7 風術使い
ダンブル中央駅は喧騒に包まれていた。乗客、駅員、ポーターなどが入り乱れて大変な混雑だ。
わたしはフィルに誘導されながら人混みの中を行く。神官服を着たフィルと白杖を持ったわたしに気付いた人たちは、さりげなく道を開けてくれた。カートにわたしたちの荷物を積んだポーターが後に続く。
改札を出たところで声が掛かった。
「フィル様、お待ちしておりました」
体の大きなスーツ姿の男性だった。威圧感に一歩後退る。
「ヒカルちゃん、大丈夫だよ。見た目は怖いけど、この人は領主の護衛の一人だから」
わたしは男性を見上げた。
「初めましてヒカル様、私はクレア・ヴェルデ様の護衛官のニクスと申します」
ニクスは大きな体を折り曲げてお辞儀をした。
「あ、よろしくお願いします」
わたしも慌てて挨拶した。
「ここからは別行動だよ。安心してニクスについていって」
フィルはカートからひょいと自分の荷物を取り上げると、わたしの肩をぽんと叩いた。
「何かあったら必ず連絡するから、領主館でおとなしくしててね」
フィルは駅の出口に向かって歩き去った。
ニクスの誘導で、わたしたちは別の方角に向かう。人気の少ない関係者専用通路のようなところだ。
「一般客の利用できない、地下の駐車場に車を待たせてあります。狭い通路を通りますが、我慢してください」
ニクスは大柄だが話し方や態度はとても穏やかで誘導の仕方もうまかった。
「こちらが無理をお願いしたのに、お気遣いいただきありがとうございます」
わたしは歩きながら軽く頭を下げた。ニクスは言う。
「そんなに畏まらないでください。領主のお客様であるあなたは、使用人のわたしに敬語を使う必要もないんですよ」
フジミヤ家にもたくさん使用人がいたので接し方は分かる。でもわたしがいきなり押し掛ける形になっているので、気が引けてしまうのだ。
「分かりました。できるだけ畏まらないように頑張ります」
ニクスからは微妙な空気が漂ってきた。自分でもおかしなことを言っている自覚はあるが、他に言葉が浮かばないのだ。
わたしたちは迷路のように入り組んだ通路を通り、エレベーターで地下に下りた。最低限の照明しかない駐車場は薄暗いが、広くて平らなので躓くことはなかった。
少し歩いたところに黒い車が停まっていた。前のドアには三つ葉のクローバーが描かれている。
「私は助手席に座りますが、ヒカル様は後部座席にどうぞ」
車のドアを開けながらニクスが言った。ドアが開くと車内に灯りが点る。運転席と後部座席の奥に見知らぬ人たちがいた。
「自己紹介はあとでするから、気を付けて車に乗れ」
奥にいた男性がわずかに身を乗り出し、わたしに手を差し伸べた。一瞬躊躇したあと、白杖を左手に持ち替えてその手を取り、ゆっくりと座席に座った。後方では、トランクルームに荷物を積み込む物音がする。
全員が車に乗り込み準備が終わると、わたしの隣にいる男性が指示を出した。
「このまま領主館に向かうが、一度丘の下で車を停めてくれ」
「畏まりました」
運転手が答えると車は滑るように走り出した。
「初めましてヒカル、俺はアレックス、領主の息子で雑用係だ。運転手はマイク、よろしくな」
アレックスは茶色の髪のわたしより少し年上に見える男性だ。
「よろしくお願いします」
わたしはぺこりと頭を下げた。
「そんな硬くならなくていいって。領主が俺をヒカルの案内係にした。一緒にいる時間が長くなると思うし、気楽にしてくれていいから」
わたしは数回瞬きを繰り返した。
「あの、わたしはお世話になることですし、領主館まで案内していただければ十分なんですが……」
わたしはできるだけ誰にも迷惑をかけたくない。
「残念ながら領主が君に興味津々だから、ひっそり領主館に滞在……ってのは無理だから諦めろ」
アレックスは楽しそうに笑いながら言った。わたしは自分の顔が強張るのを感じた。
「あ、もちろんお手伝いできることがあれば、何でもしますが……」
慌てて言った言葉をアレックスは途中で遮った。
「いやいや、客に手伝いなんてさせないって。そういうことじゃなくて、領主に構い倒されると思うから覚悟しろってこと」
わたしは意味が分からなくて首を傾げた。領主は多忙な筈だ。いきなりやって来た人間に、構っている暇があるとは思えない。
「領主は君みたいな女の子が、大好きなんだ」
わたしはその場で硬直した。
「あ、悪い……そういう意味じゃなくて、君みたいに力のある子がって意味だ。特に今この島では魔導師が不足しているからな」
エール島は世界でただ一つの、魔物の棲まない場所だ。つまり魔導師もそれほど必要とされないと聞いたのだが……。
「実は最近、島に魔物が持ち込まれてる」
アレックスの言葉に目を見開く。
「誰がそんなことを……」
わたしは思わず呟いた。アレックスもため息を吐く。
「見世物ショーをやる奴らだ」
わたしは息を呑んだ。
「魔物なんて、大半の人間は見たいと思わない」
わたしは深く頷いた。
「でも一部に悪趣味な奴らがいて、魔物やら珍獣やら普段見られないものを見たがる」
わたしは魔物を自由に操れると勘違いしている人たちの愚かさに戦慄した。
