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6 西大陸の車窓から

 あれからタクシーで駅に向かい、発車間近の夜行列車に乗せられた。ここまでしないといけないのかと思ったが、レイの存在の重要性を思えばフィルの行動も理解できた。

 コンパートメントには隣室との壁に沿って2つの長椅子が向かい合わせに設置されていた。それぞれの椅子の上には、厚みのある毛布と柔らかそうな枕がある。窓の外の景色は完全に夜で、時折流れ過ぎる灯り以外は真っ暗だった。

 大して広い部屋ではないが、長椅子の座り心地は最高で、人一人が十分足を伸ばして眠れるほどの広さがあった。

 わたしは乗車時にフィルからもらった箱を、窓の下に取り付けられた折り畳み式テーブルに置いた。箱からはいい匂いが漂っている。

 上着をハンガーに掛けてから、長椅子に座り箱を開いた。芳香が辺りに広がり、空腹でお腹が鳴った。よく考えてみれば、サンドイッチ以来何も食べていない。

 まだ温かい大きなハンバーガーとフライドポテトにコーラ、さっきフィルが構内のファーストフード店で買ってくれたものだ。

 わたしはコーラを一口飲んでからハンバーガーにかぶりついた。肉汁がじゅわっと溢れ出て、肉の旨味が口の中に広がる。フライドポテトも外はかりっと中はふんわりでファーストフードにしてはなかなかの美味だった。

 満足したわたしは室外にある洗面スペースで洗面と歯磨きを済ませ、毛布の中に潜り込んだ。疲れていたせいか、すぐに眠りに落ちた。


 翌朝目が覚めると、一瞬自分がどこにいるのか分からなくて戸惑った。でも規則正しい列車の音と揺れで昨夜の記憶が甦る。

 カーテンを開けたままの車窓からは広大な草原が見えた。列車はうっすらと見える山脈に向かって走っている。青空には白い雲がぽわわんと浮かんでいたが、村や町や人の生活を感じさせるものは何も見えなかった。

 昨晩部屋の前で別れる前に言われた通り、わたしは支度を整えると隣のコンパートメントを訪ねた。

 フィルは朝食を用意してわたしを待ってくれていた。

「おはよう、ヒカルちゃん」

「おはようございます」

 挨拶を終えると、わたしは勧められるままにフィルの向かいに座った。テーブルの上にはサンドイッチとオレンジジュースが載っていた。

「この列車は風術を使った超速夜行列車で、設備や食事より速度重視なんだよ。あんまりいいものがなくてごめんね」

 申し訳なさそうに告げるフィルにわたしは首を振った。

「いえ、食べられるだけで十分です」

 本当は昨日からまともなものを食べていないので、少し残念に思ったが贅沢を言える立場ではない。

 サンドイッチはパンがぱさぱさしていてあまり美味しくはなかった。オレンジジュースで喉に流し込む。

「ヒカルちゃんには、ダンブルに着いたら領主館(マナーハウス)に滞在してもらう。あそこの居住エリアは構造上、部外者は近寄れないからね」

 わたしは困惑した。レティンソンのことを調べたときにエール島についても一通り学んだ。面積はリューテ島の約半分で、人口は90万人。治めているのはヴェルデ家という領主一族で、現当主は30代の女性だった筈だ。

 わたしの困惑を感じ取ったのかフィルが説明する。

「最初は大神殿にいてもらおうかとも思ったんだけどね、マイアちゃんが真っ先に突撃してきそうだから却下した」

 わたしにはその光景が容易に想像できて口許が緩んだ。でもマイアと気まずいままなのを思い出す。

「マイアとちゃんと話したいんですけど、しばらくは無理ですよね?」

 わたしの問いにフィルは息を吐いた。

「念のために、1週間は隠れててくれるかな? マイアちゃんはうまく丸め込んでみせるから」

「……」

 神官とは思えない言葉に、わたしは返す言葉が見付からない。

「それと、どの土地でもそうだけど、大神殿と領主館は密接に連携してるから、現領主とも知り合いなんだよ」

 この世界において国と呼べるのは神王国ただ一つだけ。西大陸の中央部山中に存在するそこは、神王のおわす聖域、一般人が簡単に立ち入ることはできない。

 神王国以外の場所には国境もなく地方ごとに領主か知事がいる。領主が世襲によって代々受け継がれるのに対し、知事は選挙によって選ばれる。

「現領主のクレア・ヴェルデはとても面倒見がよくて好奇心の強い人でね、ヒカルちゃんのことを話したら、理由も聞かずにいつまででも預かるって言ってくれたよ」

 フィルがわたしのことをどういう風に話したのかがとても気になるところだ。

「ええっと……でもわたしは領主様に会ったこもないですし、ダンブルの街も初めてなので何と言っていいか……」

 正直に言って不安だった。初めての街、初めての人たち、ゆっくりと馴染んでいけばいいと思っていたのに、いきなり大物と会うのは気後れがする。

「ほんと、不便かけてごめんねー。お詫びと言ってはなんだけど、ヒカルちゃんが読みたがってる原文の創世記、できるだけ早く読めるように便宜を図るよ」

 わたしがなぜレティンソンに行きたかったのか、その理由は神が世界を創ったときのことが忠実に書かれているという創世記の原書の写本が、レティンソンの図書館群にあると聞いたからだ。この話を昨日、着鏡(ちゃっきょう)の部屋でフィルに話すと、写本は今ダンブル大神殿の書庫の奥深くに保管されているのだという。

 創世記の原書は教典の中でも特殊な扱いだ。読むためにはダンブル大神官の許可が必要で、通常申請しても許可が下りるのに半年はかかるとのことだった。その手続きを簡略化してくれるとフィルは言っているのだ。

