22 髑髏館にようこそ
到着したのは一見どこにでもあるような普通のフラットだった。ピンク色のレンガ造りの建物の上に青い屋根が載っている。建物の周りには生垣が巡らされ、白い小さな門が取り付けられていた。
「ここは無防備に見えるだろうけど、実は神術によって何重にも守られてるんだぞ」
ディーレノールは愛車をフラットの前に停めたまま、バイオリンケースを降ろしてわたしを中へと促した。
門を入って5歩で白いドアに辿り着く。ディーレノールが鍵を使ってドアを開けると、ふわりと甘い花の香りがわたしたちを出迎えた。
「ヒカル、髑髏館にようこそ」
楽し気に言うディーレノールだったが、わたしが大した反応を示さないでいると繰り返した。
「髑髏館だぞ? ど・く・ろ・か・ん!」
わたしは少しうんざりして返事をした。
「エール島では集合住宅にわざとホラーじみた名前を付けて、魔除けの意味を持たせることがあるって前に本で読みました。だから全然怖くないです」
ディーレノールは数秒固まった後、がくりと肩を落とした。
「そう言えばヒカルは、可愛い気のない奴だったな……」
ぶつぶつと一人で呟くディーレノールにわたしは言った。
「玄関ホールでの立ち話は他の方に迷惑かもしれないんで、お部屋に案内してもらえますか?」
ディーレノールは諦めたように溜め息を吐いてから、わたしを奥のエレベーターに連れて行ってくれた。
「ヒカルの部屋は5階の501号室、エレベーターを降りて左だ」
501号室の玄関は開け放たれ、ひんやりとした風が通り抜けていた。ドアから廊下を抜けた先にあったのは、広いリビングダイニングのような場所だった。食事用のテーブルと椅子は置かれているがソファのようなものはなく、黄色やオレンジのビタミンカラーの球形クッションがあちこちに転がっている。
開け放たれた大きな窓の外はバルコニーのようで、鉢植えの花や南国風のテーブルと椅子が見えた。
「換気はもう十分だろうから、閉めるぞ」
ディーレノールは玄関とバルコニーの窓を閉める。
「必要なものは揃ってる筈だから自由に使え。俺はもう行くけど、諸々の説明をしてくれる奴が後からくるから一人で外に出るなよ」
わたしはびっくりしてディーレノールを見た。
「ちょ、ちょっと待ってください! 急にどうしたんですか!?」
既に玄関に向かって歩いていたディーレノールに駆け寄り、しっかりと腕を掴んだ。
「俺も一応王子だから、それなりに忙しいんだ。ヒカルといた時間は楽しかったぞ。次いつ会えるか分からないけど元気でな」
振り向きもせずに言ったディーレノールは、優しくわたしの手を外すとそのままドアを開けて出て行ってしまった。
わたしは呆然とその場に立ち尽くした。この6日間ほとんど一緒にいたので、ディーレノールがこんなにも急にいなくなるとは思わなかったのだ。
寂しい……。目の奥が熱くなり、涙が溢れ出す。ディーレノールに会ってからのことを思い返し、更に辛くなった。
祓いを成功させるために必死に指導してくれたディーレノール、祓いの本番で見事にわたしをサポートしてくれたディーレノール、優しく抱き締め頭を撫でてくれたディーレノール……。涙は尽きることなく流れ出し、ワンピースの胸元を濡らした。
ふと気付くと、太陽が沈んだのか辺りが真っ暗になっていた。灯りの点いていない初めての部屋は不気味で、わたしは不安を募らせた。スイッチの場所が分からないが、暗い場所だとよく見えないので探し回るのも怖い。
いつの間にか引いていた涙がまた零れ落ちた。
「うっ……、うっ……」
嗚咽を漏らしながら床にへたり込む。今までに味わったことのない不安と寂しさで、どうしていいか分からない。
「ヒカル!」
ばんっ! 大きな音がして、突然目の前のドアが開いた。闇に慣れた目がエレベーターホールの灯りで眩む。人が立っているのは分かったが、影になっていてよく見えない。
「ヒカル、大丈夫か?」
ディーレノールが戻ってきてくれたのかと思ったが、声が違っていた。わたしは座り込んだまま返事もできない。
その人は部屋に入ってドアを閉めると、照明のスイッチを押した。直後に眩しいくらいの光が広い室内を照らし出した。
「ヒカル!」
赤い髪をした人はわたしに駆け寄るとぎゅっと強く抱き締めた。
「……レイ? どうして……」
聞こえた声も見えた姿も彼そのものなのに、まるで夢の中のできごとのようで現実感がない。
「特別な術でこっちに強制召喚されたんだ。次の転位まで戻れないと思ってたし、ヒカルに会えたのは素直に嬉しい」
わたしは体を少し離してレイの顔を見た。濃い青の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。
「……本物?」
わたしはそっとレイの頬に触れた。肌はひんやりしているのに、心地いい温かさが優しく体を包む。理屈ではなく直感的にレイ本人だと確信した。
「泣いてたみたいだけど、どうしたんだ? 腹でも減ったか?」
