23 クロとシロ
ディーレノールの後ろ姿を冷めた視線で見送った後、レイはわたしの新居となったこの部屋を案内してくれた。
土地を含めた髑髏館全部がレイの所有物で、以前からここを拠点に西大陸中を飛び回っていたらしい。レイの部屋は隣の502号室だそうだ。
「ほら、ここが寝室だぞ。色合いとかが気に入らなければメイドに取り替えさせるから、遠慮なく言ってくれ」
リビングダイニングの隣にあった寝室は、広々としていて大きな天涯付きのベッドが置かれていた。白地に薄いピンクの小花柄の壁紙、淡いピンク色のカーテン、白いドレッサー、どれを取っても上品で可愛らしい。
「ここ、すごく可愛い」
わたしが思ったままを口にすると、レイは肩を竦めた。
「ここにヒカルが住むと決まってから、家具類を運び込んだんだと思う。前は何もなかったからな」
わたしは寝室の中をぐるりと歩き回った。全てが美しく整えられ、ベッドサイドにはガラス瓶に入ったポプリが飾られていた。とても安らぐいい香りがする。
わたしがポプリを持ち上げてじっと見ていると、レイが近付いてきた。
「うちのメイドはハーブやらアロマやらに詳しいんだ。気に入ったならいくらでも作ってもらえるぞ」
わたしの気分が一気に上昇した。知識はあまりないけれど、アロマセラピーにはとても興味があるのだ。
「それは嬉しいな。メイドさんに会うのが楽しみ」
レイが次に向かったのは、寝室からも出られるバルコニーだった。ラタンの机と椅子が置かれ、美しい花が付いた植木鉢が並んでいる。
「バルコニーは俺の部屋まで繋がってる。玄関はいつも鍵をかけてるけど、こっちからならいつでもきてくれていいぞ」
男性の部屋に行くのは恥ずかしいので行くつもりはなかったが、とりあえず頷いておいた。
「この下の髑髏館の裏は庭になってて庭師が手入れしてくれてる」
わたしはバルコニーの手摺から身を乗り出して下を覗き込んだ。かなり明るく照らされてはいるものの、夜なので庭がどうなっているのかよく分からない。
「裏庭は外部の人間が入れないようになってるから、ヒカルが一人で行ってもいいぞ」
わたしは乗り出していた体を引っ込めてレイを見た。
「ありがとう、とっても嬉しい!」
満面の笑顔で言うわたしに、レイはそっぽを向いて返事をした。
「別に、そんな感謝されることでもないし……、それからヒカル、庭の向こうに建物があるのが見えるか?」
見事に話題を転換されてしまった。わたしはもう一度手摺に寄り掛かる。庭の向こうに何か建物があるのは分かったが、庭同様暗くてよく見えない。
「ごめん、よく見えない」
わたしが言うとレイが説明してくれた。
「庭の向こうに2階建ての白い家があるんだ。そこも髑髏館の敷地内で、向こう側の道路に面してる。1階がうちの執事の古書店、2階はメイドたちのカフェになってる」
わたしが首を傾げると、レイは苦笑しながら補足してくれた。
「俺は留守にすることが多いから、使用人たちは暇を持て余すらしいんだ。俺としてはのんびり過ごしてくれていいんだけど、無駄に仕事熱心な奴らばっかりで仕事がしたいって煩いから、敷地の隅に別館を建てたんだ。執事やメイド以外も手が空いたら店を手伝ってるらしい。あ、それと言い忘れてたけど、フラットの4階までは使用人たちの部屋だぞ」
屋敷を建てるのではなく集合住宅にする辺り、何か理由があるのだろうか。
「フラットだとこの辺りの街並みに馴染むし、目立たないだろ? それに俺はそんなに広い空間は必要ないから、これで十分なんだ」
思考を読まれていたのか、レイが説明を続けた。
「じゃあ、ここに住んでるのはレイと使用人だけってこと?」
わたしは確認するために訊いた。