「領主様のお世話になります! よろしくお願いします!」

 気が付けば勢い込んで答えていた。

 わたしが今まで読んだ創世記は何冊かあるが、どれも内容が全く違っていた。フレミアに理由を訊ねると、出回っている創世記は大幅に脚色や改編が加えられていて、原書とは全く異なるという。原書の内容は重大過ぎて話して聞かせることはできず、希望者は写本を読むしかないとのことだった。

「納得してもらえてよかった。クレアさんはいい人だから、ヒカルちゃんも快適に滞在できると思うよ」

 フィルは言うと、うーんと伸びをした。

「ごめんね、ずっといろんな手配をしてて寝られなかったんだ。ちょっっと寝てもいいかな? ランチはヒカルちゃんのコンパートメントに運ばせるように手配済みだから」

 フィルはわたしの返事を待たずに横になってしまった。

「おやすみなさい」

 わたしは小声で言うと自室に戻った。窓際に座り、ぼんやりと外を眺める。景色は草原から山岳地帯へと移っていた。

 外を眺めていてもトンネルが多くて面白くない。仕方なくわたしはキャリーバッグの中から本を取り出し、ルーペを使って読み始めた。ルーペがないとわたしはほとんど字が読めない。

「……」

 列車の揺れで読みにくく、集中するのが難しい。わたしは読書を諦めてため息を吐くと、体を背もたれに預けて軽く目を閉じた。

 今頃マイアはどうしているだろう。マイアが今朝受け取るようにフィルがホテルでメッセージを残したらしいが、内容は教えてもらえなかった。

 マイアが借りた変てこな車の方が、この列車よりはるかにスピードが速い。大陸内の長距離移動は列車か船がメインなので、列車に乗ったであろうことは誰だって予想できる。マイアがダンブルの駅で待ち構えていたら、フィルはどうするつもりだろう。

 考えても仕方がないと目を開けたとき、飛び込んで来たのは澄んだ青と光の乱舞だった。海の色よりは淡い青が太陽の光を反射してきらきらと光っている。列車は飛ぶように長い橋の上を進んでいた。

 向こう岸が見えないほど大きいが、恐らく湖なのだろう。わたしは子供のように車窓に張り付いて幻想的な光景を見つめた。

 カメラを持っていないことが悔やまれる。視力が弱く写真がうまく撮れないので、自分用のカメラを持っていないのだ。せめて右目に焼き付けようと見ていると、湖の中に建物のようなものが見えてきた。

 真っ白に輝く大きな建物、わたしは慌ててショルダーバッグから単眼鏡を取り出した。ルーペが近距離用なのに対して、単眼鏡は遠距離用だ。

 白い建物は城のようだった。一番外側に壁を巡らせ、中には高さの違ういくつもの尖塔が見えた。

 細かいところまで見えないのがもどかしい。近付きたい気持ちで無意識に体を前に出すと、単眼鏡の先が窓にごつんとぶつかった。

「いたたたた……」

 わたしは単眼鏡をテーブルに置くと窓を睨み付けた。この列車は高速走行のため、窓が開かないようになっている。せめてあれが何なのかを知りたい。そう思っているとドアが控えめにノックされた。

「お客様、昼食をお持ちしました」

 咄嗟に腕時計を見ると、もう昼前だった。わたしは慌ててドアを開ける。ワゴンを押したメイドのような服装をした女性が立っていた。

 女性はランチプレートとグラス、ワインのハーフボトル、ミネラルウォーターを置くと一礼して部屋を出ようとした。

「あの、この列車は初めてなんですが、さっき湖の真ん中に見えた白い建物は何ですか?」

 女性は考えるような間を置いて言った。

「ああ、神王国ですよ。この辺はよく霧がかかって見えないことが多いんですが、お客様は幸運でしたね」

 驚愕に目を見開くわたしを残して、女性はもう一度礼をしてから部屋を出て行った。

 確かに以前、神王国と言っても敷地は王宮だけなのだと聞いたことがある。でもその王宮が湖の真ん中にあるとは思わなかった。

 窓を見やると湖は既になく、代わりに険しい山々が出現していた。

 一瞬目をつぶって白い王宮に思いを馳せたあと、わたしは昼食に取り掛かった。

 チキンのグリルにほうれん草のソテーとマッシュポテト、パンと特別変わったものではないが、きちんとした食事が久し振りだったので美味しかった。

 食後はワインを飲んだせいもあり、夢と現を行ったり来たりした。

 意識が完全に覚醒したのは、ドアをノックする音が聞こえたからだった。

「ヒカルちゃん、いる?」

 フィルの声だ。ドアを開けると、フィルは部屋に一歩踏み込み窓を指差した。

「ほら、もうすぐエール島に渡るよ」

 列車は丘陵地帯を走っていた。街を囲む高い壁が線路に沿って延びている。列車の先に見えるのは、真っ青な海だった。近付いてくる海を見ていると、急に列車が地面より低くなった。

「わっ」

 わたしがびっくりしていると、フィルがくくっと笑った。

「海底トンネルだよ」

 窓から見えるのは暗闇だけだった。地下鉄によく乗っていたので、こういうトンネルに違和感はないが距離が長い。

 何となく不安な気持ちなってきた頃、だんだんと明るくなり列車はトンネルから抜け出した。

 今までの西大陸の風景とは一線を画していた。緩やかに起伏のある地面は緑に覆われ、ちらほらと明るい色の屋根の民家も見える。緑の上に点在する白いものは羊だろうか。

 やがて民家の数が徐々に増え、そこにビルや工場らしきものも混ざり始めた。

「ヒカルちゃん、魔物のいない島、エール島にようこそ」

 フィルが歓迎の言葉を口にした。



次回の更新は3月19日の予定です

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