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3 炎と影

少し残酷な表現があります

 倒れている二人は無視して意識を広げる。この階に他の気配はない。

 階段に目を向けたとき、嫌な気配とぶつかった。人であって人でないような、不気味な何か。背筋が粟立ち戦慄が走る。

 わたしは右手小指の指輪も抜いた。

「階段から、何か降りてきます。ここは地下みたいで、他に逃げ場はありません」

 立場がレイより上だと判断して、わたしは神官に向かって言った。

「廊下に出て、わたしが迎え撃ちます」

 言って歩き出したところで、キャリーバッグに躓いた。横倒しになっていて、わたしの視野に入らなかったのだ。

 倒れる……体を固くした直後、優しく抱き止められた。

「つくづくお前はめちゃくちゃな奴だな、俺が前に出るから、お前は後ろにいろ!」

 頭上からレイの声がした。鼓動が一気に跳ねる。今まで父やフレミア以外の男性に抱き締められたことがなく、全身が緊張する。

「わ、分かった」

 (つか)えながらも何とか返事をし、自分から体を離す。加速した鼓動がどくどくと胸を打った。

 レイはわたしの左手を掴み、自然な動作で部屋の外まで誘導した。ドアの前には倒れた人がいた筈なのに、いつの間にか通り過ぎていて不思議だった。

 レイはわたしに背を向けて、階段のある方を向いた。階段は廊下の突き当たりを右に曲がった先にある。気配は一つだけだが妙に動きが遅い。

「音も匂いもないね……」

 わたしは呟いた。階段まではそう遠くもないので、足音など存在を示す何かを感じてもおかしくはない。それと不愉快なことに魔物というものはたいてい臭い。

「嫌な予感がする……」

 レイが小声で言うと同時に、気配が消えた。一瞬後同じ気配がわたしの背後に現れる。

「っ!」

 わたしは反射的に振り返るが、何も見えなかった。気配は感じるので位置は分かるが、相手がどういうものかを理解できないと魔法攻撃が難しい。

「影か……面倒な」

 レイが鋭く言いながらわたしを引き寄せた。

 レイの言葉と目の前の不気味な気配から、わたしはこれが人の影なのだと判断した。

 すべての生物が影を持つ。通常、影だけを切り離すことはできない。例外として闇術(あんじゅつ)と呼ばれる邪法では、術者が自らの影を切り離し自由に動き回れると聞く。

 通用するかどうかは分からないけれど、ちょっと焼きを入れてみよう。わたしは杖を左手に持ち替え、右てのひらの上に火球を形作り、躊躇せずに影の中心に向かって放った。でも何の手応えもない。

