37 神王の言葉
レイは慣れているのか、平然と酒を飲み下した。光も現れない。
「王宮では特別な行事の前とか、神王から言葉や命令を賜る前に飲むんだけど、今回この酒を用意したのはヒカルを試すためなんだ」
レイが意外なことを言い出した。
「ヒカルは転位鏡の間にある光も見えるみたいだし、名前自体も光を意味してる。どれだけ光に愛されてるのか、確かめたかったんだ」
光は神を意味する。慈悲深い神は多くの人に愛を注ぐ。けれど大きな光に愛されるためには強い精神力も必要となる。
「ヒカルは神王家の人間並みに、光に愛されてるみたいだ。おそらく神術や光術との相性もいいだろう」
レイは真っ直ぐにわたしを見ながら言った。
「神に愛されてるっていうなら、なぜわたしは宿命の子な……」
ドアの開く音がして、わたしは中途半端に言葉を止めた。
「遅くなって悪かった。この部屋の近くでフィンがぐだぐだしてたから、連れてきたぞ」
スーツを着たディーレノールが、誰かの腕を引っ張りながら入ってきた。長い銀髪を後ろでまとめた男性だ。
「ディーレノール様、痛いです!」
この声は……。
「フィン!?」
わたしが大声を上げたので、男性用スーツを着たフィンがレイの向こうに隠れた。
「この状態でヒカルちゃんに男の格好見られるなんて、恥ずかし過ぎる!」
レイはフィンの腕をしっかりと掴んだ。
「兄貴、フィンをおとなしくさせてくれ」
既に席に着いていたディーレノールは、軽く溜め息を吐いてから居住まいを正した。
「フィネセアン・ヴァン、神王陛下の名代である第2王子ディーレノールが命じる。速やかに着席し、話を聞け」
いつもとは違う深みと威厳のある声に、わたしまで体が震えた。フィンは1度跪いて からディーレノールの隣に座る。
初めてではない様子の2人は、グラスの酒を一気に呷った。
「さて、なぜ最上級の浄酒が用意されてたのかは疑問だけど、とにかく話を進める。食事は話の後だ」
ディーレノールがこの場を仕切るようだ。……わたしは気になって仕方ないのに、なぜ2人ともフィンの服装のことには触れないのだろう。
「ヒカル、トイレにでも行きたいのか?」
そわそわしているわたしに、いつもの口調に戻ったディーレノールが訊ねた。直後にゴンという鈍い音がする。
「痛っ! レイ、グラスを飛ばすな!」
ディーレノールは額を押さえて言った。
「兄貴はデリカシーが無さ過ぎる。ヒカルはフィンの格好が気になってるだけだ。そうだろ?」
わたしが頷くと、レイは苦笑を漏らした。
「ヒカルの夕食の時の服装は、特に問題ないと思ったから連絡しなかったけど、フィンには「正装でこい」って言ったんだ。つまりはフィンにとっての正装がこれだ」
向かいの席から諦めたような溜め息が聞こえた。
「特別室に正装でって言われたから、神王陛下からのご指示があるかもって思ったんだよ。それで心は男の僕は男の格好じゃないと正装にならないと思って、スーツを着たわけなんだよね」
グレーのスーツ姿のフィンは、髪は長いけれど女っぽさは全く感じられない。声を聞かなければ、わたしには同じ人だと分からない。
「違和感があるかも知れないけど、今だけだからちょっと我慢してもらえないかな?」
理由を知りたかっただけなので、わたしは軽く頷いた。
「全く、調子が狂う奴らだ。神王陛下の命令を伝える」
わたしは座り直して背筋を伸ばした。
「お前たちが神官襲撃犯を追跡して以降の塔で見たこと、聞いたことに関して、今後神王陛下の許可が下りるまで一切の口外を禁止する。それからお前たちが遭遇した謎の存在に関して、現時点では何も教えることはできない。お前たちが再び彼の存在と見えるためには、まずお前たちが抱える宿命に打ち勝つ必要がある。それができたなら、彼の存在について神王陛下から直々に説明がある。以上だ」
室内がしんと静まり返った。これでは結局何も分からないままだ。
「雨が止んだら3人とも行動は自由だ。塔に再挑戦しても構わないけど、この3人でパーティを組むことは禁じる」
わずかに空気が緩んだ。元々わたしは1人で自由に動き回れないが、行動に制限が掛からなくてよかった。
「最後に1つ、神王陛下からのお言葉だ。「どんなに絶望的な状況に陥っても、決して諦めるな。神はお前たちの味方だ」」
また空気が重くなった。この先の人生が思いやられる。1人では心細いが、わたしにはレイが側にいてくれる。
「3人とも一緒にギールで1年過ごすんだろ? 直ぐに気持ちの整理はできないかもしれないけど、学生生活は悔いのないように楽しめ」
ディーレノールの言葉にレイが反応した。
「何でフィンも一緒なんだ? 休学してるとか聞いたけど、どういうことだ?」
フィンは笑って言った。
「レイがいないと、一部の子たちが僕を苛めるんだもん。だから適当な理由をでっち上げて休学したんだよ。レイがヒカルちゃんと一緒に戻るって聞いたから、僕も復学しようと思ってね」
