第1章 始まりの船.1
「違う!だから違うって!これはなんかの間違いなんだ!」
日差し照り付ける港にてゴンサロ・ゴンザレスは、鎖に繋がれた哀れな〝商品〟達の積み込み作業を指揮していた。いつもやっていることなのだが、いつもと違うことは、やたら元気の良い奴隷が、乗組員に引きずられながらベラベラと周りの商人仲間に熱弁を振るっていることだった。やかましいやつだ。
その奴隷は、奴隷と言うにはあまりに服装が整っていて(一部よれているけれども)、あまりに血色がいい青年だった。彼は続けた。
「本当に違うんだって!見て分かるだろ。なぁ、分かるよ、よぉく分かる。間違いを認めるのは辛いことだよな。俺もそうさ、いつも間違えてばかりだった。何なら今も間違ってるし。でもその度に反省して次に生かすんだ。だから君が俺を奴隷と見間違えたことも反省すればいいことだと思わないか?いやだから、なんでそっちに引っ張るんだ。本当に!マジで!誓って俺は商品じゃない!」
彼を引きずって歩く運搬員は聞く耳を全くもたなかった。どうせ逃げ出したいが為の嘘に決まっていると信じて疑わなかったのだ。
青年はしばらくは諭すような口調だったが、段々と口調が荒くなり、しまいには運搬員を罵倒し始めた。だが彼は全く動じず、若い奴隷を船に放り込んだ。子犬の悲鳴のような声が船底から聞こえた後、港は再び、他の奴隷達のうめき声やすすり泣く声が支配する。
やっと静かになった。
ゴンザレスは息を吐き、再び乗組員に激を飛ばす。青年が放り込まれた直後に、背の高い、これまた奴隷らしからぬ服装をした男が、特に抵抗もなく船に乗り込んだことを、彼はもう少し警戒すべきだったのかもしれない。普段のゴンザレス船長ならその違和感に気付けただろうが、予定が大幅に遅れている手前、一刻も早く出航したいと願う彼にそこまでの余裕は皆無だった。
こうして、40人余りの奴隷と、20人余りの乗組員を乗せたガレオン船〝ストケシア号〟は、ボルトリール大陸から本国たるレアル帝国へと『帆』を進めることとなった。
聖暦1126年のことである。
食事は1日に2回、甲板に通じるハッチから無造作に投げ入れられる。パンとチーズをひとかけらずつだが、人数分あるのかどうかは分からない。だがまぁ、そこは譲り合いの精神ということなのだろう、ふざけやがって。
すっかり日が暮れ、壁に掛けられたランタンが、唯一の光源だった。そんな中で、奴隷達は頭上から降ってきた貴重な食糧を細々と食べている。
一部例外を除いては。
昼間に騒ぎ立てていた青年は、放り込まれた際にしたたかに打ち付けた背中の痛みに耐えながら、パンを齧ろうとしたが、カビが生えていることに気付き舌打ちした。何とかカビの生えていない部分をほじくろうとしたが、やがて諦め、放り投げた。せめてチーズでもと思ったが、表面を蛆がのたうち回っていたので、こちらも床を走り回るネズミにくれてやった。
「大したご馳走だよ、ホント」青年は吐き捨る。そしてすぐに、隣で青年の足枷を弄り回している、先ほどの背の高い男に問いかける。「どうだマナティー、外せそうか?」
「時間がかかりそうな感じだな」マナティーと呼ばれた男は眉を顰める。「第一、暗すぎる。せめて手元に明りがあればなぁ」
「両足を自由に出来ないと計画がパーなんだから」青年は苛立たし気に言う。「頼むぞマナティー、お前の目の良さと手先の器用さに全てがかかってる」
「計画?2人仲良く、奴隷商の家の前で酔って寝ることがか?」マナティーがウンザリした様子で言い返した。
「少し違うな。シラフの状態で、且つ家じゃなくて船の前にいれば計画通りだったんだけど。あと寝ないでさっさと行動してりゃ大成功間違いなしだったかもな」
「そんな大成功間違いなしの作戦が、今や俺が足枷外せなかったら即詰みのギャンブルじみたものになったのはなんでだろうなぁ、ネルソン?」
「計画に予想外の出来事は付きものさ、マナティー」ネルソンはマナティーから視線をそらしつつ答えた。
そもそも、奴隷ではない彼らがなぜこんな目に遭っているのか。船泥棒が目的で港に来たはいいものの、厳重な警備の中たった2人でそれを成し遂げるのは不可能だと悟った。計画の練り直しと景気づけを兼ねて港町の酒屋で飲んでいた…ところまでは覚えている。目が覚めた時には、鎖を付けられ、整列させられていた。ひどい話だ。