「あ、やっぱり無理か……」

 影とは形のないもの、どんな攻撃も通用しない。影と対したのは初めてなのでちょっと試してみたかっただけだ。

 確か影は封印するか、影止めという特殊な神具でその場に縫い止めるかしかなかった筈だ。どちらにしても、わたしにはできない。

 足手まといになるくらいならと、じりじりと移動し元いた部屋に戻ろうとする。

「駄目だ、側にいろ」

 なぜかレイに引き留められた。

「これはただの影じゃない。影ならもっと気配が薄い」

 禍々しく、離れた場所でも感じるこの気配は、普通の影のものではないということか。

 わたしは頭の中の知識を引っくり返して、役に立ちそうなものを探す。結果、脳内がぐちゃぐちゃに散らかっただけだった。

「……」

 レイは何を考えているのかじっと動かない。時間だけが過ぎる。

「さっきより強めの火球を、影の上部へ!」

 レイが早口に言った。わたしはほとんど考えることなく、言われた通りに火を放つ。

 今度は確かな手応えを感じた。

「ぐぇぇー!」

 薄気味悪い叫び声がして、気配が変化した。炎に包まれた何かが急に現れ、廊下をのたうち回る。

 レイがのんびりと歩いて行って、のたうつものを足で踏みつけた。

「ぐぁぁぁー!」

 また叫び声がして、数秒後炎が消えた。

「これは闇に堕ちた元神官か何かだな、どう見ても小物のくせに、何で影に擬態なんてできるんだ?」

 レイはのたうっていたものを蹴りつける。今度は悲鳴も聞こえなかった。

「ええっと、レイ……死なれると困るから、それくらいにしといてくれるかな?」

 神官がいつの間にか部屋から出ていた。

「こんな奴、死んだ方が世の中のためだ」

 レイの声は氷点下の冷たさだった。わたしの傷を治してくれた時との落差が激し過ぎる。

「まあまあ、尋問しなきゃだし、とにかく退いて」

 腕を引っ張られてようやく足を下ろしたレイだが、最後の一蹴りを忘れなかった。

「……」

 神官はしゃがみ込んで何やらぶつぶつ呟き始めた。レイがわたしの方に歩いてくる。

 思わず一歩下がったが、レイはお構いなしにわたしの手を掴んだ。

「フィルが部屋で倒れてる二人を拘束済みだろうから、戻るぞ」

「フィル?」

 レイの言葉を訊き返す。

「あの神官の名前だ」

 通常神官を呼ぶときは、敬意を込めて様を付ける。呼び捨てにするのは神殿に反感を持つ人か、神官と近い立場にいる人だ。

 ちなみにわたしの父とフレミアは年も近く付き合いも長いが、父が呼び捨てにするのを聞いたことはない。

 そしてやっとわたし自身がまだ名乗っていないことを思い出した。

「あ、わたしはヒカル」

 慌てて言ったがレイは特に反応を示さず、わたしを引っ張って鏡の部屋に戻った。わたしは安堵の息を吐き、外していた指輪を嵌め直す。銀杖は白杖に戻った。

 倒れた男性二人は、部屋の奥の端に転がされていたが縛られている様子はなかった。

「怪我してないか?」

 優しい声でレイがわたしに訊ねると、少し身を屈めて顔を近付けてきた。ついさっき躊躇なく人を蹴った人とは思えない。

 わたしはこの時初めてレイの顔を間近で見た。全体的に整った顔をしていたが、特徴的なのは目だった。濃い青をした瞳に見入ってしまう。

「俺の目は、そんなに珍しいか?」

 レイの言葉で不躾なほど見ていたのだと気付き、急に恥ずかしくなった。

「いや、えっと……ごめん」

 頬が熱い。視線を逸らして目に入ったのは、レーゲンヴルムの絵だった。

 内心で絶叫していると、レイに両手で頬を包まれ顔の向きを戻された。

「ま、怪我がないならいい」

 レイはあっさり手を離し、わたしとの間に距離を取って腕を組んだ。

「で、何で光の道でぼうっとしてた? 馬鹿なのか?」

 わたしが完全に忘れていたことを容赦なく訊かれた。

「レイ、女の子には優しくっていつも言ってるでしょ?」

 動かなくなったものを引きずって、フィルが戻ってきた。それを他の二人と同じ場所に放り投げてわたしたちの側に来る。

「もしかして、転位が初めてだったの?」

 フィルが優しく問いかける。

「はい。わたしの家系では18歳になったら他大陸で修行を積むっていう習慣があってそれで……」

 後をどう続けようかと悩み、言葉が止まる。そもそもどうしてレイが怒っているのか分からないのだ。

「普通はね、発鏡(はっきょう)に入った次の瞬間には、もう着鏡(ちゃっきょう)の外に出てるんだよ。光の道が見える人は、ほとんどいない」

 わたしは驚きで目を瞬いた。

「言葉の断片からの推測だけど、ヒカルちゃんは初めての転位で光の道を見て、心を奪われて動けなくなった。そこにたまたま、違法着鏡を見付けようとしていたレイが通り掛かった。ヒカルちゃんの元の目的地へのリンクはもう切れてしまってたから、仕方なくレイはヒカルちゃんを違法着鏡に押し出した。合ってる?」

 レイがため息を吐いた。

「初めてだったら、たぶんそういうことなんだろうな」

 わたしはどうしても気になったことを質問した。

「あのままあそこにいたら、どうなってたの?」

 レイは腕を解き、わたしの側に寄った。

「どこかの着鏡には出られると思う。ただしどの大陸のどの場所かも分からないし、地上からは到達できない流刑地だって可能性もある」

 わたしは身を震わせた。この世界に死刑はない。重罪を犯したものは魔物がいる大洋上の孤島であったり、人の足で登頂できない高山の山頂のような脱出不可能な場所に飛ばされる。

「だぁかぁらぁ、レイ! 女の子には優しくって言ったでしょ」

 フィルがレイの頭を叩いた。

「痛いな、拳骨で叩くなよ! 事実なんだからしょうがないだろ!」

 二人のやり取りに脱力したわたしは、ようやくレイが言っていた恩人という言葉の意味を理解した。

 でも……。

「ええっと、ところでここはどこなんでしょう?」

 二人の動きが止まる。

「さあな、違法着鏡を見付けて飛び込んだだけだから、分からない」

 レイが言った。

「僕もレイが繋げたリンクを辿っただけだから、知らないよ」

 フィルが言った。

「…………」

 これで恩人と言えるのだろうか?

「とにかく、僕はこの建物の中と周りを確認して来るよ。二人はここで待っててね」

 フィルは逃げるように部屋を出た。

「ところでお前、腹減ってないか?」

 取り繕うような話題の転換と、名乗ったのにお前と呼び続けられたことにむっとする。

「そんなにむくれるなって、ほら、うまいぞ」

 レイがにこにこと笑いながら、甘い匂いのするものをわたしの目の前に持って来て振った。食べ物に釣られたりするわたしではない。

 レイから一歩離れてじっとりと見続ける。

「可愛くない女」

 わたしの餌付けに失敗して、レイは部屋の中を歩き始めた。

「ここがどこか、見当もつかないの?」

 レイは歩き回りながら答えた。

「人里離れた場所だってこと以外は分からない……あ!」

「いきなり何!?」

 急に大声を上げたレイに、わたしは噛みつくように訊いた。

「お前のキャリーバッグの猫のマスコット……」

 わたしはバッグにマスコットを付けていない。レイの言う意味が分からなくて途方に暮れた。

「これだ、これ」

 レイがキャリーバッグを無造作にわたしの前に置く。

 オレンジ色のキャリーバッグに真っ白でもわもわしたものが付いていた。何だこれは?

 恐る恐る手を伸ばして触ってみた。柔らかくてもこもことした、猫のぬいぐるみだった。わたしはぬいぐるみだけをバッグから外し、近くでよく見てみた。

「可愛い! でもこんなの知らない」

 わたしは何となくふにふにと猫の髭を引っ張る。すると猫の目が突然光り、真っ直ぐ上に白い光が上った。



次回の更新は3月9日の予定です

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