レイは頭を抱えてしまった。
「フィンは苛められっ子のタイプじゃないように思うんだけど……」
フィンはヴァン家現当主の孫であり、最高クラスの風術師だ。誰にだってそう簡単には負けないだろう。
「僕が女の子の格好をしてるから、勝手に弱いと思い込んでる子たちがいるんだよ。変態とか女男とか言って苛めるんだ。普段は力を封印してるし、油断させるためにわざと言われっぱなしにしてるんだよね」
どうやらフィンの女装は本人の趣味というだけではないらしい。
「苛められたら、気分悪いでしょ?」
わたしが言っても、フィンは笑うだけだった。
「みんな僕がヴァン家の人間なのは知ってるけど、当主の孫だなんて知らないんだよ。将来このことを知ったら、苛めた子たちはどんな顔するんだろうね?」
わたしの背筋が凍り付いた。氷点下の冷気がフィンの周りで渦巻いているようだ。
「もういいか? 食事にするぞ」
ディーレノールがテーブルにあったベルを鳴らすと、ワゴンを押したパオンがドアから入ってきた。
リオンの作った料理はいつも通り美味しかったが、神王の言葉が心に重くのしかかっていたので、ほとんど喉を通らなかった。
「兄貴、ヒカルを連れて先に上がってもいいか?」
ディーレノールが許可を出すと、レイは優雅に一礼してからわたしを抱き上げた。
「んっ!?」
レイは楽しそうに笑う。
「そんなにぼうっとしてたら躓きそうだから、このまま行くぞ」
レイはわたしの部屋に入ると、わたしを抱いたままクッションに座った。大きめのクッションはわたしたち2人を優しく包み込み、気が付くとわたしはレイの膝の上に座っていた。レイが後ろから抱き締める。
「不安になるのは分かるけど、一緒に乗り越えて行けばいい」
耳許で囁くので、自然と鼓動が早くなる。
「ヒカルは1人じゃない、俺が付いてる。そして俺にはヒカルが付いてる」
レイは耳にキスをした。体が大きく跳ねる。わたしは上体を捻ってレイに抱き付いた。
「今夜はずっと一緒にいてほしい……」
1人で寝るのは不安で心細くて怖いけれど、レイがいてくれれば安心できる。
「それは俺に抱かれる覚悟ができたってこと、じゃないよな? どっちにしてもフェリーゼ様との約束があるからできないけど……」
わたしはレイを見つめながら、にっこりと頷いた。
「……はぁ、分かった。添い寝してやるから、寝る準備をしろ。俺も一旦自分の部屋に戻る」
わたしは抱き締める腕にぎゅっと力を入れてから、ゆっくりとレイの膝から立ち上がった。
翌朝は小鳥の囀りで目を覚ました。カーテン越しに太陽の光が見える。
「晴れてる!?」
飛び起きて窓に駆け寄りたかったが、体がびくともしなかった。
「……」
わたしの体は背後からしっかりとレイに抱き締められていて、全く身動きが取れない。眠る前は柔らかく腕を回されていただけなのに、今は抱き枕になったような有り様だ。
「…………」
はっきり言ってとても苦しい。これでよく寝られたものだと思う。体を捩ったり、自由に動く足で軽くレイを蹴ったりしたが効果がない。
「レイ! 苦しいから、離して!」
大声で叫んでみても、レイの寝息すら乱れない。
「レーイー!!」
わたしは渾身の力を込めてレイの足を蹴った。
「っっ!!」
拘束は緩むどころかますます強くなり、呼吸さえ苦しくなってくる。わたしはもう駄目かも知れない……。
薄れ行く意識の中、天使の声が部屋に響いた。
「ヒカル様、ご無事ですか!?」
わたしの背後で鈍い音がした。急に腕が緩み、なぜかベッドから突き落とされる。
「い、痛い……」
わたしはぐったりと床に横たわる。ベッドからは何かを打ち合うような音が続いた。
「レイ、いい加減にしろ!」
また別の声がして、室内が白く塗り潰された。
「あれ……兄貴?」
レイのぼんやりした声が聞こえる。
「ヒカル、大丈夫か!?」
「ヒカル様、お怪我はございませんか!?」
ディーレノールとルーシャが叫びながら駆け寄ってきた。
「ヒカル!?」
倒れているわたしを、ディーレノールは慌てて抱き上げた。
「怪我はないようだけど、衰弱してる。今日は休ませた方がいいな。パオン、そいつを部屋に運んで転がしといてくれ」
パオンがレイを連れていなくなると、ディーレノールはわたしを優しくベッドに下ろした。ルーシャが布団を掛けてくれる。
「毎日って訳じゃないけど、ストレスが溜まってたりすると、レイは手近にあるものをぎゅうぎゅうに締め付けて眠るんだ。昨日のことが意外と堪えたのかもしれない……悪気はないから許してやってくれ。後で対処法も教える」
わたしの意識はゆっくりと沈む。ディーレノールがわたしの頭を撫で、ルーシャが手を握ってくれているのが分かった。
「ヒカル様、お休みなさいませ。お目覚めになったら、お好きな食べ物をご用意致しますよ」
わたしは満ち足りた気分で眠りに就いた。