レイはからかうような口調で訊いた。わたしは一瞬言葉に詰まり、レイを軽く睨んだ。
「なっ……! わたしはただ、ちょっと……」
一人でいるのが不安で寂しかったのだと言うのが恥ずかしくて、言葉を濁してしまう。視線を泳がせたとき、レイが白い神官服を着ているのに気付いた。
「服、どうしたの? 異様に似合ってはいるけど」
わたしが疑問を口にすると、レイは溜め息を吐いた。
「着るものがなかったから、一時的に借りただけだ。一般神官の着る紺の服でいいって言ったのに、そんなわけにはいかないって大騒ぎされて、根負けしたんだ」
わたしは更に体を離して、完全にレイの腕の中から抜け出すと立ち上がった。真っ白な神官服に真っ赤な髪が映えてとても美しい。レイの纏う硬質な空気がより雰囲気を際立たせていた。
「綺麗……」
思わず零れたわたしの言葉に、レイは不機嫌そうに反応した。
「今、俺を見て綺麗と言ったな!?」
レイは素早く立ち上がり、わたしとの距離を詰める。
「それなら、好きなだけ俺を見るといい」
意地悪そうに言うと両手でわたしの頬を包み込み、顔を上向かせた。
「っ……!」
直ぐ目の前に整ったレイの顔が見え、全身の熱が頬に集まる。それでも視線を外せずにじっと見つめていると、レイが急に吹き出した。
「ぶっ……、ヒカルは可愛いな」
褒められたのに、全く嬉しくないのは何故だろう。わたしはレイの手を振り払い数歩後退った。
「な、何なの!? 喧嘩売ってるの!?」
内心の動揺を隠すための言葉も、レイには何の影響も与えなかった。
「顔を真っ赤にして言っても、可愛いだけだぞ?」
レイは笑いを収めないまま、手を伸ばしてわたしを引き寄せた。
「おーい、俺がいるのを忘れてないか?」
ドアの方からのんびりとした声が割って入った。
「ディー様!?」
わたしは直ぐに反応した。6日間共にいた人の声を聞き間違える筈がないのだ。
「……レイとの再会を盛り上げるために、俺との別れを演出してみたんだけどどうだった?」
さらりと言われた内容に、わたしの怒りが爆発した。どれだけ泣いたと思っているのか。
「兄貴は買ってきたものを置いて、さっさと出て行ってくれていいぞ」
レイの素っ気ない言葉が、わたしの怒りをほんの少しだけ鎮めてくれた。
「レイ、久し振りに会ったのに冷たいぞ」
ディーレノールは部屋に入ってくると、買い物袋をテーブルの上に置いた。
「久し振りって転位の前に会ったんだから、1週間振りくらいだろ? 俺は今からヒカルと積もる話があるから、用があるなら明日にでも出直してくれ」
レイの言葉は容赦なくディーレノールに向かう。
「今すぐ出て行ってくれたら、さっきお別れみたいなことを言ったのは許してあげますよ? わたしは心が広いですから」
わたしは微笑みながらディーレノールに言った。
「俺は別に、ヒカルに許してもらわなくてもいいぞ?」
わたしはディーレノールの方を向き、何気ない仕草で腕を振った。人の頭ほどもある真っ赤な火球がディーレノールの顔目掛けて真っ直ぐに飛ぶ。
「おわっ!?」
意味不明な叫び声を上げて逃げるディーレノールを、火球は容赦なく追い回す。
「ちょ……、ヒカル何とかしてくれ!」
ディーレノールが情けない声で訴えるけれど。わたしに手加減する気は全くない。もう一度腕を振って火球をもう1個飛ばした。
「わーーーーー!!」
2方向から追われれば逃げ場はない。ディーレノールは叫び声を上げると頭を抱えて踞った。
「ディー様さようなら」
わたしが手を一度叩くと、ごぉーっと音がして2つの火球がディーレノールを呑み込んだ。めらめらと燃え盛る炎で直ぐに人の姿など見えなくなる。
「殺ったのか?」
レイが何でもないことのように訊く。
「精神的にね」
わたしも微笑みすら浮かべて返事をした。
「……うわぁーーーーー!! って熱くない!?」
急に炎の塊が起き上がった。人の形をしたそれは、跳んだり回ったり怪しい動きをする。
「すごいな! 炎なのに全く熱くないぞ?」
ディーレノール改め炎人間は嬉しそうに踊っている。
「全くダメージを与えてないみたいだぞ?」
レイは不満そうに言ったが、わたしは笑みを崩さなかった。
「ディー様、ちなみにその炎はわたしか炎術師しか消せませんからね。ついでに言うと、今のところわたしに消す気はありません」
炎の乱舞がぴたりと止まった。
「わたしの怒りが収まるまで待つか、わたしのお願いを1つ叶えてください」
炎人間はしばらく黙ったままだったが、魔物のように炎の息を吐くと声を発した。
「願いって何だ?」
不承不承といった感じの言葉にわたしは笑みを深くする。
「今すぐここを出て行ってください。ご用があるなら後日聞いてあげますから」
炎人間は頷いたように見えた。わたしは即座に炎を消す。先程までと全く変わりのない。ディーレノールの姿がそこにあった。
「ヒカル、覚えてろよ!」
負け犬のような台詞を吐いて、ディーレノールは部屋を飛び出して行った。