「ああ、ヒカルも今日から住人だけどな。使用人たちは元々王宮で俺の側にいてくれた奴らなんだ。明日全員を紹介するから楽しみにしてるといい。……あ」
レイは唐突に言葉を切ると、わたしの耳に触れた。ぴくりと体が跳ねる。
「このピアスはもう必要ないから外すぞ」
レイは優しい手付きでピアスを外すと、手のひらに載せてわたしに見えるようにした。
「ほら、石が透明に戻ってるだろ? 守り石は離れた場所にいる相手を守るためのものだから、力を込めた術者が側にくると役目を終えるんだ」
わたしは守り石だったものを見ながら小声で言った。
「これ、本当に助かった。色々力を貸してくれてありがとう。レイが手助けしてくれなかったら、祓いはうまくいかなかったと思う」
レイは開いていた手のひらを閉じると直ぐにまた開いた。その上に載っていたのは白い子猫で、わたしは驚いて後ろに飛び退った。
「こいつはクロだ、よろしくな」
ミャーと挨拶するように一声鳴くと、クロはわたしの頭の上に飛び乗った。捕まえようと伸ばした手をすり抜け、今度はレイの肩の上に乗る。
「こいつは素直に触らせてくれないし、普段は呼んでも出てこない腹黒な奴なんだ。今はヒカルに挨拶させるために無理矢理出したから機嫌が悪い」
レイの頭の上によじ登ったクロは、赤い髪をくしゃくしゃに乱している。
「クロ、よろしくね」
クロはバルコニーの上に飛び降りると、わたしに背を向けてそのまま走って行ってしまった。
「あ、シロは知ってるから、呼び出したりしなくていいぞ。それよりシャワーを浴びて着替えた方がいい」
レイがわたしの胸元を指差していたのでよくよく見てみると、涙の跡が黒い染みになっていた。
シャワールームの場所と使い方を教えてもらった後、レイはしばらく休憩すると言って自室に戻った。
着替えを取り出そうとクローゼットを開けて、わたしは予想外の光景に固まった。広いウォークインクローゼットの中が服で溢れているのだ。
衝撃から立ち直ると、手の届くところにあったジャケットを取り出してみた。肌触りのいい生地は高級なものだと分かる。ルーペを使ってサイズを確認してみると、わたしが普段着ているサイズだった。
「……」
ジャケットをクローゼットに戻しどうしようかと悩んでいると、鴉の鳴き声が室内に響いた。
「えっ!?」
鴉が入り込んだのかと思って見てみるけれど、それらしい姿はない。するともう一度鳴き声がしてどんどんと何かを叩く物音がした。
身構えながらも音の方に行くと、誰かが玄関のドアを叩いているのだと分かった。
「ヒカル、俺だ、開けてくれ!」
ドアを開けると、着替えを済ませたレイとメイド姿の女性が立っていた。
「こいつはルーシャ、うちのメイドの一人だ。どうしても今挨拶したいって言うから連れてきた」
ルーシャと紹介された眼鏡の似合う女性は、一歩前に出ると深々と頭を下げた。
「ルーシャと申します。ヒカル様にお部屋の中をご案内したくて参りました」
レイが不満そうに言う。
「案内なら俺がしたぞ?」
ルーシャはレイの方を向き、丁寧に説明する。
「レイ様は戻られたばかりなので、この部屋の内装や家具、備品についてはご存知ありませんよね? そういったことを説明させて頂きたいのです」
レイは納得したように頷いた。
「そういうことなら、後は頼む」
ルーシャは胸を張って言った。
「お任せください」
レイが立ち去ると、わたしはルーシャを部屋に入れた。
「ルーシャさん、よろしくお願いします」
頭を下げて言ったわたしに、ルーシャは直ちに進言した。
「ヒカル様、私共使用人に敬称は必要ありません。敬語も同様です」
