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21 花咲く庭園

 ディーレノールが向かった先は駐車場だった。白い小型車が停まっている。

「さあ、乗れ」

 助手席のドアを開けて言ったディーレノールに、わたしは思わず問いかけた。

「まさか、ディー様が運転するんじゃないですよね!?」

 ディーレノールは反対側に回り込み、後部座席にバイオリンケースを置くと運転席のドアを開けた。

「これは俺の自慢の愛車だぞ。王子の運転で案内してやるんだから、光栄に思えよ」

「……」

 返す言葉がなかったので、わたしはおとなしく助手席に乗り込んだ。

 車は静かに走り出した。ダンブルの街の建物は、明るい色調のものが多い。パステルカラーの壁に、赤や青、緑の屋根。絵本に出てくるような町並みに自然と気分が高揚する。

「どこに行きたい?」

 サングラスを掛けたディーレノールが訊いた。わたしはしばらく考えた後、口を開く。

「えっと……、諸事情により持ってきた服がぼろぼろになってしまったので、買い物に行きたいです!」

 ディーレノールは一拍置いてから返事をした。

「……面倒だから、突っ込まないでおいてやる。そろそろ昼だし、モールに行って昼を食べてから買い物しよう」

 わたしは気持ちが更に上向きになるのを感じた。リューテ島にいた時は、人が多くて危険だからと、どんなに頼んでも買い物に連れて行ってもらえなかった。欲しいものがあれば、いつでも店の方から届けてもらっていたのだ。

「できれば市場とか商店街とか、人がいっぱいで賑やかなところに行きたいです!」

 身を乗り出して言うわたしに、ディーレノールは即答した。

「却下だ。高級店だけが入った会員制のモールに行く。人の多い場所は危ない」

 わたしはがっくりと項垂れた。活気のある場所を見てみたかったのに残念だ。

「だいたいヒカルが行きたがってるような場所には、あんまり服は売ってない。そんなに落ち込まなくても、別の時に行けばいいだろ」

 信号待ちで停まっていたので、ディーレノールは左手を伸ばしてわたしの頭をぽんぽんと叩いた。

 わたしは顔を上げる。そうか、これからは自由に過ごせる。一人では無理でも好きなところには行けるのだ。わたしがにやにやと笑っていると、ディーレノールが呆れ声で言った。

「本当に単純な奴だな。それにしても、どれだけ人に飢えてんだよ?」

 わたしは上機嫌のまま言う。

「だって家族や使用人以外の人とほとんど会わない生活だったんですよ? リューテ島にいた時はたまに一人で神殿に行ってたんですけど、人がいっぱいいるからわざとラッシュ時間に行って、色んな人の会話を聞いて楽しんでました」

 ディーレノールはわざとらしく溜め息を吐いた。

「盗み聞きとは、お嬢様にあるまじき趣味だな。それにしてもよく一人で行かせてくれたな」

 わたしは慌てて言った。

「神殿通いがわたしの息抜きで、ほとんど車で連れて行ってもらってたんですけど、社会勉強も兼ねてたまに電車で行ってたんです。護衛の人はいたけど、一人歩きの気分を味わいたくて離れて歩いてもらってたんです」

 ディーレノールは苦笑した。

「一人になりたいのかなりたくないのか、どっちなんだよ?」

 わたしは考えを巡らせてから答えた。

「一人で歩きたいのは自由な気分を味わいたいからで、一人ぼっちになりたいわけではありなせん」

 なぜかまた頭をぽんぽんされた。

「心配しなくても、これからヒカルは一人じゃないぞ」

 ディーレノールには珍しく、とても優しい口調だった。

 車はやがて大きな建物の車寄せで停まった。

「着いたぞ」

 ディーレノールは言葉と共にドアのロックを解除すると、さっと降りて助手席の前に回り、ドアを開けてくれた。

「気を付けて降りろよ」

 差し出された手を借りて車を降りると、スーツ姿の男性が近付いてきた。

「いらっしゃいませ。お車をお預かり致します。お買い物のご案内は必要でしょうか?」

 ディーレノールは車のキーを渡しながら言った。

「ありがとう、案内は必要ない」

 男性が頭を下げる中、ディーレノールはわたしを誘導して歩き始めた。

「ここは高級店しか入ってないけど、カジュアルからフォーマルまで全て揃う。買い物が思う存分できるぞ」

 目の前に迫ったガラスの回転ドアの両脇にもスーツを着た人が立っていて、ぴったり同時に頭を下げた。

「いらっしゃいませ」

 回転ドアを抜けて踏み入れたエントランスは、きらびやかな別世界だった。3階まで吹き抜けになった高い天井からは大きなシャンデリアが下がり、床には真紅のカーペットが敷かれている。中央に置かれた真っ白なグランドピアノを、ドレスを着た女性が演奏していた。

「いらっしゃいませ。私がお客様のお荷物の係をさせていただきます」

 近付いてきたのは大きなカートを押した若い女性だった。

「ああ、先に食事をするから、後から頼む」

 ディーレノールが言うと、女性は一歩下がって頭を下げた。

「畏まりました」

 ディーレノールは再び歩き始めた。入ってきた方と反対側にある回転ドアを抜けて外に出る。目の前には色とりどりの鮮やかな花々が咲き乱れ、水路が巡らされた広大な庭園が広がっていた。