「ポジティブに考えよう。俺達は計画とは違うとは言え船に侵入することが出来た」天井から足音が聞こえたために、一段と声を低くしてネルソンは言う。「連中も油断しきっているだろうさ」
「確かに、まさか船泥棒が奴隷に紛れ込んでるなんて想像もしないかもな」
マナティーの返答にニッと笑ってみせたネルソンは、ぐるりと周囲を見渡す。相変わらずめそめそとしている奴隷達の中の、ちょうど彼の右斜め後ろに座らされている男と目が合った。
いや、奴隷なんて男性が多いもので(奴隷は主に農園の力仕事の為に買われるってパターンが多いのさ、ご存知?)、何ら不思議は無いのだが、その目は他の奴隷とは違った。ネルソンやマナティーと同じ、強い意志を感じる眼光が、ぼさぼさの黒髪の奥からはっきりと見えた。ネルソンが何か話しかける前に、男は口を開く。
「あなた達も何か罪を犯したのかい?」
ネルソンは黙って首を横に振った。
「そうか。いやすまない、自己紹介もなしに変なことを聞いたね。僕はリント。ヴィクター・リントだ」
「俺はネルソン。こいつはマナティー」ネルソンも自分とマナティーを指さしながら名乗る。
「あんたも酔って寝てたら捕まったクチか?」
彼の発言にヴィクターは苦笑した。「いや、僕は罪人なんだ。以前いた場所で逮捕されたんだ。命からがら逃げ出したはいいものの、今度は奴隷船団に捕まっちゃって結局はこのありさまさ」彼は自嘲気味に足の鎖をジャラジャラと揺らす。
「…なにやらかしたんだ?罪状は?」黙って聞いていたマナティーが問いかける。「殺人?強盗?それとも放火か?」
ヴィクターは肩をすくめた。「僕は天体観測が好きなんだ」薄汚れた床板を見つめながら彼は答えた。「たったそれだけ。それだけで危うく縛り首になるところだった」
そして彼は右腕の袖をまくり、2人に前腕の裏を見せた。黒い星を白い月が包み込んでいる入れ墨が彫られている。それは、ある意味殺人よりも重い罪を犯したことを示すものだった。マナティーが思わず呻く。
「〝聖なる神々に対する冒涜罪〟…あんた、いわゆる魔術師か」
魔術師。魔術を使う人のことではなく、『奇妙なことをやっている奇妙な連中』がひっくるめてそう呼ばれる。天文学者なんかはその最たる例で、星の観察に必要な器具を所持しているだけで一家全員に重罰が課されるらしい。らしい、というのは、ネルソンは勿論のこと、マナティーも実際に魔術師を見るのは初めてだったからだ。
「魔法なんて使えないけどね」袖を戻しながらヴィクターはまた苦笑する。「神聖連盟に加盟している国では天体観測なんてしちゃいけない。けど僕は貧乏だから他に移住なんてできっこなかったんだ」
「それでばれて捕まったと」ネルソンが引き継いだ。「あんた、中々の根性だな。神聖連盟に歯向かおうなんざ」
「別に歯向かおうとしたわけじゃないよ。僕はやりたいことをやってただけ。それに」ヴィクターは言葉を切り、ちらりと2人を見た。「君達の方が大した根性だよ。この船を乗っ取ろうなんて正気かい?」
「なにも俺達だけでやろうってわけじゃない」ニヤリと笑ってネルソンは訂正する。
「ここにいる奴全員に協力してもらうつもりだ。無論あんたにも手伝ってもらうぜ、ヴィクター」
それを聞いたヴィクターは目を見開いた。周囲に目線を向け、声を潜める。「僕は構わないけど…他の人が協力してくれるかな?」
ネルソンは自信満々に「そこは考えてある」と答えた。と同時に、カチャリと小さな金属音が鳴り、ネルソンの両足は自由となった。
「ありがとさん、マナティー」彼が足首をさすりながら礼を言い、それを聞いたマナティーは憮然とした顔で今度は自分の足枷を外しにかかった。
照れ屋さんめ。
ネルソンは笑いを堪えてゆっくりと立ち上がり、「必要な物を取ってくる」と言い残して牢獄を後にした。
枷の鍵は手に入れた。
自分の持ち物も取り返した。
ありがたいことに、どれもこれも同じ部屋にあったことが幸いした。日はとっくに沈み、月明かりもない。船の各所に設けられたランタンが唯一の光源だった。乗組員の大半は眠りについているらしく、人の気配が全くない。ことをなすには絶好の機会だった。
ネルソンは奪ったランタンを頼りに、抜き足差し足でマナティー達が待つ船底の牢獄へと続く階段を下りていく。行きとは違い、船尾側の階段を使った。誰とも出くわさなかったが、船底に辿り着いたとき、自分らのいた牢とは違う部屋のドアを見つけた。船の大きさと牢の広さを鑑みるに、この部屋はそんなに大きくないはずだが…。
