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25 眠り王子

 わたしはずっと恋というものがよく分からなかった。でもレイと出会い、ストレートに思いをぶつけられてこの人が好きなのだと実感した。

 甘い蜜の言葉は心を溶かし、ずっと側にいたいと感じて腕に力を込めた。側にいて嬉しいのに、切なくて胸が苦しい……、これが恋というものなのだと思う。

「ヒカル、あんまりくっつくと理性が飛ぶって」

 レイの声は今までにないほど甘く、少し苦しそうだった。

「飛んだら、駄目なの?」

 まだ離れたくないわたしは、腕の力を緩めない。

「俺はいいけど、ヒカルはよくないと思うぞ? まだ朝食も食ってないし」

 わたしはばっとレイから離れた。

「そうだ、朝ごはん!」

 意識した途端にお腹がきゅるきゅると鳴った。

「……もう冷めたと思うから、温め直して食おう」

 レイはてきぱきと準備をし、テーブルの上には美味しそうな朝食が並んだ。

「朝食は俺が作ってるんだ。朝は使用人たちが忙しいからな。パンとスープだけは料理人が作ってるけど」

 わたしはテーブルの上を見渡した。何種類ものパン、生野菜のサラダ、ふわふわしたオムレツ、こんがりと焼いたソーセージ、優しい香りのするポタージュスープ……、どれを取っても美味しそうだ。

「ヒカル、取り分けてやるけど、どれが食いたい?」

 隣に座ったレイが訊いた。

「全部!」

 即答したわたしに溜め息を吐きながら、レイはわたしの皿の上にサラダを載せた。

「パンはここから好きなだけ取れ。他は後から取ってやるから、サラダから食え」

 目の前にパンの入ったバスケットが置かれたので、わたしは適当に3つパン皿に載せた。

 わたしが皿を空にする度に、レイは新しい料理を取ってくれる。至れり尽くせりだが、レイはパンとスープしか食べていないようだ。

「レイは食べないの? 取ってあげようか?」

 料理がちゃんと見えていないので、うまく取れる自信はないけれど訊いてみた。

「いや、大丈夫だ。ちょっと食欲がないだけだから……」

 わたしはレイの方に体を乗り出し顔を覗き込んだ。

「レイ、体調が悪いの? 気付かなくてごめんね」

 レイはわたしの頭に手を載せる。

「病気ってわけじゃないから大丈夫だ。でもちょっと寝る」

 レイは立ち上がろうとしてバランスを崩した。わたしは咄嗟に支えようとしたが間に合わなかった。レイはその場にしゃがみ込んでしまうと、弱々しい声で言った。

「気が緩んだら、一気にきたみたいだ。目眩がして歩けない。ヒカル、肩を貸してくれるか?」

 わたしは慌ててレイの背中に腕を回し、体を支えて立ち上がった。何とか寝室のベッドまで辿り着き、レイを横たえる。

「後で事情を説明するから、心配しなくていいぞ」

 レイは小声で言うと、そのまま静かに目を閉じた。しばらく顔を見つめていたが、規則正しい寝息が聞こえてきたのでそっと寝室から出る。

 テーブルにはまだたくさん料理が残っていたので、パン以外は保存用の容器に入れて冷蔵庫に仕舞った。

 食器をどうしようかと思っていたら玄関の方から人の声がした。

「ルーシャでございます。失礼致します」

 直後に姿を見せたルーシャは、わたしが空になった食器を持っているのを見て凍り付いた。

「ヒカル様! 私が片付けますから、その食器は置いてください!」

 わたしは勢いに押されて素直にテーブルに戻した。

「レイ様はお休みですか?」

 わたしはなぜ分かったのかと驚いてルーシャを見た。

「昨日強引に召喚されて、随分と気を張って頑張ってらっしゃいましたが、そろそろ限界なのではないかと思っておりましたので」

 詳しくルーシャに訊いてみると、特殊な条件と希少な神具が揃った時だけ成立する召喚術は、術者ではなく召喚された方に大きな負担が掛かるのだという。その弱った状態でわたしの治癒をしたので更に不安定となったのだが、わたしを心配させないように気を張って先程まで耐えていたようだ。

 話を聞いてわたしは落ち込んだ。知らなかったとはいえレイに甘え、更に負担を掛けてしまったのだ。

「ヒカル様、そんなお顔をなさらないで下さい。好きな女性に弱ったところを見せたくないという、男性のつまらない意地のようなものですから」

 ルーシャは慰めてくれたが、わたしの気持ちは収まらない。

「わたしがレイにしてあげられることって、あるのかな?」

 ルーシャはにっこり微笑んだ。

「お目覚めになられたときにヒカル様が側にいらっしゃれば、レイ様がお喜びになると思いますよ」

 そんな簡単なことでいいのかと悩んでいると、ルーシャが優しく微笑みながら言った。

「ヒカル様も、ご病気の時に大切な方が側にいて下されば嬉しいでしょう?」

 わたしは頷いた。

「分かった、レイの側にいるね。あ、それとわたしの荷物は今どこにあるのかな? 着替えたいんだけど」

 ルーシャはレイの寝室の隣にあるドアを開けて言った。

「レイ様のお部屋には、寝室が2つございます。昨夜のうちにヒカル様のお荷物を、こちらにお運びしました。クローゼット内部の造りも、ほぼ501号室と同じでございます」

 わたしは一歩部屋に入り、ぐるりと見回してから振り返って言った。

「ありがとう」

 ルーシャは軽く頭を下げた。

「それではごゆっくりお過ごしください。昼食はお2人の分をこちらにお持ち致しますね。……お訊きするのを忘れていたのですが、合鍵を使って無断で入室する許可を頂けますか? レイ様には既に頂いているので、先程は勝手に入らせて頂いたのですが……」

