20 封印の王子
室内に静寂が満ちた。二人とも身動きすらせずに、わたしが真実を受け入れる時間を待ってくれているようだった。
わたしは目を閉じ、フェリーゼの言葉を反芻する。罪を犯したわけでもないのに、瘴気に満ちた島に一人で渡り、永遠とも思える時間を過ごし続ける王子。その孤独が少しでも和らぐのであれば……。
わたしは目を開いてフェリーゼを見た。
「待った! ここ数日一緒にいたから、ヒカルの思考回路はだいたい読める。一時の感情で結論を急ぐな!」
ディーレノールがわたしを握る手にぐっと力を入れ、激しい口調で言った。
「でも、その王子様はずっと一人ぼっちなんですよね? 時々花嫁をもらっても、いいんじゃないですか?」
わたしの目から涙が流れた。胸が痛い。独り善がりなだけかもしれないけれど、その孤独な王子を救いたい。
「今までの黒の宿命の子たちは、最終的には宿命を受け入れ、全員が王子の許に嫁いだと言われていますわ。でも神王家も、事情を知る一部の大神官も、もちろんホムラ家もフジミヤ家も、決してヒカルを王子に嫁がせようとは思っていませんわ!」
常にないフェリーゼの激した口調に、わたしは呆然とするしかなかった。
「誰かの犠牲によって成り立つ世界など、間違っているのですわ!」
フェリーゼの言うことは正しいと思う。でも一番犠牲になっているのはその王子だ。
「神王家は王子が瘴気の島に赴いた直後から、王子なしで封印を維持する方法を必死に模索しましたの。そして遂に、王子を解放できる一歩手前まできましたわ」
わたしは複雑な気分になった。今さら王子を解放できても、それで彼は本当に救われるのだろうか。
「あの、その王子様はいつから島にいるんですか?」
わたしが読んだ虚構だらけの創世記には、この世界ができた明確な年代が書かれていなかった。フェリーゼは王子が島に渡ったのはこの世界ができて少し経った頃と説明してくれたが、正確な年数が気になったのだ。
「……初代神王陛下の第二王子レイノール殿下が瘴気の島に渡ったのは、この世界ができてから約40年後の940年前辺りと言われていますわ」
わたしは混乱した。現在新暦976年で、神殿が今の形に統一された年が新暦元年とされている。でも新暦とこの世界が同じ長さだとすれば、色々なことがおかしい。新暦というのなら、その前の古い時代もあったのではないか。
神は壮絶な創世の直後、この世界を守るために神王家と魔導四家の始祖に特別な力と色を与えた。この五人が神に協力して、世界の礎を築いたからだ。
ということは、既に当時の人は知識と分別を持っていたことになる。1000年足らずで文明がこんなに成熟するとも思えない。
頭を抱えてしまったわたしに、フェリーゼが優しく言った。
「色々と混乱させてしまったようで、申し訳ありませんわ。今は王子と宿命の子に意識を向けてほしいんですの」
わたしは我に返った。遠い昔に思いを馳せている場合ではなかった。
「術によって肉体の寿命は延ばせても、精神の均衡をいつまでも保つのは難しかったようですわ。レイノール殿下は200年ほど前から精神を病み始め、前回花嫁となったホムラ家の娘を殺害してしまいましたの」
わたしは大きく目を見張った。あまりにも不穏な話に背筋が粟立つ。わたしが嫁いでも王子に罪を重ねさせるだけなのかもしれない。
「レイノール殿下は本来、穏やかで我慢強い人格者でしたわ。だから花嫁はとても大切にされ、幸せに過ごしたと言われていますの。でも精神を病んでいると分かっている相手の許に、花嫁をやることはできません。それがたとえどんな結果を招いても、ですわ」
わたしは涙が止まらなかった。長い間孤独に耐え、この世界のために封印を維持し続けた王子、時折やってくる花嫁に数十年間孤独を癒されても、すべての花嫁の最期を看取り、果ては自身が精神の均衡を崩してしまった……。何と残酷な話だろうか。フジミヤ家でずっと守られていたのに、孤独だと思い込んでいたわたしの何と愚かだったことか……。
ディーレノールが涙を流し続けるわたしを、優しく抱き締めてくれた。人の腕の温もりが、更なる涙を作り出す。しばらくはわたしが鼻を啜る音しか聞こえなかったが、やがて少しずつ涙の波が引いていった。
「ホムラ家はヒカルをレイノール殿下から隠すため、生まれた直後に母親から引き離しフジミヤ家にすべてを託しましたの。そして今回成人したヒカルを、東大陸から遠ざけたのですわ」
ホムラ家の人たちもわたしを嫌って離れていたわけではないのだ。
「フェリーゼ様や神王家の方は、宿命の子がわたしだとどうして知っていたんですか?」
涙声のままわたしが訊くと、フェリーゼは穏やかに答えた。
「ヒカルが生まれた時に、ホムラ家から神王家に内密に連絡がありましたの。ただしその時は情報の漏洩を防ぐために、名前や具体的な内容は知らされませんでしたわ」
わたしの涙はだいぶ落ち着き、ディーレノールも体を離した。
「詳しくは話せませんが、私たちは神王家の身内だったので情報を知る立場にありましたの。お兄様は当時王宮内の神殿にいましたが、宿命の子が生まれたと聞いてリューテ島への異動を希望し、サイカ大神殿に行きましたわ、宿命の子の力になるために」
フレミアがわたしを娘のように大事にしてくれていた理由が、分かったような気がした。
