24 告白
火球は意図して出したわけではないので直ぐに消したものの、猫たちの興奮状態を増長させる結果となってしまった。
2匹は今、疲れ果てたのかわたしの目の前ですやすやと眠っている。
「……」
わたしは家具や調度の残骸に埋もれる形で、リビングダイニングの壁に押し付けられている。
猫たちの直撃は免れたけれど、飛んできた物体によってあちこち負傷した。精神的なダメージが大きくて今は痛みをあまり感じないが、両脚の感覚が全くない。
照明も壊れてしまったので、火球をいくつか浮かべて部屋の中を照らし出した。室内がこんなに壊滅状態でも、部屋の壁や天井、窓ガラスまで無事なのは驚きだ。どういう造りなのだろう。
運よく電話が近くに落ちていないかと探してみたが、この惨状では全く見付からなかった。
「シロ!」
強めの声で呼んでみたけれど、ぴくりとも動かない。誰かがきてくれるのを待つしかないようだ。
疲労と倦怠感で意識が遠退きかけた時、カッコウの鳴き声が部屋に響いた。誰かが玄関のチャイムを押したらしい。
全く身動きが取れないので大声を出そうとしたが、喉が詰まったようになって普通の声さえまともに出ない。どこかに合鍵がある筈だし、そのうち誰かが開けてくれるだろう……と思っていたら、バルコニーへ続く窓が突然開いた。
「ヒカル、どうした? ……って何だこれ!?」
レイの叫び声が部屋に響く。自分の所有するフラットの部屋がこんなに無惨な状態になっていれば、かなりの衝撃を受けるに違いない。
「ヒカル、どこだ!?」
焦りを滲ませたレイの声が耳に入るが、体が重くて反応できない。
「ミャー」
ちゃりんという澄んだ鈴の音に続いてシロの鳴き声がした。鈴の音はどんどん遠ざかる。
「シロか? ヒカルはどこだ?」
レイの所に行ったらしいシロは、鈴の音を響かせながら戻ってきた。
「ヒカル! 大丈夫か!?」
突然強力なライトを当てられてわたしは目を上げた。
「今、助けてやるからな」
レイの言葉に続いて大きな破壊音が響き渡った。わたしとレイの間にあった残骸たちが光と共に跡形もなく粉砕する。わたしは何もなくなった床の上に、力なく崩れ落ちた。
「気付くのが遅れてごめん。ルーシャが夕食のことでヒカルに確認しにきたら、返事がないからって心配して俺のところにきたんだ」
レイはぐったりしているわたしを抱き上げた。動かされたことで体に痛みを感じ、低く呻き声を漏らしてしまう。
「ここでは治癒できないから、俺の部屋に連れて行く。痛いかもしれないけど、ちょっと我慢してくれ」
わたしは何とか頷き、体の力を抜いてレイに寄り掛かった。レイの体温を感じて少し安心する。
バルコニーから自身の部屋に入ったレイは、柔らかい球形クッションの上にわたしをそっと下ろした。隣のリビングダイニングにあったものと同じだ。
「使用人たちに指示を出してくるから、ちょっとだけ待っててくれ」
レイがいなくなると、急激に睡魔が襲ってきた。何があったのか説明しないといけないと思うのに、目蓋が重くて上がらない。必死に抵抗を試みたが、わたしは無様に完敗してしまった……。
次に気付いた時、わたしはベッドの上に仰向けに寝かされていた。倦怠感はあるけれど、体のどこにも痛みはない。
何とか上半身を起こすと掛け布団が滑り落ち、心許ない肌寒さを感じて、ようやく自分が裸だと気が付いた。生まれたたままの姿で下着さえ着けていない。
慌てて布団を引き寄せて肩に巻き付ける。恐慌状態に陥りかけた思考を優しい声が遮った。
「ヒカル様、お目覚めですか?」
美人眼鏡メイドの姿を見て胸を撫で下ろす。きっと服が汚れたか破れたかしてルーシャが脱がせてくれたのだろう。
