34 髑髏館の日常
カーテンが開いたままの窓から強い光が飛び込み、室内を瞬間的に照らし出す。続いて響き渡った轟音は、びりびりと小刻みに窓を震動させた。
わたしは髑髏館の自室のベッドの上に横たわったまま、激しい雨音を聞いていた。意識を失っていたので、今が夜だということ以外日付も時間も分からない。いつも腕時計を置くサイドテーブルの上には何も載っていなかった。
ベッドサイドには椅子に座ったレイがいたけれど、ベッドに突っ伏した状態でわたしの右手を握ったまま眠り込んでいた。
この激しい雷雨にも起きないということは、相当疲労が溜まっているのだろう。ベッドで休んでほしいところだが、無理に起こすのも気が引ける。
「……レイ」
わたしは小声で名前を呼んでみたが、全く反応がない。右手を少し動かしてみたけれど、逆にぎゅっと握り込まれてしまった。
「……」
わたしは自由な左手を開く。指輪が1つも嵌まっていない手は、何だか心許なくて不安な気持ちになる。
また部屋が一瞬明るく照らされ、轟音と共に髑髏館が建物ごと揺れた。雷は先程より近いようだ。
ドアを控えめにノックする音が聞こえた後、静かに開いた。
「ヒカル様、お目覚めのようならリビングダイニングにいらっしゃいませんか? 軽食をご用意しております」
ルーシャの声が暗い室内に響く。軽食という言葉に引き寄せられるように、わたしは躊躇いなく右手を引き抜いた。レイはびくともしない。
「レイ様はお部屋にお運び致しますので、ご安心ください」
ルーシャの後から入ってきた執事のパオンが言うと、軽々とレイを抱き上げて運び去った。
わたしはルーシャに助けられながら立ち上がった。少し目眩は感じるものの、体力は回復しているようだ。
手洗いを使い、顔を洗って髪を軽く整えてからリビングダイニングに向かう。懐かしいスープの香りが鼻腔をくすぐった。
「現在の時刻は、ヒカル様が中庭でお倒れになってから2日半後の深夜0時過ぎでございます。雑炊というリューテ島のお料理をご用意致しました」
目の前に置かれたのは普段見慣れたスープ皿だったが、カツオ出汁のいい香りがして食欲をそそる。
「葱を散らして卵でとじただけのものですが、どうぞお召し上がりください」
わたしはスプーンを取り上げて、勢いよく食べ始めた。少し冷ましてあるところに心遣いを感じる。直ぐに中身を平らげると、続けて2回お代わりした。
「これを作ってくれたのはリオン?」
わたしは訊いた。
「はい、リオンがダンブル大神殿に乗り込んで、ューテ島出身の神官を探し出し、レシピを教えてもらったそうです」
わたしは嬉しくて泣きそうになった。弱っている時ほど人の優しさが染みるものだ。後で礼を言いに行こう。
「わたしの食事を暫く雑炊にしてほしいんだけど、構わない?」
わたしの言葉にルーシャは笑顔を見せた。
「もちろんでございます。具やスープをアレンジすれば色々な味が楽しめると伺いましたので、楽しみになさってください」
わたしはすっかり上機嫌になり、デザートとして用意されていたヨーグルトを食べ切った。
「ヒカル、何で起こしてくれなかったんだ?」
軽食の後ベッドに戻ったわたしは朝までぐっすりと眠り、今はレイの部屋のダイニングで朝食のテーブルに着いている。
「起こそうとしたけど、レイがびくともしなかったんだよ」
不機嫌な様子を隠さないレイに、わたしは無罪を主張する。
レイは倒れて眠るわたしの目覚めの兆候を感じ取り、側に付いていてくれたらしい。
「引っ叩いてでも、起こしてくれればよかったんだ」
レイは納得できない様子でトーストにかじりついた。
「疲れて寝てる人を、叩いたりできないよ」
わたしが言っても不満は収まらないようだ。
「それでも俺は、起こしてほしかったんだ!」
拗ねたような口調で言うレイが可愛くて、わたしはわずかに笑いを漏らす。
「次にこういうことがあったら、ちゃんと起こすよ」
レイは怒って言う。
「また俺の前で倒れるつもりか!? どれだけ心配したと思ってるんだ!?」
レイの剣幕に驚いて、わたしは食べていたサケ雑炊を喉に詰まらせた。
「レイ様、お食事中はお静かにお話しください」
わたしの背中をさすりながらルーシャが言う。
「悪い、でもほんとに心配したんだ……」
レイの呟きに返事をしたのはパオンだった。
「倒れたくて倒れる方など、普通はいらっしゃいません。無茶をおっしゃられては、ヒカル様がお困りになります」
パオンは南大陸出身の、褐色の肌の大柄な男性だ。執事というよりも、護衛や用心棒といった方が似合っている。
「分かった分かった。ヒカルが何度倒れても、俺が側にいてやる。これでいいだろ?」
ぶっきらぼうに言うレイにわたしは微笑み掛けた。
「レイ、いつも側にいてくれてありがとう」
レイは大きな音を立てて突然立ち上がった。
「俺はしたいようにしてるだけだ。礼なんかいらない」
レイはそっぽを向くと、そのままダイニングを出て行ってしまった。