「あー……いきなり不愉快な話を聞かせて悪かった。今のところは情報が入り次第潰してるし、被害も出てないんだが……まあ、そういうこともあって、領主は君に並々ならぬ興味を持っている」
魔導師として意見を聞きたいということだろうか。わたしにできる範囲で協力したい。
「そろそろ丘の下に到着しますよ」
ニクスが助手席から声を掛けた。車がゆっくりと速度を落として停止する。
ニクスが素早く助手席から降りて、わたしの横のドアを開けてくれた。
「ヒカル様、足元にお気を付けください」
ニクスの手を借りてわたしは車を降りた。
目の前に見えたのは天を衝く巨大な建造物だった。青空を背にすうっと伸びた黄色い矢印がまっすぐ天を指している。長方形の上に三角を乗せたような、上向き矢印形だ。
「…………」
わたしは絶句した。シンプルなデザインなのにこれだけ衝撃を受けるものなのか……。
「驚いただろう? あれが領主館だ」
いつの間にか横に並んでいたアレックスが言った。
「ええーーーっ!?」
わたしは絶叫した。領主館という言葉の響きで、古い城のようなものを想像していた。何だか騙された気分だ。アレックスはわたしを見て笑っている。
「ビルの上の三角の部分はピラミッド形で、天辺付近が領主一族の居住エリア、下の方が職員寮になっている」
わたしはため息を吐いた。あんな奇抜な建物で期間限定とはいえ暮らすのかと思うと少し気が重い。
「アレックスー!」
いきなり大声が聞こえたかと思うと、誰かが駆けてくる足音がした。風のようにやってきたのは銀髪の少年だった。
「ずるいよアレックス! 俺も一緒に行きたいって言ったのに」
どうやらアレックスの知り合いのようだ。
「客の前でその態度は何だ?」
アレックスがたしなめる。
「あ、ごめん。……ヒカル初めまして、俺はリアン、アレックスの弟だよ」
リアンはにこにこと笑いながら右手を出した。わたしが軽く握るとぶんぶんと大きく振られた。
「車の位置を確認して迎えにきたんだ。じゃあ、早速……」
リアンの言葉をアレックスが慌てて遮る。
「待て待て待て! 車でもそんなに掛からな……」
アレックスの言葉に今度はリアンが被せた。
「ヒカル、最速で領主のところに連れてくからね」
わたしが何か言う前にリアンは握ったままだった手を引いた。わたしはリアンに向かってよろめき、リアンは片腕をわたしの腰にしっかりと回した。
「こら、人の話を聞け!」
アレックスが怒鳴るが、リアンは全く意に介していないようだ。
「ヒカル、しっかり捕まっててね。行くよ!」
一瞬ふわりと浮き上がり、わたしは慌ててリアンにしがみつく。
「すぐ終わるから、怖かったら目をつぶっててね」
言葉の直後、強烈な風にさらされた。竜巻に巻き込まれたらこんな感じだろうかと思うような、暴力的な風だ。もう何が何だか分からない。恐怖のあまり叫んだが、自分の声さえ聞こえなかった。
どれくらい経ったのか、我に返ったときわたしは固いものの上に立っていた。あれほど吹き荒れていた風も感じない。
「領主館に着いたよ」
リアンの言葉でわたしは顔を上げた。しがみついていた腕を離す。
辺りを見ると建物の中だった。落ち着いたグリーンのカーペットが敷かれ、ベージュ色のソファがあちこちに置かれている。ここはあの矢印の先端付近なのだろうか。
わたしは自分がしっかり立てることを確信したあと、リアンの腕から抜け出した。
髪に手をやると、くしゃくしゃになっているのが分かった。ショルダーバッグにはブラシが入っていないので、何とか手で撫で付けようと奮闘する。
「俺が梳かしてあげるから、おいで」
リアンは優しく言ったが、そもそもの原因を作った張本人にすがるつもりはない。わたしは一歩リアンから離れた。
髪は思い通りにならず、わたしは苛立ちを募らせた。リアンの気配が近付く。
「ほら、いいからおいでって」
リアンが距離を詰める分わたしが離れる。いつの間にか壁に追い詰められた。
逃げ場がなくて焦っていると、目の前で鈍い音がして、リアンが倒れる。
「馬鹿リアン! 緊急の場合以外は、他の人を連れて飛ぶなっていつも言ってるでしょ!」
女性の怒声が響く。倒れたリアンがもぞもぞと動いた。
「痛いな! 靴なんて投げるか普通!」
わたしの目の前にやってきた女性は、リアンを無視して口を開いた。
「うちの馬鹿息子が無茶してごめんなさいね。わたしがクレア・ヴェルデよ」
クレアは背の高い女性だった。アレックスと同じ茶色の髪を長く伸ばしている。わたしは両手で頭を押さえながら答えた。
「初めまして、わたしがヒカル・フジミヤです。しばらくお世話になります」
クレアはにこりと笑った。
「話はフィル様から聞いてるわ。部屋に案内するから付いてきて。それから髪は気にしなくていいわ」
わたしは頭から手を離し、折り畳んでバッグに入れていた白杖を出すと、クレアの誘導で歩き出した。リアンは一人置き去りだ。
「ええっと、リアンさんはあのままで大丈夫なんでしょうか?」
わたしはいい人振って訊いた。
「大丈夫よ、あの子は石頭だからすぐに復活するわ」
わたしは決してこの人を怒らせまいと、固く心に誓ったのだった。
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