第2章 大嵐と楽園島.1
バトルは今のところ入れる予定はないです。航海に焦点を当てたストーリーになると思います。
朝日が出てから休む間もなく、ネルソン達は船の整理に追われていた。死体など取っておいても仕方ないので、敵味方問わず海に棄て、晴れて自由の身となった奴隷達、いや新たな乗組員達に指示を出し血塗れの甲板を掃除させた。その監督はマナティーに一任し、ネルソンは軽やかな足取りで船長室へと向かう。カーテンで閉め切られ、動物のはく製や頭骨が部屋の両脇に所狭しと並んで、新しい船長を歓迎していた。早速片づけに取り掛かる。
まずカーテンを全て引きちぎり太陽の光をたっぷりと入れ、さらに部屋の奥、鎮座している机の小物も酒のビンを除く全て、カーテンと衣装棚の衣服と共に一纏めにした。酒は自分のポーチに仕舞い込んだのち、はく製も骨も窓(奥の窓以外の窓は開けることが出来るものだった)を開け、瞬く間に処分する。たちまち船長室は様変わりした。
仕上げに、空いた机に自分の荷物の中から出した物を置いて行った。海図、本、剣、羅針盤、望遠鏡。ネルソンは大変満足した。
カーテンで包んだ塊は余りに大きく、窓からは出せなかったため、仕方なくそれを両手で抱えながらドアを蹴り、甲板へ出ることにした。
「一瞬、布の塊に足が生えたのかと思った」
ネルソンがその塊の奥から、声のした方へ顔を出すと、エリーが甲板の手すりに座り、こちらを見て笑っていた。彼女は最初に出会った時から身に着けていたぼろ布ではなく、ボルトリールの民族衣装『ダパ(上は胸当てにさらにチョッキ状の上着を羽織り、下は大きな一枚の布を巻いて腰部で縛り、スカートにしたもの)』を着ていた。どこで見つけたんだろうか。
「手伝いましょうか?ネルソン」彼女が続けて問う。
ネルソンは首を横に振り、「それには及ばないよ」と言った矢先にバランスを崩し、派手に転んでしまった。エリーが慌てて駆け寄ってくる。彼は急速に自分という人間が情けなくなった。
「いててて…散々だな」
よっこらせと起き上がり、心配げな顔をするエリーに「大丈夫!」と空元気を見せる。いやまぁ、特に大したケガをしなかったのだから、嘘ではないんだけど。ただ彼のプライドは重傷だ。
ネルソンはお前のせいだとばかりに散らばった衣服を全て海へ放った。着水したそれらは、しばらくは海と共に日の光を受け輝いていたが、その内見えなくなった。すっきりした。傷も多少は癒えたかもしれない。
気を取り直したネルソンはエリーの隣に座り込む。甲板は相変わらず大わらわだ。マナティーが檄を飛ばし乗組員らに指示を出している。ヴィクターは二重舵輪の後輪を握り、羅針盤を横目に海図とにらめっこしている。彼に航海技術の心得があるとは驚きだったし、頼もしい限りだ。
大半の奴隷達は、次の港に到着したら船を降り、自由になることを選んだ。だがヴィクターは、この船の一等航海士となり、残留することを快諾してくれた。恩や義理を感じる必要はないと念を押したが『新しくやりたいことが見つかったんだ。これ以上の喜びはないよ、船長』と譲らなかった。
「あ、そうだ。これこれ」ネルソンは自分のポーチを紐解き、船長室で見つけた酒のビンを取り出した。「エリーはラム飲める?」
「飲んだことないわ。故郷にはラム酒がなかったし」エリーは興味津々といった感じにビンを眺めている。「美味しいの?」
ネルソンはニヤッと笑い「まずは飲んでみなって」とビンを突き出した。エリーは受け取り、恐る恐る口を付け、少しだけ傾ける。
その瞬間、彼女の整った眉が中央に寄り、渋い表情を作った。口を拭い、ネルソンに返す。「変わった味ね」
「すぐ慣れるよ」彼はすぐに飲もうとしたが、思いとどまり、ビンを高く掲げた。「エリーの海賊デビューに乾杯だ!あとヴィクターも」