「ヒカル様、レイ様は照れてらっしゃるだけなので、お気になさらないでください」
パオンが穏やかに言う。レイは今のように照れたり、時々大胆になったりしてわたしを混乱させる。首を傾げていると、パオンが言葉を付け足した。
「複雑な男心でございますよ」
冗談めかして言うパオンに、わたしも笑いを向けた。
「よく分からないけど、そういうことにしとくね」
昼食はフィンも一緒だった。フィンはずっと髑髏館に滞在しているのだが、3日経った今でも塔での疲労が抜けず昼前までベッドにいたらしい。
「それにしても、この雨いつまで続くんだろうね?」
外を眺めながらフィンが溜め息交じりに言った。わたしが倒れた夜から激しい雷雨が降り続いているらしい。
「塔の自動的な修復が終了するまで誰も近付かないように、塔から半径2キロ以内は同じ状態らしいぞ。不用意に近付くと、本土まで飛ばされるっていう噂まである」
レイはクリームソースのパスタを食べながら、淡々と話した。あの大きな存在と遭遇してしまったわたしたちは、噂が嘘だと笑い飛ばすこともできない。
「早く上がるといいね。このままだと外に行けないし」
わたしの言葉を聞いて、隣に座っていたレイが腕を掴んできた。
「諸々の問題が解決するまで、外出禁止だからな?」
塔の謎の存在については極秘扱いらしく、髑髏館の使用人の前でも話してはいけないとのことだった。
「分かってるって。レイ、食事ができないから離して」
目の前のカニ雑炊から目を離さずに言うと、レイは渋々といった様子で腕を離した。
「スープライスに負けるなんて……」
レイの呟きが聞こえたが、わたしは猛然と雑炊を食べ始めた。3食目ともなるとリオンも調理に慣れてきたらしく、深夜に食べたものより格段に味がよくなっている。
「僕そろそろうちに帰りたいんだけど、駄目?」
フィンが甘えるような口調でレイに訊く。
「……外出禁止は俺たち全員だ。そんなに暇なら、その女装癖を有効に使ってカフェでも手伝ってやれ」
髑髏館のメイドたちがカフェをやっていることは、以前レイから聞いていた。わたしはルーシャにお代わりを頼んでから、口を開く。
「わたしもそのカフェと、パオンの古書店に行ってみたい」
だいたいわたしはカフェというものに行ったことがないし、パオンが趣味で集めたという古書も見てみたい。レイをじっと見つめていると、重い溜め息が落ちた。
「俺はあそこには行かないことにしてるから、フィンと2人で行け。フィンはヒカルの付き添いということで、今回は労働は免除してやる」
わたしは笑顔で言った。
「わーい、ありがとう! でもどうしてレイは行かないの?」
わたしの質問に答えたのはパオンだった。
「レイ様はいつもチャラチャラしたカフェや、埃の被った古書には興味がないとおっしゃっていますが、実は私たちが楽しんで働いているところを邪魔したくないという優しいお心遣いなのですよ。主人であるレイ様が行かれると、私たちに気を遣わせてしまうとお考えのようです」
わたしはレイをまじまじと見た。普段尊大にも見える態度で使用人たちと接しているのに、変なところで気を遣うらしい。
「レイも行こうよ! みんなもお店をレイに見てほしいんじゃないかな?」
わたしの言葉にパオンも同意した。
「私たちはずっと、レイ様がお越しになるのをお待ちしているのですよ。しつこくお誘いするのは避けておりましたが……」
レイが息を呑んだ。
「そ、そうか……たまには様子を見に行ってやるか。俺が行くならフィンは行かなくてもいいぞ?」
レイが少し詰まりながら早口に言った。わたしにはレイの顔色は見えないけれど、照れているのかもしれない。
「僕も行くに決まってるよー! じゃあ、3時のおやつの時間にエレベータ前に集合ね」
髑髏館に地下があるのは知っていたけれど、地下道がカフェと古書店のある別館まで続いているとは知らなかった。
「地下道は複雑に入り組んでおりますので、ヒカル様は決してお1人ではお越しになりませんように」
照明で明るく照らされた地下道を歩きながら、パオンが釘を刺した。迷路状の地下道はダンジョンのようで興味が引かれるが、1人でくる気はないのでしっかりと頷く。
「古書店は本館でのお仕事がない時間に、不定期で開店しております。今から開店準備を致しますので、先にカフェでお寛ぎください」
パオンは地下道から別館の地下に入ったところで言った。地下には書庫があって1階の古書店と繋がっているらしい。
「エレベータで2階に行くぞ」
別館の構造が頭に入っているらしいレイが、わたしの手を引いて歩き出す。ほどなく辿り着いたエレベータは、小さいながらも高級な造りだった。
「地下は一般客は立入禁止だけど、1階と2階は普通に利用できるから少し豪華にしてある」
レイが説明している間に2階に到着した。
「いらっしゃいませ。髑髏カフェにようこそ」
出迎えてくれたのは、可愛い制服を着た3人のメイドたちだった。