「この庭のあちこちにレストランが点在してるんだ。どんなものが食べたい? ……っておい!」

 わたしは庭園の美しさに感動して涙を流していた。フジミヤ家の本邸にも庭はあったが、花より木の方が多くこれだけ沢山の花を一度に見るのは初めてだったのだ。

「あ、大丈夫ですよ。お花が綺麗で感動しただけなので」

 わたしはディーレノールを心配させないように、慌ててハンカチで涙を拭いた。

「ヒカル……、じゃあ、庭を見ながら食事ができるガーデンレストランに行こう」

 わたしは笑顔で頷いた。ディーレノールは小舟に歩み寄る。

「ガーデンレストランまで頼む」

 小舟の側で待機していた、民族衣装風の格好をした女性が何やら操作をしてから言った。

「準備が整いました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」

 ディーレノールが先に小舟に乗り込み、わたしを導いてくれた。水に浮かんでいる筈なのに、驚くほど揺れが少ない。

 薄いクッションの敷かれた席に二人で並んで座ると、誰も漕いでいないのに小舟は滑るように動き出した。

「この舟は水流を操作することによって、自動で目的地まで運んでくれるんだ」

 物珍しそうにきょろきょろしているわたしに苦笑しながら、ディーレノールは言った。

「とっても素敵です! 夢のようです! ディー様、ありがとうございます!」

 わたしが興奮気味に言うと、ディーレノールは優しい口調で言った。

「喜んでもらえて、俺も嬉しいぞ。連れてきた甲斐があった」

 水路の両側にもびっしりと花が咲いていた。わたしは手を伸ばして花びらに触れながら夢見心地だった。

「あんまり体を乗り出したら落ちるぞ」

 わたしはおとなしく座り直す。

「これから楽しいことがいっぱいなのに、落ちたら大変ですね」

 ディーレノールは笑い声を漏らしながらわたしの頭を撫でた。

「いい子だ。ここが気に入ったなら、また何度でもくればいい。食事だけでも使えるからな」

 小舟は何度かカーブを曲がった後、小さな船着き場に到着した。花が絡み付いたアーチ型の入り口が迎えてくれる。

「いらっしゃいませ。お席にご案内致します」

 タイミングよく現れたウェイターに案内されたのは、周囲が花壇に囲まれた可愛らしい四阿だった。ウェイターはメニューを渡すと目立たない位置まで下がる。

「ここは元々茶を楽しむところだから、軽食がメインなんだ。ヒカルならそうだな……魚介類のピザなんてどうだ? 海老と烏賊のホワイトソースのピザだ」

 わたしが頷くと、ディーレノールは手早く注文してくれた。

「あの、花を見に行っていいですか?」

 わたしが花壇に目をやってうずうずしながら訊くと、ディーレノールが笑いながら言った。

「あんまり遠くには行くなよ」

 子供のような言われようだとは思ったが、花に気を取られていたので白杖を手に四阿を飛び出した。

 顔を近付けて花を愛でながら歩いて行く。種類は分からないけれど、何種類もの色の違う花が同じ花壇に植えられている。それでも全体的に調和して見えるのは、配置が計算されているからだろうか。

 花の香りに酔いながらも、わたしは一つの花壇をぐるりと回って元いた四阿に戻った。

領主館(マナーハウス)には庭がないので、今日は可愛いお花を満喫しました」

 わたしが席に座ると、ワゴンを押したウェイターが現れた。

「お待たせ致しました。魚介類のピザ、スモークサーモンのサンドイッチと白ワインでございます」

 ウェイターは白ワインをグラスに注ぐと、一礼して立ち去った。

「そのサンドイッチも美味しそうですね……」

 わたしが熱い視線をサンドイッチに向けると、ディーレノールは呆れながらも一切れ分けてくれた。わたしもピザを差し出す。本当は行儀が悪いのだが、色んなものが食べられるのは嬉しい。ピザもサンドイッチも上品な味で、わたしのお腹も心も満たしてくれた。

「そう言えば、靴は必要ないのか?」

 食後のハーブティーを楽しんでいると、ディーレノールが唐突に訊いた。

「今履いてるショートブーツが普段使いなんですけど、他にパンプスもあるので問題ありません」

 ディーレノールはわたしの足下を覗き込んでから言った。

「かなり古そうだけど、ものはよさそうだな。じゃあ、ヒカルが納得するまで、館内の店を回ろう」

 わたしたちは再び小舟に乗り、最初に訪れた大きな建物に戻る。最初に会った荷物係が待ってくれていた。

 洋服を扱う店の全店制覇も辞さない覚悟で臨んだ買い物だったが、ディーレノールお勧めの三店を回ったところで必要なものが揃ってしまった。ブラウスとスカートが三着ずつ、ワンピースが二着とジャケットが一着だ。

「もう少し見るか?」

 ディーレノールに訊かれたが、わたしは首を振る。

「いえ、もう大丈夫です」

 回った店は少ないが、気に入ったものを見付けるまで何度も試着したので正直言うと疲れていた。

「分かった、そろそろ部屋の準備ができた頃だから行こう」

 ディーレノールは荷物の手配を済ませると、わたしを自慢の愛車に乗せて新居へと出発した。



体調不良により執筆が滞っているので5月11日の更新はお休みし、5月14日に次話を投稿させていただきます

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