第1章 始まりの船.2
船内が一気に騒がしくなった。
ストケシア号のゴンザレス船長にとって、外の悲鳴と怒号、銃声、剣のぶつかり合う音が点鐘の代わりとなった。すぐにベッドから飛び上がり、身支度を済ませ船長室の扉を開く。
最初こそ海賊の襲撃かと思っていたが、その考えは眼前の光景によって、瞬時に否定された。乗組員に襲い掛かっているぼろ布を纏った男達は、紛れもなく彼が船に積み込んだ奴隷だった。
ゴンザレスに気付いた奴隷達が一斉に彼めがけて剣を振り上げるが、彼自身は全く動じず、落ち着き払って右手を握りしめ、
「〝太古の骨〟」
と呟く。すると周囲の奴隷達はみるみるうちにやせ細り、骨と皮だけになった。彼らはゴンザレスに、かすり傷ひとつ負わせることはできなかったが、それを悔やむ間もなく逝っただろう。
一息ついて状況を確認する。彼は熟練の船長だ。船の一部しか視界に入っていなくとも、甲板を響かせている足音で大体のことは把握できる。彼はそういう男だった。そのため乗組員達が半分ほどまだ残っていることも、戦いが拮抗状態であることも分かった。
ふと頭上に殺気を感じ咄嗟に飛びのくと、直前まで彼がいた場所に彼の足ほどもある銛が降ってきた。それは勢いよく突き刺さり甲板にひびを入れた。
銛の尻にはロープが結ばれ、そのロープの先、ヤードの上にあの青年が、先日何やら騒いでいた奴隷が立っていた。ゴンザレスは彼の目を見て悟った。彼が首謀者だと。
「おはよう、ゴンザレス船長!俺はネルソン・エイハブ」青年は叫んだ。「早速だが、この船はいただく。今降伏するなら命だけはくれてやるぞ!」
「若造が調子に乗るんじゃねぇ!」ゴンザレスが叫び返す。「船底でおとなしくしてりゃあよかったものを。降りてこい、この手で殺してやる!」
ネルソンは腹を抱えて大笑いした。「馬鹿言うな。殺されると分かってて降りる奴がいるか?だが今は俺の心優しさに感謝しろ!」
言い終わるや否や、ロープを巧みに操って銛を引き抜き、ヤードから飛び降りた。ブロードソードを構え、その落下の勢いで切っ先をゴンザレスに向け着地した。
剣はゴンザレスの首筋すれすれを掠めたが、致命傷には至らなかった。ネルソンはすぐに体勢を整え彼と距離をとる。右手に先ほどの剣、左手に銛を持ち相手の隙を伺う。ゴンザレスも自前のカットラスを抜いた。
まずはネルソンが剣を上下に振り、ゴンザレスを挑発する。そして必死に頭の中を整理していた。
こいつのスキルは今しがた見た通りだ。一気に3人もの人間を干殺する能力。奴隷達から聞いたのとまったく同じで、確かに恐ろしい。だがネルソンが何となく予想していた通り、彼がゴンザレスの前に降り立っても彼は干からびなかった。それは何故か。
そこまで考えたところで、挑発を意にも介さないゴンザレスはカットラスで突きを放ってきた。しかも連続でだ。
一撃、二撃、三撃。
彼の攻撃を全て剣でいなし、攻勢に出る。銛の突きと剣の払いを不規則に繰り出し、敵の集中力を鈍らせるのが狙いだ。そしてあの一撃必殺のスキルを封じるためでもある。思考は再び分析に移る。
相手が先ほど、そして今この瞬間にスキルを発動しない理由は、『しない』のではなく『出来ない』ためだとネルソンは踏んでいた。あれほどの威力を持つスキルだが、そもそもスキルの威力は使用者の体力に直結している。つまりは使えば使うほど疲れるということだ。ゴンザレスのスキルはその強力さ故に発動後のインターバルが存在する。そういう結論に至ったのである。
と、ネルソンの脇腹をカットラスが掠め、その伸びきった腕を切り落とそうと剣を振るうが、間一髪で相手が腕を引っ込める方が早かった。すかさず銛を相手の顔面に突き出すが、それすらもゴンザレスは上半身ごと頭をひねって躱してみせた。そして倒れこむ寸前で、空いている左手を床につけ、それを軸にして回転させた。その勢いが乗った蹴りがネルソンの左太腿に直撃した。激痛がそこを原点に全身を駆け巡ったが、すぐに距離をとり追撃を許さなかった。
こいつ本当にただの奴隷商人か。
心の中で悪態を吐き、銛を掴んだままの手で患部を撫でる。幸い軽傷だったが、ゴンザレスが足に仕込み刃でも取り付けていたら危なかった。それに…
