肝試し
前回より長いです。
木々に囲まれ、暗がりの中ひっそりと佇む廃病院。
白かった壁は薄汚れ、窓ガラスは割れ、ドアの外れた入り口は、ぽっかりと黒い口を開けて餌を待っているかのようだった。
「ねぇ、ホントに行くの?」
私はノリノリで写真を撮る三人に聞いた。
「ここまで来といて、なに言ってんだよ」
肩をすくめたのは背の高い男子、飯田くん。
「ゆーちゃん、怖がりすぎー」
そう言って笑うのは化粧バッチリのナナちゃん。
「大丈夫だって、幽霊なんているわけないだろ」
撮れた写真を確認してるのは眼鏡の似合う風間くん。
そして__
「手、繋いでおく?」
「美和ちゃあん!」
唯一私に気を遣ってくれる美少女、美和ちゃん。
美和ちゃんは三人とは違い、写真は撮らず、静かに夜空を眺めていた。
白い肌に対照的な黒い髪と瞳を持つ美和ちゃんは、暗い森の風景によく似合った。
「私に優しくしてくれるのは美和ちゃんだけだよぉ」
彼女のほっそりした手をがっしりと掴んだ。
私、ゆーちゃんこと前田結子は、肝試しに来ていた。
言い出しっぺは飯田くんだった。
ナナちゃんと風間くんがそれに乗って、私も深く考えずオーケーした。
その時ちょうど近くに美和ちゃんもいて、そこそこ仲の良かった私が誘ったら来てくれた。
ホラーとかは苦手だったけど、大人数なら平気だと思ったし、何より__
「こんな怖いとこだなんて、聞いてない!」
「怖くなかったら肝試しになんねえだろ」
飯田くんはしれっと中に足を踏み入れた。
「きゃー、雰囲気あるう」
「足元気を付けろよ」
ナナちゃんと風間くんが続く。
「結子ちゃん、私が着いてるから。行こう?」
「うぅ……美和ちゃん、絶対手ぇ離さないでよ」
「うん」
中は真っ暗でひんやりとしていた。消毒液の臭いがする。
三人は相変わらず、スマホで写真やムービーを撮っている。
なんで楽しそうにしてられるのかな、もう……。
どこか一点を注視するのも怖いので、ついあちこちに懐中電灯を向けてしまう。
皮が破けたソファーが雑然と並び、奥には受付カウンターが見えた。
壁にはスプレーの落書きや黒い焦げ跡が点在している。
ダメだ……どこを見ても怖い。
「よーし、とりあえず左側から行くか」
飯田くんが音頭をとる。
「お、置いていかないでよ」
「はは、置いてかないよー。二人とも早くこっちおいでー」
足元を照らしながら慌てて三人を追いかける。
光の端を何かがよぎった。
「っ!! 今何か動いた!?」
「ねずみだよ」
隣の美和ちゃんが冷静に答える。
「ほら」
美和ちゃんがライトを動かすと小さなねずみが鳴き声を上げて素早く逃げていった。
「ね、ねずみ……」
「前田ビビり過ぎ」
三人がけらけらと笑った。
それから、一階を見て回った。
診察室や更衣室、トイレなどがあった。
私は鏡に映った自分に驚いて悲鳴を上げたり、壁の落書きを血の跡と勘違いして叫んだりした。
「ゆーちゃんが必要以上に怖がるから、逆に楽しくなってきちゃったー」
背後から驚かせてきたナナちゃんはそう言って笑った。
だいぶ殺意を覚えた。
「次は二階だな」
「もう帰ろうよ……」
「せっかくだし、全部見てやろうぜ」
「えぇ……」
私は正直帰りたかったけど、本物の幽霊も結局出てこないし、散々叫んだおかげで少し恐怖も薄れてきた。
「しょうがないなぁ」
そうして、私と美和ちゃんも、階段を登る三人に着いていった。
「……?」
二階に上がると一層冷えた。なんか、足元からじわじわ体を飲み込んでいくような、冷たさ。
「結子ちゃん、どうしたの?」
美和ちゃんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「あ、うん。ごめんね。大丈夫」
美和ちゃんは約束通り、ずっと手を握ってくれている。これ以上心配かけさせたら申し訳ない。
そのとき、風間くんの懐中電灯が点滅し始めた。
「電池切れか?」
「おいおい、しっかりしろよ」
数秒間、付いたり消えたりを繰り返して、やがて完全に付かなくなってしまった。
「新しい電池入れてきたんだけどな……」
「霊のしわざかもよー」
ナナちゃんは私の方を見てニヤニヤからかった。