酒でも置いてあるかもしれない。
期待に胸を膨らませて鍵をこじ開けにかかる。剣を突き刺し、てこの原理よろしく金具ごと破壊し、ドアをけ破った。剣を仕舞いこみ、うきうきで侵入したが、酒はなかった。
そこは奇妙な場所だった。ドアの先に、また格子状の扉があり、そこに誰かがうずくまっている。身体が小さく上下しているから死んではいないようだが、こんな所にいて元気いっぱいというわけでもないだろう。そっと近づいて様子をみる。顔を見ようとランタンをかざして、ネルソンは仰天した。
女性だ。いや、その美しさに驚いたのではなかった(確かにびっくりするくらい綺麗だけど)。原因は彼女の身体だ。腕、脚は赤い鱗で覆われ、指先には鋭いかぎ爪が生えている。背中には、広げたら自らの身長ほどもありそうな翼が生えていた。顔と、腰巻と胸当てを付けていること以外は、人間とは何もかも違った。
「獣人族…」ネルソンは思わず呟いた。地表のほぼ全てが森林地帯だと言われているボルトリール大陸。その奥地には、人と獣が混じりあったような外見をしている種族がいると、ネルソンは本で読んだことがある。伝承の類だと当時は気にも留めなかったが、まさか実在していたとは。
しばらくボーっと見とれていると、彼女がピクリと動いたのが分かった。ネルソンは即座に距離をとり、さも「今入ってきましたが、何か?」という顔をした。
彼女はゆっくりと起き上がり、すぐそこにいる怪しげな青年を視界に捉え、顔をこわばらせた。それを見たネルソンは両手を上げる。自分に害意はないという意思表示だ。
「こんばんは」何を言うべきか迷ったが、あいさつは基本だ。通じるか分からないけど。「俺はネルソン。ネルソン・エイハブ。安心して、俺はこの船の人間じゃない。君と同じだ」
彼女はまじまじとこちらを見つめていたが、どうやら信用してくれたようだった。
「…私はエリー。エリー・アーデル」ややぶっきらぼうだったが、名乗ってはくれた。エトルシ語が通じてよかったと、ネルソンは安堵した。「よろしく、エリー」
「あなた、どうしてここに?あなたも奴隷なんでしょ?」エリーが問いかける。
「あ、そうそう、俺達今からこの船乗っ取るんだけど」ネルソンは質問には答えず、遊びに誘うかのような感覚で提案する。「協力してくれないか?勿論、成功したら君は自由だ」
エリーの顔つきが変わった。彼女の表情がみるみる険しくなり、ネルソンは少したじろぐ。
「馬鹿言わないで。失敗したら私まで酷い目に遭うじゃない。それに」エリーは冷たく言い放つ。「私は家族も故郷も人間に奪われた。だから残念だけれど、人間に力は貸さない」
そう言って彼女は唇を噛みしめる。その苦しみと怒りは、どんな言葉をかけたところで消えるものではないと、ネルソンは感じ取った。
エリーはそっぽを向き、足枷を動かす。ネルソン達が付けられていたものよりもずっと太い鎖だった。ネルソンはポリポリと頭を掻いた。こういう空気は本当に苦手だ。特に、女の子が苦しんでいるのに何も出来ないこの歯がゆい感じは。
「そっか、残念」それだけ呟き、檻に近づく。「じゃあそれとこれは別ってことにしといてくれ」
ネルソンは再び剣を抜き、鉄格子の扉を薙ぎ払った。それが崩れ落ち、大きな音を立てる前に手で掴み取る。それを床に置き、彼の所業に驚いたままのエリーの足枷を鍵で外し、彼女の足を自由にした。
「恩を売るつもりはない」ネルソンはそれだけ言って踵を返す。「日が昇る頃にはこの船は俺達のものだ。その間にどこに行きたいかくらいは考えといてくれ」
エリーの返事を待たずに、彼は部屋から飛び出した。
「さてさて諸君、パーティーの時間だ」
元の牢獄へと戻ってきたネルソンは、大げさに立ち上がり両手を広げた。
「俺の名はネルソン・エイハブ。この船をいただこうと思っているんだが、人手が足りなくてね。是非君達の協力を仰ぎたい」
彼らは笑えるほど無反応だった。どよめき1つ起こさず(いや、起こされたら困るのも確かなんだけどさ)、ボケーっとこちらを見ているだけ。ネルソンは若干いらついた。
「いや、あの、紳士諸君?聞こえてますかね?」苛立ちを抑えつつ再度話しかける。しまった。もしかしてこいつら、言語が違うのか?