 わたしは即答した。

「もちろん、いいよ」

 使用人が主人の部屋に出入りするのは仕事のためであり、いちいち許可を取っていては効率が悪い。これはどこでも当然のことだ。

「ありがとうございます。それでは食器を片付けてから館内の清掃をして参ります。レイ様をよろしくお願い致しますね」

 ルーシャは深く一礼して台所に行った。

 わたしは早速クローゼットを漁り、動きやすそうな伸縮性のある生地でできたピンク色のミニワンピースを着る。次にクローゼットの隅に立て掛けられていた銀杖を手に取った。

 昨晩感情の高ぶりによって封印指輪(シールリング)が弾け飛んだ影響で、わたしの魔力を関知した杖は白から銀へと色を変えている。指輪の取れた左手小指を銀杖に当てると、指輪が浮かび上がりするりと指に填まった。銀杖がこの杖の本来の姿なのだが、魔力が封じられれば白杖に変化する。

 キャリーバッグの中から本とルーペを出してレイの寝室に向かう。音を立てないように静かに椅子をレイの枕元に寄せると、少しの間端正な寝顔を観賞した。普段は鋭い雰囲気を持っているレイだが、目を閉じて眠っている姿は無防備であどけなかった。

 顔に掛かった赤い髪をそっと横に流すと、レイがわずかに身動ぎした。

「ヒカル……」

 起こしてしまったかと慌てたものの、単なる寝言だったらしくレイはまた直ぐに寝息を立て始めた。

 名前を呼ばれて胸がぎゅっと締め付けられた。嬉しいのに、苦しい……。もっとレイに触れたい。

 起こしてしまうかも知れないと思いつつも、我慢できずにレイの手を握った。眠っているレイの手は、暖かくて大きかった。

 もう読書なんてどうでもよくなり、本とルーペをベッドサイドテーブルに置いて飽きもせずにじっとレイの顔を眺め続けた。


「ヒカル……?」

 寝言ではなくはっきりと目を開いて、レイが言葉を発した。時刻は正午過ぎだ。

「気分はどう?」

 わたしの視力では顔色が判断できないので、言葉にして訊いてみる。

「だいぶ楽になったし、力も戻ってる。でも数日は外出しない方がいいかもな。ヒカル、完全復活するまで髑髏館(どくろかん)で俺と一緒に過ごしてくれるか? ヒカルの行きたい場所には、後からいくらでも付き合ってやるから」

 わたしは大きく頷いて、握ったままの手に力を込めた。

「あー、腹減った……」

 わたしはくすりと笑って言った。

「ルーシャがお昼ごはんを持ってきてくれてるから、一緒に食べよう」

 レイは低い声で答えた。

「笑うなよ、飯は食うけど」

 レイが上半身を起こしたので、わたしは名残惜しく思いながら手を離した。

「ずっと側にいてくれたのか?」

 レイは優しい口調になって訊く。

「レイが眠って、少し経った頃からだけどね」

 レイは俯き加減に言った。

「ありがとな、ヒカルの温もりを感じてたから、ぐっすり眠れた」

 レイは手で軽く髪を整えてから立ち上がった。そしてなぜか腕を組んで座ったままのわたしを見下ろしている。

「ヒカル、何で着替えたんだ?」

 わたしは正直に答えた。

「こっちの方が、動きやすいし可愛いから」

 レイは不機嫌を隠しもせずに命令した。

「今すぐ着替えろ。脚が見え過ぎだ」

 わたしは立ち上がって長さを確認する。太ももが半分見えているが、外に行くわけでもないしとやかく言われる筋合いはない。

「やだ」

 短いわたしの返事に更に気分を害したらしいレイは、ワンピースの裾に手を伸ばして引っ張った。

「ちょっと、何するの!?」

 わたしは必死にワンピースを押さえながらレイから離れようとした。

「俺が着替えさせてやるから、おとなしくしろ」

 体に触れられると抵抗できなくなると分かっているので、距離を取ることを優先して逃げる。

「やだって言ってるでしょ!」

 ワンピースの裾を引っ張られたままだったので、レイには下着が見えているだろうが、ここは捕まるわけにいかない。力を入れて引っ張るとレイの手が離れた。そのまま逃げ切れるかと思っていたら、直ぐに後ろから抱きすくめられた。頭の天辺に大きな溜め息が落ちてくる。

「俺の理性が飛ぶから、もうちょっと脚を隠してくれ」

 わたしはじたばたともがいた。今は王族の力を使っていないらしい。

「分かったから離して!」

 レイの腕を解こうとしたが、びくともしない。

「もう少し、こうしてたい」

 レイは甘く囁く。

「この状況で、理性は大丈夫なの!?」

 わたしの脚を見るより、実際に触れる方が危険ではないのか。

「俺は視覚的なものに弱いんだ。それにこうやって抱き締めるとある程度満たされる」

 じたばたを続けながらも離してくれそうにないと判断したわたしは、最終手段に移ろうとしたけれど……。

 突然ばーんとドアが開き、鋭い言葉が飛んだ。

「そこの変態王子、ヒカルから離れなさい!」

 フェリーゼが憤怒の表情で立っていた。レイの手が離れ、気配が消えて背中が寒くなる。わたしはいつかのできごとが再現されたのだと確信した。



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