「やめてよ」
風間くんは電池を入れ直したり、ペシペシ叩いたり。でもすぐに諦めた。
「古かったから、接触が悪いのかもな」
光源が減って、病院の中は更に闇を深くした。
二階は入院患者用の病室が並んでいた。
一階と負けず劣らずの荒れ具合だ。
「このベッドのしみ、人の形っぽくね?」
「こわー」
「ん? 今、足に何か当たった」
「たぶんカーテンだよ。レールから外れかかって垂れてるから」
皆の様子は特に変わりない。でも気温がどんどん下がってる気がする。
気にしすぎ、かな。
美和ちゃんの手をぎゅっと握って、辺りにライトを向ける。
ふと視線を感じてベッドの下に光を当てた。
目があった。
「結子ちゃん?」
「……ハッ!」
しまった。意識がちょっと飛んでた。
改めて確認すると、目なんてどこにもない。
また勘違いで叫ばなくて良かった……。
「次行くか」
人型のしみの写真を撮ってた飯田くんとナナちゃんが出口へ歩いていく。
「風間くん?」
私は一人窓の外を眺めている風間くんに声をかけた。
「風間くんなら、あっちにいるよ」
美和ちゃんが反対方向をライトで照らすと、ちょうど部屋を出るところの風間くんがいた。
「俺がどうかしたか?」
「あれ? でも……」
私が振り向こうとすると、美和ちゃんが耳元で囁いた。
「見ないほうがいい」
その瞬間、凍り付いたように首が回らなくなった。
「大丈夫。アレはたいしたことないから」
美和ちゃんはそう言って安心させるように微笑んだ。
「行こう? 置いてかれちゃう」
「う、うん……」
その時私は、美和ちゃんの目は真っ黒だなと、とりとめのないことを考えた。
他の部屋はなるべく目の前の地面だけ見てやり過ごした。
ずっと鳥肌が収まらない。
絶対離さないように、美和ちゃんの手を強く握った。
そして、廊下の突き当たり。
「手術室……」
「何か出そうだな」
飯田くんが意気揚々と大きな扉を開けようとして__
「止めたほうがいい」
美和ちゃんの涼やかな声が響く。全員の動きが止まった。
「……はぁ?」
フリーズの解けた飯田くんが、ドアの取っ手から手を離し、振り返る。
「そっちは怖いのがいるから、行かないほうがいいよ」
美和ちゃんの声に、全身の毛が逆立つ。
「えー、何、突然……」
ナナちゃんは戸惑ったけど、風間くんは眉を寄せた。
「怖がらせてやろうって魂胆だろ。千崎、趣味が悪いぞ」
私はさっきの出来事を思い出していた。
美和ちゃんの言うことを聞いたほうがいい、絶対。
「か、帰ろうよ。もう満足したでしょ?」
「えー……」
「手術室なら危ないものもあるかもだし……」
三人は決めあぐねてる様子だった。
大人しい美和ちゃんがこんな風に物を言うのは初めてだったから、どう判断すべきか分からないみたいだ。
美和ちゃんはしばらく待ってから、私の方を見て言った。
「じゃあ、私たち二人は先に帰ろうか」
「えっ。わ、私も帰るー」
ナナちゃんが慌てて私たちの方に来た。
「はっ、女子はやっぱビビりだな」
飯田くんと風間くんの二人をその場に残し、私たちは夜の病院を抜け出した。
二階から降りると、あの嫌な寒さは和らいだ。
「美和ちゃん、色々とありがとね」
人心地ついた私は口を開いた。
「? 私、特に何もしてないよ?」
「そんなことないよ」
美和ちゃんがずっと手を握っていてくれなかったら、私は耐えられなかっただろうし、風間くんの時もヤバかったかもしれない。
何より、手術室の“怖いの”を見ないで済んだ。
「……あの二人、大丈夫かなー?」
ナナちゃんが不安そうに振り返った。
「無事帰ってこれるといいね」
美和ちゃんはいつもの微笑を浮かべて、出口へ足を進める。
外に出るとホッとするような夏の夜の暖かさ、そして月の光に包まれた。
「はぁ……疲れたよ」
月の光ってこんなに明るいんだ。
すっかり安心して肩の力が抜けた。
脱力して膝をつきそうな私を見て、美和ちゃんはクスリと笑う。
「帰ろっか」
ここに入る前と同じように、美和ちゃんは手を差し伸べた。
「あれ……?」
私はずっと握っていた手を離さなかったはずなのに。
私、今、誰と手を繋いでいるんだろう。
一旦完結にします。
また話を思い付いたら書きます。