苛立ちが焦りになりつつあったとき、
「どうせできっこねぇよ」と言う声がボソリと聞こえたので、彼の焦りは霧消したが、内容が聞き捨てならないものだった。
「なぜできっこないんだ?根拠を言ってみろ、ボソボソ君」
「あんた、ゴンザレス船長の能力を知らないな?」また違うところから、やや甲高い声が聞こえた。「あいつは何か奇怪な能力を使って人を殺せるんだ。前に船長に逆らった奴隷が一瞬で干からびて死んだ」それを聞いた皆が一様に怯えた表情をした。「分かっただろ?俺達もあんたも、逆らったら命がねぇぞ」
あいつスキル持ちか、とネルソンは小さく舌打ちした。スキルとは、人間が発現させることのできる超自然的な力のことだ。正直天文学なんぞよりよっぽど魔術師じみていると思うが、発現する人間とそうでない人間がいること、能力そのものにも『当たり外れ』というものがあることからほぼ全ての国家では黙認されている。せいぜい、スキルを悪用した際に刑が重くなるくらいのものだ。
「それに買い手次第じゃ奴隷生活も悪くないと聞いたことがある」これまた別の方から声がした。「わざわざ危険を冒してまで自由にはなりたくない」
そしてまた沈黙が訪れた。奴は腐っても商人、商品の扱いは心得ているというわけだ。1人見せしめにして恐怖で従わせてるってわけか。
彼らの言葉にネルソンは大いに呆れた。大きく息を吐き、残酷な事実を突きつける。
「お前ら、諦めてこのまま誰かに買われたら楽になれるとでも思ってんのか?おめでたい奴らだな。どこで買われたって結末は変わらん。最期はみんな同じ、使い物にならなくなったら農場の肥やしになるか、貴族のペットの餌になるかの二択さ」
「ネルソン」マナティーは咎めるような声を出すが、ネルソンはあえて無視して続ける。
「人間、どうせいつかは死ぬんだ。お前らは自由になれるチャンスをドブに捨てるのか?」
ここまで焚きつけても、何人かを除き、まだ無反応だったり諦めていたりしている奴隷が多い。だが、ここでネルソンは衝撃的な文句を放った。
「じゃあこうしよう。船長を倒せた奴が、この船の新しい船長をやるって言うのはどうだ?」
この一言で空気が一変した。船長、つまりは船の持ち主となることだ。船を売れば大層な金になるだろうし、新しく商売を始めることだってできる。自由になること以上に、それは魅力的だった。
マナティーとヴィクターが大慌てで駆け寄ってくる。「お前正気か、ネルソン!」マナティーが小声で怒鳴りつける。「なんのためにこの船に乗ったんだよ」
「俺が倒せばいい話だろ?俺が後になって『この船は俺のものだ』って言っても、こいつらが不満を全く持たない保証はない。最初からスタート地点を同じにした方が、こいつらの諦めもつく」
「でも、もし他の人がうっかりゴンザレスを倒してしまったら…」ヴィクターがマナティーの懸念を代弁する。
だがネルソンは「そうはならないさ」とだけ言い、再び奴隷達の前に向き直った。
「よぉし、では諸君。交渉成立ってことで、さっそく始めようじゃないか」
そしてヴィクターと共に枷を次々と外していく。マナティーはまだ何か言いたげだったが、結局無言のまま武器を取りに行った。
数分後、ネルソン達は、武器を手にした奴隷達と共に、雄たけびをあげながら甲板への階段を一気に駆け上がっていくこととなる。