いつ来るか分からない、奴の厄介なスキルの再発動を気にかけながらの戦いが、これほど精神を摩耗させるとは、ネルソンは正直予想していなかった。それは彼の実戦経験の浅さに基づくものでもあり、彼の生来の過剰なほどの楽観主義的な性格からくるものでもあった。 しかし彼には奥の手があった。
「スキルを使うのはお前だけの専売特許じゃあないんだよ!」
ネルソンは銛を背中の鞘にしまい、ブロードソードの刃、その根元を左手で握りしめる。そして、その手から剣を思い切り引き抜いた。
剣を覆っていたのは彼の掌の血ではなく、海のごとき深青の炎。それが彼の剣を煌々と照らしていた。ネルソンが意気揚々とそのスキルの名を告げる。
「〝六等星の夜〟!」
ゴンザレスが目をむき、思わず後ずさる。チャンスだ。
剣を構えなおし、再び突貫した。
ネルソンがスキルを使用したことは、甲板の前方で戦っていたマナティーの目にも入っていた。
「…それを使わなきゃいけないほどの相手だったか、ネルソン」
敵を切り伏せ、その声は彼には届かないと分かってはいても、そう漏らさずにはいられなかった。あいつの、いや俺達の見通しが甘かったか、それとも見せびらかしたかったのか。
ふとそちらに意識が行ってしまったがために、敵が彼の背中に剣を突き立てようとしていることに気付けなかった。
まずい、と思った時には既に遅く、その剣が彼を貫く…筈だった。実際には一発の銃声と、そして倒れこむ乗組員、それだけで済んだ。反射的にマストを見上げると、檣楼部分に大きなマスケット銃を構えたヴィクターが立っていた。さっきまで近くにいたというのに、全く油断ならない奴だ。
「助かった!」一声礼を言うと、「お気になさらず!」と彼から元気な返答を貰った。ヴィクターは銃を投げ捨て、傍に立てかけていた弾丸の込められた銃を掴み、再び構えた。
マスケット銃は一発撃つごとに弾を再装填しなければならず、しかも時間がかかるためこういった乱戦には不向きだ。しかし銃を多く持てばその欠点もある程度解消される。
まるであの人みたいだ、とマナティーは思った。その男は世界を震撼させ、歯向かう者には残虐の限りを尽くし、自らの乗組員からも恐れられた。彼も胸のベルトにいくつもの短銃を装備していた。まぁ、ヴィクターとあの人じゃ性格は似ても似つかないが。
甲板での勝負はほぼ決していた。奴隷達は次々にネルソンに(正確には彼に手柄の先を越されないように)加勢するべく向かっていった。しかし、すぐそばに転がっている同胞の変わり果てた姿を見て尻込みしたのか、それともネルソンの青く燃える剣に驚いたのか、戦いには加わろうとしない。一歩引いたところで眺めているだけだった。
マナティーが数人ほど、まだ抵抗の意思がある乗組員達を切り捨てると、ある乗組員は武器を捨てた。その剣と甲板がぶつかり合う音が次々に伝染した。船は一部を除きたちまち沈黙した。
そしてヴィクターが縄を伝って降りてくるのを待ち、共に船尾へ向かった。
そう遠くない未来の我らが船長の助けとなるために。
「来いよ、ゴンザレス。お前にお似合いの、あの陰湿なスキルを使ってみろよ、なぁ!」
青い炎を纏った剣を彼の眼前で振り回し、ネルソンは叫んだ。「使えないんだろ?そうだろうさ、その能力の弱点はたった今把握した!」
「把握しただと?はったりを抜かすな、餓鬼がッ」その炎の熱さを物ともせず、カットラスを自在に操り、ネルソンの心臓に切っ先を当てようとした。ネルソンは後ろに倒れこむ形でこれを躱し、そのまま両手で床を掴み、逆さまに飛び上がった。空中で銛を放り投げ、ヤードに突き立て、その勢いで一気にゴンザレスとの距離が離れる。
「周りを見てみろ、ゴンザレス!お前の味方はみんな死ぬか、降伏した。お前も好きな方を選べ!」ぶら下がったままの格好でネルソンは再び叫び、飛び降りると同時に銛を引き抜き、剣をゴンザレスに向けた。
「逃げてばかりのお前が勝てる気でいるのか?」ゴンザレスが嘲笑する。「確かに、俺とは距離をとって戦うのが最適解だ。だがそれではご自慢の蝋燭剣は役に立たんぞ!」
「それはどうかな?あと訂正しろ、これは蝋燭じゃない。その証拠を見せてやる!」その瞬間、炎がより一層激しく揺らめき、幾多の炎に分かれゴンザレスに襲い掛かった。ネルソンの得意技〝龍髯攻〟だ。一本の剣では防ぎきれない上に、たとえ彼の〝太古の骨〟のインターバルが終わっていたとしても、炎を干からびさせることなど出来ない。
ゴンサロ・ゴンザレスの視界は青い炎に染まり、包まれた。