「でももちろん、お兄様はヒカルの情報をこちらに漏らしたりはしませんでしたわ。私が知ったのはフィルにヒカルの話を聞いたからですの。年齢、容姿、炎術使いであること、それとフジミヤ姓を名乗っていることで直ぐに分かりましたわ。祓いのこともありましたし、協力を求めるために神王家に連絡したら、直ぐに王太子殿下がこられたという次第ですの」
わたしは息を吐いた。何だか物凄く大掛かりなことになっている気がする。
「神王家の方針はこうですわ。ヒカルを西大陸に留めてできるだけ時間を稼ぎ、その間に何とかレイノール殿下に代わって封印を維持する方法を見付ける、そして殿下を解放したら丁重に神王国で保護する。正気を保っておられるのなら自由にして差し上げたいのですが……」
フェリーゼは語尾を濁した。紅茶を飲み、ゆっくりと間を置いてから続ける。
「それまでヒカルは神王家の庇護下に置かれることになりますが、この大陸を出ない限り自由に過ごして構いませんわ。了承してくださいますわよね?」
わたしはフェリーゼの迫力に圧されて頷いてしまった。どのみち選択肢はなかったようだけれども。
「はい、ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします」
フェリーゼは長い息を吐いた。
「安心しましたわ。では早速領主館を出てほしいんですの」
思いがけない言葉にわたしは声を上げた。
「元々出て行こうとは思っていたんですが、急いだ方がいいですか?」
領主館は外界から隔絶されたような場所で、人々の生活を身近に感じられない。それにユートと親戚だといっても、いつまでも世話になるのは申し訳ないと思っていた。
「ヴェルデ家はリアンを除いて普通の人々ですわ。そのリアンにしても風術使いのヴァン家の直系からは程遠く、神術を使う神王家の王子に対抗できるものではありませんわ。それにあそこにいるととても目立ってしまうでしょう? ヒカルが頷いてくれるなら、直ぐにでも手配して荷物を運び出しますわ」
わたしは戸惑った。このまま挨拶もせずに領主館を後にするのは嫌だった。でもわたしがいることでヴェルデ家の人たちや、地方庁の職員たちを危険に晒したくはない。それにどこに行けばいいのだろう。
「心配するな、引っ越し先ならちゃんとある。ヒカルがこの島に拘ってるようだから、ダンブルに用意した」
不安を察したようなディーレノールの言葉に、わたしは安心して息を吐いた。準備がよすぎるとは思ったが、ダンブルにいられるならこれからもヴェルデ家の人たちに会えるだろう。
「分かりました。何もかもお任せして申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
わたしの言葉を聞いて、二人とも大きく息を吐いた。
「レイフィニールが戻るまで、ディーレノールがヒカルの側におりますわ」
神王家の王子をいつまでも独占していていいのだろうか。わたしが口を開こうとすると、ディーレノールが待ったをかけた。
「そのことなんですがフェリーゼ様、ヒカルは昨日祓いをとても頑張りました。それに今日は初めて宿命の子についての真実を知り、大変な衝撃を受けています。ヒカルには俺よりもっと寄り添える相手が必要です」
フェリーゼが息を呑む気配がした。
「あれを……、使えというんですの?」
フェリーゼの声は驚いているというより、呆れているようだった。
「はい、よろしくお願いしますね」
ディーレノールは言うなり立ち上がった。
「ヒカル、引っ越し先が整うまで少し時間があるから、街を案内してやるぞ」
わたしの頭は急過ぎる展開に付いていけない。
「え、急にどうしたんですか?」
ディーレノールはわたしの戸惑いをよそに、荷物を集めるとわたしを強引に立ちあがらせた。
「バイオリンケースは俺が持ってやるから、さっさと行くぞ」
わたしが引きずられるように部屋を出る時、フェリーゼの呟きが聞こえた。
「本当に馬鹿弟子ですわね」
大神殿の正面玄関に向かってどんどん歩いて行くディーレノールにわたしは声を掛けた。
「待ってください、お手洗いに行きたいです!」
ディーレノールは直ぐに立ち止まった。
「ああ……、こっちだ」
わたしには案内表示の類いが見えないことが多いので、誰かに訊ねることになる。同行者が男性だと、手洗いの場所を訊くのは気恥ずかしい。でもさっきぼろぼろに泣いたので、どうしてもこのままの顔で外に出たくなかったのだ。
案内してもらった手洗いで顔をじゃぶじゃぶと洗う。レイの治癒の効果が継続したままのすべすべ肌なので、化粧の必要性を全く感じず、今日も口紅しか着けていない。
ハンドタオルで顔を拭い口紅を塗り直して手洗いを出ると、ディーレノールが壁に寄り掛かって待っていた。
「……早かったな」
わたしは王子を手洗いのために待たせたということに今さら気付き、急に恥ずかしくなって俯いた。
「す、すみません」
わたしが慌てて言うと、笑われてしまった。
「何で謝るんだ? トイレで疚しいことでもしてたのか?」
ディーレノールは何故かとても楽しそうだ。
「や、疚しいことって何ですか!?」
ディーレノールは壁から離れるとわたしに近付いた。
「顔を洗っただけなのは分かってる。それより行くぞ」
またディーレノールに引っ張られて、わたしたちはそのまま大神殿を出た。