一歩も譲らないといった構えのルーシャに、わたしは軽く息を吐いた。
「分かった、よろしくね」
ルーシャはにこりと微笑んで頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
わたしは早速気になっていたことを訊ねた。
「さっき鴉の鳴き声がしたんだけど、何なのか分かる?」
ルーシャは深い溜め息を吐いた。
「髑髏館という建物の名前に合わせて、レイ様が作らせたチャイムの音です」
わたしはぽかんと口を開いた。ホラーなのは建物の名前だけで十分だと思う。眠っている時に鴉の鳴き声で起こされたら物凄く嫌だ。
「チャイムの音は簡単に変更できますよ。鳥の鳴き声限定ですが」
突っ込みどころが満載だが、面倒なので何も言わないでおいた。色々試聴させてもらった結果、カッコウの鳴き声に設定を変更してもらう。
安堵の溜め息を吐くわたしに、ルーシャは声を立てて笑った。
「こういうちょっとした遊び心が、レイ様のお可愛らしいところなのですよ」
承服しかねてじっとルーシャを見ていると更に笑われてしまった。
「ヒカル様にもそのうち分かりますよ。それより、シャワーを浴びられるのでしょう? クローゼットの説明を致します」
ルーシャを伴って寝室まで行くと、クローゼットの扉が開いたままだった。
「知らない服がいっぱいあったから戸惑ってしまって……」
わたしが俯き加減に言うと、ルーシャは半開きだったクローゼットの扉を全開にした。
「こちらのものはほとんどクレア・ヴェルデ様からの贈り物だと伺っております」
わたしははっとして顔を上げた。1週間も世話になっておきながら挨拶もなく出て行った恩知らずなわたしに、これほどのものをもらう資格があるのだろうか。
「全部お受け取りにならないと、ヴェルデ家の皆様は二度とヒカル様とお会いしないと仰っていたそうですよ」
子供のような言い種に少し驚いたが、クレアの優しさだと理解できたので胸が熱くなった。高価過ぎるプレゼントだけれど、ありがたく頂くことにしよう。
「ヒカル様、こちらにいらしてください」
クローゼットの中にいたルーシャに近付くと、念入りに説明してくれた。
扉を開いて直ぐ見える位置にある服は比較的普段使いのもので、普段使わないものや今の季節に合わないものは一番奥に収納されていた。
右手の壁に取り付けられた引き出しには下着や小物類があり、左手の棚を開けると靴やバッグ、アクセサリー類があった。
「……」
あまりに沢山の贈り物に言葉が出ない。
「ヒカル様、他に分からないことなどはございますか?」
感動のあまり呆けていたわたしに、ルーシャが優しく問いかけた。わたしは我に返って返事をする。
「もう大丈夫、ありがとう」
ご用のときはいつでもお電話くださいと言い置いて、ルーシャはわたしの部屋を後にした。
ゆっくりとシャワーを浴び、髪を乾かしてからリビングダイニングに向かうと、待っていたのは凄絶な景色だった。
綿のような白いものが床に散乱し、椅子は倒れ、テーブルは位置が変わっている。綺麗に葉を付けていた観葉植物も倒れ、葉や茎がちぎれてぼろぼろになっていた。
「痛っ!」
底の薄い部屋履きのまま一歩踏み込んだわたしは、何か鋭利なものを踏み付けて声を上げた。痛みで涙が滲む。
霞んだ視界の中に見えたのは、2匹の白い子猫だった。部屋中のものをなぎ倒し、蹴散らしながら暴れ回っている。
怒りが沸々と沸き上がり、遂に沸点を超えた。封印指輪が1つ弾け飛ぶ。
「こらぁーーーーー!!」
一喝と共に火球が飛んだ。2匹は一瞬動きを止めたものの、火に追われて逃げ惑う。結局寝室にまで被害は拡大し、部屋の内部が完全に崩壊してしまった……。




