は緑色って、昔テレビで見たなあ。なんてどうでもいい記憶が、走馬燈の様に脳内を駆け巡る。
再三差し出された「それ」を目の前に僕は────覚悟を決めた。
目を覚ました僕は、自分の部屋のベッドで新しい朝を迎えていた。
昨日の記憶は、あんまり覚えてなかった。
その日は何故か、何を食べてもあまり味がしなかった。