「レイ様をお呼びしますね」
わたしが硬直したことに気付く筈もなく、ルーシャはどこかに行ってしまった。
「え? ちょっと……」
硬直が解けた後の呟きは当然届かない。せめて羽織るものはないかと見回してみたが、何も見当たらなかった。仕方なく再び布団に潜り込む。
「ヒカル、痛むところはないか?」
レイがわたしの枕元にやってきた。ルーシャの姿は見えない。
「ちょっと怠いけど、痛みはないよ」
目の下まで布団を被ってぼそぼそと言うわたしに、レイは少し苛立ちを見せた。
「顔を隠してたら、分からないだろ?」
強い力で布団を剥ぎ取られてしまった、しかも完全に。
「ふゃっ!」
変な声を出しながらも布団に手を伸ばすが、完全にベッドの上から撤去されてしまった。慌てて体を丸めようとしたものの、レイが手を触れた瞬間体の自由が利かなくなった。
「治癒の効果を確認するから、おとなしくしてろ」
そう言えば神王家の人間は触れた相手の体を自由にコントロールできるのだと、聞いたことを思い出した。羞恥で死ねそうだったが、今のわたしになす術はない。
レイは足から順番に触れながら体を確認していった。恥ずかし過ぎて目を瞑って耐えていると、不意にレイの手が離れた。体の自由を取り戻し、ベッドから逃げ出そうと動くより前に、ぎしりとベッドが軋み両肩を押さえられた。急いで目を開くと、レイがわたしの体の上に覆い被さり、顔を近付けていた。
「怪我は治ってるし、傷跡もない。治癒代をもらうぞ」
レイは掠れた声で言うと更に顔を近付け、そのまま唇を重ねた。柔らかい唇から熱を注ぎ込まれ、全身が火照る。恥ずかしいのに嬉しいような、よく分からない感覚に胸を締め付けられる。ユートにキスされた時はあんなに嫌だったのに、もっと触れてほしいと、思ってしまった。
「ふぁっ!」
無意識に止めていた息を、唇から解放された瞬間一気に吐き出す。荒い呼吸を繰り返しながら涙目でレイを見上げると、柔らかく微笑んでいた。
「ヒカル、好きだ。陳腐な台詞だけど、初めて会った時に運命を感じた。理屈じゃなく、ただ落ちたんだ」
レイはちゅっと音を立ててもう一度軽くキスを落とすと、直ぐに体を離して立ち上がった。
「ヒカルがどう思ってるのか分からないけど、拒まれてないのは分かったから、今はそれでいい」
レイは自分で落とした布団を回収し、ぱさりとわたしの上に被せた。
「まだ朝食まで時間があるから、もう少しそのまま寝てろ。後で着替えを持ってきてやる」
レイの頬がほんのりと赤く染まっているように見えたのは、気のせいではないだろう。
二度寝をまた口付けで起こされたわたしは、顔を赤くしながら持ってきてくれた服を着た。わたしの部屋だった501号室のクローゼットは、どうやら無事だったらしい。
白いブラウスに長めの黒のスカート、はっきり言って地味だ。でも他に着るものがないので、そのまま室内履きを履いて寝室を出る。朝食の香りに包まれると同時にお腹が鳴った。昨日の夕食を逃してしまったのは非常に残念だ。
「何でヒカルがこの部屋にいるんだ?」
わたしを出迎えたのはレイではなく、クッションに座って不思議そうにしているディーレノールだった。
「色々と事情があるんだよ。それより、何で兄貴がここにいるんだ?」
レイは機嫌の悪さを声に込めて返事をした後、逆に問い返した。
「俺は昨日強制召喚された弟を、心配してきただけだ」
ディーレノールの言葉に、レイは無感動に返した。
「俺は元気だ、ありがとう。他に用事がないなら帰ってくれ」
ディーレノールは気分を害した風もなく、わたしに向かって言った。