「私、まだ海賊になるなんて言ってないよ?」彼女はそう反論したが、声音は優しかった。「でも、あなた達がこの船に来てくれたおかげで、自由になれた。私も、ヴィクターさんも、みんな」
「俺はこの船が欲しかっただけさ」酒を呷り、ネルソンは小さく笑う。纏められた金色の後ろ髪が上下に揺れた。「結局みんなは、そんな俺に利用されたんだ。どうだ、極悪非道な海賊らしい手口だろ?」
エリーもつられて笑い、そして言った。「そうね、でも私はその悪い海賊の仲間になるつもりよ?」
「やっぱり海賊デビューじゃないか!」とネルソンは嬉しそうに叫んだ。
エリーは「私からお願いしたかったの」と答え、ネルソンに真正面から向き合った。「私も仲間に入れてほしい。キャプテン・エイハブ」
「残念ながらその要請は無意味だ、ミス・アーデル。何故なら、今この船に乗っている奴らは問答無用で俺の仲間だからだ!」手すりに立ち上がり、高らかに告げる。もう酔ったのかもしれない。「つまり!俺に何か許可が要るのは、船を降りるときだけだ!」
マナティーはやれやれという顔をし、ヴィクターは嬉しそうにこちらを見ている。エリーは驚いた表情をしたが、直後に吹き出してしまった。
「何かおかしかった?」ネルソンが首をかしげる。
「いいえ。確かに無意味なお願いだったなぁと思って」エリーは答え、手すりを降り、「じゃあまた後で」と言い、掃除に加わるべく甲板へと向かっていった。
その後ろ姿に手を振りつつ、もう一度酒を呷っていたら、「船長!」とヴィクターに切羽詰まったように呼ばれた。急ぎ足(それにちょっと千鳥足)で彼の元へ向かう。
「どうした、ヴィクター?」
「風向きが急速に変わった」とヴィクターが緊張した面持ちで答えた。「それに湿気た臭いも。心なしか雲が多くなっている」
ネルソンが空を見上げると、確かにさっきまでの暖かい風はどこへやら、少し冷気を孕んだ風が行き来している。と、ここで違和感を覚えたネルソンは望遠鏡を取り出し、前方を眺めた。すると船の前方、そう遠くない先に雲の帯が果てしなく続き、そこを境に、奥の方は真っ暗闇になっているあるのが見えた。
大嵐だ。
「見えるか?ヴィクター」
ネルソンは望遠鏡を彼に貸した。覗いたヴィクターの顔は蒼白になり、舵輪を持つ手の握力が少し強くなった。
「どうする?」彼はネルソンに指示を仰ぐが、ネルソンは「どうもしない」としか答えなかった。そして甲板の方へ歩いていき、
「野郎ども!嵐の中を突っ切るぞ!無事に抜け出せるまでメシはお預けだ!」
と怒鳴った。ぽかんとしている乗組員達を更に叱咤激励する。
「大砲やボート、あと動き易い物はロープで固定しておけ!ヤードを動かす時には風向きを考えろ!」
しばらくは他と同様、あっけにとられていたマナティーだったが、すぐさま的確な指示を出していく。ネルソンの無茶ぶりには慣れっこだが、毎度毎度驚かされる事ばかりだ。あとで問い詰めてやるとばかりにネルソンを睨みつけた。そのネルソンはというと、不安げなヴィクターに「このまま針路を維持しろ」と命令していて、マナティーの視線に全く気付くことはなかった。
こんな時、マナティーのやることは大体決まっている。階段を駆け上がり、「どういうつもりだ!」とネルソンに詰め寄ることだ。そしていつも通り、ネルソンは自信たっぷりに、自らの無謀とも言える思惑を説くのだ。
「この船の限界を知るいいチャンスだと思わないか?俺達はコイツとは長い付き合いになるだろうから、それを知っておいて損はない」と彼は床をトントンとつま先でつつく。「大丈夫、ウォルビス号はそんなに簡単に沈まないよ」
「ウォルビス号?」とマナティーが聞き返す。
「そう、ウォルビス号だ。この船の名前。今名付けた」あっさりとネルソンは言ってのける。
「〝鯨〟か。悪くない」ヴィクターが彼の後ろから笑って言った。
マナティーは呆れたと目をぐるりと回し、「エリーにも伝えてくる」とその場を立ち去った。
雲の帯はもうすぐそこだ。