「ヒカルにも用がある。アレックスからの伝言で、月影の塔にはいつきてくれても構わないらしいぞ」
立ったままだったわたしは大きく目を見張り、ディーレノールに駆け寄った。
「ディー様、ありがとうございます! 昨日の件は特別になかったことにしてあげます!」
ディーレノールはクッションから立ち上がると、わたしを強く抱き締めて頭を撫でた。
「俺も特別に、ヒカルが火を点けた件は許してやるぞ」
頭を撫で続けるディーレノールに恥ずかしさを感じ始めた頃、冷たい声が割り込んできた。
「仲がよくて何よりだけど、ヒカル、他の男に簡単に触れさせるな。それと昨日の兄貴が帰ってからの件は、まだ話が終わってないぞ?」
氷点下の言葉が鋭くわたしに突き刺さる。レイの言葉に恐怖を感じ、ディーレノールの腕から抜け出した。
「こんなこと、祓いの練習の時はしょっちゅうやってたぞ? ヒカルは柔らかくて抱き心地がい……っ!」
ディーレノールが言葉を切って突然横飛びした。直後、ディーレノールのいた場所で白い光が爆発する。大きな爆発に見えたのに爆風は起こらず、部屋も近くにいたわたしも無事なままだった。
「レイ、お前結構本気でやったな!?」
ディーレノールがレイに詰め寄り、怒気を露にする。
「ヒカルが怪我しないように手加減したぞ? とにかく俺のヒカルに気安く触るな」
レイは平然と言い返して、ディーレノールの方を見る。
「ったく……、独占欲の強い奴はこれだから嫌なんだ。面倒だからもう帰る。月影の塔の件は伝えたからな!」
最後はわたしに向かって言うと、ディーレノールは部屋から出て行った。
「……」
ディーレノールの後ろ姿を複雑な気分で見送った後、レイは玄関をロックしてから言った。
「ヒカル、頼むから俺の理性を試すようなことをしないでくれ」
レイの声は切な気に聞こえた。
「確かに俺は【黒の宿命の子】をずっと探してたし、会って助けたいとも思ってた。相手が同じ年の女だと分かってたから、シロに伴侶として見付けるように命じもした。でも相手が俺を受け入れてくれないようなら、恋愛関係はなしでいいって思ってた。それがヒカルに会って俺は生まれて初めて本気で女を好きになった。あの時の直感を信じて、転位を止めればよかったんだ……」
レイは苦しそうに顔を伏せた。わたしの心拍数が異常なほど早くなる。
「この一週間、ヒカルに触れた男のことを考えると、理性が弾け飛んでヒカルをめちゃくちゃにしたくなる。一緒にいられなかった時間が悔しい!」
レイの声はわずかに震えていた。わたしは胸が苦しくなってレイに近付いた。
「レイの阿呆! わたしもレイが転位した後、すごく寂しかったのに! ずっと一緒だったらいいって思ってたのに! ……確かに転位した後、色んな男の人に抱き締められたり撫でられたりしたけど、レイが触れた時みたいに優しくて温かい気持ちにはならなかったのに!」
感情が高ぶり過ぎて涙が流れ出る。わたしの声も震えていた。レイが顔を上げる。
「…………そんなにたくさん男に触らせたのか……」
熱を帯びていた筈のレイの言葉が、急激に冷えてわたしの背筋を寒くした。
「そ、その言い方は、ちょっと嫌なんだけど……」
直ぐ側にいたので、レイも涙を流しているのが分かった。
「俺は自分で思ってたより、心が狭いらしい。何か、情けないな……」
レイがそっぽを向いてしまったので、わたしは思い切ってレイに抱き付いた。
「ヒカル、もう簡単に男に触らせるなよ?」
耳許で囁く声に、わたしはこくりと頷いた。
「ヒカル、俺のことが好きか?」
レイの声は震えていた。わたしは力強く頷いた。
「うん、好きだよ」
レイはわたしの背中に腕を回し、優しく包むように抱き締めた。




